AI と家電と桜の開花予想

AI を自社のビジネスや業務プロセスに取り込む試みを進める企業は、個人的な肌感覚としては増加の一途をたどっています。AI について統計調査をすると、認知度は高くても導入済みはあまり多くないという結果が出ているようですが、想像するに、リテラシーの高低によりかなり二極化が進んでいるのではないでしょうか。

積極的に AI を使い倒そうとしているのは概ね大手企業で、相当な数の事例がすでに出てきています。世間に公表するような事例ですから、どれも秀逸な内容で、それならウチもやりたいとインスパイアされる経営者も多いかもしれません。

以前から申し上げているように、IT は「試す」のが大変重要です。新しいものが出てきたらなるべく早く情報を捕まえ、まず「試す」。そのうえで、使えそうかどうか判断し、さらに「試す」を続けて、徐々にモノにしていく。そういう組織的態度の会社は、だいたい IT をうまく使いこなせる会社になっていきます。

ただし、「IT → 家電と同じ」と(無自覚に)勘違いしている会社は、特に AI に対しては注意が必要です。確実に頓挫します。

なぜかといえば、これもまた以前から申し上げている話ですが、家電と違って IT というのは導入すれば「運用」が発生するからです。家電は買ってきて備え付ければあとは使うだけですが、IT は違います。買ってきて導入したら、それを人間が運用し保守しなければ、当初に目論んでいたような機能を果たし続けないのです。これは、IT を自分たちに適した形でカスタマイズして使いたいと思えば思うほど、そうなります。

AI は、その最たる例といっても過言ではありません。その主な要因は、AI が「データを基に動作している」ことにあります。

AI が機能するエンジンとなっているのは、最近のケースで多いのは、機械学習によって形成された推論モデルです。機械学習は、何らかの過去のデータをインプットにして行われます。裏を返せば、データがなければ機械学習はできず、モデルは形成されず、AI は活用できないのです。

このとき問題は、糧にしているのが「過去のデータ」であることです。過去は過去であり、現在や未来とは異なる可能性が大いにあります。しかし、私たちが AI に求める成果は「いまからどうなるか」、つまり推論です。過去のデータに基づいた判断によっておよそ現在や未来を見通せるなら問題ありませんが、現在や未来ではもはや状況が変わってしまうとすれば、AI による推論は役に立ちません。

例えば、春は桜の季節ですが、桜の開花予想に「600℃の法則」というものがあるそうです。これは、2月1日以降の毎日の最高気温を積算し、その合計が約600℃に達すると桜が開花するという経験則(いわば、学習されたモデル)です。しかし近年、気温の変動が過去と変わってきてしまっていることから、この法則が外れやすくなっているといいます。これもまた、過去のデータでは現在が予測しづらくなることがあるという、ひとつのケースといえるでしょう。

そんな変異が往々にして発生するので、AI をビジネスに組み込んで使いたいのなら、機械学習による推論モデルを継続的にアップデートし続けなくてはならないわけです。データは、ほんの些細なことで変容します。例えば、Webサイトのデザインを更新しただけで、利用者の使い方が変わり、利用傾向は変化します。そのログデータを使ってモデルを作っていたとしたら、サイト更新の前後で挙動が予測できなくなる可能性があります。

また、過去のデータを学習しているので、過去にはなかったことが発生すると、当然推論はできません。極端な話で説明すれば、例えばある年の3月に開店したチョコレート店が、店の購買履歴を使って AI で販売予測モデルを作ったとしたら、2月のバレンタインデー前に売れ行きが急に上昇することをおそらく予測できません。人間からすれば当たり前のことでも、この店の場合は「過去にないこと」なので AI には予測不可能です。

さらに言えば、データは大抵、人間が入力しています。人間が入力を間違えたデータを、知らないうちに AI が学習するとなれば、間違った推論をするモデルが出来上がることになります。それに気づかずに予測を信じてしまう、ということも想定できるわけです。

ですから、AI を導入したなら、その瞬間から「運用」が始まり「保守」しなければなりません。新しいデータを次々と投入してモデルを更新し、最新を保つとともに、出力は常にモニターして、おかしな挙動があればすぐに対応し、場合によっては AI の利用を停止して人間による業務に切り戻すことまで考えておく必要があるのです。そうしなければ、AI が吐き出す間違った予測を信じて間違った判断や対応をし、結果としてビジネスに損失を与えることになります。

こうして見ていけば、「IT → 家電と同じ」と考えることがいかに危険極まりないか、ご理解いただけるのではと思うのですが、いかがでしょうか。

面倒だと思いますか?そう思うのなら、AI には手を出さないのが身のためです。そのような面倒や手間を超えたところに存在する目的を持っている企業が、AI の活用に成功するのです。そうした目的もなく流行りの IT に手を出す企業は、かけた投資に見合う効果がほとんど見えずそのうち取り組む意味を見失って頓挫するか、他人がつくった AI モデルに手持ちのデータを食べつくされて気づいたときには自分には何も残っていない、などということになるでしょう。

もしかすると大手企業にも勘違い企業がいるかもしれませんが、そういう企業はこれから頓挫していくはずです。大々的にアピールされている「秀逸な事例」を妄信せずに、その後はどうなったかまでよく観察してみましょう。

技術戦略を考えないビジネスのミライ

AI(人工知能)が適用されるビジネス領域は、拡大の一途です。ChatGPT が衝撃を与えて以降、クラウドでのサービス展開も含めて、一気に応用領域が広がった感があります。また、その適用の範囲は、現場作業の置き換えや支援から、事業のコアとしての実装まで、あらゆる領域にわたります。

企業が本格的に AI を取り込んで業務に適用しているケースは、大企業ではほとんど行きわたっていると思われますが、中小レベルでは温度差があるでしょう。それでもこれだけ世間で話題になっているのですから、個人的にであれば遊び程度でも、対話型AIを触った経験がある方も多いのではないでしょうか。

企業が AI を活用しようとするなら、その取り込みかたについては十分に戦略的であるべきだと、わたしは思います。大手企業であっても安易な採用のしかたが散見されると思って見ています。

特に経営者がきちんと考えを及ぼすべき論点は、「使おうとしている AI が事業の根幹に影響を及ぼす可能性があるのかどうか」です。ChatGPT に情報を調べてもらう、知識を教えてもらう、資料をまとめてもらう、図や絵を書いてもらう、程度のことであれば、現場の好きなようにやらせてもそれほど問題はないでしょう。ただし、ビジネスの価値提供に大きく影響を与えるような使い方をしようとするなら、安易な方向に流れていかないように、経営が環境を構築することが必要です。

例えば、AI が適用される有力な領域に、翻訳があります。OpenAI など有力なテック企業が開発する大規模言語モデル(LLM)を基にすれば、あらゆる言語への翻訳がかなりの精度で実現できることが実証されています。これを用いて、様々な出版物に適応できるように AI モデルを改良し、価値を生み出そうとするスタートアップ企業も出てきています。

マンガの翻訳などはその一例で、マンガを多言語に翻訳するエンジンを開発するスタートアップ企業が複数出てきています。現状では、マンガやアニメには独特の言い回しが多く、翻訳には物語の背景に対する理解も必要で、単に LLM を使うだけでは精度が出ないと言われています。しかし、そうした背景、言い回し、ニュアンスなどを、マンガやアニメに最適になるように学習させれば、精度が確実に上がっていきます。要は、時間と労力の問題です。それに取組もうとするテック企業に、出版社が出資をして、翻訳を委託する動きがあるようです。

ご存じのとおり、日本のアニメやマンガは、海外で人気を博しています。今後ビジネスとして大きく伸びる可能性を秘めているでしょう。それに対して、翻訳の工程における精度を格段に向上させ、また格段に処理時間を短縮させて、海外市場に素早くコンテンツを展開できる可能性を、AI は持ち合わせています。きわめて有力な競争力のリソースになり得るテクノロジーです。

では、そうした競争力の源泉のタマゴと言えるリソースを、自前で持たなかったらどうなるか、出資する出版社の経営者は考えを及ぼしているのでしょうか。「ウチはITの会社ではないし、専門技術を持った集団がもう存在しているのだから彼らに任せるのが早い」などと考えて、易きに流れていないでしょうか。

今後、日本の人口が減少すること、つまり国内のマンガやアニメのファンは減少することは、すでに分かっていることです。一方で、海外では今でも人口が増えている国や地域が少なからずあります。海外でマンガやアニメの人気が順調に拡大していった場合、売上構成は海外が主、国内が従、になる可能性は十分想定されます。そのとき、多言語翻訳はビジネスの展開において、価値提供に不可欠なピースになるはずです。自前でやらないということは、事業に不可欠な要素を社外の別の会社に依存する、ということになります。

一方、AI 翻訳企業の立場で見れば、出版社にとって自分の会社が、事業存続のためになくてはならない存在になります。そうなった時点で翻訳の機能を果たすのみならず、海外への物理的な展開や配信まで機能的役割を果たせるようにビジネスを作り上げられていれば、アニメ・マンガ業界のプラットフォーマーになれる可能性も見えてくるでしょう。

そうした将来シナリオを今の時点で想像できているのなら、出版社の社長は、自前でAI モデルを育てないと「ビジネスの肝」を他社に押さえられてしまうという危機感にとらわれないとおかしいと思うのですが、いかがでしょうか。

AI は、データを食べて成長し、力をつけます。そのデータはどこから来るのかといえば、企業が自前で持つ情報から来るのです。その情報がビジネスの根幹をなす源泉であるほど、それを食べて成長した AI モデルがビジネスの根幹をなす存在になるのは自明です。AI モデルが成長して脅威を示すようになってから、そのデータはウチのデータなのだから返してくれ、使用料払ってくれ、と主張したところで、もう消化してしまったデータを取り戻すことはできません。そして、一度成長してしまえば、その能力は岩盤のごとく強固な存在になります。長年かけて強化してきた AI モデルに対して、随分後になってから自前で追いつこうと思っても、追いつけないでしょう。

AI を事業に活用しようとするなら、どのような用途に使おうとするのか、それは手間をかけて自分で育てなくてもいいのか、経営者が主体的に戦略を設計し、会社の方針として指示を出していく必要があります。そして、事業成長に AI が有力だとなれば、長期戦と捉えて AI モデルを自分たちで地道に育てていく環境を整えていく覚悟も必要です。

戦略もシナリオも考えずに易きに流れれば、上記の出版社のように、気づいたら外部のテック企業がいないと生きられない会社に成り下がるかもしれません。テクノロジーというのは、「ウチは技術の会社でないから関係ない」では済まない、もはやそういう存在なのです。

ネットの間違いは許しながら、AI の間違いは許容しない人へ

先日街を歩いていて、前にいた学生風の若い女の子のグループを追い越していったら、彼女らが ChatGPT を話題にして盛り上がっているのが聞こえてきました。人工知能(AI)も、そんなところでネタになるほど世間に浸透したんだなと実感した次第です。

学生の人たちが AI を意識するのは、もしかすると「ChatGPT を使って宿題をやるな」という文脈なのかもしれませんが、企業においてはそうした制約は特にありません。しかし、ビジネスの領域ではむしろ、AI がもつリスクのほうがより意識されやすいような気がしています。

かの ChatGPT も、回答する内容は時に不正確、誤解を招く、偏見に満ちている、という場合があると、事前に断っています。また ChatGPT に対抗して先ごろ Google が一般公開した対話型 AI「Bard」も、同様の注記を掲げています。

それを真正面から受けて、不正確であることを AI を使わない理由にする企業やビジネスパーソンをよく見かけますが、それはいささかもったいない判断です。

AI が人間から見て不正確であることは、おそらくこの先も不変であろうと思います。AI にまつわる誤認識や誤判断のリスクは、これからもずっと付きまとうでしょう。しかしながら、100点を取れなくても70点程度正解してくれれば十分な改善になるムダが、世間にはたくさんあるはずです。AI が活かせる領域とは、そうしたところではないでしょうか。

もちろん、予測するだけ無駄なことを対象にして AI の予測モデルを作ろうと努力してしまうことは、やるべきではありません。開発のコストメリットを上回るだけの効果がないのなら、予測モデルをつくるだけ無駄です。そんなこと当たり前だと思う方は多いでしょうが、現実は、そういうつもりはもちろんないのに無駄な予測モデルを作ってしまって成果が出せないでいる例がたくさんあると聞きます。そもそもその予測の精度が向上すればどのくらい「効果」が得られるのか、本格的に取り組むより早い段階で評価することが重要です。

また、許容可能な予測をするには相当高い的中精度を要求されてしまう課題に取り組んでしまうことも、やるべきではないことです。例えば、AI が行う判定が人の人生や生命に関わるような場合、適用には慎重にならざるを得ません。

一方で、現状うまく予測ができていない、予測はしてみるけれどいい加減で根拠に欠ける、予測しようにも相当な工数や労力が取られている、という領域がいろいろあるはずであり、それらは AI に適した領域かもしれません。例えば、あるスーパーでは生鮮品の需要が上手く予測できておらず、毎日相当数の商品を値引き販売し、最終的に廃棄されるものも少なくないとしたら、そこに AI による予測を適用して、値引きや廃棄を 100% なくすことはできないにしても、7 割減でも実現できれば、メリットは大きいと思われます。

また、認識精度がある程度に留まるのは承知で、間違いは後で人間がカバーする考え方でも、大幅な省力化が見込めるケースがいろいろあるでしょう。注文書などビジネス文書の文字認識などではこの考え方を応用し、AI-OCR と人間のオペレーターのハイブリッドによる文書のデジタル化サービスを提供する業者が増えています。

つまるところ、AI は「業務のムダ取り」に新しい方向性を与える選択肢だ、と考えれば、いろいろな適用領域が浮かんでくるのではないでしょうか。

「ウチはデジタル化は別に必要がない」と主張する会社の業務の現場を見ると、時々、端から見れば無駄が多い手作業にしか見えない仕事を、その労働にあまりに慣れ過ぎ、まるで職人のライフワークであるかのように一心不乱にこなしていて、終わった時にはやり切った達成感に浸っているような場面に遭遇することがあります。少なくともそんな状況には、陥りたくないものです。

小売業のダイナミックプライシングは、悪手でしかない

「ダイナミックプライシング」とは、需要に応じて売り手側が価格を柔軟に変動させる仕組みのことです。

従来は価格の表示が紙で行われていたため、価格を変更することは時間も労力もかかる作業になっていました。これが、近年はITによって価格表示をデジタル化することができるようになり、ダイナミックプライシングは一気に現実味のある取り組みになりました。現在、宿泊業、航空、娯楽施設では一般的に実用されています。

こうした取り組みを、最近真似しようとしている小売業がちらほら見受けられます。しかし、小売業がダイナミックプライシングを実施するのは、先進的どころかむしろ不利益をもたらします。やめたほうがよいと、わたしは思います。

小売業でダイナミックプライシングを採り入れようと考えている企業は、きっと顧客の立場で物事が考えられていません。

例えば、ホテルに宿泊する顧客の場合を考えてみます。その顧客がホテルに宿泊の予約をするとき、先だって予定が決まっているケースも、突然宿泊する必要が出てしまったケースも、いろいろとあるでしょう。ただいずれにしても、その顧客は、特定の日程で特定の場所に宿泊する必要があって、そのホテルに予約をしに来ています。ある意味、選択の余地はほぼありません。

他の例では、野球の試合を観戦したい顧客の場合はどうでしょう。その顧客が試合のチケットを購入するとき、通常なら、特定の日取りで行われる、ひいきの球団の試合を見たいと思って購入するはずです。自分の予定も、連れ立っていく人の予定も、それぞれあるでしょうから、どの日でもいいということにはあまりなりません。つまりその顧客は、特定の日程で特定の試合を見ようとして、チケットを買いに来ます。やはり、選択の余地はほとんどありません。

航空のチケットも、ほぼ同じ論理になります。つまり、こうした顧客は「その時その場で、特定のものを買う必要がある」のです。このようなケースでは、ダイナミックプライシングがうまく適合します。その時その場で利用したいから、その価格が少々高くても選択せざるを得ないし、価格の比較をしたところで他は選択肢になりにくいので、高額な理由が理解できるのなら抗議したくなる余地があまりないわけです。

一方、小売業はどうでしょうか。

小売店に並んでいる商品は、基本的に毎日ほぼ同じです。顧客は、明日に来てもそれを購入できますし、その時その場でどうしても買わないとまずいようなケースはそれほどありません。

さらに、関心のある商品ほど、店に来るたびに買う商品ほど、比較的高額な商品ほど、顧客はその商品の価格を「覚えて」います。

そこに、その小売店がダイナミックプライシングを導入したらどうなるでしょうか。当然、価格が上がれば顧客は買い控えます。

それどころか、「この店は来るたびに値段が変わる、しかも昨日よりも今日のほうが価格が上がっている」と気づきます。それに気づいた顧客は、その店に信頼を置かなくなり、警戒心を持ちます。

ダイナミックプライシングに魅力を感じてやまない小売業者は、消費者は価格が変動していることを知らないと思っているのかもしれませんが、まったく浅はかです。賢い消費者ほど、どの店で何がいくらで売っているのか(場合によっては「いつ」までも)、よく覚えています。同様の話で、食品メーカーはかなり以前から常套手段として、価格を据え置いて内容量を減らすこと(いわゆるステルス値上げ)を頻繁に行っていますが、それも多くの消費者(特に主婦の方々)は気づいています。

さらに言えば、ECの世界ではすでに、特定のサイトの特定の商品が時間経過でどのような価格変動をしているのか、自動的にトラッキングしてくれるサービスまで登場しています。利用者は安くなったところで通知をもらえるように設定しておき、通知が来たところで注文できるというわけです。

そのような自動トラッキングを使わないとしても、その小売業がECサイトを展開しているのなら、顧客はそのサイトに、関心のある商品を ”何度も” 見に来ます。訪問するたびに価格が変わっていれば、それで分かってしまいます。1週間のあいだに何千円や何万円も価格が上がっていることに一度でも気づけば、もう顧客はそのECサイトでは、一見で購入ボタンを押すことはなくなるでしょう。

消費者の信頼をなくしてまで、「最適な価格」で利益追求したいのでしょうか。小売店は正々堂々と、一度決めた価格で勝負すべきだと思います。もし価格をダイナミックに変えたいなら「下げる方向にだけ」にするべきです。上げる方向に変えるなら、きちんと理由を説明すべきだと思います。

実際、現在のような価格高騰のご時世の中、そうした説明は、小規模な小売店ほど危機意識をもって丁寧にやろうとしています。値段を上げたり下げたりを恣意的に行っていることに消費者が気付けば、企業規模に関係なく、小売店は簡単に信頼を失うことを、忘れてはいけません。

「先進的で有名になる」ことには、意味がない

ITにおいてユーザー企業が「先進的」であることには、ほとんど意味がありません。

ITというトピックになると、とかく先進性に価値があるという方向で理解されるような向きもあるようです。しかし、ITに先進的であることは、ユーザー企業にとっての目的にはほとんどなりえません。

ビジネスの成長や発展に役立つこと、顧客の支持を得ること、こうしたことに役立つことしか、企業においてIT採用の目的にはならないと思います。

こんなことは言ってしまえば当たり前なのですが、しかし現実には、そうでない動機付けでITの取り組みを考えている(ようにしか見えない)責任者やリーダーが、案外目立ちます。

先進的な取り組みをしていると、人より先を行っているように感じられて得意げになるのかもしれません。マスコミが取材しに来て褒めたたえられてうれしくなるのかもしれません。先進的な取り組みであるとして表彰されたりすれば、誇らしくなるのかもしれません。

しかしながら、中長期的に見て、そうしたことで事業として得られるものは、たいてい大したことありません。

世間に知れることでエンジニアの入社志望が増えるのはメリットかもしれませんが、同時にベンダーからの売り込みは急増するだろうと思います。「あの会社はカネを使う」と思われるからです。先進的であるということで名が知れてしまった以上、投資の手を緩めるわけにもいかなくなるでしょう。そんなふうにして投資ありきの投資を繰り返しても、事業に対するリターンを毎度創出できるはずもありません。

しばらくは、経営者がよくわかっていないことをいいことに、適当なメリットをこじつけて稟議を通せるかもしれませんが、経営者が気付いたときには、実は無用だった投資の積み重ねが大いなる不良資産に化けているかもしれません。

過去の事例を振り返れば、マスコミに取り上げられてえらく著名になった人物によって導入された情報システムや組織体制が、その人物が転職したり社長が交代したりした途端に、ほとんど否定されて違う取り組みが推進されるという、残念な顛末のケースばかり目立つように思います。

本当の意味でITをうまく活用できている企業というのは、それを手掛けたとされる特定の個人が有名になることはおよそ少ないものです。むしろ、その会社のシステムそのものが有名になります。そしてそれが脈々と引き継がれ、進化していきます。

世間に知られるようになったから、表彰されたから、などという理由で、得意満面にならないことです。そのITが自社のビジネスの役に立っているのか。顧客がそのITによってもっと買ってくれるようになったのか。経営者は、そういうことを冷静かつ多面的に評価すべきだと思います。当然、そうした評価ができるだけの知識も必要です。

がんばれ、「第4の携帯電話事業者」

楽天モバイルが先日、現在行っている携帯電話の試験サービスについて、新たに2万人の利用者を追加で募集すると発表しました(募集は既に終了)。限定地域に居住する人が対象で、今年3月末までの試験期間中、国内の音声通話やデータ通信、国際電話、国際ローミングなどが無料で利用できるということです。

同社は当初、通信サービスの本格開始を2019年10月からとしていましたが、その直前になって開始を2020年4月に延期し、その間は試験サービス期間として、利用者を限定してサービスを無料提供してきました。これによってインフラやシステムの課題を洗い出し、解決したいという考えのようです。

無料提供とはいえ、実ユーザーを使って問題を出させるとは何事か、と捉える向きもあるでしょう。5000人という限定利用であるにもかかわらず、昨年12月には3時間にわたる通信障害を起こしてしまい、総務省から業務改善のプレッシャーが強くかかっていると言われます。

この状況を見て、利用者としては当然、そのクオリティに懸念を持つだろうと思います。わたしもそう思います。しかし個人的には、同社にはぜひこのハードルを乗り越えて成功してほしいと、願っているところです。

その理由のひとつは、業界の活性化の期待です。現在の通信業界は、良くも悪くも「安定」しています。安定したサービスを提供していることは大いに喜ばしいことですが、一方で料金は常に横並び、というよりも、高値安定の状態です。毎月1万円にもなろうかという金額を、多くの利用者が何の疑問もなく支払っているのが、わたしには不思議でなりません。

料金プランを観察するとわかりますが、複雑怪奇でわかりにくいことに隠れて、あまり使わない利用者のことは考慮から外したプランしかないのが実態です。高齢者などがガラケーからスマホに乗り換えないのは、スマホが難しいからというより、月額料金が上がってしまうからです。それは見ないふりをし、「ガラケーは古い」という風潮を助長して、そもそもガラケー端末を売らなくすることで選択肢をなくしてスマホへ乗り換えさせている、というのが本音のところではないのかと、わたしは見ています。

古いというのなら、進化させればよいだけのことです。これまでもそうしてきたはずです。そして数年もすれば、ガラケーを彷彿とさせる「折り畳み式のスマホ」が発売されるでしょう。

(追記: 2/12付の日経新聞によれば、サムスン電子が、縦方向に折りたためるスマホを2020年2月に発売すると発表しました。)

3大キャリアはいずれも、いま企業買収や出資にいそしんでいますが、節操のない資金拠出を可能にしているのは、高止まりしている通信料金がもたらす利益です。

政府が「利益の取り過ぎだ」と問題視しているのは、ご承知のとおりです。総務省が楽天モバイルにプレッシャーをかけるのは、もちろん業務改善の意味合いが大きいでしょうが、一方で、ちゃんと起ち上がってくれないと業界の競争が活性化しないので困る、という期待もあろうかと思います。

わたしが楽天モバイルの成功を願う別の理由は、彼らが構築しようとしているインフラにあります。世界的に見ても前例がない、非常に技術レベルの高いことを実現しようとしているのです。

高価な専用ハードウェアで構成するのが通例であるところを、汎用サーバー群で構成することで設備投資額を桁違いに抑制、その基盤上ではネットワークの機能を仮想化して稼働させるとしています。

機能を仮想化するということには、クラウドサービスのように運用を柔軟かつ低コストで行えるという利点があります。斬新なサービスをどこよりも早い準備期間で実装し、提供できる可能性を秘めたインフラです。もし安定稼働を実現できたなら、既存キャリアはその運用の効率性や柔軟性で太刀打ちできなくなるかもしれません。

もちろん、基地局の展開が遅い、サービスに有利な周波数帯を持たない、など様々な面で同社には課題が指摘されています。しかし、高いハードルをぜひ乗り越え、インパクトのあるサービスを世間に打ち出して、業界に旋風を巻き起こしてほしいと、個人的には熱烈応援したい気持ちです。

「新聞読んで知った」は、もうやめよう

オリンピック・パラリンピックの開催が東京で予定され、経済の面でも転換点になるかもしれない2020年になりました。

年頭にあたってさまざまに目指すところを思い描いている方も多いだろうと思いますが、僭越ながらわたしのほうからひとつ、経営者のみなさんにぜひ気にしてほしいことを述べさせてください。

それが、今月のコラムのタイトルです。

ITやデジタルのトレンドに関して、経営者の方々のアタマに何らかの「フラグ」が立つきっかけは、わたしが知る限りでは、ほぼ「新聞」であると理解しています。敢えてどことは申し上げませんが、新聞社までほぼ共通しています。

ほとんどの経営者が、○○新聞で記事を読んでから、社内の部下に「これ、うちではどうなんだ」と聞いています。

今年から、それはもうやめましょう、というご提案です。

実はITやデジタルに関して(おそらくほかの分野でも同じなのでしょうが)、メジャーな新聞に記事が載る時点では、その筋の人たちにとってその情報はすでに周知の事項です。もう少し踏み込んで言ってしまうと、「あー今頃その話が出てきたの」という感覚で見ています。

実際、多くの経営者がバイブルにしている○○新聞のIT関連記事は、その新聞社の傘下にある専門誌がすでに報じている内容を再編集して記事にしていることが、非常に多いのが実態です。そのため、すでに専門誌のほうを読んでいる人からすればなおさら、「記事使いまわしてるの?」という感じになるのです。

つまり、経営者の方々は先取りしているつもりかもしれませんが、実はまったく遅いということです。

考えてみれば当然のことかもしれません。そのデジタル技術についてすでに挑戦している組織があるから、すでにそれが顕著な傾向になっているから、大手の新聞がようやく取り上げるのですから。

ITの分野は、そのタイミングで考え始めているのでは、場合によっては周回以上の遅れになります。実行することについては早いのがよいとは限りませんが、考え始めることについては、早いほうが確実に有利です。

今年からは、新聞だけを「頼みの情報源」にするのはやめましょう。その代わり、社内の担当者に、専任のタスクとして情報収集をさせてください。情報収集した内容は経営者との間で頻繁に共有し、そのなかでトレンドや方法論をキャッチアップします。いわば、ミニ・シンクタンクです。

そのようにして、大衆が話題にする前に、社内ですでに話題になっているという状態を目指してください。

この取り組みがうまく軌道に乗れば、その会社の経営者は、○○新聞を見るにつけ、「もうそれは、検討を始めているよ」と反応するようになるでしょう。そんな会社を、ぜひ目指していただきたいと願っています。

 

スケジュール不要論と甘い考え

スタートアップ系のイケイケな経営者の方などに会うと時々、戦略やらスケジュールやらを立てるなど無意味だと主張されることがあります。

当然ですが経営者も性格はさまざまです。一般的には、コンサルタント経験のある経営者にとっては、戦略や計画をまず考えるというのは自然なことのようです。一方で、営業やマーケティングで成功して経営者になった人の中には、上記のような意識で仕事をしている人が多いように(偏見かもしれませんが)お見受けしています。無意味だ、と主張するその心は、「決めたところで思うようには運ばず、どうせ変わるから無駄」ということのようです。

わたしは職業柄、様々な企業のビジネス計画とその取り組みの結果を見てきていますが、やはり世の中の物事に対して「これが決定版」と銘打てることは、案外少ないように思います。目的や前提などによって、取るべき方針は異なるのです。スケジュールに関して言えば、立てるべきケースと、立てるべきでないケース、どちらも存在すると考えています。従って、冒頭の意見は一面的なモノの見方であって、あまり賛成できません。

基本的にはスケジュールは立てるべきもので、それはリーダーが立案してメンバーに提示すべきものです。ただし、スケジュールはあえて立てないほうがよいケースがあります。典型的には、「試す」ことが要求されるケースです。

「試す」ケースとは、例えばアイデアを実験的に実践してみる、まずは実体験することを優先してみる、考えるよりやってみたほうが良い、などといった試行錯誤を要する類の取り組みです。このケースでは、失敗を許容することが前提になります。そのため、スケジュールを立てたところで変更がかかる可能性が高い。だから立てるべきではない、ということです。

その代わりこのケースで事前に決めるべきなのは、「撤退基準」です。どういう状況になったら問答無用で即終了とするのか、決めておきます。

撤退基準を事前に決めておくことは、大変重要です。取り組みを進めるメンバーたちは、のめり込むにつれて、その案件に日々愛着が増していきます。どれだけ失敗しようとも、成功させるまで何とか続けたいと考えるようになります。当事者であるメンバーが冷静に撤退の判断をすることは、ほぼ不可能です。撤退基準がなければ、スケジュールもないのですから、ずるずると続けていつまでも終わることはありません。

合わせて重要なのは、その取り組みのオーナー(経営者や事業責任者)は、決してその中身に “関与しない” ことです。リソースだけ与え、あとはメンバーの好きなようにさせ、結果だけ問います。オーナーが現場に関与すると、メンバーと同じ愛着がわいてしまいます。誰も撤退判断ができなくなります。

「試す」ケースでは、失敗を許容します。許容するとは、「失敗して当たり前」「挑戦することによって学べ」という考えを持つということです。失敗者を落第者として扱ってはいけません。誰も挑戦しなくなります。ただし、失敗した取り組みは組織として反省を行い、その要因を理解し、失敗の殿堂に入れて組織のノウハウに昇華させます。

いわゆる「イノベーション」は、アイデアマンに任せて放っておけば良いものでは決してなく、組織として取り組める環境と共有された考え方があってこそ、成就するものだとわたしは考えます。実際、イノベーションに成功している組織には、そうした仕組みが整っています。

このように、スケジュールを立てるべきでなく、むしろ立てることが害になるようなケースがあるのは確かです。ただし、これを盾にして計画など一切立てなくてよいと考える人が時々いるので、気をつけたいものです。

そういう人は、要するに計画を立てるのが苦手です。上手くできないことから体よく逃げる口実にしようとしている節があります。しかし、現実の取り組みにおいては、そのほとんどが「スケジュールがあるべき」案件です。立てるべきなのに立てなくてよいと考えるのは、単なる甘えでしかありません。

組織をリードする経営者や事業責任者には、自身が戦略立案に長けているとともに、上記のようなところを冷静かつドライに見極める目も要求されていると感じます。

 

成果を問わずに成果を目指す「胆力」(後)

先月のコラムから、AI(人工知能)の採用・導入について述べています。今回はその後編です。

先月は、AIには「使えるデータ」が必要である、そして、AIによるアウトプットの精度を高めるのは案外大変なことである、ということをお話ししました。つまり、AIには「モデル」と呼ばれる分析のシナリオが必要で、その構築にはおよそ試行錯誤を伴う、つまり時間がかかり、それほど簡単ではありません。

例をひとつ挙げてみます。Googleの音声AIであるGoogleアシスタントには、日英翻訳の機能が付いています。「英語の通訳して」などと命令して、日本語でAIに話しかけると英語にしてくれる、というものです(逆もできます)。

ある記者氏が、翻訳を実際に試した内容を記事にしていました。それによれば、こんな結果だったそうです。

(原文のまま引用)
日)シティーハンターの新作映画はコラボするキャッツアイの長女のを誰が演じるのかと思ったら戸田恵子が次女とのダブルキャストでびっくり
英)City Hunter’s new movie collaborates When thinking who will play the eldest daughter of Cat’s Eye Toda Keiko is surprised at double cast with the second daughter

この記者氏は「意味はおよそ通じる」などと評価していますが、とんでもありません。元の日本語はFacebookの投稿らしいのですが、日本語のむちゃくちゃさ加減を飛び越えて英語はぐちゃぐちゃです。戸田恵子さんがびっくりしたことになってしまっています。

当のGoogleアシスタントは、米国の調査会社によるAIアシスタント比較調査で、Siri、Alexa、Cortanaという有名どころの競合を押さえてトップのIQだと評価されています。それでも、複雑な口語体の文章になるとこのくらいのレベル感だということです。精度を高めることがどのくらい大変か、想像していただけるでしょうか。

この問題もまた脇において、仮に、業務で使えるほどに精度の高いモデルが構築できたとしましょう。しかしそれでも、精度100%(つまり、間違いがゼロ)というのは至難の業です。100%ではないということは、AIが想定外の挙動を示すこともあり得ることになります。そうなると、絶対に間違ってはいけない業務システムにAIを適用するのは、普通の感覚なら怖いと感じるはずです。

そこにも折り合いをつけてシステム化し、運用するとしたらどうでしょう。問題は終わりません。先に申し上げたように、AIはデータを食べて動いています。運用中に異常なデータが入り込もうものなら、一発でアウトです。異常なデータが投入されないように日常的にケアすることが必要です。

それを人力や自動でうまく仕組み化できたとしても、実はAIは、正常運用しているうちにモデルの精度が劣化していくことがあります。精度の劣化を検知してモデルを改修する、という活動も必要になるのです。

ひどい話ばかりで、やりたくなくなってしまったでしょうか?しかし、考えてみてください。

ここまで説明したことを理解したうえでAIに取り組み、時間をかけてモデルの精度を向上させ、その成果として盤石なシステムを作り上げたとしたら、どうでしょう。それは、相当レベルの高いノウハウです。出来ないからといって取り組んでいなかった他社は、もうその企業に追随不可能でしょう。覆すことができないアドバンテージになる可能性が高いと思われます。

それに気付いている会社が、成果はそこそこでも今のうちからコツコツ積み上げようとしている。それが実際の姿なのです。

AIの採用や導入には経営者の「胆力」が必要である、と申し上げているのは、これが理由です。

取り組むとしたら、マスコミによるセンセーショナルな見出しに惑わされて飛びつかず、成果を長い目で見られるか自問してください。限定された用途範囲で軽い責任しか負わないようなものから始めてみて、徐々にレベルを高めていくようなシナリオが描けるなら、取り組み方としては理想的かもしれません。

 

成果を問わずに成果を目指す「胆力」(前)

新聞に「AI(人工知能)」の話が頻繁に出ているのを見るにつけ、それとなく焦りを感じている経営者の方がいるかもしれません。

金融機関や製造業を筆頭に多くの大手企業がAIを活用した仕組みを開発し、話題になっています。それに伴って、その開発を支援するベンチャー企業もちらほら名前が目に付くような印象です。適用分野はなかなか多彩で、事務処理の分野から、建設や農業、水産業といった分野にまで広がりを見せています。

マネして追随したくなりますか?うまく行ったら「先端を行く企業」と称賛されるかもしれませんね。ただ、AIの採用や導入には経営者の「胆力」が必要であることを、ぜひ知っていただきたいと思います。

AIの開発に利用できるソフトウェアやクラウドサービスは、急速に充実してきています。技術力のある人がその気になれば、無料でも結構なレベルまで試作することも可能です。少し投資ができるなら、AIを得意にしているベンチャーやベンダーなどと組んで、何らかの実証システムを組むことも難しくはないでしょう。

ただし、AIの開発に一番必要なものは、システムではなく、データです。しかも「使えるデータ」が必要なのです。

およそいま手元にあるデータというのは、AI向けに利用したい目的とは異なる目的でデータ化されています。ありものをそのままAIに食べさせても、実は満足には使えません。

例えば、オークションサイトには品物の写真が大量に存在します。この品物がブランド物である場合に、本物か偽物かを判定したくなるとしましょう。写真がたくさんあるのだからAIに判定をやらせればラクではないか、と思うのがフツウの考え方です。しかし、いまサイト向けに持っている画像を真偽の判定に使おうとすると、画質や撮影の角度などが問題になってうまく行かない、ということが起こるのです。

AIにはデータが不可欠です。しかも、ただのデータではダメで、「使えるデータ」でなければいけません。用意するのは、他ならぬ自社自身です。「使えるデータ」を揃えられるようにするのが、まず大変なのです。

仮に使えるデータが集められたとしても、それだけでAIによるアウトプットの精度が保証されるわけではありません。それはまた別の問題になります。

少々乱暴に説明してしまえば、AIには「モデル」と呼ばれる分析のシナリオを組み込む必要があります。「モデル」がAIの実体、と言ってもいいかもしれません。

このモデル構築、少ない要素で簡単に筋書きを見出せるような分析テーマであれば、それほど苦労しないかもしれません。一方で、判断が感覚的であいまいなテーマであるほど、モデル構築の難易度が上がります。

AIにやらせたいことは説明が簡単でないことなのが通常です。従って判定したい現象をモデル化するには、試行錯誤が必要、つまり、時間がかかります。そんなに簡単にアウトプットの精度は上がりません。

…と、ここで例を挙げて説明するつもりのところなのですが、以降の文章が長くなってしまいましたので、続きは来月にします。もしよろしければお待ちください。