デジタル化とは「最新のアプリを使うこと」ではない

最近では中小規模の企業でも、クラウドサービスやアプリ開発ツールなどを積極的に活用するケースが増えてきたと実感しています。

ITを道具としてどんどん試してみようという機運が盛り上がっていること自体は、歓迎すべきことです。ただ一方で、それに伴って厄介な相談を受ける機会も増えてきたような気がしてなりません。

困ったことになっている企業の傾向として、大きく2つの特徴があると思います。

ひとつは、次々とアプリやサービスを使い始めたけれど、いろいろなものがありすぎる状態になってしまい、会社での管理が行き詰まっているという状態です。ひとつひとつのアプリは相応に便利だとは思っているものの、「こんな使い方でいいのだろうか」と薄々感じ始めています。

もうひとつは、あるひとつのプラットフォーム上で、便利だからといって次々と新しい機能を追加し続けているうちに、「なんだか使いにくくなってきた」「違和感を持ち始めた」という状態です。始めのうちは新しい機能がすぐに追加出来てよかったものの、そのうちに、何かをしようとすると別のことを考える必要が増えてきたり、追加した後に不具合が出てきたりなど、いろいろと問題を感じるようになってきます。

いずれのケースにも共通するのは、一言で言えば「カオス状態」とでも呼べるでしょうか。要するに、アプリやサービスを「使う」ことしか考えていなかった結果、複雑で分かりにくい状態になってしまった、というものです。

デジタル化というのは、「最新のITを使いこなすこと」ではありません。以前からこのコラムでも、企業にとっての IT というのは電気屋でモノを買ってきて使うこととは違う、と述べてきましたが、同じ趣旨のことがこの場面でも当てはまります。

始めにしなければならないのは、デジタルを前提に仕事のしかたを設計することです。このことへの意識が乏しいゆえに、設計を怠ってまず何かを買ってしまう、使い始めてしまう、ということなのでしょう。会社の中のシステムやデータの構成を設計できる人がいないと、だいたいこうした事態になります。

例えば、近年ではロボットや自動運転技術を導入しやすくなっており、モノによっては10万円台で買えるような製品があります。それを受けて、うちにもロボットを入れようと言って購入し使い始めたのはいいけれど、導入後に保守できない、トラブルが出ても対応できない、定期的なメンテナンスに苦労する、という事態になりがちです。

始めのうちは自動で動いてくれて便利だったけれど、周辺の配置が変わったり現場環境が変わったりしたことでロボットが上手く動かなくなり、よく考えてみたらその修正ができる人がいなかった、などという事態も聞かれます。

ロボットの他にも、例えばAIカメラによる画像判定などでは、現場の光加減や陰が少し変わっただけで、判定がうまく行かなくなることも実際にあります。

ITを導入するのは、案外簡単です。知識がなくても買うことはできます。ワクワクするような便利ツールを買うのは楽しいものです。しかし問題は、買った後の運用なのです。その技術の癖や特性を踏まえて、会社の中での運用が的確に設計され、中長期的にどう維持発展させていくかのシナリオができていることが重要なのです。

そして、設計するというアクションは、単にアプリやサービスの組合せや利用する技術を選べる、決められる、というだけでは用事が済みません。会社の戦略や方針を踏まえて、業務の将来像を設計することでもあります。現有の人材と今後の人材獲得の方針を見極めて、使いこなせるものを判断することでもあります。最新であればよいわけでもなければ、流行に乗ればよいわけでもありません。設計するというアクションができる人は、かなりハイレベルで広範な知見が要求されるわけです。

たちが悪いのは、聞きかじった程度の知識や経験で「自分は知っている」と思い込んでいるけれど、実際には知見が足りないので、設計や方針の判断を誤る人です。先月のコラムで述べたような「知らないを知る」ことに取り組んでほしいと切に願いたくなるような人です。こういう人が周囲の期待を集めて裁量を与えられてしまうと、ITに疎い人でも見てわかるほどに派手にコケるまで突き進んでしまいます。そうなってから取り返すのは、なかなか難しいのです。

最終的には、経営者に問いが突き付けられます。「ビジネスのしくみが設計できる人材を育てて、確保する努力をしていますか?」と。会社としてデジタルを使いこなそうと思うのなら、持たざる組織能力を得る努力もしないで丸投げしているのでは、いつまで経っても状況は変わらないし変えられないのです。

デジタル化したいなら、まず「因数分解」

わたしがお客さまの前でよく使う言葉で、通じないことが多いもののひとつが、「因数分解」です。

しかし、この因数分解、デジタル化においては極めて重要なスキルだとわたしは思っていますので、めげずに使っています。

ここでいう「因数」というのは、かみ砕いた言い方になっているかどうか自信はありませんが、対象になるものを構成する要素、というような意味です。物事の本質を見極め、課題解決の糸口を見つけ、課題を突破する新しい方法論や構想を構築しようとするとき、ぼやっとして捉えられている対象物を、根幹を構成している要素にどうにかして分解し骨組みを見極めることが必要になります。それを「因数分解する」と言っています。

因数分解する試みというのは、その対象に対する一種の研究のようなものであり、またある意味では、その対象の全体像を知り尽くそうとするこだわりが表れることではないかと思います。

例えば、ある食品製造業の場合。品質にこだわるその会社が、自分たちが納得のいく商品だけを作りたいと考えたら、どうするでしょうか。

製品出荷前に官能検査をするのは当然でしょうが、その検査が属人的では、テイスティングする専任の担当者の「勘」がすべてになってしまいます。その勘がどのように機能しているのか見えるようにしなければ、社内で納得感が共有されませんし、その人以外に優れたテイスターも育ちません。

そこで、検査に合格となる味の要素を因数分解するわけです。因数分解するなら、科学的に測定できる要素に分解したいものです。成分を分析し、合格品に備わる特性を導き出します。おそらくこうした調査は、専門機関などに依頼すればそれほど難しくはないでしょう。

本当の問題は、ここからです。では、そうした合格品を製造するには、どういう条件がそろっている必要があるのか。それがわかれば、安定的に合格品を製造することができます。合格品を生み出す特性が生産過程でどのように生み出されるのかを調べ、その要素をまた因数分解します。食品ならば、水分量、原材料の配合や重量、調合や加工のタイミング、場合によっては工場内の室温や湿度も影響するかもしれません。

その因数分解に成功できれば、それらの要素をモニターする仕組みをつくりこむという道筋が見えてきます。因数分解できているのなら、一連の仕組みを仕様として表現するのは、比較的容易です。品質のつくり込みに必要な要素が管理できるなら、品質検査で合格できなかった場合は原因を分析し、その対応策を製造現場に数字ですばやくフィードバックすることができるでしょう。現場はその数字を基に、即座に改善対応が取れることになります。勘に頼った改善対応よりも、はるかに精度の高い改善が、誰でもすぐに打てるようになります。

このようにして仕組みが完成して稼働すれば、それはまさしくシステムです。

先月のコラムでも、データは自分で作らなければ存在しないと述べました。データを生み出すために必要なスキルが、上記のような「因数分解」なのです。

仮に、既に使えそうなデータがすでにある場合でも、そのままでは用を満たさないことが往々にして起こります。そうした時にも「因数分解」が必要になります。

例えば、建設業では最近BIMを活用するケースが増えています。BIMによれば、建設物の設計データが余すところなく保存されており、それが3Dモデルとして利用可能です。これを用いれば完成後の建築物の施設管理にも使えそうだ、という発想が容易にできます。

しかし、実際はそうは簡単に行きません。設計時に構成したデータと、施設管理に使いたいデータでは、中身が大きく異なるのです。設計データは、主に建物の構造に着目したデータセットになっているわけですが、施設管理ではそんな細かい寸法などが知りたいわけではありません。一方で、施設内で使われている設備や装備のメーカーや品番といった保守に必要な情報は細かく知りたいわけです。

では、施設管理にはどんな情報が必要なのか。それを因数分解する必要があります。そのうえで、持ち合わせているデータがどのくらい流用できるか、流用できない情報はどこから引っ張ってくるか、という取組みができなければいけません。それがうまく行かなければ、大量にあるけれど用はなさないデータが壁になって、施設管理はままならないでしょう。

このコラムでは端的な話しかできないのですが、業務改革やデジタル化の取組みにおいて「因数分解」が大事であることが、少しでもご理解いただければ嬉しいです。引き続き、この言葉は多用させていただこうと思っています。

スタートアップや小規模企業に、ビジネスのしくみはムダなのか

ビジネスのしくみ化について、わたしは度々、その重要性を様々な場所で述べています。

一方で、識者と呼ばれる人の中には、スタートアップや小規模企業が仕組み化に拘り過ぎると、ビジネスにおける柔軟性を低下させて成長の足かせになる、ということを主張する人々がいます。

スタートアップや小規模企業は、ビジネスのしくみ化に取り組む必要性は低いのでしょうか。今回はこのことについて(改めて)論じてみたいと思います。このコラムをよく読んでいただいている方々には、わたしがどういう主張をするのかということは読む前からお分かりかもしれませんが。

「ビジネスのしくみ化をするから、ビジネスが柔軟でなくなる」というのは一面的な考え方であると、わたしは考えます。

ビジネスのしくみ化をする意味というのは、その企業が目指すミッションや提供したい価値を実現するための行動シナリオを具体化し、言っている通りの価値を顧客に実際に提供できるようにすることにあります。仕組みというのはつまり、固定的で硬直化した業務プロセスを指すものではありません。つねに管理され、最適化を目指して改善を続けられるものです。

ビジネスの価値をどう提供すべきなのかは、一度決めてしまえばあとは変更しない、変化しない、ということではないはずです。事業環境が変われば、または顧客にとっての価値が増すような提供のしかたが新たに見出されれば、それは当然に考慮され、よりよい提供方法に変えられていくべきです。

スタートアップ段階の企業ならなおさら、価値提供のノウハウが完全に定まってはいないでしょう。より価値提供のあり方を高めるべく改善の余地は多分にあるはずで、改善活動に付随して、ビジネスのしくみも進化していくのが自然です。

また、一定の成長軌道にすでに乗っている小規模企業であっても、顧客の意向や嗜好は変化することを念頭に、常に動向をウォッチし続け、顧客にフィットするように、価値提供のしかたや質をアップデートしつづける努力は欠かせないはずです。その努力をしなければ、競争社会のなかにあってすぐにその提供価値は陳腐化していきます。

逆に、ビジネスに柔軟性がなくなるからと言って、ビジネスのしくみづくりを軽視すればどうなるでしょうか。

ビジネスのコンセプトやミッションとして経営者が掲げるコトバは立派だが、現場の仕事は実のところそれを体現できず、コトバとは裏腹なサービスや購買体験が顧客に向けて展開される、ということに、容易につながるのではないでしょうか。実際、外見や評判はすごそうに見えて、内情は随分混乱しているスタートアップというのは、個人的に観察する範囲では相応な頻度で見られる印象があります。同様に、立ち上がり段階こそ良かったのに、ビジネスが進展していくにつれ、当初の提供価値からは離れていくようなサービスや商品が展開されていくような会社も見かけます。

もちろん、ビジネスのしくみは一気に完成するものではなく、段階的に整備を推進することは大いにあります。ただしそれも、ロードマップは予め描かれ、それに従って進められています。成長シナリオが明確な企業というのは、ある程度の試行錯誤は不可避とはいえ、決してその場の思い付きや偶然の成り行きで事業を進めているのではないのです。

どのレベルまで仕組みづくりが実現できれば、どの程度まで価値提供が実現できることになり、その先はどのようなステップを踏んで、価値提供のレベルを高めていけるのか。そうしたシナリオが描けていてこそ、段階的な推進と言えます。

計画は不確実性がつきものであり、もちろん軌道修正が必要になることもあるでしょう。仮に軌道修正するにしても、予め描いたロードマップがあってそうするのなら、変更すべき個所と到達点に向けた修正ポイントは明確です。計画を立てても変更されるからといって、計画すること、シナリオを構想すること、ロードマップを描くことに、無駄はありません。

こういうことを申し上げると、「仕組みなど考えている時間があるなら、先に売り上げを上げることのほうが優先だ」という趣旨の反論を受けることがあります。

ビジネスで売上を立てることは何より重要だということは、論を待たないと認めますが、仕組みもないところで「なんとなく」上がる売上というのは、往々にして長くは続きません。「一発屋」で終わりたい事業家は、そうたくさんは存在しないだろうとわたしは信じています。

実のところ、(単純に)売上を上げる(だけ)ということは、案外「為せば成る」世界でそんなに難しくはありません。爆発的に売り上げて勢いが増すビジネスの例も聞きます。しかし、一見成功したかに見えて、そのあとで提供価値のクオリティがついてこず、顧客を失望させて一気に冷める、というケースは、案外よく聞かれる衰退事例です。

ビジネスのしくみというのは、誰がオペレーションしても確かな売上さらには利益を継続する裏付けとなる「カラクリ」です。カラクリがない事業は、勘でオペレーションしているということです。それは、くじ引きで運試ししていることに近い。当たればうれしいが、当たらなかったときに原因は一切わかりません。改善しようと対策を考えるときも、同様に勘による「くじ引き」を繰り返すことになります。

仕組みを考えさせると逡巡する経営者、逃げようとする経営者も見かけますが、自ら発想するビジネスアイデアを仕組みに落とし込むこともできないのなら、能力を鍛えてできるようになるまで事業展開はやめるべきです。巻き込まれる人たちが不幸になります。そんな構想を描いていたら多大な時間がかかる、というのなら、そのアイデアは考えが浅いか、視野が狭いか、その両方か、である証拠であり、本格的な事業展開ができるポテンシャルに不足があるということです。

アイデアの創出に論理は不要ですが、論理性のない事業は、経営者の独壇場となり、他の人間が入り込む余地がありません。仮にその事業が先に進んだとしても、誰もその経営者と議論できないし、客観的に語れるブループリントがない事業の経営者は真の相談相手を得られないでしょう。外食業界で活躍する、あるスタートアップ経営者は、そうした創業社長のことを「占い師」と称していました。経営者の勘とセンスで店を開発し、ヒットへと導くが、なぜ売れたかは本人にさえも分からない、そんな会社は占い師以外は活躍できない、ということを皮肉ったものです。くじ引きと占いの違いこそあれ、まったく同感です。

「変われない自分」を「変われる自分」に変えるコツ

”最も強い者が生き残るのではなく、最も賢い者が生き延びるのでもない。唯一生き残ることが出来るのは、変化できる者である。”

進化論を唱えたイギリスの科学者ダーウィンが言ったとされるこの名言は、実はダーウィンが発言した言葉ではないという指摘があるようですが、その意味するところに関しては、多くの人が納得するものだろうと思います。

一方で、この言葉が多くの人々の教訓となり得ている理由は、そもそも人間というのは変化を嫌うという特性があるからだと、わたしは考えています。いままでのやり方、考え方、習慣などを変えたくない性質は、年齢が高くなるほどに顕著になる傾向があるようで、脳科学の分野でもこれを裏付ける研究があります。

わたし自身にも、これは大いに心当たりがあります。考えた末、工夫した末に、一度固めてしまったやり方、もしくは慣れてしまったやり方は、基本的に変えようと思いません。一方で、考え抜いたつもりでも、だいだいそれは100点満点の方法ではありません。仮にそれが、考えた時点では100点満点だったとしても、時間が経ち状況や条件が変わると100点ではなくなるのです。常に、自ら問題を探して発見し、やり方を変えるべきなのです。しかし、アタマではそう理解していても、いろんな「できない理由」を付けて、変える行動にはなりません。

そしていざ、外堀を埋められて、慣れ切ったやり方に対する変更を余儀なくされると、そこでものすごく抵抗を感じて、まだ立ち止まるわけです。

しかし、わたしの場合はこの悪癖に対策を打つことを考えて実践し、まだ道は半ばではありますが、一定の成果を得ています。抵抗がささやかなうちに、それを押して変更を実行できる自分になるように仕向けています。生活習慣やトレーニング方法など、大小何度も改善を実践してきました。そして、自身のなかの抵抗勢力を克服して変化を断行してみるとやはり、変えてよかったと思うことがほとんどです。

どうやって実践しているのか、現時点でのわたしの工夫を3つほど紹介します。ちなみに以下で紹介するものは、ビジネスシステムの設計理論の研究からヒントを得たものばかりです。

ひとつめが「数字で見えるようにする」。いま目指している物事の目標値、その目標に到達するうえでの中間指標や補完指標になるような事項の数値など、取組みの全体像が数字で見えるようにします。怠ける自分、目をそらしたい自分、を動かそうとするとき、数字が見えた時のインパクトは絶大です。特に、それまで全く気にしていなかったことが数字になって表れて、それが無茶苦茶な結果だったときのショックは、計り知れないものがあります。

もちろん、その測定方法は自ら納得するように設定し、数字が意味することが自分で明確に理解できていることが前提です。他人によって設定された測定ではインパクトもショックも感じません。会社で健康診断を受診して、結果の数字を見ただけではなんとも思わないのと同じです。

また、可能なのであればその数字を周囲に全面公開し、「その数字をいつまでにこう変える」などと宣言したりすれば、より逃げられなくなります。

ふたつ目は「手法や方法を多く知る」。いざやり方を変えようと思っても、どう変えたらよいのかを知らないと、そこで思考が停止します。やり方が分からないと、変える行動に移ることはありません。変えるならどういう方法が取れるか、どのような考え方をすればいいのか、多くのノウハウを知っていることが重要です。

こうした方法の獲得では、信頼できる情報源から得られた情報を基に、普段から自分なりにできるだけたくさん分析していることが大事です。ただ見聞きしただけ、ネットで調べただけ、知り合いに聞いただけ、という程度では、自分がやりたい工夫に適合しないことが多々あります。変えなければならないと示唆される対象に自らが拘っていればいるほど、または決断が重要な局面であればあるほど、これは当てはまります。選択できる方法を知っているほど、具体的な行動を発想しやすくなります。

三つ目は「常に新しい情報を取り込む」。新しい情報のインプットは、「変えなければならないかもしれない」と思い至る大きなきっかけになり得ます。おそらく自分が関心を持つトピックには、他にも多くの人が関心を持ち、日々研究や実践が行われ、工夫がされています。その結果としてベストプラクティスが継続的に更新されていきます。昨年まではこれがベストと言われていた方法でも、翌年になったらそれを上回るベストが出てくることはしばしばです。常に新しい情報が得られるようにしておくことが大事です。ふたつ目とも重なりますが、信頼できる情報源や支援者を持ち、継続的に情報が得られるような状態を作っておくことです。

そして、これらの工夫の根底には、自らの取り組みかたが「仕組み化」されていることがあるのを、忘れてはいけません。

そもそも、明確なロジックがなければ測定ポイントを設定できず、数値化はできません。また、仕組みがないところでなにか工夫をしようと思っても、どこをどのように改善すればよいのか見当はつかないのです。当てずっぽうな勘に頼った変更をしてみたり、他人が薦めたやり方を盲目に取り入れたりする人というのは、だいたい仕組みを持っていません。

さてここまで、ライフハックのようなことが書き綴られてきたように思われているかもしれません。もちろんライフハックとしても有効だと思いますが、「会社」や「組織」に置き換えても同じ論理が成り立つと、すでにお気づきでしょうか。

そうお気づきになられたら、このコラムが「会社経営」の話であると意識を置きなおして、ぜひもう一度冒頭から読み直してみてください。

成果を出すビジネスリーダーは「4つの力」を発揮する

年の初めに目標を設定しようと思う経営者やビジネスパーソンは、案外多いかもしれません。

個人的に目指すところを目標設定する場合は、個人の好みでまったく結構でしょう。一方、ビジネスの目標、ことリーダークラスの方々が設定する目標となると、周囲を巻き込む必要がありますから、自分の好みでよいとは行きません。

昨年中、様々な支援先で、経営者のみならず部門レベルの方々などにも、「目標を設定して」という働きかけをしました。そうすると、言葉を絞り出して何か出てくるのですが、こちらが見た瞬間に「これは目標になっていない」と思うものが多くあったのには、いささか驚きました。そう指摘すると、さらに悩みだしてしまう。そんなケースが想像以上にたくさんありました。

リーダーが設定する目標は、言うまでもなく重要です。それで部下全員が動くわけです。下手な目標を設定すれば、そもそも理解してもらえず面従腹背になるか、なんとなく達成したようで達成感は感じられないか、達成できても意味を成したように思えないか、そんなふうになります。

目標を設定しようとするとき、リーダーが発揮しなければならない能力がいくつかあると、わたしは思います。それらがないと、周囲がついてきてくれるような目標設定は難しいでしょう。

まずは、予見する力。社内および社外の環境を的確に感じ取り、自分が責任を持つビジネスドメインの全体感が俯瞰して把握できていること、そのうえでこのまま行ったらどうなるかを想像できることです。それができて始めて、的確に課題を認識できます。課題認識がないなら、もっとこうしたい、もっと良くしたい、という発想も浮かぶはずがありません。

次に、構想する力。どうすればよくなるのか、どのように課題を解決してよい方向に持っていけるのか、というシナリオを描けることです。シナリオを描く重要性は、このコラムでたびたび申し上げています。こうすれば成功できるというシナリオと、それに加えてどこにリスクがありどう回避できるかというシナリオ。それらがなければ、混とんとした状況の中で目標に向かう適切な行動を示すことができません。目標だけ示してシナリオがないというリーダーをよく見かけますが、まるで山の頂上だけ示して登山ルートを設定せず、さあ勝手に登れ、と指令しているようなものです。

もうひとつは、共感を生み出す力。その目標を示して、目指す意義をわかってもらえる説得力を示すことです。こと経営者なら、大きな会社にしたいなら余程、その目標は社会的に意義を成すような、公明正大な目標でないと、現実に成功はしないと思います。また、周囲を説得するにあたり、自らの言葉を文字に起こし、それを語れることは必須です。演説が巧みなことと、文字や図式で表現することは、別の能力です。しかし、両方ともないとまずいです。見ていると、口は達者だけれど文字や図にはできないリーダーが相当に多いように思います。

そして当然ながら、最終的には実践する力。目標だけ語って、あとは現場に投げっぱなしはいけません。実行責任と権限は現場に与えるが、その結果は確実に追う。現場に問題があるなら道を示して支援する。そうすれば、自ずと目標達成に近づきます。

こうしたことは、どれだけリーダー研修を受けようが、本を読んで勉強しようが、身に付くことではないように思われます。下手でもいいからまずやってみて、だんだん磨かれる能力ではないでしょうか。面倒でもまずは型をまねてやってみる、板につくまで粘って続ける、という態度が重要かと思います。

かくいうわたしも、上記のようなことを創業時に思い立ち、考えを文字に起こす練習として自ら毎月コラムを書くことを義務にしてから、かれこれ今年で17年になります。上手くなった気はしていませんが。

メタバースがビジネスになるのか、考える

海のものとも山のものともつかないバズワードに、「メタバース」があります。今月は、このメタバースとビジネスは相いれるものなのかについて、少しだけ考えてみたいと思います。

メタバースという言葉、実はその定義はあいまいです。それほどに、何ができるものなのか、そもそも何がしたいのかさえ、まだ誰もわかっていないように思います。だからこそ、何でもできるような位置づけで語られることが多いように思いますが、その一方で、大きな魅力を感じるようなキラーコンテンツが示されているわけでもありません。

イメージだけでざっくりとメタバースを捉えると、バーチャルな空間に社会が形成され、そのなかで自分の分身であるアバターが様々な体験や活動を行える、という感じでしょうか。かつて「セカンドライフ」という、似たようなコンセプトのものが話題になりましたが、やろうとしていることはその当時と同じようにも思えます。ただ、技術は当時よりもはるかに向上している分、現在のバーチャル空間のほうがより可能性を感じられるということで、再び注目されているということだと思います。

実際、社名まで変更してしまった旧Facebookはもとより、GoogleやMicrosoft、日本国内でもNTTドコモやKDDIなど多くの企業が、この分野をビジネスとして捉えようと取り組みを進めています。

いま現在語られているメタバースの具体的なケースは、バーチャル空間でイベントを行うとか、繁華街を再現するとか、コミュニケーションできる空間を作るとか、”斬新なデジタルワールド” といった世界観の話が多いように思います。それだけ聞いていると、特定のビジネスなら関係ありそうだけれど、その他ほとんどのビジネス領域には関係なさそうだ、と判断してしまうこともできそうです。

しかし、メタバースの本質的な部分は何だろうかと考えてみると、案外多くのビジネスと相性がいいのではないかとも考えられます。

例えばゲーム。これは言わずもがなかもしれませんが、考えてみればメタバースの空間で展開されるゲームは、従来のゲームとはかなり様相が違うものができそうな気がします。まるでそこで生きているか、戦っているか、というような状況でゲームが展開され、場合によってはゲームをしていながら、そのなかで実際に買い物をするかのようにアイテムの売買が行われ、案外幅の広い経済活動が成立することもできそうです。

エンターテインメントは想像しやすいですが、もう少しお堅いところで行けば、例えば「訓練」とメタバースの相性はかなり良いと思います。訓練というのは、職業に関連したトレーニングやOJTもそうですし、技能訓練、例えば航空機や工業機械、重機などの技能習得を行うのに、カスタマイズして構築したメタバースは使えそうです。もしかすると、一般の自動車教習のかなりの部分は、メタバースで代替できてしまうかもしれません。

体験の提供もできることを考えれば、建設や不動産関連とメタバースの相性もよさそうです。いま建設設計は、かなりの部分で電子化が進んでいます。3D CADで設計した設計データをメタバースに反映するということは容易でしょう。デザイン段階でメタバースにその建築物をリアルに再現し、バーチャル空間で顧客に体験してもらうことができれば有益です。また、街そのものを再現できるメタバースであれば、不動産物件そのものを空間に再現すれば、内見はかなりリアルにできそうです。

他にも、事前に体験することに価値があるような分野、例えば病院での検査や治療をバーチャルに再現するという用途もあるかもしれません。重い病気で長期療養する患者に向けて、どんなふうに検査や治療が進められるのかを事前に理解してもらえれば、患者の安心感は高まると思われますし、そういう情報を提供してくれる病院のほうが選ばれる可能性が高いでしょう。

医療関係つながりでいけば、メタバースはカウンセリングが必要な領域で効果的かもしれません。患者のカルテに加えて個人的なプロファイルをもとにすれば、学習済みの人工知能(AI)がその患者に適切なカウンセリングプログラムを自動で設計し、人あたりを患者に応じて最適化したアバターを介してAIが適切な対話を提供できれば、治療に役立つかもしれません。

メタバースの可能性のひとつは、パーソナライズできるところにあります。利用者の特性に応じて、同じ空間を使いながらも、見るものや触れるものを個人レベルで自在に変えられる特徴があります。それを活かせば、利用者ごとに異なった体験を提供したいものに有効に機能する可能性もあるでしょう。

メタバースは、いまのところバズワードの域をまだ出ていないと思いますが、本質的な特徴は何らかの形で今後実現していく可能性は高いと思います。みなさんも、いろいろと思考実験してみてはいかがでしょうか。

「わからない」「難しい」は、組織が不健康である証

先日、一般企業の経営者および従業員に対する意識調査の結果を報じる記事を見ました。

それによると、20代から40代の一般社員と管理職で、DX(Digital Transformation)に対して不安を感じるという人が、60%近くに及んだといいます。その一方で、経営層やエキスパート層では、不安は比較的小さいとのことでした。

記事では、エキスパート層の不安が小さいのは妥当としても、経営層の不安が小さいというのは自信過剰か丸投げ体質の表れなのではないかと指摘していましたが(笑)、わたしが個人的に興味を引いたのは、そちらではありません。一般社員と管理職の不安の「度合い」です。

というのも、その不安の理由として挙げられたもののうち最多だったのが、「わからないことが増えて追いつけなくなる」だったためです。

これは調査結果ではなくわたし個人の見解ですが、ビジネスパーソンが「わからない」「難しい」と述べるとき、それは字面通りの意味で捉えるべきではないと考えています。

職業柄、ITに関連した新しい技術の話はもちろん、ビジネスを考察するうえで必要な概念やフレームワークを説明する機会がたくさんあります。そのような場において、「わからない」「難しい」という反応をされることは珍しくありません。

始めは、わたしの説明のしかたが悪いのだと思いました。実際にそういう時もあっただろうと思います。

しかし、ごくシンプルな問いかけをしたときでさえも、同じ反応だったことが何度もあったのです。それで、なぜなのか考えてみたことがあります。

これまでのそうした経験を振り返ってみると、じつはその反応は「人による」かもしれないことに気付きました。つまり、成長意欲が高い、普段から課題解決に当たっている、できることを増やしたい、そんなことを考えている企業や人からは、「わからない」「難しい」はほとんど出てこない。一方で、日常業務レベルでの困りごとくらいしか課題がない、今のままで別に構わない、余計な仕事を増やしたくない、そんなふうに考えている企業や人だと、新しいことの説明をするとほぼ決まって「わからない」「難しい」が出てくる。そんな傾向です。

後者の企業や人の場合、考えているように見えて、実のところ思考そのものは活動していないと思われます。

そもそも人間の脳というのは、記憶した所作や行動は、できるだけパワーをかけずに処理できるようにするために、神経のネットワークを強固にします。最終的には、そのネットワークのパスに条件反射的に通すことで、考えなくても動作できるようになります。そうして覚えていかないと多くの複雑な物事に対処できないわけであり、脳は合理的に構成されているといえます。

ただしそれは、見かたを変えれば、できるだけ考えないようにしようと働くのですから、「脳にはさぼり癖がある」ということです。それが極まって、日常の活動のほとんどのことを覚えてしまえば、実は脳のほとんどの領域はシゴトしていない、シゴトしなくても生きていける、という状態になるわけです。

会社のあるある話として、新しく入ってきた社員が業務のやり方に対して素朴な疑問を投げかけると、ベテラン社員が「前からそうしているから」「これまでに例がないからできない」「ウチではそうしない」などと回答するだけで、そのやり方である理由は答えられない、というのを聞いたことがないでしょうか。それもまた、同じ類の話です。そうしてムダをムダと思わない現場が放置されていて誰も気づかない、などということが起こります。

しかし、脳がさぼってシゴトしないかどうかは、個人の意識次第です。物事をマスターすることで脳が稼働するパワーが空くなら、その余力を使って違うことや新しいことを考えようとしている人、そういう環境に身を置いている人、ならば、脳にさぼっている暇はないわけです。

要するに、その企業の社員が、目指すものや克服しなければならない課題を持ち、何とか達成しようと日常的に頭をひねりながら働いているのか否かの差、つまりその会社の企業文化の差、が生み出す傾向なのではないか、と考えられるのです。

すなわち、「思考停止」が常態化する企業文化を形成してきてしまった、経営者の問題なのです。

わたしが読んだ冒頭の記事の記者氏は、DXに不安を感じないなど経営者の自信過剰だと指摘していましたが、わたしの考えではそんな浅い問題ではなく、会社が成長するためのリソースとしてパワー不足であることの表れなのではないか、それは経営者が適切に目標設定し組織としての成長を促してこなかった結果なのではないか、ということなのです。

もちろんこの問題、経営者の意識と行動次第で、解決することができると思います。ただ、ヒトの問題なので時間はかかりますが。

あなたの会社、「腹筋」ばかり鍛えていないか

身体を鍛えることが好きな経営者は多いようです。泳ぐ、走る、筋トレする。なかには、自宅の地下室に自分専用のジムを構えて、夜な夜な鍛えている方も見かけます。

筋トレに詳しい人に言わせれば、筋肉はおよそ、ペアで対になって連動しており、鍛えるなら両方鍛えなければよろしくないのだとか。例えば、二の腕は上腕二頭筋(いわゆる力こぶ)と上腕三頭筋(力こぶの裏側)がペアになっており、片方が収縮するときもう片方は伸長する。鍛えるなら両方やらないと、バランスが悪い。

身体の表側(おなか)と裏側(背中)も同様だそうです。鍛え上げられた肉体というとすぐに思い浮かぶのは、立派な大胸筋と割れた腹筋ではないでしょうか。目立つからといってそこばかり鍛えているのではまずいのだそうです。ある専門家がこんなことを言っていました。背中が曲がったままのお年寄りがいるが、なぜそうなるのか。

赤ちゃんの時はみんなハイハイをするように、人間の体は、背中の筋肉がないと四つん這いになってしまうようにできている。大人で背中の筋肉が弱ると、おなか側の筋肉によって前に曲がる力が働き続ける状態になる。そこに、老化による脊椎骨の骨粗しょうが加わると、ドーナツ形のパーツがブロックのように積み重なって形成されている脊椎骨が、少しずつつぶれてくる。やがて、脊柱そのものが曲がるように変形して定着する。そうなると、もう筋肉の力では戻せないのだそうです。

この、筋肉の裏表の関係の話を聞いて、わたしは「企業のビジネスシステムも同じだな」と考えました。

DXがバズワード化し、もはやDXを知らない経営者はいない状況の中、いまではITに強くなろうと熱心な経営者も増えてきているようです。なかには、米国や中国の展示会やカンファレンスに自ら出掛けていって見聞を深め、コネクションを得てこようとする方もいると聞きます(もちろんコロナ禍前の行動です)。

そのようにして自ら積極的に情報収集し、知見を拡げるのは重要です。ただしその時、アプリ、AI、クラウド、ロボット、ドローン、RPA、VR、AR、アジャイル、○○テック、そのような「流行りもの」ばかりが、気になってはいないでしょうか。

腹筋、ならぬ見目麗しの流行りのITにばかり目が行って、それこそがIT戦略だと考えるなら、それは違うと思います。

企業のビジネスシステムの背筋とは何か。わたしは「データ」であると考えます。

データ基盤の整備は、素人目には利益に直結するように見えず、その取り組みは地味で面白みがないうえ、とても面倒であることが多いものです。社歴が長く、その間にデータ構造に一切手を入れなかった企業ほど、データ基盤を整えようとすればいろんな意味で相当に苦労します。やりたくない、が本音でしょう。

しかし、どれほど「(見た感じ)先進的なIT」を導入しようとも、データが整っていない企業の取り組みはいつか必ずつまずいて、大きな困難に直面します。

ある企業の話を先日聞きました。その企業はベンダー出身の人物をIT責任者に採用し、その責任者の考えた通りに、モバイルアプリやアジャイル開発等々、「(見た感じ)先進的なIT」をどんどん取り入れているといいます。その結果、便利なアプリをいくつか開発し、顧客にも好評で、業務の効率も向上したそうです。ところが一方で、それらのアプリが参照する大本になっているデータは、その企業が昔から管理に使っているExcelファイルのままだといいます。

それは「ファイル」なのであって、「データベース」ではありません。いわば、背筋が弱いまま腹筋だけ鍛えているのが、この会社の実態と言えます。背筋が弱い会社はどうなるか。将来は、背中が曲がったお年寄りのような身動きに陥る会社になる、ということです。

この企業は近い将来、データで困ることになるだろうと、わたしは予想しています。実は、こんな感じの予想はかれこれ10年来のひそかな楽しみで、正答率もなかなかです。今回も当たるかどうかは、個人的な楽しみにしたいと思っています。

DXというよりも、JX??

デジタルトランスフォーメーション(DX)という、新たなバズワードが最近世間を賑わせています。DXに取り組まない企業はアフターコロナを生き残れない、とまで言っている人もいるようです。

冷めた目でこれを見ている人たちは、昔から言われていることの焼き直しだろう、というくらいにしか捉えていないことと思います。そのとおりだと、わたしも思います。ただし、この言葉の本質はきちんと認識しておき、今後の行動につなげる必要があろうかと思います。重要なのは、「デジタル」のほうではなく、「トランスフォーメーション」のほうです。

そもそもトランスフォーメーションとはどういう意味でしょうか。もちろん英語の ”transformation” から来ているのですが、英英辞典でこの語の基になっている “transform” を引くと、次のように定義されています。

to change in form, appearance, or structure

出典:Dictionary.com

形・姿・構造を変えること。つまり、表面に留まらずに中身をまったく違うものに変えてしまうこと、を意味します。

定義だけ見ても、何も感じないかもしれません。ただし、注意して見なければならないのは「まったく違うもの」という部分です。いままでとまったく違うものに、自らの手で意図的に転換することが、簡単にできるという人は、なかなかいません。

過去を振り返ってみれば、これが容易でないということ「だけ」は、簡単に理解することができます。

例えば、江戸時代に伊勢参りが大流行したという話は有名です。江戸時代には関所が設けられており、移動は現代の我々が想像する以上に難しいものであったと思われます。それでも流行したということは、余程大きいムーブメントだったのでしょう。

江戸時代ですので、当然ながら伊勢神宮までは歩いて向かうことになります。Wikipediaによれば、江戸からは片道15日、岩手からは100日もかかったそうです。九州からも参拝者がいたといいますから、そういう人は1年がかりだったかもしれません。

では、みなさんがその江戸時代の参拝客であることを、タイムスリップして想像してみてください。歩いて移動するのが常識だったその時代の人たちが、伊勢神宮まで「電車」や「飛行機」を使って移動することが、果たして容易に想像できたでしょうか。

江戸時代の日本において最も高速で移動できる手段は、馬であったと思われます。できるだけ高速で移動することを考えようとした時、常識の域から逃れられない人は、馬を高速にすること、例えばサラブレッドに育て上げるようなことを考えるでしょう。

それは「トランスフォーメーション」ではありません。「トランスフォーメーション」とは、江戸時代に電車や飛行機を考えることを意味します。徒歩という移動手段を「まったく違うもの」に変えるとは、そういうことです。

DXで言及されているトランスフォーメーションとはどういうことなのか。その本質は「自らの常識を転換する」ということに他ならない、とわたしは考えます。人間は、常識やバイアスにまみれています。それを完全に取り払って、常識外のまったく違うことを発想し、それを具体化するというのは、容易ではありません。しかしながら、常識を覆すことが時代を変えることでもあるというのは、歴史が示しています。問わなければならないのは、デジタルの巧拙ではなく、自分の常識を変えられるか、ということではないでしょうか。

ですから、「デジタルトランスフォーメーション」というのは本質を突いた言い方ではなく、むしろ「常識トランスフォーメーション」(JX??)とでも称するようなものだと、わたしは考えます。

デジタルを活用することで、従来の常識を一変させるのが比較的容易になることは、間違いないと思います。大いに活用しましょう。ただし、本質はデジタルを使うことにはありません。デジタルは、常識を変えるシナリオを実現する「手段」にすぎません。ですから、テレワークにしたくらいで、紙をデジタルに変えたくらいで、RPAで仕事を自動化したくらいで、みなさんの常識が変わっていないのなら、それはDXとは言わないのです。

ちなみに、ネーミングのセンスは、放っておいてください。

スケジュール不要論と甘い考え

スタートアップ系のイケイケな経営者の方などに会うと時々、戦略やらスケジュールやらを立てるなど無意味だと主張されることがあります。

当然ですが経営者も性格はさまざまです。一般的には、コンサルタント経験のある経営者にとっては、戦略や計画をまず考えるというのは自然なことのようです。一方で、営業やマーケティングで成功して経営者になった人の中には、上記のような意識で仕事をしている人が多いように(偏見かもしれませんが)お見受けしています。無意味だ、と主張するその心は、「決めたところで思うようには運ばず、どうせ変わるから無駄」ということのようです。

わたしは職業柄、様々な企業のビジネス計画とその取り組みの結果を見てきていますが、やはり世の中の物事に対して「これが決定版」と銘打てることは、案外少ないように思います。目的や前提などによって、取るべき方針は異なるのです。スケジュールに関して言えば、立てるべきケースと、立てるべきでないケース、どちらも存在すると考えています。従って、冒頭の意見は一面的なモノの見方であって、あまり賛成できません。

基本的にはスケジュールは立てるべきもので、それはリーダーが立案してメンバーに提示すべきものです。ただし、スケジュールはあえて立てないほうがよいケースがあります。典型的には、「試す」ことが要求されるケースです。

「試す」ケースとは、例えばアイデアを実験的に実践してみる、まずは実体験することを優先してみる、考えるよりやってみたほうが良い、などといった試行錯誤を要する類の取り組みです。このケースでは、失敗を許容することが前提になります。そのため、スケジュールを立てたところで変更がかかる可能性が高い。だから立てるべきではない、ということです。

その代わりこのケースで事前に決めるべきなのは、「撤退基準」です。どういう状況になったら問答無用で即終了とするのか、決めておきます。

撤退基準を事前に決めておくことは、大変重要です。取り組みを進めるメンバーたちは、のめり込むにつれて、その案件に日々愛着が増していきます。どれだけ失敗しようとも、成功させるまで何とか続けたいと考えるようになります。当事者であるメンバーが冷静に撤退の判断をすることは、ほぼ不可能です。撤退基準がなければ、スケジュールもないのですから、ずるずると続けていつまでも終わることはありません。

合わせて重要なのは、その取り組みのオーナー(経営者や事業責任者)は、決してその中身に “関与しない” ことです。リソースだけ与え、あとはメンバーの好きなようにさせ、結果だけ問います。オーナーが現場に関与すると、メンバーと同じ愛着がわいてしまいます。誰も撤退判断ができなくなります。

「試す」ケースでは、失敗を許容します。許容するとは、「失敗して当たり前」「挑戦することによって学べ」という考えを持つということです。失敗者を落第者として扱ってはいけません。誰も挑戦しなくなります。ただし、失敗した取り組みは組織として反省を行い、その要因を理解し、失敗の殿堂に入れて組織のノウハウに昇華させます。

いわゆる「イノベーション」は、アイデアマンに任せて放っておけば良いものでは決してなく、組織として取り組める環境と共有された考え方があってこそ、成就するものだとわたしは考えます。実際、イノベーションに成功している組織には、そうした仕組みが整っています。

このように、スケジュールを立てるべきでなく、むしろ立てることが害になるようなケースがあるのは確かです。ただし、これを盾にして計画など一切立てなくてよいと考える人が時々いるので、気をつけたいものです。

そういう人は、要するに計画を立てるのが苦手です。上手くできないことから体よく逃げる口実にしようとしている節があります。しかし、現実の取り組みにおいては、そのほとんどが「スケジュールがあるべき」案件です。立てるべきなのに立てなくてよいと考えるのは、単なる甘えでしかありません。

組織をリードする経営者や事業責任者には、自身が戦略立案に長けているとともに、上記のようなところを冷静かつドライに見極める目も要求されていると感じます。