先日、十年超ぶりくらいでしょうか、あるファミレスに入りました。
店に入ると、店員が出迎えにきません。わたしが知る昔の経験では、店に入るとすかさず店員が気付いて「何名様ですか?」と聞かれるという認識でした。ところが、なかなか出てきません。待っているべきなのか、勝手に座っていいのか、判断がつかずに立ち尽くしていると、ようやく店員が(わたしに気づいてやって来たのではなく)近くを通りかかったので、こちらから声をかけました。「お好きな席へどうぞ」という回答でした。
席に座ると、タブレット端末が置いてあります。操作説明はありません。自分で勝手にその端末からオーダーしろということのようです。端末の使い勝手は特に悪くはなく、適当に選んで注文をしました。
選択したメニューはどうやらセルフでドリンクバーに取りに行くスタイルだったようなことに、注文してから気づきました。よく見直すと、ほとんどのメニューがそうなっています。それはそれで理解しましたが、セルフのカウンターに向かうと様々なものが置いてあります。ここで、何をセルフで取っていいのか、わかっていないことに気付きました。席に引き返してメニューを見返し、取っていいものを理解してから、再びカウンターまで取りに行きました。
ドリンクバーで、水とスープを自分で取って席に戻ると、先ほどのタブレット端末では動画がしきりに流れています。どうやら、注文後はデジタルサイネージに化けて宣伝を流し続けるようです。その宣伝は、わたしが店を出るまで続きました。
料理は(さすがに)店員が運んできました。食事を済ませると、見透かしていたかのようにすぐさま店員がやってきて、食後の皿を下げていきました。
ふと店内を見渡すと、入店してからというもの、店員の姿はフロアにほぼ見当たりません。かなりスタッフは少ないようです。お昼時の真っ最中の時間帯でしたが、店員はバックヤードも含めて5人いたかいないか、というふうに見受けました。
人力によるノーマルな会計を済ませて店を出て、「この店は、いったい何を目指しているのだろう」と、わたしは感じました。
このファミレスは、過去に提供していたような来店客へのホスピタリティは、完全に捨てているように思います。コロナ禍が要因なのか、恒常的な人員不足が要因なのかは知りません。いずれにせよ、店員の対応や人数だけでなく店内の業務の仕組みからみても、ホスピタリティへの努力は捨てていると判断せざるを得ません。
そうかといって、デジタルにより自動化や効率化を推し進めたようにも見えません。そうしたつもりなのかもしれませんが、感心するような取り組みには気づきませんでした。空席が目立ち来店客が少ない割に、オーダーが出てくるまでの時間はそれほど早い印象はありませんでした。少ないスタッフでも従来と変わらない提供体制、ということなのかもしれませんが、顧客には関係のないことです。
オーダー用のタブレットにしても、使い慣れている人ならともかく、不得手な客にとっては、説明もなしに操作するのはなかなか抵抗があるに違いありません。現に、ある客に店員が、「そこじゃないです、青いボタンです!」などと、操作をインストラクションしている声が、どこからともなく店内に響いていました。
そのわりに、タブレットを使って抜け目なくマーケティングしようという意図はうかがえました。しかし実際には、その映像は客にほぼ顧みられていないだろうと感じましたし、しきりに動画が流れるさまは、人によってはうざったく思えるかもしれません。
要員不足に効率化で対応しよう、デジタルでクロスセルを促そう、業務を整流化して回転率を上げよう、などという話は五月雨式に思いつくかもしれませんが、この店には「それで、何を目指しているの?」がないように思います。少なくとも、ホスピタリティの高さではないし、デジタルによる洗練された顧客体験でもないし、ファストフードのようなスピード感でもない。それらは間違いなく、客の立場からは感じられませんでした。
共感できるポリシーが感じられない店には、客はなんとなくですが、また来たいとは思いません。二度と来ないとまでは思わずとも、また来たいとは思いません。わたしのような専門家は論理的にそう思うのですが、専門家ではない一般の客でも、深層心理でなんとなくそう思うものです。
このファミレスチェーンは過去に、データ分析を緻密に実行できる情報基盤を構築したとして事例になっていました。ファミレスの業務フォーマットはおよそどの店舗も同じである可能性が高く、今回のわたしの体験がどの店舗でもほぼ同じだと仮定すれば、このサービス提供でどんなデータ分析を行ったところで、事業の発展につながる有益な情報を得ることはないだろうと推察します。