ソウムAI

「なにかイイネタないかなぁ」と思って、このコラムを執筆するアイデアを、半分くらい眠くなりながら、あれこれ思いめぐらせているうち、ボンヤリと浮かんだビジネスについて、今月はぼんやり書いてみたいと思います。

そのアイデアを端的に申し上げれば、「企業の総務部の業務を AIエージェントにほとんど担わせることができるサービス」というビジネスができないかな、というものです。ちなみに、このコラムのタイトルはいま流行りの ”サカナAI” にあやかって名付けてみましたが、事業内容は全然マネしてはいません。

ここから先の文章には「AIエージェント」という言葉がたくさん登場しますが、ここでは「得意技をそれぞれ持つ複数の生成 AI が、チームになったもの」くらいに解釈していただければ十分です。もし AIエージェントの詳細にご興味があれば、お手持ちの Copilot(生成 AI)に聞いてみてください。

総務の仕事といえば、総務の担当者でもない限り、あまり具体的に想像したことがある方は少ないかもしれません。実は、かなり多岐にわたります。それもそのはずで、総務が担う仕事とは「社内の業務部門がやらない仕事すべて」だからです。入社時のガイダンスや研修、社内の各種手続きの案内や手配、社外(主に役所関係)向けの定型的な手続き、社員向けの問合せ対応、税務社会保険など定期的な手続きの案内や取り纏め、定期健康診断の調整や取り纏め、社内行事の手配や調整、社内の規則や規程類の文書管理、オフィス内の備品管理、オフィス環境の整理整頓の管理、福利厚生への対応、等々。総務の担当者でさえ、自部門の業務をすべて分かっているわけではないこともあります。

それほどに頭も使うし気も遣う、会社の縁の下の力持ちとしての業務であるにもかかわらず、陰に隠れた存在ゆえに「総務担当者募集」と人材を募ってもなかなか人は集まらないのが実情ではないでしょうか。

そうした広範で複雑化しやすい業務を、基本的に電子化し、電子化できたタスクについて、AIエージェントが主体になって業務を担うことができるのではないか、というのがアイデアの肝です。総務の業務に特化した LLM(大規模言語モデル)を独自に開発し、依頼を受けた顧客企業に持ち込んで、個社の事情や環境に合わせて半年から 1 年程度かけながらファインチューニング等を施します。環境構築の結果、精度が十分上がり、AIエージェントが業務をほぼ代替可能になったところで、運用サポート契約に移行し、顧客企業に適宜支援を提供しながら継続利用していただきます。

ソウムAI は、社員や外部業者とのインタフェースを担うスーパーバイザーのエージェントと、個別のタスク分野を分解しそれぞれを専門的に担うスタッフエージェントを組合せ、エージェント同士が連係してタスクを処理し対応を行う仕組みです。

結果的に、顧客企業の社員は、総務に頼っていたほとんどのカウンター越しの用事を、専用の AIエージェントを通じて済ませることができるようになります。また、業務委託されている事業者も、総務部への連絡や報告など簡単なやり取りは AIエージェントに行って完了できます。

業種によっては特殊なタスクがありえるかもしれませんが、およそ総務の業務は共通性が高く、個別のタスクにかかるプロセスや情報フォーマットが業種を問わず固定的・反復的なものが多いです。LLM をベースとした生成AI の得意分野でカバー可能な業務領域と見込まれます。それでいて、総務がカバーする業務範囲は先に申しあげたとおり「社内の業務部門がやらない業務」で、かなり広範にわたります。

また総務には、法改正が発生した際の対応や、会社に関わるリスク情報の把握と対応、といった任務も重要です。そうした情報を収集し認知する仕事や、その対応策を検討する業務も、AIエージェントが支援できるでしょう。ソウムAI のサポートサービスとして、LLM や専門情報 DB(RAG と呼ばれます)を定常的にアップデートして提供すれば、その価値をもって月額料金制でサービス提供する理由が生まれます。

多くの事務処理を AIエージェントが自律的にこなすことができれば、人間の担当者は、業務環境整備に向けてよりクリエイティブな役割に専念できるでしょう。そしてそこでも、環境構築や企画立案へのアイデア創出に、AIエージェントが助言や情報を提供することができます。環境整備に関する内外の情報やトレンドを集約し助言提供することに特化したスタッフエージェントを追加提供すれば、実現できると見込まれます。

このときに、例えばオフィス家具製造企業などと提携して情報を連携し、彼らのマーケティングに貢献できる仕組みを整えれば、事業として別のビジネス領域への拡大にもつなげられるかもしれません。

どんな会社にも総務部は存在し、たとえ社員数名程度の小企業であっても総務関係の仕事は存在します。マーケットは極めて汎用性が高く、日本国内だけでも 100 万社のオーダーと見込まれ、業種は問いません。いまのところ、マーケティング、営業、商品・サービス企画、コンタクトセンター、といった業務領域については、生成AI によるサービスの活用を促すプレイヤーは数多く確認できますが、「総務」と言っているプレイヤーは、個人的には寡聞にして知りません。

先行者利益で学習の蓄積を進め、他の事業者から目を付けられる前に学習データとノウハウの蓄積に成功できれば、顧客を先行的に獲得して確保し、参入障壁も築きやすくなるかもしれません。AI をビジネスにするならば、AI モデルの精度と洗練度は最大の競争力の源泉です。いちど顧客化できれば乗換は発生しにくいサービスと思われ、その意味では先行して顧客を獲得できれば、それだけ学習データの面でも差をつけられ、より競争力が増強されると見込まれます。

書いているうちに、目が覚めてきました。このままできるかどうかはさておき、筋はそれほど悪くはないように思いますが、だれかが本当に実現してくれたら愉しいですね。

気づいても言わないコンサルタント

すべてのコンサルタントがそう振る舞うと申し上げるつもりはありませんが、少なくともわたしの場合は、顧客企業を視察して膨大な課題事項を発見した時に、そのすべてを一度に指摘することはほぼありません。意図的に、問題があることを「言わない」ことがあります。

通常、コンサルティングではその支援案件における達成目標や支援範囲を予め設定します(当社ではスコープと呼びます)。そのうえで顧客の現況を把握しに行くと、当然ではありますがスコープ外の課題にも気づくことが往々にしてあります。そういう場合は、スコープ外のことですので触れることはありません。

これは、契約上範囲外だから、というのが主な理由ですが、実は当社には、顧客の課題の全体像を客観的に捉えて分析整理する、という目的の調査サービスがあります。このサービスは調査分析による課題整理が目的ですので、スコープは対象企業の業務全体になることがあります。結果として、膨大な課題事項を発見することになるわけですが、その場合でも「言わない」課題事項を意図的につくることはあります。

もちろん、隠そうとしているわけでも、もったいぶっているわけでも、ありません。

外からやってきた人間に、会社の中をくまなく覗かれて、「あれもない、これもない、なにもできていない」などと言われたときに、その会社の責任者はどんなことを思うでしょうか。わたしが考えるに、大きく2つのパターンがあります。

ひとつは、言い訳の出来ない事態に直面した不安感や焦燥感にかられて、押しつぶされそうな気分をどうにかして振り払いたいというような気分になる。そういうとき、過去の所業の誤りを素直に認め、その先の振る舞い方を考えようとすることができる人は、比較的少数ではないでしょうか。それよりも、間違っていた事実に耐えられずに不機嫌になったり、場合によっては怒り出すような人のほうが、多いように思います。

もうひとつは、手の施しようがない事態を目の前にして圧倒され、茫然自失となってしまう。考えてもみなかったような問題点を次々と突き付けられて、途方に暮れてしまう。そういう気分になるとき、多くの人は思考が停止します。思考が停止すると、次に試みることはおよそ、課題を闇に葬り去ろうとするようなアクションです。現実逃避を試みる、見なかったことにしようとする、その場は納得したように見せて後々知らぬ存ぜぬで通す、等々。

いずれのパターンにしても、その企業にとって良い結果を生まない行動を創り出してしまう。わたしはそのように考えています。

課題を指摘するのなら、俎上にあげた課題は、時間をかけてでも必ず解決してもらいたい。そのためにはどう対応していくべきで、その対応策はその企業のポテンシャルから見て現実的かどうか。そうしたシナリオを想定しようとすると、提示すべき課題事項は自ずと絞られるように思います。優先して考えるべき課題のセットだけ(それでもたくさんありますが)を相手に伝えて、それ以外は「言わない」選択をします。

「言わない」ことが裏目に出るリスクは、当然にあります。触れなかった課題のほうが、まず解決すべきとして優先的に触れた課題よりも、リスクが先に顕在化してしまうかもしれません。その場合は、わたしの選択眼が的確ではなかったという結果になります。

その失敗を避ける簡単な方法は「気が付いたすべての課題に言及しておく」ことでしょうが、それはこちらの体面と都合しか考えていない愚策だと、わたしは考えます。ですので、コンサルティング案件に対応するたび、課題を「言わない」戦略は常に念頭に置いています。

同じような考え方をするコンサルタントや外部支援者は、きっとほかにもいるだろうと思います。ですから、経営者のみなさんは、「専門家に委ねて課題を指摘してもらい、解決策も練ることができたから安心」などと思わないほうがよいと、わたしは思います。彼らがあなたに「言っていない課題」が存在している可能性があるからです。隠さず全部言えと要求されても、わたしならば、言うべき時が来ない限り、一度言わないと決めた課題は、条件が揃うまで決して言わないでしょう。

”伴走支援もどき” と中毒症

近年の DX や AI にまつわるニーズを受けて、国内でのビジネスコンサルティング事業は活況なようです。業界はここ数年 2桁パーセントの右肩上がりで成長を続けているといいます。そんな業界環境なせいか、新興のコンサルティング会社を多く見かけるようになりました。

そして新興か老舗かに限らず、コンサルティング会社はどこも挙って「伴走支援」を掲げているようで、一種のブームのような様相です。つまり、精緻な分析や海外のベストプラクティスを基に「あなたがたはこうあるべき」などと御託を授ける教授スタイルではなく、顧客企業の側に立って共に歩み、顧客が自走できるようになるよう能力開発を助ける支援を目指す、としています。

本当の意味でそのような支援が実行されているなら良い傾向といえますが、わたし個人が実態として知る限りにおいては、多くのコンサルタントはいまだに従来同様「業務代行」していると思って見ています。

それも実は、無理からぬ話です。巷でよく聞かれる顧客企業の要望というのは、典型的には次のようなものだからです。「○○業界の企業の責任者への人脈を紹介してほしい」「アドバイスではなく実務に対応してほしい」「エンジニアがいないのでプロジェクトを現場でリードしてほしい」

顧客企業のオフィスに常駐し、机を並べて「伴走支援」しているコンサルタントの多くは、実態として顧客の代わりに、資料作成、データ抽出や整理、情報分析、会議の取り纏め、などの実務の肩代わりを行っています。しかしこれは、少なくともわたしが定義するところの「伴走支援」ではありません。顧客が主体的に担うべき業務の「代行」です。

当社では、代行任務はすべてお断りしております。顧客のためにならないからです。

率直に言えば、コンサルティング会社の経営者として事業拡大を企図するなら、代行を請けたほうがビジネスとしては有益です。なぜなら顧客の困りごとの多くは、前記のとおり「代行してほしい」なのですから。

それをわかっていながら、代行の依頼はすべてお断りしています。なぜか。当社のミッションである「お客さまのビジネスシステムを強くする」を踏まえた行動を遂行するにあたり、顧客任務の代行は、顧客のビジネスを強くするどころか、結果的には弱くすることになるからです。

これは、人間社会に存在する構造的問題の典型のひとつです。ある問題を是正しようとしたときに、即効性があるように見える短期的な方策を解決策に採用するけれど、そういうお手軽な方策を選択するほどに、より根本的な問題を見て見ぬ振りするようになり、時間がかかる根本的解決策に手を付けなくなる。実は根本的解決策を打たなければ、その問題を根絶することはできない。それに気づいていてもいなくても、お手軽な策に一度味を占めると、次にまた問題が出ても、手近で安易な対症療法にばかり手を出すようになる。

そういう状態にある組織に根本的解決策を唱えると、それは「正論」だと位置づけて忌み嫌い、避けようとします。正論を振りかざす、というフレーズにはネガティブな響きがあり共感を呼びそうです。しかしこの状況においては単に、本質的な問題から逃げようとしているだけのことです。

このような問題構造に一度嵌ってしまうと、最終的には、根本的な解決策を自らの手で打つ能力さえも失ってしまいます。要するに「中毒症状」と同じ構造なのです。アルコール中毒、麻薬、ギャンブルなどの依存症の問題構造を想像してみてください。

コンサルティング会社にとっては、顧客企業が自社に「依存」してくれる構造が生み出せますから、ビジネスが安定し大変に有益です。しかし、顧客の側からすればそれは中毒症状であって、コンサルティング会社がいなければ業務が破たんする状態、コンサルティング会社がいなければ戦略も計画もまともに立てられない状態、になっていくわけです。わたしはこれを指して「顧客のためにはならない」と言っています。

「コンサルティング会社が代行してくれてうまくやってくれるのを、うちの社員が端から見て学ぶのだ」というようなことをおっしゃる向きもあるのは承知しています。少なくともわたしはそのようにして、本当に学んで自走し始めた会社をまだ知りません。思うに、ふつうの人間なら、非常にうまく仕事を捌いてくれる人たちを見て、彼らなしに自分たちだけで問題に対処する方法は学びません。彼らに任せておけばよい、と考えるのがフツウです。パソコンメーカーが効率よくパソコンを製造して供給してくれるのを見て、「パソコンを自作しよう」と思う人がどれだけ多いか、想像してみてください。

わたしは、本来コンサルタントというのは医者と同じだと考えています。医者は、患者の病気が治れば任務完了になります。完治した患者にいつまでも医療行為を継続することはありません。顧客のステージが上がった結果として新たなレベルの課題が生じたというなら別のコンサルティングになるので良いですが、そうではないのなら、課題を解決すればそのコンサルティングは完了なのです。同じ依頼で何年も顧客企業に常駐しているということは、自分が関与しても問題がいつまでも解決していないことを意味することになります。

任務代行を施せば、顧客は課題を根本的に解決できるリソースもケイパビリティも身につけられないどころか、身につける機会も学習能力も奪われると、わたしは考えています。課題の根本はいつまでも解決されず、顧客は半永久的に、その課題のモグラたたきを続けることになるわけです。しかも大抵、モグラは年々増殖し、土壌をむしばんでいきます。最後にどうなるかは、想像が難しいことではないはずです。

当社としてはそういう信念で事業をしているのですが、なかなかこうしたことを理解しない企業や人が存在することも事実です。それはそれで仕方がないことではあります。

「全体」は「イケてる部分の集まり」に非ず

昨年中もさまざまな企業の現場に関わらせていただき、さまざまな場面に出合って支援を試みてきました。良いことも、良くないことも、いろいろあったように振り返ることができます。その中で感じたこととして一番に思い浮かぶのは、「グランドデザインができる人って、やはり少ないんだな」ということでした。

実は、優秀な人材が集まっていそうな大きな会社ほどグランドデザインができる人材が少ないのではないかと、いまでは確信に近い認識になっています。考えてみれば自然なことかもしれません。プロパーで入社して職責が上がる中で、会社を全体俯瞰で眺めて仕事をする機会は、会社が大きいほど、ほとんどないでしょう。グランドデザインを描く経験を深めないままに経営幹部になっていくのは、とても不幸なことだと思います。

グランドデザインが描けないなら、事業戦略は稚拙なものになります。戦略立案能力が低いリーダーが率いる組織では、方針や数値目標くらいは示されても、それに向かうシナリオがありません。耳障りのよいスローガンは唱えるが「どうやるか」がない、どこかの国の政治家と同じです。

方針だけがあってシナリオがなければ、部下やスタッフは方針だけ理解して、しかし日常業務で何にどのように取り組めばいいのか、ピンときません。そして、その後も一向に具体的なアクションについては指示がない。「どう実行するかは自分たちで考えろ」というリーダーもいますが、自身が描けないシナリオを部下が描けるはずもありません。よって、現場はこれまでどおり業務を遂行するだけで、目標は達成されないか、期末に数字合わせしてお茶を濁すか、いずれかになります。

会社での計画策定とは、「部長が鉛筆をなめながら目標数値を書き込み、本部長がそれをきれいにまとめ、担当役員はそれを承認する」ものだと信じてやまない大企業の人は、いまだに少なくないのではないでしょうか。それが当然の企業文化においては、戦略シナリオが整うことは想像できません。

シナリオがない会社では案外、「流行りもの」に手を出すのが先端的で素晴らしいと思っているふしもあります。人事制度なら、1on1、OKR、ジョブ型採用、等々。営業施策なら、MA、カスタマーサクセス、等々。流行りのベストプラクティスと聞けばすぐに採り入れようとします。そうして、社内にはいろいろな新ルールや新制度が出来上がります。

なかなか時代の先端を行っているようでいて、よく内情を観察すると、1on1ではほとんど世間話に終始し、OKRのつもりが目標を因数分解できずに意味をなさず形骸化しています。MAソリューションを営業部門で導入するも、単なるメルマガ発行マシンとしてしか機能していません。そんなことが起こっていたりします。

本来なら、どの施策も「全体」の中の重要な「部分」を成すはずです。しかし、戦略遂行のなかで果たすべき機能的な役割は何ら定義されないので、当然ながら効果も限定的にしかならないわけです。こうした会社に、「~(流行りモノの施策)やっていますか?」と尋ねると「やっています!」と威勢よく答えることでしょうが、実際にやっていることは「部分の集合体」に過ぎず、全体最適には程遠いのです。

部分をどれだけかき集めても、部分をたくさん作り込んだとしても、それは「全体」にはなりません。ガラスの破片を集めて組合せても鏡にはならないのと、同じことです。

まず「全体」、すなわちグランドデザインが設計できて始めて、どの「部分」が必要なのか、または不必要なのか、必要だとしたらどういう役割や機能を果たす必要があるのか、判断できます。逆にそうしなければ、「全体」に対して無頓着になります。古代の中東の逸話に、こんなものがあるそうです - 3人の盲人が1頭のゾウに出くわした。一人目の盲人はゾウの片耳をつかんで「これは大きくて、ザラザラしていて、絨毯のように幅広なものだ」、二人目の盲人は鼻をつかんで「これはまっすぐで、中が空洞のパイプだ」、三人目の盲人は前足をつかんで「これは大きくてしっかりとした、柱のようなものだ」と口々に叫んだ。彼らの「知る」方法では、その生き物がゾウであるという理解に決してたどり着くことはないだろう ー

また、グランドデザインのもとで成長や発展のシナリオが描けている組織やチームでは、仕組みが整っています。その仕組みに沿う形で、多くの場合、やさしさと厳しさが両立しています。最近ではパワハラに対する対応を要求されていることもあるのか、上司は部下をほめることの必要性が強調されているようですが、シナリオが描けていない組織ほど、上司は部下をほめること ”しか” していないように、個人的には感じています。優しいばかりでは、単なる「ゆるい組織」になっていきます。想像するに、上司はどこで厳しくするべきか、どの程度厳しくするべきか、さじ加減が分からないから恐ろしいのでしょう。リーダーがシナリオを持たないのですから、さじ加減の想像がつかないのも説明がつきます。

大企業では文化がない限り難しいグランドデザイン設計も、中小規模の企業ならまだ描きやすいといえますが、中小規模の組織でグランドデザインを描くとしたら、できるのは現実的には経営者しかいません。経営者の設計力にすべてが委ねられることになりますが、自分がグランドデザインしなければならないという意識を持つ経営者もまた、少ないのが現状ではないかと感じます。実際、全体俯瞰で事業シナリオが的確に描けていると思える中小企業は、わたしから見ると少ないです。できているつもりの経営者は、よく見かけますが。

もちろん、そもそも全体設計するには難易度が高い業種業態は存在します。例えば、プロセス型の製造業などはそうでしょう。ただそれ以前の問題として、限定された業務領域でのシナリオ構築さえもうまくできていないケースを、個人的には多く目の当たりにしてきました。「因数分解」の重要性がなかなか通じないケースも、いまだ少なくありません。

そうした課題に対応できる方法論を持つところに、当社としての価値の出しどころがあるということになります。本年も、グランドデザインの設計により強い課題意識を持つ企業様を中心に改めて注力して、少しでも多くの支援ができれば嬉しい限りです。

デジタル化したいなら、まず「因数分解」

わたしがお客さまの前でよく使う言葉で、通じないことが多いもののひとつが、「因数分解」です。

しかし、この因数分解、デジタル化においては極めて重要なスキルだとわたしは思っていますので、めげずに使っています。

ここでいう「因数」というのは、かみ砕いた言い方になっているかどうか自信はありませんが、対象になるものを構成する要素、というような意味です。物事の本質を見極め、課題解決の糸口を見つけ、課題を突破する新しい方法論や構想を構築しようとするとき、ぼやっとして捉えられている対象物を、根幹を構成している要素にどうにかして分解し骨組みを見極めることが必要になります。それを「因数分解する」と言っています。

因数分解する試みというのは、その対象に対する一種の研究のようなものであり、またある意味では、その対象の全体像を知り尽くそうとするこだわりが表れることではないかと思います。

例えば、ある食品製造業の場合。品質にこだわるその会社が、自分たちが納得のいく商品だけを作りたいと考えたら、どうするでしょうか。

製品出荷前に官能検査をするのは当然でしょうが、その検査が属人的では、テイスティングする専任の担当者の「勘」がすべてになってしまいます。その勘がどのように機能しているのか見えるようにしなければ、社内で納得感が共有されませんし、その人以外に優れたテイスターも育ちません。

そこで、検査に合格となる味の要素を因数分解するわけです。因数分解するなら、科学的に測定できる要素に分解したいものです。成分を分析し、合格品に備わる特性を導き出します。おそらくこうした調査は、専門機関などに依頼すればそれほど難しくはないでしょう。

本当の問題は、ここからです。では、そうした合格品を製造するには、どういう条件がそろっている必要があるのか。それがわかれば、安定的に合格品を製造することができます。合格品を生み出す特性が生産過程でどのように生み出されるのかを調べ、その要素をまた因数分解します。食品ならば、水分量、原材料の配合や重量、調合や加工のタイミング、場合によっては工場内の室温や湿度も影響するかもしれません。

その因数分解に成功できれば、それらの要素をモニターする仕組みをつくりこむという道筋が見えてきます。因数分解できているのなら、一連の仕組みを仕様として表現するのは、比較的容易です。品質のつくり込みに必要な要素が管理できるなら、品質検査で合格できなかった場合は原因を分析し、その対応策を製造現場に数字ですばやくフィードバックすることができるでしょう。現場はその数字を基に、即座に改善対応が取れることになります。勘に頼った改善対応よりも、はるかに精度の高い改善が、誰でもすぐに打てるようになります。

このようにして仕組みが完成して稼働すれば、それはまさしくシステムです。

先月のコラムでも、データは自分で作らなければ存在しないと述べました。データを生み出すために必要なスキルが、上記のような「因数分解」なのです。

仮に、既に使えそうなデータがすでにある場合でも、そのままでは用を満たさないことが往々にして起こります。そうした時にも「因数分解」が必要になります。

例えば、建設業では最近BIMを活用するケースが増えています。BIMによれば、建設物の設計データが余すところなく保存されており、それが3Dモデルとして利用可能です。これを用いれば完成後の建築物の施設管理にも使えそうだ、という発想が容易にできます。

しかし、実際はそうは簡単に行きません。設計時に構成したデータと、施設管理に使いたいデータでは、中身が大きく異なるのです。設計データは、主に建物の構造に着目したデータセットになっているわけですが、施設管理ではそんな細かい寸法などが知りたいわけではありません。一方で、施設内で使われている設備や装備のメーカーや品番といった保守に必要な情報は細かく知りたいわけです。

では、施設管理にはどんな情報が必要なのか。それを因数分解する必要があります。そのうえで、持ち合わせているデータがどのくらい流用できるか、流用できない情報はどこから引っ張ってくるか、という取組みができなければいけません。それがうまく行かなければ、大量にあるけれど用はなさないデータが壁になって、施設管理はままならないでしょう。

このコラムでは端的な話しかできないのですが、業務改革やデジタル化の取組みにおいて「因数分解」が大事であることが、少しでもご理解いただければ嬉しいです。引き続き、この言葉は多用させていただこうと思っています。

「デジタル化が遅れている」と言われて、安直に急がない

マスコミがさかんに「日本企業はデジタル化が遅れている」とはやし立てるせいか、判断に必要な情報が足りない、業務が非効率で混乱している、などといった課題に直面したとき、「システムを入れよう」という発想になる経営者や経営幹部が、最近多くなってきたように思います。

今回のコラムは、その発想は悪いことではないが安直である、というお話です。

もう多くの方にとって忘却の彼方に行ってしまったことかもしれませんが、コロナ禍が始まった時、医療現場ではコロナ患者の動向に関する情報収集をめぐって、深刻な混乱が発生していました。

国は当初、全国に感染患者がどれだけいるのかを集計するのに、電話やFAXを使っていました。しかし、それでは不正確で不確実なことはすぐに明らかになり、すぐさま「システムを入れよう」という流れになりました。

ところがこのシステムに必要なデータとして列挙された項目や内容があまりの分量となり、そのデータ入力作業は医療現場の人々にとって、押し寄せる患者の看護や治療でひっ迫している業務へのさらなる負担となりました。

結果、どうなったか。医療機関によってはすべての項目を入力せずに報告したり、1週間分をまとめて入力して報告したり、などという行為が横行したのです。

テレビやネットで情報を見ていた我々一般人は、感染者数の動向などはリアルタイムで報道されていると思っていたわけですが、実態は「だいたいの数字」を見ていた、ということになります。

システムを導入する、デジタル化をする、ということは、要するに何をすることなのか。一度は深く考えてみる必要があると思います。

データが見たいというのなら、まず自らの手でデータを生み出さなければいけません。データは、そこに自然に置いてあるものではありません。自然に湧いて出るものでもありません。ほしいデータは、通常は自分で作り出さなければ存在しません。例えば、いま誰もが当たり前に毎日使っている「温度」や「湿度」でさえ、その昔それが知りたいと考えた学者が生み出した指標です。

そうしてデータを生み出したところで、それは多くの場合、人間の手で「入力」されて初めて実体になります。裏を返せば、それは人間の対応次第で誤ったデータにも、汚れたデータにもなる、ということです。データだから正確、という保証はないのです。では「正確なデータ」をどうやって収集するのか。何をもって「正確」だとするのか。人手を介さず自動でデータを収集できるのが理想ですが、そうしたいなら自動で収集するやり方を、また自ら編み出さなければなりません。

データを収集する、データを加工する、データを集約する、そうして処理したデータを使えるように反映する、等々、一連のデータ処理を実行する「しくみ」もまた、自ら考え出さなければなりません。

世間に売っているソフトウェアやクラウドサービスを採用すれば済むと思っている経営者や経営幹部は多くいますが、それらを導入して「帯に短し襷に長し」な状況に陥った実体験をしたことがないのでしょう。自分のやりたいことが具体的で明確であればあるほど、それに一挙に適合する出来合いのソフトもクラウドサービスも、ますます見つからないのです。逆に自分のやりたいことが曖昧で明確でないほど、今度はソフトウェアやクラウドサービスの都合に振り回されることになります。

そのような、自分がやりたいことを実現する「しくみ」を設計する源泉は、どこから来るのでしょうか。

それは、データが見たい、業務を合理化したい、という課題解決を必要とする「目的」です。なぜそれが重要なのか、それをしないと会社はどうなってしまうのか、いままでのやり方を曲げてでも新しいやり方を採用してデータ入力の仕事を負担する必要がなぜあるのか、それが説明できなければなりません。

新しいやり方を採用しようとしたとき、そのやり方の実践には、一定の「デジタルの素養」が必要な場合もよくあります。その場合は、現場に対するデジタル分野の知識強化のサポートも必要になります。勝手に覚えてシゴトしてくれ、では通用しません。

的確に説明ができなければ、また現場に対する的確な支援が提供できなければ、現場は黙って、データ入力を実行しないか、正確性を追わずいい加減な対応でお茶を濁す行動に出ます。コロナ禍で、感染者数の正確な情報提供が重要であることは十分に理解していたはずの医療現場でも、前記したようなことが発生しているのです。

的確な説明を考え、説得できるのは、その取り組みを主導する経営者や経営幹部以外にいません。デジタル化を進めるとき、全体構想を考案し、実現シナリオを設計すべきなのは、取り組みを主導する経営者や経営幹部です。「ITに詳しい人」ではありません。

よく「経営トップが主導せよ」「経営者の意識が低いのではデジタル化はできない」などと言われているのは、こうしたことが本質なのです。「デジタル化をするぞ」「データを見える化するぞ」と掛け声をかけるのがトップの役割、などと考えていたら、道を誤ります。

デジタル化を進めたい、という思いがふつふつと湧いてきた経営者の方々は、一度立ち止まって、「それ、どういう仕組みで実行するの?」ということから絵に描いてみてください。わたしに聞いていただければ、その絵にいろいろなツッコミを入れさせていただきます。

スタートアップや小規模企業に、ビジネスのしくみはムダなのか

ビジネスのしくみ化について、わたしは度々、その重要性を様々な場所で述べています。

一方で、識者と呼ばれる人の中には、スタートアップや小規模企業が仕組み化に拘り過ぎると、ビジネスにおける柔軟性を低下させて成長の足かせになる、ということを主張する人々がいます。

スタートアップや小規模企業は、ビジネスのしくみ化に取り組む必要性は低いのでしょうか。今回はこのことについて(改めて)論じてみたいと思います。このコラムをよく読んでいただいている方々には、わたしがどういう主張をするのかということは読む前からお分かりかもしれませんが。

「ビジネスのしくみ化をするから、ビジネスが柔軟でなくなる」というのは一面的な考え方であると、わたしは考えます。

ビジネスのしくみ化をする意味というのは、その企業が目指すミッションや提供したい価値を実現するための行動シナリオを具体化し、言っている通りの価値を顧客に実際に提供できるようにすることにあります。仕組みというのはつまり、固定的で硬直化した業務プロセスを指すものではありません。つねに管理され、最適化を目指して改善を続けられるものです。

ビジネスの価値をどう提供すべきなのかは、一度決めてしまえばあとは変更しない、変化しない、ということではないはずです。事業環境が変われば、または顧客にとっての価値が増すような提供のしかたが新たに見出されれば、それは当然に考慮され、よりよい提供方法に変えられていくべきです。

スタートアップ段階の企業ならなおさら、価値提供のノウハウが完全に定まってはいないでしょう。より価値提供のあり方を高めるべく改善の余地は多分にあるはずで、改善活動に付随して、ビジネスのしくみも進化していくのが自然です。

また、一定の成長軌道にすでに乗っている小規模企業であっても、顧客の意向や嗜好は変化することを念頭に、常に動向をウォッチし続け、顧客にフィットするように、価値提供のしかたや質をアップデートしつづける努力は欠かせないはずです。その努力をしなければ、競争社会のなかにあってすぐにその提供価値は陳腐化していきます。

逆に、ビジネスに柔軟性がなくなるからと言って、ビジネスのしくみづくりを軽視すればどうなるでしょうか。

ビジネスのコンセプトやミッションとして経営者が掲げるコトバは立派だが、現場の仕事は実のところそれを体現できず、コトバとは裏腹なサービスや購買体験が顧客に向けて展開される、ということに、容易につながるのではないでしょうか。実際、外見や評判はすごそうに見えて、内情は随分混乱しているスタートアップというのは、個人的に観察する範囲では相応な頻度で見られる印象があります。同様に、立ち上がり段階こそ良かったのに、ビジネスが進展していくにつれ、当初の提供価値からは離れていくようなサービスや商品が展開されていくような会社も見かけます。

もちろん、ビジネスのしくみは一気に完成するものではなく、段階的に整備を推進することは大いにあります。ただしそれも、ロードマップは予め描かれ、それに従って進められています。成長シナリオが明確な企業というのは、ある程度の試行錯誤は不可避とはいえ、決してその場の思い付きや偶然の成り行きで事業を進めているのではないのです。

どのレベルまで仕組みづくりが実現できれば、どの程度まで価値提供が実現できることになり、その先はどのようなステップを踏んで、価値提供のレベルを高めていけるのか。そうしたシナリオが描けていてこそ、段階的な推進と言えます。

計画は不確実性がつきものであり、もちろん軌道修正が必要になることもあるでしょう。仮に軌道修正するにしても、予め描いたロードマップがあってそうするのなら、変更すべき個所と到達点に向けた修正ポイントは明確です。計画を立てても変更されるからといって、計画すること、シナリオを構想すること、ロードマップを描くことに、無駄はありません。

こういうことを申し上げると、「仕組みなど考えている時間があるなら、先に売り上げを上げることのほうが優先だ」という趣旨の反論を受けることがあります。

ビジネスで売上を立てることは何より重要だということは、論を待たないと認めますが、仕組みもないところで「なんとなく」上がる売上というのは、往々にして長くは続きません。「一発屋」で終わりたい事業家は、そうたくさんは存在しないだろうとわたしは信じています。

実のところ、(単純に)売上を上げる(だけ)ということは、案外「為せば成る」世界でそんなに難しくはありません。爆発的に売り上げて勢いが増すビジネスの例も聞きます。しかし、一見成功したかに見えて、そのあとで提供価値のクオリティがついてこず、顧客を失望させて一気に冷める、というケースは、案外よく聞かれる衰退事例です。

ビジネスのしくみというのは、誰がオペレーションしても確かな売上さらには利益を継続する裏付けとなる「カラクリ」です。カラクリがない事業は、勘でオペレーションしているということです。それは、くじ引きで運試ししていることに近い。当たればうれしいが、当たらなかったときに原因は一切わかりません。改善しようと対策を考えるときも、同様に勘による「くじ引き」を繰り返すことになります。

仕組みを考えさせると逡巡する経営者、逃げようとする経営者も見かけますが、自ら発想するビジネスアイデアを仕組みに落とし込むこともできないのなら、能力を鍛えてできるようになるまで事業展開はやめるべきです。巻き込まれる人たちが不幸になります。そんな構想を描いていたら多大な時間がかかる、というのなら、そのアイデアは考えが浅いか、視野が狭いか、その両方か、である証拠であり、本格的な事業展開ができるポテンシャルに不足があるということです。

アイデアの創出に論理は不要ですが、論理性のない事業は、経営者の独壇場となり、他の人間が入り込む余地がありません。仮にその事業が先に進んだとしても、誰もその経営者と議論できないし、客観的に語れるブループリントがない事業の経営者は真の相談相手を得られないでしょう。外食業界で活躍する、あるスタートアップ経営者は、そうした創業社長のことを「占い師」と称していました。経営者の勘とセンスで店を開発し、ヒットへと導くが、なぜ売れたかは本人にさえも分からない、そんな会社は占い師以外は活躍できない、ということを皮肉ったものです。くじ引きと占いの違いこそあれ、まったく同感です。

「一生懸命に働く」のは、美徳ではない

「身を粉にして働く」「艱難辛苦を耐え抜き成功する」「懸命に取り組む」。少なくともかつての日本の職場では、こうした精神は美徳として扱われていたようなところがありました。現代ではどうなのかはっきりしませんが、いろいろな職場を見てきた個人的な経験から申し上げて、いまでもそんな精神が少なからず残っている傾向はあると感じています。

一意専心で打ち込み、様々な難題を克服して目標を成就する姿は、美しいものです。アスリートや職人などを見ているとそう感じます。しかし、こと企業の組織においては、「一生懸命に働く」ことは美徳ではないと思います。

誤解を恐れずに言えば、優れたパフォーマンスを出せる組織とは、同じ成果を他の組織よりもラクして生み出せる組織のことだと、わたしは思います。そういう状態のことは、一般には「生産性が高い」と呼ばれます。

努力を重ねることが無駄であると言うつもりなのではありません。努力の方向性を問題にしようとしています。一生懸命に頑張るのなら、「いかにラクをして、いまと同じ、さらにはいまよりも高い成果を生み出せるか」を考えることに力を注ぐべきなのであって、そうではない方向に注力すべきではない、ということです。仮に成果が挙がっていたとしても、ラクではないやり方で実現されているのなら、それは何かがおかしいのです。

ところが、ありがちな傾向として、一生懸命に頑張っている人に対して「その内容は問わず」ポジティブに評価する、ということがよく見られます。個人の評価がそれでよくても、組織のパフォーマンスという観点では、「一生懸命頑張る個人にその仕事をさせていていいのか」という評価をしなければならないのですが、問題を直視せずに満足している組織が少なくありません。

例えば、ある事業や業務において、組織にいる特定の人物の能力が著しく高いおかげで成果が生み出されていることが、小さい組織ではよくあります。そうした「スーパーエース」(時に経営者自身だったりします)を組織は称え、周囲は尊敬のまなざしを送るわけです。しかしそうしたスーパーエースは、組織にとっては “SPOF”、 つまり「単一障害点」です。属人化は、組織を脆弱にします。スーパーエースが活躍するような企業やチームは、わたしに言わせればシゴトを仕組み化する努力をしていません。努力を正しい方向で実行していないツケは、スーパーエースが何らかの理由で稼働しなくなった時(会社を辞める、病気で仕事できなくなる、家庭の都合に身体を取られる、職場を異動する、等)に顕在化することになります。

毎日押し寄せる問題を、次々さばくのに一生懸命になっている組織もよくあります。こういう組織は往々にして、計画を立てる能力が弱いことが要因でそのような状態になっています。毎日一生懸命に仕事していますから、周囲はポジティブに捉えます。しかしそのような仕事は、まるで RPG のように、出会った敵を順番に次々やっつけているだけのことです。果てしなくモグラたたきを続けるよりも、そもそもモグラが出ないようにするにはどうしたらよいのかを考えるべきなのですが、「没入」してしまっているとそういう発想はできないものです。

業務効率化のつもりで IT ツールを導入していても、ラクに仕事をしていないケースはたくさん見受けられます。例えば、会社や部署に「エクセルマスター」のような人物がいることがよくあります。この人物は確かに、スプレッドシートの取扱いに長けている達人です。しかし、取り組んでいる実作業はというと、大量のデータの打ち込み、転写転載、比較、正常性確認、流し込み、ファイルの送受信、といったものだったりします。コマンドや関数を駆使して作業そのものは高度であっても、つまるところ「デジタルツールを使ってマニュアルワーク」しているわけです。「そもそもその作業をやめられないのか」というようなことを考えるべきなのですが、達人は往々にして、その道具を使うこと自体をやめるという発想ができません。

なにか突発的な問題が勃発した時に、すぐに人海戦術で突破を図ろうとする組織も、よく見かけます。人が頑張って取り組むのが一番近道である、という考えです。確かに、稼働する人を増やして解決するほうがよいこともあるでしょう。しかしそれは、対象となっている業務の仕組みが的確に設計されていて、新しい人が入ってきたとしても短時間で業務をマスターし処理を担えるように完成されていることが前提です。イレギュラー対応だらけ、例外処理だらけ、の業務では、新しい人たちの頑張りは希薄化されてしまいます。そして、そういう現場ほどマニュアルも整備されていません。仕組みが弱い組織の業務に単に人を増やしただけでは、内部が混乱し、指示が滞り、下手をするとコントロールできなくなってチーム管理が崩壊します。人を増やせば増えた分だけ工数は掛け算で増やせる、というのは幻想です。

繰り返しますが、一生懸命に仕事を頑張るのは、個人のレベルでは美しい努力ですが、組織のレベルでは美徳ではありません。生物であるヒトの進化を原始人の時代から振り返れば、それはつまるところ、「どうしたらもっとラクに生きられるか」を一生懸命に考えて取組み、解決をしてきた歴史なのです。極端な例えですが、従業員の1日の勤務時間を4時間にしてもなお他社以上に収益を挙げるにはどうしたらいいか、ということを一生懸命考えるのが、生産性を高める方向に向かう正しい努力なのではないでしょうか。

DXを本当に実践できている組織が、持っている力

当社では、DXの推進や取り組みにご関心をお持ちの企業様に向けて、「組織としてのDX推進力」を無料で診断するサービスを、ご希望される企業様に提供しています。

ビジネスのデジタル化やデジタル技術の活用に、これから取り組もうとされている企業も、すでに何らかの取り組みに着手されている企業もあり、状況は様々です。ただやはり、スムーズに取り組みを軌道に乗せていく企業はあまり多くないように見えます。立ち上がっていかない要因はいくつか考えられますが、課題認識のヒントになるような情報が提供できればと考えて診断を行います。

わたしが複数の事例を見て思うところのうち、DX推進のポイントになる要素のいくつかを、このコラムで紹介したいと思います。

まずひとつは、「技術より環境づくり」ということです。実は、ITには自信を持っていた企業や、IT担当者がすでに社内にいる企業が、DX推進となるとさっぱりうまく行かない、というケースは珍しくありません。進められる環境が整っていないことが、主な要因です。

「環境」ということばは厄介で、いろいろな意味が含まれています。ここでは例えて言うなら、「種をまく前に、土壌を整えたのか」という話に近いかもしれません。新しい取り組みが進められるだけの体制、人材の配置、技術の整備、知識の吸収、評価の仕組み等々、「土を耕して肥沃にしておく」必要がそもそもあるのに、何も整えずに進めようとしているのではないか、ということです。

環境を整えるのは、言うまでもなく経営者と経営幹部の仕事です。よって「DXでなにかやれ」という指示をするだけの経営者は失格、ということになります。

次に、「業務の仕組みを設計する能力の優劣」です。DXが、デジタルを前提として新たなスキームを備えたビジネスを展開し新しい価値を創出すること、を意味するのだとしても、単なる既存業務の効率化に留まるものもDXだと呼んでいるとしても、いずれにしても業務の仕組みを紐解いて俯瞰し設計する能力は、必須なはずなのです。

しかしかなりのケースで、この能力は軽視されていると感じます。Transformationしようと思うのなら、業務のやり方、業務のあり方、から根本を問う取組みが必要になるはずです。ところが、DXの ”D” のほうに引きずられて、無意識のうちにITの領域の話だと思い込んでいるふしが見受けられます。

例えば、DXを推進しようと意気込んで、社外からITの専門的経験が深い人材を幹部として受け入れ、CIOやCDOに据えたというケースはよく耳にします。しかしそうした人材を選定する際に、ITのことは重視しても、業務設計の能力についてはまったく評価していないのです。ITスキルと業務設計スキルは、別の能力です。そして、両方とも高いパフォーマンスを発揮できるという人はかなり少ないのが実情です。

そうした選定を行って受け入れた「ITの専門家」は、情報システム基盤を設計することはできるかもしれませんが、社内の業務の仕組みを紐解いて図式化する能力が往々にしてありません。結果的には、流行りのITを使って現場レベルに留まる成果を挙げる程度になる可能性が高いでしょう。それで会社として満足感があるなら良いのですが、業務はそのままであればビジネスは根本的に何も進化していません(=Transformationしてはいません)。ビジネスの成長発展という観点で見れば顕著な成果にはならないでしょう。

また別の要素としては、「いろんな意味でのコミュニケーション力の高さ」も必要です。デジタル技術が何をドライブするのかと言えば、煎じ詰めれば「情報の流通」だと思います。情報の流通が高度になって何がよくなるのかと言えば、それは人と人の間のコミュニケーションです。情報を使うのは結局は人間ですから、人間がそうした情報を使いこなせること、またその情報を優れた成果に繋げること、が必要で、それは人間が意図して実行しなければ実現しません。

この「コミュニケーション」ということばも厄介で、いろんな階層のいろんな分野でのコミュニケーションが含まれます。ただ、ざっくりとした言い方ではありますが、社内・社外を総合的に見据えて大きな成果に繋げられる情報流通の仕組みを作り込んでいく、という意識が必要なのだと思います。一見するとデジタルっぽくないけれど、実行面ではデジタルでかなり活性化できる領域です。

ただしコミュニケーションは、デジタルツールで実現できるものもありますが、組織が意図して整える環境に依存するものもあります。DXがうまく進む組織というのは、経営者から現場レベルまでの伝達、部門間での連携、社外の専門家やベンダーとの協調、外部知識の取込みや収集、現場で得られた経験や知見のフィードバック、といった、様々なレベルのコミュニケーションパスが発達しており、またそれらが有機的に融合している印象があります。

それらは一朝一夕で構築されたものではなく、一定の目標のもとで、時間を使いながら積み上げられたものです。ただし、無意識のうちに積み上げられるものでは決してなく、「一定の目標」があるからこそ、一貫した思想のもとで包括的な仕組みが出来上がるのだと思います。少なくとも、デジタルツールの導入で即実現するようなものではありません。逆にツールの導入がシゴトの足かせになってしまった組織の例ならいろいろあります。

いくつか取り上げてみましたが、他にも様々な要素がありますし、細かい話をし始めるとさらに深くなります。その中からひとつ言えることは、これは流行に飛びついて取り組むものではなく、経営者がまずは「DXとは何ぞや」ということに対して深く洞察し、一定の答えをもって旗を掲げ、前に進める環境を整えていく、そうした進め方が必要なのだろうということです。「どうしてDXなのか」という問いに対して、独特の答えを持っていることが大事でしょう。

そもそも本質的には、何十年も前から言われてきたことの焼き直しがDXであるということを、改めて認識すべきだと思います。

「変われない自分」を「変われる自分」に変えるコツ

”最も強い者が生き残るのではなく、最も賢い者が生き延びるのでもない。唯一生き残ることが出来るのは、変化できる者である。”

進化論を唱えたイギリスの科学者ダーウィンが言ったとされるこの名言は、実はダーウィンが発言した言葉ではないという指摘があるようですが、その意味するところに関しては、多くの人が納得するものだろうと思います。

一方で、この言葉が多くの人々の教訓となり得ている理由は、そもそも人間というのは変化を嫌うという特性があるからだと、わたしは考えています。いままでのやり方、考え方、習慣などを変えたくない性質は、年齢が高くなるほどに顕著になる傾向があるようで、脳科学の分野でもこれを裏付ける研究があります。

わたし自身にも、これは大いに心当たりがあります。考えた末、工夫した末に、一度固めてしまったやり方、もしくは慣れてしまったやり方は、基本的に変えようと思いません。一方で、考え抜いたつもりでも、だいだいそれは100点満点の方法ではありません。仮にそれが、考えた時点では100点満点だったとしても、時間が経ち状況や条件が変わると100点ではなくなるのです。常に、自ら問題を探して発見し、やり方を変えるべきなのです。しかし、アタマではそう理解していても、いろんな「できない理由」を付けて、変える行動にはなりません。

そしていざ、外堀を埋められて、慣れ切ったやり方に対する変更を余儀なくされると、そこでものすごく抵抗を感じて、まだ立ち止まるわけです。

しかし、わたしの場合はこの悪癖に対策を打つことを考えて実践し、まだ道は半ばではありますが、一定の成果を得ています。抵抗がささやかなうちに、それを押して変更を実行できる自分になるように仕向けています。生活習慣やトレーニング方法など、大小何度も改善を実践してきました。そして、自身のなかの抵抗勢力を克服して変化を断行してみるとやはり、変えてよかったと思うことがほとんどです。

どうやって実践しているのか、現時点でのわたしの工夫を3つほど紹介します。ちなみに以下で紹介するものは、ビジネスシステムの設計理論の研究からヒントを得たものばかりです。

ひとつめが「数字で見えるようにする」。いま目指している物事の目標値、その目標に到達するうえでの中間指標や補完指標になるような事項の数値など、取組みの全体像が数字で見えるようにします。怠ける自分、目をそらしたい自分、を動かそうとするとき、数字が見えた時のインパクトは絶大です。特に、それまで全く気にしていなかったことが数字になって表れて、それが無茶苦茶な結果だったときのショックは、計り知れないものがあります。

もちろん、その測定方法は自ら納得するように設定し、数字が意味することが自分で明確に理解できていることが前提です。他人によって設定された測定ではインパクトもショックも感じません。会社で健康診断を受診して、結果の数字を見ただけではなんとも思わないのと同じです。

また、可能なのであればその数字を周囲に全面公開し、「その数字をいつまでにこう変える」などと宣言したりすれば、より逃げられなくなります。

ふたつ目は「手法や方法を多く知る」。いざやり方を変えようと思っても、どう変えたらよいのかを知らないと、そこで思考が停止します。やり方が分からないと、変える行動に移ることはありません。変えるならどういう方法が取れるか、どのような考え方をすればいいのか、多くのノウハウを知っていることが重要です。

こうした方法の獲得では、信頼できる情報源から得られた情報を基に、普段から自分なりにできるだけたくさん分析していることが大事です。ただ見聞きしただけ、ネットで調べただけ、知り合いに聞いただけ、という程度では、自分がやりたい工夫に適合しないことが多々あります。変えなければならないと示唆される対象に自らが拘っていればいるほど、または決断が重要な局面であればあるほど、これは当てはまります。選択できる方法を知っているほど、具体的な行動を発想しやすくなります。

三つ目は「常に新しい情報を取り込む」。新しい情報のインプットは、「変えなければならないかもしれない」と思い至る大きなきっかけになり得ます。おそらく自分が関心を持つトピックには、他にも多くの人が関心を持ち、日々研究や実践が行われ、工夫がされています。その結果としてベストプラクティスが継続的に更新されていきます。昨年まではこれがベストと言われていた方法でも、翌年になったらそれを上回るベストが出てくることはしばしばです。常に新しい情報が得られるようにしておくことが大事です。ふたつ目とも重なりますが、信頼できる情報源や支援者を持ち、継続的に情報が得られるような状態を作っておくことです。

そして、これらの工夫の根底には、自らの取り組みかたが「仕組み化」されていることがあるのを、忘れてはいけません。

そもそも、明確なロジックがなければ測定ポイントを設定できず、数値化はできません。また、仕組みがないところでなにか工夫をしようと思っても、どこをどのように改善すればよいのか見当はつかないのです。当てずっぽうな勘に頼った変更をしてみたり、他人が薦めたやり方を盲目に取り入れたりする人というのは、だいたい仕組みを持っていません。

さてここまで、ライフハックのようなことが書き綴られてきたように思われているかもしれません。もちろんライフハックとしても有効だと思いますが、「会社」や「組織」に置き換えても同じ論理が成り立つと、すでにお気づきでしょうか。

そうお気づきになられたら、このコラムが「会社経営」の話であると意識を置きなおして、ぜひもう一度冒頭から読み直してみてください。