去る4月、KDDI はスマートフォンと米 SpaceX が運営するスターリンクの通信網を接続するサービス「au Starlink Direct」を正式に開始しました。これにより、KDDI のスマホがスターリンクの衛星に直接つながり、基地局が配置できなかったエリアでも衛星経由で通信できることになりました。テキストベースの通信がまだ主体のようですが、そのうちデータ通信、さらには音声通信やビデオ通話まで展開されていくかもしれません。これに対して競合他社も、同様な「圏外をなくす通信サービス」を目指した動きを見せています。
ただし、KDDI と同様に衛星とスマートフォンを直接つなぐサービスを具体的に明らかにしているのは、楽天モバイルだけです。NTTドコモとソフトバンクは、意向は表明しているようですが、細かい内容は明言していません。
両社があまり対抗心を表に出さないのは、もしかすると、これとは別の方法で「圏外をなくす」ことを考えているからなのかもしれません。両社共それぞれ、HAPS と呼ばれる通信ネットワークの構築を推進しているのです。
スターリンクが低軌道衛星を使って通信網を構築しているのに対し、HAPS は、成層圏(地上20㎞)に飛行体を常駐させ、それを中継局として通信網を構築します。低軌道衛星は地上から 200㎞~300㎞ にあるのに対して、HAPS はその 10 分の 1 程度ですから、そのぶん通信遅延が少なく、通信速度も速い、つまり、始めから音声通話もビデオ通話も可能な、KDDI より質の高い新型通信網が構築できる可能性があるわけです。
利用者の立場で言えばサービスの質や通信のレベルに注目が行きますが、事業者の視点で見ると、別の重要な点にも気づきます。つまり、サービスを提供する基盤をいかに自らがコントロールできるか、という観点です。
KDDI の場合、スターリンクという確立した他社通信網に接続する形でサービスを提供している格好になります。これはつまり、スターリンク側でサービスが提供できなくなる、契約が打ち切られる、等の状況でサービスが丸ごと止まってしまうリスクがある、ということになります。人口カバー率 99% の携帯通信網は自前で構築していますから全体的な影響は軽微でしょうが、「圏外ゼロ」がいっぺんに失われるリスクは物理的にはあるということです。「スターリンク依存」というのは、場所を変えれば、ウクライナ軍がその状況にあり、結果的に政治的なカードとしてそれを使われてしまっている状況から見ても、リスクの高さをうかがえるところだと思います。
一方、HAPS のほうは、飛行体こそ特殊な技術を要することから欧米の企業が開発したものを調達し運用するものの、通信網の構築と運用は、各社が自ら行う計画です。HAPS が商業的に成功すれば飛行体を製造する企業は他にも出てくることが期待でき、事業の安定的な継続の面から考えて、通信網の運用を他者から影響される可能性が小さいのは重要と思われます。
自ら提供する事業にもかかわらず、他社の意向次第でその運用が大きな影響を受けることを、俗に「ロックイン」と呼びますが、ビジネスを企画するにあたり、何が事業の「首根っこ」にあたるのか、どの部分は確実に自前で賄い、どの部分はパートナーや外部の専門家に預けるのがよいのか、そうした戦略的な判断は、経営者が当然に行わなければなりません。
ちなみに、IT の世界でも「ベンダーロックイン」という用語があります。ここまで読み進めていただけていれば想像できると思いますが、自社の IT についてベンダーに首根っこをつかまれてベンダーの言うことに従うしかなくなることを指して、昔から使われています。最近ではベンダーではなくクラウド事業者にそうされることから、クラウドロックインという派生語も聞こえてきます。そのうち、生成 AI も同様になるでしょう。
ロックインを避けるには戦略的な発想が必要になりますが、技術者というのは往々にして、技術的に便利であること、技術的に優れていること、を重視し、ロックインされるというような戦略的発想は後回しに(または無視)する傾向があります。経営者が IT 技術者の言っている通りにしていると、知らぬ間にベンダーロックインされます。その IT がもし事業の「首根っこ」だったら、どうしますか?
そうした戦略的発想は経営レベルで補い、何が自社にとっての「首根っこ」なのか、しっかり見極めようとしなければなりません。
ちなみに HAPS は、25 年くらい前にわたしが会社員だった頃、電波干渉や通信技術のフィージビリティスタディに関わっていたプラットフォーム構想でした。当時は「巨大な飛行船を極寒の成層圏に 1 か月以上無着陸で滞留させておくなんてできるのかなぁ」と思いながら、机上シミュレーションをしていたものです。どうやら現実のものとなりそうで、個人的には感慨深いものがあります。