バックアップは悩ましい

日本の企業がランサムウェアに狙われるケースが、ここ数年継続的に報告されていますが、専門企業による調査などによれば、いまだその水準は高い傾向なようです。

被害に遭ったという企業の公表などを見ていると、手持ちのデータやファイルが暗号化されてしまったのか、暗号化されてしまったものは復旧できたのか、といったことは、あまり書かれていないことが多いように感じます。それが書いてあるときは大抵、取得していたバックアップからの復旧に成功した場合、という印象です。顧客や取引先への報告の必要がないならば、対外的に公表することは最小限にしたいという考えなのだろうと推察されます。

どの企業でもデータのバックアップについては、一定の配慮と対策をしているようですが、それで安泰ではないのが実態かもしれません。ある調査では、ここ数年以内でランサムウェアの被害に遭った企業の 7 割は完全に復旧できなかった、バックアップデータまでがランサムウェアにより暗号化されたという企業は 5 割弱もいた、という結果もあるようです。

バックアップ対策は、当社でも継続的に考えていることですが、いまだに悩ましく、絶対の自信と高い利便性がある解は導き出せていません。どの対策にしても一長一短、という印象があります。

まず、多くの人が業務で利用する Windows には、バックアップ機能が標準で複数種類内蔵されています。追加料金なく利用ができ、使わない手はありません。特に端末を交換する用事があるときには、これらの機能はとても便利です。ただし、会社の BCP 対策という意味でのバックアップとしては、どの機能もどこか一癖ある印象が否めません。Windows だけに委ねる気には、個人的にはなれないと考えています。

近年推奨されているバックアップのベストプラクティスに、「3-2-1ルール」というものがあります。このルールでは、データは(コピー 2 つを含む)3 個、保管する記録メディアは 2 種類、会社の管轄外のオフサイトに 1 つを移して保管、というアクションを推奨しています。

このような保管のしかたにしておけば、データのいずれかは有事にもアクセス可能な状態として残っている可能性が高いということです。とても有効なルールだと思います。

ただしこのルールの中で、「オフサイトに保管」というのが案外面倒でハードルが高いところがあります。一方で、企業の事業継続を問われる有事において、おそらく最も頼りになると想定されるのが、オフサイトに保管したバックアップと思われます。ここで手を抜くことはできません。

例えば、バックアップ保管先の候補としてよく挙がり、利用が多いのが、外付けのストレージや、NAS と呼ばれるネットワーク越しに接続するストレージです。いずれでも、簡単な設定とバックアップソフトの利用で、ファイルだけでなくシステムを丸ごとバックアップすることが可能になります。大容量のストレージでも最近はかなり価格がこなれてきて、小さな企業でも購入しやすくなっています。会社で使っているすべてのパソコンやサーバーのバックアップも可能でしょう。

ただし最大の難点は、これらが「つながってしまう」ということです。ランサムウェアによる暗号化を回避するには、感染させられたパソコンやサーバーから「見えない」状態、つまりネットワークから切り離されたオフサイトにバックアップが存在する必要があります。外付けストレージや NAS ではこの問題に対応できないのです。

ネットワークでつながっている場所へのバックアップは容易に実施ができますし、ファイルが壊れた、パソコンが故障した、などの日常的に起こり得るリスクへの対応では、迅速に復旧対応できることから便利な選択肢です。整備しておきたいですが、これだけだと脆弱なのが現実です。

クラウドはどうでしょうか。クラウドのストレージは会社からは切り離されており、オフサイトの預け先として考えることができます。多くの事業者のサービスは機能も充実している傾向があり、利便性は高いです。暗号化保存や世代管理も可能ですし、モノによっては、一度書き込んだものは二度と更新できないようにして攻撃被害から守る設定ができるものもあります。

これは考え方の問題になると思います。クラウド事業者を信頼し、全面的に預けて問題ないと思うなら、クラウドはオフサイトの預け先にできるでしょう。一方で、会社のデータ「すべて」を他社に預けるというのはやはりリスクが高い、と考えることもできます。クラウド事業者の技術レベルがどれだけ高いとしても、人間が管理していることに変わりはありません。あり得ないミスも、恣意的な不正行為も、今後一切ないとは言い切れません。実際、昨年7月に発生したGoogle Cloudにおける人為ミスなど、そうした「事故」は、過去に大手クラウド事業者などで複数回発生しています。

そしてもちろん、クラウドにデータを預けると、継続的にコストを支払い続けることになります。バックアップデータが増えれば、その分コストも増える可能性があります。普段は保管しているだけのデータに支払う料金として見合うのか、という判断も出てくるでしょう。

オフサイトの保存先として他に考えられるものとしてテープドライブもありますが、過去も現在もあまり使いやすいものではありません。古い技術なようで案外有用ということで、実はいまだに生き残って現役で使われています。

小さな企業なら、大容量のUSBメモリか外付けSSDを使って定期的にバックアップを取得し、普段はシステムから切り離して保管する、という方法があります。この方法の難点は、自動にできない(そうすると意味がない)ので、例えば週1回など定期的に手動でUSBポートに挿してバックアップを取得することになってしまうところです。面倒はありますが、コストは最小限で実現でき、条件次第ではオフサイト保管の現実解かと思います。

現状では、上記のようにいろいろとある選択肢の中から、自社の環境や条件に合うものを複数組み合わせて整備する、ということになるでしょう。しかしそれでもなお、決定版にはなかなかなりません。どこかに弱さや手間が残りますし、最後は人間の運用にかかってくる側面もあります。ただ、この分野はまだ技術や利便性の面で進歩が見られ、自社にとって使い勝手がよいソフトや技術がこれから発見できる可能性も大いにあると思います。継続して情報を得ていきたいところです。

ソウムAI

「なにかイイネタないかなぁ」と思って、このコラムを執筆するアイデアを、半分くらい眠くなりながら、あれこれ思いめぐらせているうち、ボンヤリと浮かんだビジネスについて、今月はぼんやり書いてみたいと思います。

そのアイデアを端的に申し上げれば、「企業の総務部の業務を AIエージェントにほとんど担わせることができるサービス」というビジネスができないかな、というものです。ちなみに、このコラムのタイトルはいま流行りの ”サカナAI” にあやかって名付けてみましたが、事業内容は全然マネしてはいません。

ここから先の文章には「AIエージェント」という言葉がたくさん登場しますが、ここでは「得意技をそれぞれ持つ複数の生成 AI が、チームになったもの」くらいに解釈していただければ十分です。もし AIエージェントの詳細にご興味があれば、お手持ちの Copilot(生成 AI)に聞いてみてください。

総務の仕事といえば、総務の担当者でもない限り、あまり具体的に想像したことがある方は少ないかもしれません。実は、かなり多岐にわたります。それもそのはずで、総務が担う仕事とは「社内の業務部門がやらない仕事すべて」だからです。入社時のガイダンスや研修、社内の各種手続きの案内や手配、社外(主に役所関係)向けの定型的な手続き、社員向けの問合せ対応、税務社会保険など定期的な手続きの案内や取り纏め、定期健康診断の調整や取り纏め、社内行事の手配や調整、社内の規則や規程類の文書管理、オフィス内の備品管理、オフィス環境の整理整頓の管理、福利厚生への対応、等々。総務の担当者でさえ、自部門の業務をすべて分かっているわけではないこともあります。

それほどに頭も使うし気も遣う、会社の縁の下の力持ちとしての業務であるにもかかわらず、陰に隠れた存在ゆえに「総務担当者募集」と人材を募ってもなかなか人は集まらないのが実情ではないでしょうか。

そうした広範で複雑化しやすい業務を、基本的に電子化し、電子化できたタスクについて、AIエージェントが主体になって業務を担うことができるのではないか、というのがアイデアの肝です。総務の業務に特化した LLM(大規模言語モデル)を独自に開発し、依頼を受けた顧客企業に持ち込んで、個社の事情や環境に合わせて半年から 1 年程度かけながらファインチューニング等を施します。環境構築の結果、精度が十分上がり、AIエージェントが業務をほぼ代替可能になったところで、運用サポート契約に移行し、顧客企業に適宜支援を提供しながら継続利用していただきます。

ソウムAI は、社員や外部業者とのインタフェースを担うスーパーバイザーのエージェントと、個別のタスク分野を分解しそれぞれを専門的に担うスタッフエージェントを組合せ、エージェント同士が連係してタスクを処理し対応を行う仕組みです。

結果的に、顧客企業の社員は、総務に頼っていたほとんどのカウンター越しの用事を、専用の AIエージェントを通じて済ませることができるようになります。また、業務委託されている事業者も、総務部への連絡や報告など簡単なやり取りは AIエージェントに行って完了できます。

業種によっては特殊なタスクがありえるかもしれませんが、およそ総務の業務は共通性が高く、個別のタスクにかかるプロセスや情報フォーマットが業種を問わず固定的・反復的なものが多いです。LLM をベースとした生成AI の得意分野でカバー可能な業務領域と見込まれます。それでいて、総務がカバーする業務範囲は先に申しあげたとおり「社内の業務部門がやらない業務」で、かなり広範にわたります。

また総務には、法改正が発生した際の対応や、会社に関わるリスク情報の把握と対応、といった任務も重要です。そうした情報を収集し認知する仕事や、その対応策を検討する業務も、AIエージェントが支援できるでしょう。ソウムAI のサポートサービスとして、LLM や専門情報 DB(RAG と呼ばれます)を定常的にアップデートして提供すれば、その価値をもって月額料金制でサービス提供する理由が生まれます。

多くの事務処理を AIエージェントが自律的にこなすことができれば、人間の担当者は、業務環境整備に向けてよりクリエイティブな役割に専念できるでしょう。そしてそこでも、環境構築や企画立案へのアイデア創出に、AIエージェントが助言や情報を提供することができます。環境整備に関する内外の情報やトレンドを集約し助言提供することに特化したスタッフエージェントを追加提供すれば、実現できると見込まれます。

このときに、例えばオフィス家具製造企業などと提携して情報を連携し、彼らのマーケティングに貢献できる仕組みを整えれば、事業として別のビジネス領域への拡大にもつなげられるかもしれません。

どんな会社にも総務部は存在し、たとえ社員数名程度の小企業であっても総務関係の仕事は存在します。マーケットは極めて汎用性が高く、日本国内だけでも 100 万社のオーダーと見込まれ、業種は問いません。いまのところ、マーケティング、営業、商品・サービス企画、コンタクトセンター、といった業務領域については、生成AI によるサービスの活用を促すプレイヤーは数多く確認できますが、「総務」と言っているプレイヤーは、個人的には寡聞にして知りません。

先行者利益で学習の蓄積を進め、他の事業者から目を付けられる前に学習データとノウハウの蓄積に成功できれば、顧客を先行的に獲得して確保し、参入障壁も築きやすくなるかもしれません。AI をビジネスにするならば、AI モデルの精度と洗練度は最大の競争力の源泉です。いちど顧客化できれば乗換は発生しにくいサービスと思われ、その意味では先行して顧客を獲得できれば、それだけ学習データの面でも差をつけられ、より競争力が増強されると見込まれます。

書いているうちに、目が覚めてきました。このままできるかどうかはさておき、筋はそれほど悪くはないように思いますが、だれかが本当に実現してくれたら愉しいですね。

気づいても言わないコンサルタント

すべてのコンサルタントがそう振る舞うと申し上げるつもりはありませんが、少なくともわたしの場合は、顧客企業を視察して膨大な課題事項を発見した時に、そのすべてを一度に指摘することはほぼありません。意図的に、問題があることを「言わない」ことがあります。

通常、コンサルティングではその支援案件における達成目標や支援範囲を予め設定します(当社ではスコープと呼びます)。そのうえで顧客の現況を把握しに行くと、当然ではありますがスコープ外の課題にも気づくことが往々にしてあります。そういう場合は、スコープ外のことですので触れることはありません。

これは、契約上範囲外だから、というのが主な理由ですが、実は当社には、顧客の課題の全体像を客観的に捉えて分析整理する、という目的の調査サービスがあります。このサービスは調査分析による課題整理が目的ですので、スコープは対象企業の業務全体になることがあります。結果として、膨大な課題事項を発見することになるわけですが、その場合でも「言わない」課題事項を意図的につくることはあります。

もちろん、隠そうとしているわけでも、もったいぶっているわけでも、ありません。

外からやってきた人間に、会社の中をくまなく覗かれて、「あれもない、これもない、なにもできていない」などと言われたときに、その会社の責任者はどんなことを思うでしょうか。わたしが考えるに、大きく2つのパターンがあります。

ひとつは、言い訳の出来ない事態に直面した不安感や焦燥感にかられて、押しつぶされそうな気分をどうにかして振り払いたいというような気分になる。そういうとき、過去の所業の誤りを素直に認め、その先の振る舞い方を考えようとすることができる人は、比較的少数ではないでしょうか。それよりも、間違っていた事実に耐えられずに不機嫌になったり、場合によっては怒り出すような人のほうが、多いように思います。

もうひとつは、手の施しようがない事態を目の前にして圧倒され、茫然自失となってしまう。考えてもみなかったような問題点を次々と突き付けられて、途方に暮れてしまう。そういう気分になるとき、多くの人は思考が停止します。思考が停止すると、次に試みることはおよそ、課題を闇に葬り去ろうとするようなアクションです。現実逃避を試みる、見なかったことにしようとする、その場は納得したように見せて後々知らぬ存ぜぬで通す、等々。

いずれのパターンにしても、その企業にとって良い結果を生まない行動を創り出してしまう。わたしはそのように考えています。

課題を指摘するのなら、俎上にあげた課題は、時間をかけてでも必ず解決してもらいたい。そのためにはどう対応していくべきで、その対応策はその企業のポテンシャルから見て現実的かどうか。そうしたシナリオを想定しようとすると、提示すべき課題事項は自ずと絞られるように思います。優先して考えるべき課題のセットだけ(それでもたくさんありますが)を相手に伝えて、それ以外は「言わない」選択をします。

「言わない」ことが裏目に出るリスクは、当然にあります。触れなかった課題のほうが、まず解決すべきとして優先的に触れた課題よりも、リスクが先に顕在化してしまうかもしれません。その場合は、わたしの選択眼が的確ではなかったという結果になります。

その失敗を避ける簡単な方法は「気が付いたすべての課題に言及しておく」ことでしょうが、それはこちらの体面と都合しか考えていない愚策だと、わたしは考えます。ですので、コンサルティング案件に対応するたび、課題を「言わない」戦略は常に念頭に置いています。

同じような考え方をするコンサルタントや外部支援者は、きっとほかにもいるだろうと思います。ですから、経営者のみなさんは、「専門家に委ねて課題を指摘してもらい、解決策も練ることができたから安心」などと思わないほうがよいと、わたしは思います。彼らがあなたに「言っていない課題」が存在している可能性があるからです。隠さず全部言えと要求されても、わたしならば、言うべき時が来ない限り、一度言わないと決めた課題は、条件が揃うまで決して言わないでしょう。

基幹システムを自前開発した中小企業は、経営者のレベルが低い

たいていの日本の中小企業は、ITの活用レベルが高くありません。これは世間で言われているとおりと、わたしも感じています。ただし、例外にも思えるような中小企業が時々見つかります。なかには、会社のコアとなる基幹システムを自前で構築してしまったという中小企業も存在しています。

大企業が完全内製で基幹システムを構築、という例はほとんどないと思われますが、中小企業の場合、事業規模があまり大きくないことも手伝い、実は自分で作ろうと思えばできてしまうという側面があります。そうかといって社内にスキルの高い技術者がいないと当然不可能ですが、たまたま1人くらい「できる人」が社内にいると、その人が根気強く取り組んで構築を果たしてしまう、ということが起こるわけです。

うらやましい会社だ、と思うでしょうか。ベンダーに頼んで作ってもらうよりコストもかからなくて素晴らしい、と感じるでしょうか。わたしが見る限りでは、そうした会社は「経営者に問題がある」おかげで、大きなリスクを抱えていることが多いと考えています。

経営者が自ら手掛けてシステムを作ってしまった、というなら結構です。しかし、技術者が独力で作ってしまった、という状態は、経営者の情報システムに対する知識や理解の欠如、関与しようとする意欲の低さ、会社にとっての情報システムの位置づけの設計不足、等々の欠陥によって引き起こされた結果なのです。

そのとき、その会社の経営者は、何らコントロールができていません。言い換えれば、放任です。情報システムに対する知見がないがために、自分がコントロールしなければならないという発想さえも浮かばないのだろうと思います。それが、事業運営に大きなリスクを抱えることにつながります。

では、基幹システムが事業の根幹をなすクリティカルなシステムであることを十分に理解する経営者ならば、どのようなことを発想できることが求められるのでしょうか。

いくつもありますが、長くなりますので、そのうちの数点を以下に書き連ねてみたいと思います。「自分はこんなことを考えるに及ばない」と思われるなら、少なくとも社内のIT担当者が「作っちゃいました」と言い出してこないような業務環境にするよう努めるべきでしょう。

● 中小企業の自前開発は、たいていは特定の技術者が単独あるいは少人数で進め、達成します。そしてそのシステムの仕様を設計した技術者はまともに形式知化せず、その構築ノウハウは属人化します。それは、会社にとって大いなるリスクです。一刻も早く、システムに関するノウハウや詳細仕様をドキュメントとして完全に網羅し、保守を長く継続できるような組織と仕組みを整備することを考える必要があります。

特に、開発した技術者が高齢であるほど、その技術者が会社を去るまでの時間の制約が厳しくなります。そして、そういう技術者に限って、言葉や図式による表現やわかりやすい説明が上手くなかったりすることが往々にしてあります。システムの仕様や、細かい(けれど重要な)属人的ノウハウを引き継ぐ時間が限られる可能性を、十分念頭に入れる必要があります。

このとき、多くの経営者は、「若い技術者を採用して、開発したベテランの下に付けよう」ということくらいは思いつきますが、その程度ではまったく十分ではありません。必要なことは、「属人化から脱却すること」です。単に若手を採用すればよいという考えは、属人化した「人」に新たに属人化させる「人」を付けているだけのことです。属人化の継承では意味がありません。「組織で実行するにはどうすればよいか」を考える必要があります。
● 中小企業の基幹システムの自前開発は、その多くが10年近くかけて少人数の特定の技術者だけで実行されます。それほどの時間をかけて技術者に業務遂行させることの是非を、本来ならまず経営判断すべきです。

仮に是と判断したとしても、10年経たないと完成しないようなシステムで事業に役立つのか、その認識を経営者が示さない限り、技術者は好きな方法で、適当なスケジュール感で、システム開発を進めるでしょう。技術者の優先度と、経営者の優先度は、何のすり合わせもしなければまったく違ったものであるのが常です。技術者が優先するのは、技術の追求、技術の都合、技術の制約、です。経営者が自分から考えを示さない限り、彼らは経営の優先事項には何の関心もありません。逆の立場で、経営者にはIT技術者の発想がしづらいのと、同様のことです。
● 自前でシステムを開発できる技術者でも、態度には決して出しませんが、万能ではありません。プログラム開発には長けているがネットワーク設計は知識が低い、システム設計は得意だが情報セキュリティ設計には疎い、等々、だれでも得意分野と不得意分野はハッキリしているのがフツウです。IT分野に関する、会社としての知見の甘さを的確に検知して補強する努力は、ITを操る以上は必ず要求されると心得るべきです。

それを怠り、「うちの技術者は基幹システムが作れたのだから他のことも何でもできている」などと考えているなら、自社のシステムに知らずのうちに大きな欠陥を抱えるリスクがあります。そのリスクを軽減するには、まず経営者自身が、ITの技術分野のポートフォリオについて知ることです(技術に詳しくなれという意味ではありません)。そのうえで、自社では疎い技術分野を認識し、知見を持つ人材を(採用、外部支援両面で)採り入れ、組織を強化する努力をすることです。
● 自前でシステムを構築するにも知識が必要ですが、自前で作ったシステムを運用保守していくにも(別の)知識が必要である、と発想できるかどうかが問われます。構築出来たら終わり、使えていれば問題なし、ではありません。自前でシステムを運用保守するのに相応な知識体系を構築して、人材の育成を組織として継続実施することが求められます。

ましてITは常に進化し、またその進化は速く、既存の技術が陳腐化する可能性も高いです。ベンダーに依存していればベンダーが実行するようなことを、自前で情報システムを作った以上は自前で実行する義務がある、と心得るのが肝要です。

自社のエンジニアは、会社の費用で外部に修行に出すべきです。社内だけで教育しようとすれば、知識に偏りや淀みが起きやすいものです。まして人材に乏しい中小企業ならなおさらでしょう。外部で学ばせ、その知見を社内に持ち込ませ、社内の古い知識や偏った理解をアップデートさせるように図ります。または、外部の有識者を定期的に呼び寄せて、様々なテーマでレクチャーしてもらうことも考えられるでしょう。

優秀な人材に単に依存するなら、属人化するだけです。一流のシステム運営能力を持ちたければ、会社が「組織として」努力しなければなりません。それをリードするのは、経営者自身です。

AI と家電と桜の開花予想

AI を自社のビジネスや業務プロセスに取り込む試みを進める企業は、個人的な肌感覚としては増加の一途をたどっています。AI について統計調査をすると、認知度は高くても導入済みはあまり多くないという結果が出ているようですが、想像するに、リテラシーの高低によりかなり二極化が進んでいるのではないでしょうか。

積極的に AI を使い倒そうとしているのは概ね大手企業で、相当な数の事例がすでに出てきています。世間に公表するような事例ですから、どれも秀逸な内容で、それならウチもやりたいとインスパイアされる経営者も多いかもしれません。

以前から申し上げているように、IT は「試す」のが大変重要です。新しいものが出てきたらなるべく早く情報を捕まえ、まず「試す」。そのうえで、使えそうかどうか判断し、さらに「試す」を続けて、徐々にモノにしていく。そういう組織的態度の会社は、だいたい IT をうまく使いこなせる会社になっていきます。

ただし、「IT → 家電と同じ」と(無自覚に)勘違いしている会社は、特に AI に対しては注意が必要です。確実に頓挫します。

なぜかといえば、これもまた以前から申し上げている話ですが、家電と違って IT というのは導入すれば「運用」が発生するからです。家電は買ってきて備え付ければあとは使うだけですが、IT は違います。買ってきて導入したら、それを人間が運用し保守しなければ、当初に目論んでいたような機能を果たし続けないのです。これは、IT を自分たちに適した形でカスタマイズして使いたいと思えば思うほど、そうなります。

AI は、その最たる例といっても過言ではありません。その主な要因は、AI が「データを基に動作している」ことにあります。

AI が機能するエンジンとなっているのは、最近のケースで多いのは、機械学習によって形成された推論モデルです。機械学習は、何らかの過去のデータをインプットにして行われます。裏を返せば、データがなければ機械学習はできず、モデルは形成されず、AI は活用できないのです。

このとき問題は、糧にしているのが「過去のデータ」であることです。過去は過去であり、現在や未来とは異なる可能性が大いにあります。しかし、私たちが AI に求める成果は「いまからどうなるか」、つまり推論です。過去のデータに基づいた判断によっておよそ現在や未来を見通せるなら問題ありませんが、現在や未来ではもはや状況が変わってしまうとすれば、AI による推論は役に立ちません。

例えば、春は桜の季節ですが、桜の開花予想に「600℃の法則」というものがあるそうです。これは、2月1日以降の毎日の最高気温を積算し、その合計が約600℃に達すると桜が開花するという経験則(いわば、学習されたモデル)です。しかし近年、気温の変動が過去と変わってきてしまっていることから、この法則が外れやすくなっているといいます。これもまた、過去のデータでは現在が予測しづらくなることがあるという、ひとつのケースといえるでしょう。

そんな変異が往々にして発生するので、AI をビジネスに組み込んで使いたいのなら、機械学習による推論モデルを継続的にアップデートし続けなくてはならないわけです。データは、ほんの些細なことで変容します。例えば、Webサイトのデザインを更新しただけで、利用者の使い方が変わり、利用傾向は変化します。そのログデータを使ってモデルを作っていたとしたら、サイト更新の前後で挙動が予測できなくなる可能性があります。

また、過去のデータを学習しているので、過去にはなかったことが発生すると、当然推論はできません。極端な話で説明すれば、例えばある年の3月に開店したチョコレート店が、店の購買履歴を使って AI で販売予測モデルを作ったとしたら、2月のバレンタインデー前に売れ行きが急に上昇することをおそらく予測できません。人間からすれば当たり前のことでも、この店の場合は「過去にないこと」なので AI には予測不可能です。

さらに言えば、データは大抵、人間が入力しています。人間が入力を間違えたデータを、知らないうちに AI が学習するとなれば、間違った推論をするモデルが出来上がることになります。それに気づかずに予測を信じてしまう、ということも想定できるわけです。

ですから、AI を導入したなら、その瞬間から「運用」が始まり「保守」しなければなりません。新しいデータを次々と投入してモデルを更新し、最新を保つとともに、出力は常にモニターして、おかしな挙動があればすぐに対応し、場合によっては AI の利用を停止して人間による業務に切り戻すことまで考えておく必要があるのです。そうしなければ、AI が吐き出す間違った予測を信じて間違った判断や対応をし、結果としてビジネスに損失を与えることになります。

こうして見ていけば、「IT → 家電と同じ」と考えることがいかに危険極まりないか、ご理解いただけるのではと思うのですが、いかがでしょうか。

面倒だと思いますか?そう思うのなら、AI には手を出さないのが身のためです。そのような面倒や手間を超えたところに存在する目的を持っている企業が、AI の活用に成功するのです。そうした目的もなく流行りの IT に手を出す企業は、かけた投資に見合う効果がほとんど見えずそのうち取り組む意味を見失って頓挫するか、他人がつくった AI モデルに手持ちのデータを食べつくされて気づいたときには自分には何も残っていない、などということになるでしょう。

もしかすると大手企業にも勘違い企業がいるかもしれませんが、そういう企業はこれから頓挫していくはずです。大々的にアピールされている「秀逸な事例」を妄信せずに、その後はどうなったかまでよく観察してみましょう。

AI ブームはリアルかバブルか、先を見る

1月末、株式市場で大幅に値を下げる事態が起こりました。日経平均は一時 1000 円以上値を下げ、ダウ平均も一時 500 ドル以上下がりました。いわゆる「DeepSeek ショック」と呼ばれる事態ですが、きっかけは中国の AI スタートアップ企業が公開した LLM(大規模言語モデル)です。その性能が ChatGPT を開発する OpenAI の最新モデルにも匹敵するとされながら圧倒的な低コストで開発されたと知れ渡り、膨大な投資を続ける AI 関連企業の株価が大幅に下落した、ということでした。

背景にあるのは、「スケーリング則」と呼ばれる、AI 開発の世界で信じられている経験則です。AI モデルを開発するにあたって、モデルの性能は、学習に利用する「データの量」「計算量」「モデルのパラメーター数」の3つが大きくなればなるほど向上する、という法則です。この法則に従う格好で、資金力のあるビッグテック企業を中心に数十兆円にもなる大規模な設備投資を行い、これら3要素をふんだんに扱える能力を高め、性能の高いモデルを生み出して我が物にする、という競争を続けています。かの DeepSeek はこの経験則を完全に覆すようなものを世間に出してきた、ということから、株価の大幅下落につながりました。

しかし直後から、DeepSeek のモデル開発に疑念の声が挙がり始め、その性能や品質にも各方面から問題の指摘が相次ぎ、スケーリング則の信頼が覆されたわけではないという認識が広がりました。どういう認識が正しいのかは、わたし個人はよくわかりませんが、いまのところ騒動は沈静化しているように思われます。

ただ、このような動揺がある意味で容易に広がってしまうあたり、現在起こっている AI の開発競争は一種のバブルの要素をはらんでいるというリスクを、頭の片隅には置いておいたほうがよいのかもしれません。AI に欠かせないことになっている GPU の製造の事実上一社独占、資金力にものを言わせる巨大企業による AI モデル開発の寡占、モデル開発に伴う超大規模な投資競争、等々。いびつな構造は数々思いつくわけで、バブルのニオイがしないのかと言われれば、そうなのかもしれません。

ビッグテック企業が挙って開発している AI モデルは LLM ですが、おカネをかけている開発している企業の多くは、現状ではクローズドなモデルを開発しています。つまり、技術を独占して公開しない方針ということです。それとは異なり、オープンソースで LLM を開発している企業もあり、それが米メタや、今回話題になった DeepSeek など中国系の企業です。DeepSeek も、メタが開発した LLM を利用したとされています。

もし今後、オープンソース系の LLM のほうが性能やコスト面でクローズドなモデルを凌駕し、モデルのスタンダードになるのだとしたら、AI モデルはコモディティ化し、誰でもローコストで利用できるものになるかもしれません。または、GPU 以外の選択肢が現れることでインフラコストが下がり、学習コストは議論にならなくなるかもしれません。

LLM に関しては、AI 研究の権威として著名なヤン・ルカン氏は、LLM をこのまま進化させたとしても性能は頭打ちになるだろうと予言しているようです。端的にその主張をまとめれば、次のような内容です。LLM は「言語」に基づいてモデルを生成しているが、人間世界では非言語で処理している情報も多い。現実の世界の一部しか言語は表現できないので、言語にしか基づかないモデルにはおのずと限界がある、と。他にも、言語というものは実は曖昧で厳密さに欠ける、少なくとも数学が持つような意味の厳密さはない、だから思考能力の向上には限界がある、という指摘もあります。

そうなると、いまのところ信じられているスケーリング則は、やはり将来のどこかで、再び疑念を持たれる事態が待っているのかもしれません。

仮にスケーリング則の信頼がこのまま揺らがないとしても、モデル開発への巨額な投資を前提とする AI 開発企業が、このままビジネスを続けていけるのかどうかわかりません。そうした企業で現在までに、健全な黒字経営で成長できている企業はあるのでしょうか。巨額の赤字をほぼ外部企業の出資で賄っている企業、出資金が不足して徐々に首が回らなくなり始めている企業、等々の話はたびたび聞くようになってきています。

単に AI を利用するだけの立場なら、あまり気にせず高みの見物を決め込んでおいても問題はなさそうです。もし、自前で LLM を開発して世間の先端を行こうとしているか、そういう会社に設備を提供すべくインフラ投資に勤しもうとしているか、そんな会社なら少々立ち止まって先を読んでみるのも必要かもしれません。

単なる利用者に徹するとしても、少なくとも、利用する LLM や AI モデルを簡単に入れ替えられるようにしておくことは、利便性の面だけでなくリスクヘッジの意味でも大事でしょう。案外、考えて使っていないといつの間にかベンダーロックインされているということは、よくあります。

そして当然ながら、自社のデータ、または、意識すれば自社所有のデータにできるような情報、を簡単にサービス事業者に明け渡さない、預けないことです。データがロックされるか失われて、気づいたときにはもう取り戻せない、取り消せない、という事態になるリスクは、外部サービスを利用するなら常に想定しておいた方が身のためです。なにぶん残念なことに、銀行の貸金庫に保管している大事な資産も、気づいたらなくなっているような世の中です。

”伴走支援もどき” と中毒症

近年の DX や AI にまつわるニーズを受けて、国内でのビジネスコンサルティング事業は活況なようです。業界はここ数年 2桁パーセントの右肩上がりで成長を続けているといいます。そんな業界環境なせいか、新興のコンサルティング会社を多く見かけるようになりました。

そして新興か老舗かに限らず、コンサルティング会社はどこも挙って「伴走支援」を掲げているようで、一種のブームのような様相です。つまり、精緻な分析や海外のベストプラクティスを基に「あなたがたはこうあるべき」などと御託を授ける教授スタイルではなく、顧客企業の側に立って共に歩み、顧客が自走できるようになるよう能力開発を助ける支援を目指す、としています。

本当の意味でそのような支援が実行されているなら良い傾向といえますが、わたし個人が実態として知る限りにおいては、多くのコンサルタントはいまだに従来同様「業務代行」していると思って見ています。

それも実は、無理からぬ話です。巷でよく聞かれる顧客企業の要望というのは、典型的には次のようなものだからです。「○○業界の企業の責任者への人脈を紹介してほしい」「アドバイスではなく実務に対応してほしい」「エンジニアがいないのでプロジェクトを現場でリードしてほしい」

顧客企業のオフィスに常駐し、机を並べて「伴走支援」しているコンサルタントの多くは、実態として顧客の代わりに、資料作成、データ抽出や整理、情報分析、会議の取り纏め、などの実務の肩代わりを行っています。しかしこれは、少なくともわたしが定義するところの「伴走支援」ではありません。顧客が主体的に担うべき業務の「代行」です。

当社では、代行任務はすべてお断りしております。顧客のためにならないからです。

率直に言えば、コンサルティング会社の経営者として事業拡大を企図するなら、代行を請けたほうがビジネスとしては有益です。なぜなら顧客の困りごとの多くは、前記のとおり「代行してほしい」なのですから。

それをわかっていながら、代行の依頼はすべてお断りしています。なぜか。当社のミッションである「お客さまのビジネスシステムを強くする」を踏まえた行動を遂行するにあたり、顧客任務の代行は、顧客のビジネスを強くするどころか、結果的には弱くすることになるからです。

これは、人間社会に存在する構造的問題の典型のひとつです。ある問題を是正しようとしたときに、即効性があるように見える短期的な方策を解決策に採用するけれど、そういうお手軽な方策を選択するほどに、より根本的な問題を見て見ぬ振りするようになり、時間がかかる根本的解決策に手を付けなくなる。実は根本的解決策を打たなければ、その問題を根絶することはできない。それに気づいていてもいなくても、お手軽な策に一度味を占めると、次にまた問題が出ても、手近で安易な対症療法にばかり手を出すようになる。

そういう状態にある組織に根本的解決策を唱えると、それは「正論」だと位置づけて忌み嫌い、避けようとします。正論を振りかざす、というフレーズにはネガティブな響きがあり共感を呼びそうです。しかしこの状況においては単に、本質的な問題から逃げようとしているだけのことです。

このような問題構造に一度嵌ってしまうと、最終的には、根本的な解決策を自らの手で打つ能力さえも失ってしまいます。要するに「中毒症状」と同じ構造なのです。アルコール中毒、麻薬、ギャンブルなどの依存症の問題構造を想像してみてください。

コンサルティング会社にとっては、顧客企業が自社に「依存」してくれる構造が生み出せますから、ビジネスが安定し大変に有益です。しかし、顧客の側からすればそれは中毒症状であって、コンサルティング会社がいなければ業務が破たんする状態、コンサルティング会社がいなければ戦略も計画もまともに立てられない状態、になっていくわけです。わたしはこれを指して「顧客のためにはならない」と言っています。

「コンサルティング会社が代行してくれてうまくやってくれるのを、うちの社員が端から見て学ぶのだ」というようなことをおっしゃる向きもあるのは承知しています。少なくともわたしはそのようにして、本当に学んで自走し始めた会社をまだ知りません。思うに、ふつうの人間なら、非常にうまく仕事を捌いてくれる人たちを見て、彼らなしに自分たちだけで問題に対処する方法は学びません。彼らに任せておけばよい、と考えるのがフツウです。パソコンメーカーが効率よくパソコンを製造して供給してくれるのを見て、「パソコンを自作しよう」と思う人がどれだけ多いか、想像してみてください。

わたしは、本来コンサルタントというのは医者と同じだと考えています。医者は、患者の病気が治れば任務完了になります。完治した患者にいつまでも医療行為を継続することはありません。顧客のステージが上がった結果として新たなレベルの課題が生じたというなら別のコンサルティングになるので良いですが、そうではないのなら、課題を解決すればそのコンサルティングは完了なのです。同じ依頼で何年も顧客企業に常駐しているということは、自分が関与しても問題がいつまでも解決していないことを意味することになります。

任務代行を施せば、顧客は課題を根本的に解決できるリソースもケイパビリティも身につけられないどころか、身につける機会も学習能力も奪われると、わたしは考えています。課題の根本はいつまでも解決されず、顧客は半永久的に、その課題のモグラたたきを続けることになるわけです。しかも大抵、モグラは年々増殖し、土壌をむしばんでいきます。最後にどうなるかは、想像が難しいことではないはずです。

当社としてはそういう信念で事業をしているのですが、なかなかこうしたことを理解しない企業や人が存在することも事実です。それはそれで仕方がないことではあります。

「全体」は「イケてる部分の集まり」に非ず

昨年中もさまざまな企業の現場に関わらせていただき、さまざまな場面に出合って支援を試みてきました。良いことも、良くないことも、いろいろあったように振り返ることができます。その中で感じたこととして一番に思い浮かぶのは、「グランドデザインができる人って、やはり少ないんだな」ということでした。

実は、優秀な人材が集まっていそうな大きな会社ほどグランドデザインができる人材が少ないのではないかと、いまでは確信に近い認識になっています。考えてみれば自然なことかもしれません。プロパーで入社して職責が上がる中で、会社を全体俯瞰で眺めて仕事をする機会は、会社が大きいほど、ほとんどないでしょう。グランドデザインを描く経験を深めないままに経営幹部になっていくのは、とても不幸なことだと思います。

グランドデザインが描けないなら、事業戦略は稚拙なものになります。戦略立案能力が低いリーダーが率いる組織では、方針や数値目標くらいは示されても、それに向かうシナリオがありません。耳障りのよいスローガンは唱えるが「どうやるか」がない、どこかの国の政治家と同じです。

方針だけがあってシナリオがなければ、部下やスタッフは方針だけ理解して、しかし日常業務で何にどのように取り組めばいいのか、ピンときません。そして、その後も一向に具体的なアクションについては指示がない。「どう実行するかは自分たちで考えろ」というリーダーもいますが、自身が描けないシナリオを部下が描けるはずもありません。よって、現場はこれまでどおり業務を遂行するだけで、目標は達成されないか、期末に数字合わせしてお茶を濁すか、いずれかになります。

会社での計画策定とは、「部長が鉛筆をなめながら目標数値を書き込み、本部長がそれをきれいにまとめ、担当役員はそれを承認する」ものだと信じてやまない大企業の人は、いまだに少なくないのではないでしょうか。それが当然の企業文化においては、戦略シナリオが整うことは想像できません。

シナリオがない会社では案外、「流行りもの」に手を出すのが先端的で素晴らしいと思っているふしもあります。人事制度なら、1on1、OKR、ジョブ型採用、等々。営業施策なら、MA、カスタマーサクセス、等々。流行りのベストプラクティスと聞けばすぐに採り入れようとします。そうして、社内にはいろいろな新ルールや新制度が出来上がります。

なかなか時代の先端を行っているようでいて、よく内情を観察すると、1on1ではほとんど世間話に終始し、OKRのつもりが目標を因数分解できずに意味をなさず形骸化しています。MAソリューションを営業部門で導入するも、単なるメルマガ発行マシンとしてしか機能していません。そんなことが起こっていたりします。

本来なら、どの施策も「全体」の中の重要な「部分」を成すはずです。しかし、戦略遂行のなかで果たすべき機能的な役割は何ら定義されないので、当然ながら効果も限定的にしかならないわけです。こうした会社に、「~(流行りモノの施策)やっていますか?」と尋ねると「やっています!」と威勢よく答えることでしょうが、実際にやっていることは「部分の集合体」に過ぎず、全体最適には程遠いのです。

部分をどれだけかき集めても、部分をたくさん作り込んだとしても、それは「全体」にはなりません。ガラスの破片を集めて組合せても鏡にはならないのと、同じことです。

まず「全体」、すなわちグランドデザインが設計できて始めて、どの「部分」が必要なのか、または不必要なのか、必要だとしたらどういう役割や機能を果たす必要があるのか、判断できます。逆にそうしなければ、「全体」に対して無頓着になります。古代の中東の逸話に、こんなものがあるそうです - 3人の盲人が1頭のゾウに出くわした。一人目の盲人はゾウの片耳をつかんで「これは大きくて、ザラザラしていて、絨毯のように幅広なものだ」、二人目の盲人は鼻をつかんで「これはまっすぐで、中が空洞のパイプだ」、三人目の盲人は前足をつかんで「これは大きくてしっかりとした、柱のようなものだ」と口々に叫んだ。彼らの「知る」方法では、その生き物がゾウであるという理解に決してたどり着くことはないだろう ー

また、グランドデザインのもとで成長や発展のシナリオが描けている組織やチームでは、仕組みが整っています。その仕組みに沿う形で、多くの場合、やさしさと厳しさが両立しています。最近ではパワハラに対する対応を要求されていることもあるのか、上司は部下をほめることの必要性が強調されているようですが、シナリオが描けていない組織ほど、上司は部下をほめること ”しか” していないように、個人的には感じています。優しいばかりでは、単なる「ゆるい組織」になっていきます。想像するに、上司はどこで厳しくするべきか、どの程度厳しくするべきか、さじ加減が分からないから恐ろしいのでしょう。リーダーがシナリオを持たないのですから、さじ加減の想像がつかないのも説明がつきます。

大企業では文化がない限り難しいグランドデザイン設計も、中小規模の企業ならまだ描きやすいといえますが、中小規模の組織でグランドデザインを描くとしたら、できるのは現実的には経営者しかいません。経営者の設計力にすべてが委ねられることになりますが、自分がグランドデザインしなければならないという意識を持つ経営者もまた、少ないのが現状ではないかと感じます。実際、全体俯瞰で事業シナリオが的確に描けていると思える中小企業は、わたしから見ると少ないです。できているつもりの経営者は、よく見かけますが。

もちろん、そもそも全体設計するには難易度が高い業種業態は存在します。例えば、プロセス型の製造業などはそうでしょう。ただそれ以前の問題として、限定された業務領域でのシナリオ構築さえもうまくできていないケースを、個人的には多く目の当たりにしてきました。「因数分解」の重要性がなかなか通じないケースも、いまだ少なくありません。

そうした課題に対応できる方法論を持つところに、当社としての価値の出しどころがあるということになります。本年も、グランドデザインの設計により強い課題意識を持つ企業様を中心に改めて注力して、少しでも多くの支援ができれば嬉しい限りです。