「一生懸命に働く」のは、美徳ではない

「身を粉にして働く」「艱難辛苦を耐え抜き成功する」「懸命に取り組む」。少なくともかつての日本の職場では、こうした精神は美徳として扱われていたようなところがありました。現代ではどうなのかはっきりしませんが、いろいろな職場を見てきた個人的な経験から申し上げて、いまでもそんな精神が少なからず残っている傾向はあると感じています。

一意専心で打ち込み、様々な難題を克服して目標を成就する姿は、美しいものです。アスリートや職人などを見ているとそう感じます。しかし、こと企業の組織においては、「一生懸命に働く」ことは美徳ではないと思います。

誤解を恐れずに言えば、優れたパフォーマンスを出せる組織とは、同じ成果を他の組織よりもラクして生み出せる組織のことだと、わたしは思います。そういう状態のことは、一般には「生産性が高い」と呼ばれます。

努力を重ねることが無駄であると言うつもりなのではありません。努力の方向性を問題にしようとしています。一生懸命に頑張るのなら、「いかにラクをして、いまと同じ、さらにはいまよりも高い成果を生み出せるか」を考えることに力を注ぐべきなのであって、そうではない方向に注力すべきではない、ということです。仮に成果が挙がっていたとしても、ラクではないやり方で実現されているのなら、それは何かがおかしいのです。

ところが、ありがちな傾向として、一生懸命に頑張っている人に対して「その内容は問わず」ポジティブに評価する、ということがよく見られます。個人の評価がそれでよくても、組織のパフォーマンスという観点では、「一生懸命頑張る個人にその仕事をさせていていいのか」という評価をしなければならないのですが、問題を直視せずに満足している組織が少なくありません。

例えば、ある事業や業務において、組織にいる特定の人物の能力が著しく高いおかげで成果が生み出されていることが、小さい組織ではよくあります。そうした「スーパーエース」(時に経営者自身だったりします)を組織は称え、周囲は尊敬のまなざしを送るわけです。しかしそうしたスーパーエースは、組織にとっては “SPOF”、 つまり「単一障害点」です。属人化は、組織を脆弱にします。スーパーエースが活躍するような企業やチームは、わたしに言わせればシゴトを仕組み化する努力をしていません。努力を正しい方向で実行していないツケは、スーパーエースが何らかの理由で稼働しなくなった時(会社を辞める、病気で仕事できなくなる、家庭の都合に身体を取られる、職場を異動する、等)に顕在化することになります。

毎日押し寄せる問題を、次々さばくのに一生懸命になっている組織もよくあります。こういう組織は往々にして、計画を立てる能力が弱いことが要因でそのような状態になっています。毎日一生懸命に仕事していますから、周囲はポジティブに捉えます。しかしそのような仕事は、まるで RPG のように、出会った敵を順番に次々やっつけているだけのことです。果てしなくモグラたたきを続けるよりも、そもそもモグラが出ないようにするにはどうしたらよいのかを考えるべきなのですが、「没入」してしまっているとそういう発想はできないものです。

業務効率化のつもりで IT ツールを導入していても、ラクに仕事をしていないケースはたくさん見受けられます。例えば、会社や部署に「エクセルマスター」のような人物がいることがよくあります。この人物は確かに、スプレッドシートの取扱いに長けている達人です。しかし、取り組んでいる実作業はというと、大量のデータの打ち込み、転写転載、比較、正常性確認、流し込み、ファイルの送受信、といったものだったりします。コマンドや関数を駆使して作業そのものは高度であっても、つまるところ「デジタルツールを使ってマニュアルワーク」しているわけです。「そもそもその作業をやめられないのか」というようなことを考えるべきなのですが、達人は往々にして、その道具を使うこと自体をやめるという発想ができません。

なにか突発的な問題が勃発した時に、すぐに人海戦術で突破を図ろうとする組織も、よく見かけます。人が頑張って取り組むのが一番近道である、という考えです。確かに、稼働する人を増やして解決するほうがよいこともあるでしょう。しかしそれは、対象となっている業務の仕組みが的確に設計されていて、新しい人が入ってきたとしても短時間で業務をマスターし処理を担えるように完成されていることが前提です。イレギュラー対応だらけ、例外処理だらけ、の業務では、新しい人たちの頑張りは希薄化されてしまいます。そして、そういう現場ほどマニュアルも整備されていません。仕組みが弱い組織の業務に単に人を増やしただけでは、内部が混乱し、指示が滞り、下手をするとコントロールできなくなってチーム管理が崩壊します。人を増やせば増えた分だけ工数は掛け算で増やせる、というのは幻想です。

繰り返しますが、一生懸命に仕事を頑張るのは、個人のレベルでは美しい努力ですが、組織のレベルでは美徳ではありません。生物であるヒトの進化を原始人の時代から振り返れば、それはつまるところ、「どうしたらもっとラクに生きられるか」を一生懸命に考えて取組み、解決をしてきた歴史なのです。極端な例えですが、従業員の1日の勤務時間を4時間にしてもなお他社以上に収益を挙げるにはどうしたらいいか、ということを一生懸命考えるのが、生産性を高める方向に向かう正しい努力なのではないでしょうか。

「アプリは自社で内製」がフツウになる時代

近年は、アプリケーションを内製開発する企業がずいぶん増えてきたように感じています。

背景には、ノーコード/ローコード開発ツールのようなプログラミングを簡易化するソリューションの充実、SaaSやPaaSの機能充実化などがあります。コードが書けなくても、専門知識があまりなくても、パーツを組み合わせるような形で処理を組み、データの器を用意することで、簡易で単純なものであれば、動くアプリケーションが短時間のうちに完成してしまうようになっています。

アプリケーション開発の敷居が下がったことで、モノによっては、現場の業務部門の人でも欲しいアプリケーションを自作できるような状況になっています。そうであるなら、外部のベンダーに頼んで何カ月もかかるよりもはるかにメリットがあるということで、ソフトウェアを内製する企業が増えているわけです。

かつてEUC(End User Computing)という概念が流行しました。そのときと同じような雰囲気があります。EUCはその後廃れましたが、なぜ衰退したかというと、各所であまりにも好き勝手にプログラムが作られて、会社としてそれらの管理が行き届かなくなり、作ったものを誰もメンテナンスできなくなった、ということが要因のひとつでした。エクセルのマクロにも、同じような話があることは有名です。

今回の内製化の動きでも、同じような事態に陥る企業はおそらくあるでしょう。ただし、過去の反省を踏まえて、制作したアプリをうまく管理する仕組みを導入したり、またはそれを意識したガバナンス体制を敷くなど、工夫する企業も多くあります。

さらには、アプリと共に使えるセンサーやモジュール、はてはロボットまでも、割と手軽に手が届く状況も生まれています。価格も比較的低下し、またインタフェースが標準化されてきたことで、アプリとの連携も随分しやすくなりました。一昔前までは大企業がおカネを相当かけてやっていたようなことが、それこそ個人レベルでも実行可能な状況なのです。

うまく内製してアプリを使いこなしている企業を見ていると、そうして自在に開発すること自体が、対応力・スピード・柔軟性などといった競争力に直結するようになってきていると感じます。こうした状況が定着すれば、そのうちに、どんな着想を得られるかというアイデアの勝負になっていくかもしれません。または、どのベンダーのプラットフォームを選んで開発しているか、という点で差がつくような事態も、生まれるかもしれません。

ただし、当然ながらうまい話ばかりとは言えません。ノンプログラミングで開発できるようなツールは、複雑で高度な処理の構築はあまり得意とはしていません。部署内の単純作業のような、小さく閉じる領域なら向いている傾向なのが現状です。また、ツールによって得意分野が異なる傾向もあり、選定のしかたも重要になります。

目利き力は要求されるものの、試すだけなのであれば、資金的なハードルもかなり低くなっています。できる人がいないと嘆くより早く、どんどんやってみることができる企業のほうが先に進む。そんな時代になっていることを、経営者の方々には十分認識していただきたいと思います。

デカい会社よりも、ハヤい会社を

今から25年ほど前、大学の研究室で初めてMosaicなるものをコンピュータ画面で目にしたとき、それがいったい何の役に立つものなのか皆目見当がつかなかったことを、よく覚えています。

“Mosaic” とは、現在のWebブラウザーの原型となったソフトウェアです。その後どうなったかは、みなさんご承知のとおりでしょう。このように、わたしにはあまり先見の明がないのですが、年頭くらいはボヤキよりも前向きなことを書きたいと思い、少々慣れない将来予測をしてみたいと思います。

私見では、ビジネスを成功に導くために、当面は「ちょうどよい規模の驚速企業」を目指すのがよいのではないかと考えています。

ここでいう「ちょうどよい規模」とは、大きくてもダメ、小さくてもダメ、いわゆる「足るを知る」ということです。

まず、当面は大きなものを作ってはいけないと思います。大きなものは、全体制御も微調整も難しい。全体で信頼性を維持するのが困難であり、一部でも壊れればその影響が大きくなりかねない傾向があります。それに、柔軟性も通常はありません。何か課題を抱えた時、すぐに課題のある部分だけ直したくなりますが、たいていそれは理想的な解ではありません。そうわかっていながら、全体を考えようとすると複雑で面倒なので、部分的に直してしまいます。つぎはぎを継続するうちに無理が出るようになり、いつしか仕組みの効果や効率が落ちていきます。そしてそれが破たん寸前になるまで、当事者たちは問題にしません。

大きなものの末路とは、およそこうしたものです。

だからと言って、小さいものであればいいわけでもないと思います。小さいものにフォーカスすると、必ずそのうち、小さいもの同士を連携させたくなります。それが不幸の始まりです。始めのうちは繋いで幸せですが、徐々に調子に乗っていくと、構造が複雑化していきます。複雑化したものは、大きなものと同じです。しかも厄介なことに、人間は、複雑が極まってコントロールできなくなって初めて、それが複雑であることに気付く生き物なのです。

ちょうどよい規模であることがなぜ必要なのか。その理由は「驚速」にあります。これからの時代、企業は「常に速い」ことが要求されるだろうと思うからです。

その要因は、ITがもたらすスピードと処理能力です。資本がなくてもITのパワーを享受できる時代になったいま、これに対応できる人間や組織であるかどうかが問われます。ニーズに対して驚速でアウトプットを出せる企業が勝ち、遅かった企業は、場合によっては秒単位の遅れでも、淘汰されてしまうかもしれません。

ただし、速ければよいというわけでもありません。精度も問われます。速くアウトプットできたとしても、すぐにもろさが露呈する企業は、やはり淘汰されるでしょう。ITと、それを駆使する組織、安定した質を実現できる仕組み、すべてが問われます。これが、「常に速い」という意味です。

これからビジネスに要求される「驚速」を実現するための現実解が、現時点では「ちょうどよい規模」であることだろう、ということで、目指すべきは「ちょうどよい規模の驚速企業」と考えました。

ところで、「ちょうどよい規模の驚速企業」という目標のうち、「ちょうどよい規模」というのは「当面」に限られる話です。「ちょうどよい」時代の後には、「デカいのに速い」企業が主役になるだろうと思います。

そういう企業はしばらく出てこないだろうと思いますが、冒頭に申しあげたとおり、わたしには先見の明がありませんので、悪しからずご了承ください。

生産性向上するなら、パソコンは安物で

最近、働き方改革、生産性向上、テレワークなどといったキーワードが世間をにぎわせています。今回はそのようなときに課題にもなりやすい、パソコンの話です。

パソコンはコモディティ化しており、できるだけコストをかけたくないのが通常だと思います。ただしそうは言っても、あまりに粗末な端末では、仕事の効率が上がるどころか下がるリスクもあります。

わたしはパソコンに関しては、8万円程度の端末を、数年おきに買い替えながら使うのが現時点では最善と考えています。(お金がある会社であれば、もっとよい選択肢もありますが)

その理由はこうです。まずパソコンには、消耗品と考えるべき性質があります。たとえば、長く使うほど、特にハードディスクが壊れやすくなります。容易に想像できることですが、壊れるともっとも困るのが、このハードディスクです。わたしにも経験がありますが、故障は突然起こります。いきなりデータが読み出せなくなり、正しくバックアップを取っていたとしても、完全に作業環境を元通りにするのに結局は何日も費やし、その間仕事の効率は著しく下がります。

壊れるまで使うことは、パソコンに関しては美徳でも何でもありません。移行するなら壊れた時ではなく、新旧端末を一定期間並行利用できるのが理想です。

また、長く使うことで、パソコンは必ずと言っていいほど動作が重くなっていきます。反応が遅い、操作コマンドが終わらない、立ち上げが遅い、などの症状です。どれだけ高価な端末であっても同様です。これにはさまざまな技術的理由がありますが、その理由が分かったところで、動作が重くなることは避けがたいものがあります。つまり、長く使うほどに、パソコンでの作業効率は落ちるわけです。そうなると、何のために仕事にパソコンを利用しているのか、意味が薄れていきます。

それに加えて、いまだにパソコンも進化は続けています。通常の業務利用であれば使い勝手に変化はあまり感じないかもしれませんが、コストパフォーマンスは今でも向上しています。同じ価格で比較すれば、最新の端末のほうが確実に性能や快適性が上です。最新の端末を使っている企業と、長年端末を変えずにいる企業と、執務環境の良さは比べるまでもありません。些細なことに思えるかもしれませんが、少しの差が何百人、何千時間と積み重なると、相当な差になって現れるものです。我慢して使い続けるものではありません。

長く使うことを前提にして上記の問題を回避する対策は、いくつか考えられるでしょう。しかしながら、パソコンがコモディティ化している以上、パソコンの調達、利用、乗換にできるだけ面倒はかけないというのが、重要ではないでしょうか。その意味で、安く調達し、変な細工をせずそのまま使い、さっさと乗り換える、という運用をしたほうがベターではないかと思うのです。

8万円程度のパソコンでは安かろう悪かろうではないのではないか、と心配する向きがあるかもしれません。もちろん、その程度の価格では最高のスペックではなく、中程度以下です。重いソフトを動かす、多くのソフトをインストールする、等の場合は性能の問題が出る可能性があります。しかし、オフィスソフトとウイルス対策ソフトとブラウザーを導入して、よくある事務作業をする程度であれば、現在売られている新品の端末ならまったく支障はありません。さっさと乗り換えることを優先するなら多少は性能に目をつぶろう、ということです。

少しだけ財務的な話をするなら、10万円未満のパソコンなら消耗品として調達ができ、資産にする必要がありません。固定資産扱いせずに済むのは、台数が多い企業ほどプラスなのではないでしょうか。

パソコンに関しては、中には敢えて端末をすべて共用にして一人1台配布しない企業もありますし、原則としてWindowsを採用しない企業もあります。どのように使うのが環境上および業務上でベストなのかは企業によって異なり、単に他社事例をそのまま参考にするのは危険です。端末導入には調整できる選択肢が相当にあり難しいところはありますが、自社にとってベストで持続可能な業務環境を探ってほしいところです。

 

ネット利用の実態に見る、ITとのうまい向き合いかた

先日、MMD研究所が発表した「女性のスマートフォン利用実態調査」の調査結果を見て、興味深く感じました。

調査では、スマホを所有する15歳から49歳までの女性約1500名に、スマホの利用状況について回答してもらっています。

特に興味をひかれたのは、FacebookとTwitterの利用についてです。

調査によれば、Facebookは若年層になるほど使われていない傾向で、1割程度しか利用率がないということです。独身女性では45%の利用率ですが、既婚になると27%程度と利用率が下がります。逆にTwitterは、若年層ほど使われ、年齢層が上がるにつれて利用率が下がり、既婚女性では2割を切っています。ちなみに現在の主流は、どの年代でも圧倒的にLINEです。

若年男子だとFacebookを多用しているというのも、想像するに考えにくいと思います。もしこの想像が正しいなら、今後Facebook自体の利用はあまり活発にならないことも想像できる結果です。

またTwitterに関しても、別の調査結果によれば、44%がツイート経験がないとされています。これと併せて想像すると、Twitterに関しては見ているだけでまず始めてみるが飽きてきて、年を重ねるにつれ見なくなる、ということかもしれません。

FacebookやTwitterが盛り上がるようになってから10年程度でしょうか。その程度の期間で主流が入れ替わってしまうあたり、ネットの世界の移り変わりの激しさを改めて感じざるを得ません。

またLINEに代表されるメッセンジャーアプリは、いまとなっては単なる無料の通信手段というだけでなく、コマースの入り口としての機能も有してきています。LINEをやっていたら企業からお得なクーポンが流れてきて、店の人とチャットして、気に入ったらそのまま買う。こんな購買体験が若年層にとって当たり前になってくれば、それが、これからの買い物の「当たり前」になるかもしれません。

もっと考えれば、LINEではないまったく新しいものがこれから登場して、FacebookやTwitterやLINEのように爆発的に広がり、いまのメッセンジャーアプリでないものが主流になっていく可能性も、否定できません。

ITとは、そんな代物です。このような特質のものに対して、なにかひとつだけに意思決定し固執するのは、かえってリスクです。出てきたものには何でも対応して、廃れてきたら辞めて、別のものにいく、というような柔軟性をもつことが望ましいと思われます。コストは重要ですが、コスト判断をあまり厳密に求めるとそこで立ち往生し、乗り遅れ、追従するころにはまた変わる、ということになるでしょう。

すべてのITに対してこの対応、というのはもちろん現実的ではありませんし、その必要もありません。しかし、少なくとも自社がこだわって先駆者になりたい分野、またはコストを賄いやすいライトな分野に関しては、こうした柔軟性のある組織でありたいものです。

「高速でつくる」前に、やるべきこと

ビジネスの変化は速い。それなのに、情報システムがビジネスの変化のニーズに対応できないのでは困る。だから、情報システムもまた、速くつくれなければならない。

まったく、そのとおりだと思います。実際、情報システムが足かせになることで、新しいビジネスの取組みに支障をきたしたり、競合に比べて満足のいくものにならなかったりすることが起こっています。それに対して、その場しのぎの対応でお茶を濁している例も少なくありません。経営者の立場になれば、これだけカネ掛けて何のための IT か、という話になってきます。

こんな風潮のなか、システムやアプリケーションの高速開発を実現する手法がいろいろと提案されています。中でも代表的なのは「アジャイル開発」でしょう。

ご存じないかたのために端的に説明すれば、アジャイル開発とは、従来のように厳密にすべてを設計することなく、まずはプログラムをつくって動かすことを優先し、さらにそれを少しずつ改良していくことでシステムを仕上げていく開発手法のことです。ウォーターフォールと呼ばれる従来型の開発手法に比べ、システムに対する要件が後からでも取り込みやすく、設計のドキュメントをつくる工数を少なく済ませることが大きな特徴になっています。ちなみに、英単語である「アジャイル(agile)」には、「迅速な」「敏捷な」といった意味があります。

確かにこれは有力な開発手法で、広義に捉えれば、こうした「作っては直す」開発手法は以前からいくつか提案されてきてもいます。それほどに、柔軟性のある開発手法には以前からニーズがあるわけです。

一方、なかには近視眼な人がIT業界にもいて、「もうアジャイルじゃなきゃ無理でしょ?」とまで云う声も聞こえてきます。先日も、そんな発言をする人に出会いました。

現在使える「速くつくる手法」をうまく適用できれば、これまで何カ月、何年とかかると言われてきた情報システムが、数週間ないしは1~2か月でできてしまうことが実際に起こります。ただしそれは、「速くつくる基盤」があってのことです。これを忘れてはなりません。ドライバーが車をカローラから F1 カーに乗り換えるかように速くなるわけではないのです。

ここでいう「基盤」には、ふたつの意味があります。それは、システムを開発する技術環境の基盤という意味と、その基盤を活用できる組織のガバナンスや体制の基盤という意味です。これらをそろえて初めて、本当の意味で「速くつくる」ことができるようになります。

特に前者の「システムを開発する基盤」は、いったん整備されれば、その柔軟性がビジネスの柔軟性そのものになると言っても過言ではありません。そのため、ことこの基盤を整備しようと思えば、関係者間で共有されたビジネスの目的や今後の戦略などのもとに綿密に企画設計し、構築することが要求されるのです。

どうも先ほどのような近視眼な人たちは、この点をすっかり忘れてしまっているか、ここもアジャイル開発できると思っているか、どちらかのように思えてなりません。

またアジャイル開発では、ITの関係者も、そのシステムにかかる業務の関係者も、一堂に会したプロジェクトチームによって開発を推進していくことが特徴になっています。プロジェクト期間中は毎日同じ部屋で仕事をするようにすることもよくあります。なぜそうするのかといえば、チームとして一体となることで関係者間のカベをなくし、意思決定のスピードを上げるためです。開発は速くできるポテンシャルがあるのに決めるのが遅いのでは、何のためのアジャイルか、ということになるからです。

さらに言えば、そうしたチームづくりは規模が小さければハードルはあまり高くありませんが、全社レベルのシステムならどうでしょうか。グローバルなシステムならどうでしょうか。関係者が増えるほど、距離が離れるほど、意思の疎通は難しくなっていきます。それを克服するような組織体制ができていなければやはり、何のためのアジャイルか、ということになるのです。

情報システムにもっとスピードが欲しいと考えておられる経営者や経営幹部の方々には、自社の情報システムがこうした「速くつくる基盤」を実現できているのか、まず確認されることをお薦めします。もしできていないなら、「速くつくる」前に、そのための基盤整備に投資を行う必要があるということです。

システムは、技術者やベンダーに任せていればできるものではありません。