基幹システムを自前開発した中小企業は、経営者のレベルが低い

たいていの日本の中小企業は、ITの活用レベルが高くありません。これは世間で言われているとおりと、わたしも感じています。ただし、例外にも思えるような中小企業が時々見つかります。なかには、会社のコアとなる基幹システムを自前で構築してしまったという中小企業も存在しています。

大企業が完全内製で基幹システムを構築、という例はほとんどないと思われますが、中小企業の場合、事業規模があまり大きくないことも手伝い、実は自分で作ろうと思えばできてしまうという側面があります。そうかといって社内にスキルの高い技術者がいないと当然不可能ですが、たまたま1人くらい「できる人」が社内にいると、その人が根気強く取り組んで構築を果たしてしまう、ということが起こるわけです。

うらやましい会社だ、と思うでしょうか。ベンダーに頼んで作ってもらうよりコストもかからなくて素晴らしい、と感じるでしょうか。わたしが見る限りでは、そうした会社は「経営者に問題がある」おかげで、大きなリスクを抱えていることが多いと考えています。

経営者が自ら手掛けてシステムを作ってしまった、というなら結構です。しかし、技術者が独力で作ってしまった、という状態は、経営者の情報システムに対する知識や理解の欠如、関与しようとする意欲の低さ、会社にとっての情報システムの位置づけの設計不足、等々の欠陥によって引き起こされた結果なのです。

そのとき、その会社の経営者は、何らコントロールができていません。言い換えれば、放任です。情報システムに対する知見がないがために、自分がコントロールしなければならないという発想さえも浮かばないのだろうと思います。それが、事業運営に大きなリスクを抱えることにつながります。

では、基幹システムが事業の根幹をなすクリティカルなシステムであることを十分に理解する経営者ならば、どのようなことを発想できることが求められるのでしょうか。

いくつもありますが、長くなりますので、そのうちの数点を以下に書き連ねてみたいと思います。「自分はこんなことを考えるに及ばない」と思われるなら、少なくとも社内のIT担当者が「作っちゃいました」と言い出してこないような業務環境にするよう努めるべきでしょう。

● 中小企業の自前開発は、たいていは特定の技術者が単独あるいは少人数で進め、達成します。そしてそのシステムの仕様を設計した技術者はまともに形式知化せず、その構築ノウハウは属人化します。それは、会社にとって大いなるリスクです。一刻も早く、システムに関するノウハウや詳細仕様をドキュメントとして完全に網羅し、保守を長く継続できるような組織と仕組みを整備することを考える必要があります。

特に、開発した技術者が高齢であるほど、その技術者が会社を去るまでの時間の制約が厳しくなります。そして、そういう技術者に限って、言葉や図式による表現やわかりやすい説明が上手くなかったりすることが往々にしてあります。システムの仕様や、細かい(けれど重要な)属人的ノウハウを引き継ぐ時間が限られる可能性を、十分念頭に入れる必要があります。

このとき、多くの経営者は、「若い技術者を採用して、開発したベテランの下に付けよう」ということくらいは思いつきますが、その程度ではまったく十分ではありません。必要なことは、「属人化から脱却すること」です。単に若手を採用すればよいという考えは、属人化した「人」に新たに属人化させる「人」を付けているだけのことです。属人化の継承では意味がありません。「組織で実行するにはどうすればよいか」を考える必要があります。
● 中小企業の基幹システムの自前開発は、その多くが10年近くかけて少人数の特定の技術者だけで実行されます。それほどの時間をかけて技術者に業務遂行させることの是非を、本来ならまず経営判断すべきです。

仮に是と判断したとしても、10年経たないと完成しないようなシステムで事業に役立つのか、その認識を経営者が示さない限り、技術者は好きな方法で、適当なスケジュール感で、システム開発を進めるでしょう。技術者の優先度と、経営者の優先度は、何のすり合わせもしなければまったく違ったものであるのが常です。技術者が優先するのは、技術の追求、技術の都合、技術の制約、です。経営者が自分から考えを示さない限り、彼らは経営の優先事項には何の関心もありません。逆の立場で、経営者にはIT技術者の発想がしづらいのと、同様のことです。
● 自前でシステムを開発できる技術者でも、態度には決して出しませんが、万能ではありません。プログラム開発には長けているがネットワーク設計は知識が低い、システム設計は得意だが情報セキュリティ設計には疎い、等々、だれでも得意分野と不得意分野はハッキリしているのがフツウです。IT分野に関する、会社としての知見の甘さを的確に検知して補強する努力は、ITを操る以上は必ず要求されると心得るべきです。

それを怠り、「うちの技術者は基幹システムが作れたのだから他のことも何でもできている」などと考えているなら、自社のシステムに知らずのうちに大きな欠陥を抱えるリスクがあります。そのリスクを軽減するには、まず経営者自身が、ITの技術分野のポートフォリオについて知ることです(技術に詳しくなれという意味ではありません)。そのうえで、自社では疎い技術分野を認識し、知見を持つ人材を(採用、外部支援両面で)採り入れ、組織を強化する努力をすることです。
● 自前でシステムを構築するにも知識が必要ですが、自前で作ったシステムを運用保守していくにも(別の)知識が必要である、と発想できるかどうかが問われます。構築出来たら終わり、使えていれば問題なし、ではありません。自前でシステムを運用保守するのに相応な知識体系を構築して、人材の育成を組織として継続実施することが求められます。

ましてITは常に進化し、またその進化は速く、既存の技術が陳腐化する可能性も高いです。ベンダーに依存していればベンダーが実行するようなことを、自前で情報システムを作った以上は自前で実行する義務がある、と心得るのが肝要です。

自社のエンジニアは、会社の費用で外部に修行に出すべきです。社内だけで教育しようとすれば、知識に偏りや淀みが起きやすいものです。まして人材に乏しい中小企業ならなおさらでしょう。外部で学ばせ、その知見を社内に持ち込ませ、社内の古い知識や偏った理解をアップデートさせるように図ります。または、外部の有識者を定期的に呼び寄せて、様々なテーマでレクチャーしてもらうことも考えられるでしょう。

優秀な人材に単に依存するなら、属人化するだけです。一流のシステム運営能力を持ちたければ、会社が「組織として」努力しなければなりません。それをリードするのは、経営者自身です。

デジタル化とは「最新のアプリを使うこと」ではない

最近では中小規模の企業でも、クラウドサービスやアプリ開発ツールなどを積極的に活用するケースが増えてきたと実感しています。

ITを道具としてどんどん試してみようという機運が盛り上がっていること自体は、歓迎すべきことです。ただ一方で、それに伴って厄介な相談を受ける機会も増えてきたような気がしてなりません。

困ったことになっている企業の傾向として、大きく2つの特徴があると思います。

ひとつは、次々とアプリやサービスを使い始めたけれど、いろいろなものがありすぎる状態になってしまい、会社での管理が行き詰まっているという状態です。ひとつひとつのアプリは相応に便利だとは思っているものの、「こんな使い方でいいのだろうか」と薄々感じ始めています。

もうひとつは、あるひとつのプラットフォーム上で、便利だからといって次々と新しい機能を追加し続けているうちに、「なんだか使いにくくなってきた」「違和感を持ち始めた」という状態です。始めのうちは新しい機能がすぐに追加出来てよかったものの、そのうちに、何かをしようとすると別のことを考える必要が増えてきたり、追加した後に不具合が出てきたりなど、いろいろと問題を感じるようになってきます。

いずれのケースにも共通するのは、一言で言えば「カオス状態」とでも呼べるでしょうか。要するに、アプリやサービスを「使う」ことしか考えていなかった結果、複雑で分かりにくい状態になってしまった、というものです。

デジタル化というのは、「最新のITを使いこなすこと」ではありません。以前からこのコラムでも、企業にとっての IT というのは電気屋でモノを買ってきて使うこととは違う、と述べてきましたが、同じ趣旨のことがこの場面でも当てはまります。

始めにしなければならないのは、デジタルを前提に仕事のしかたを設計することです。このことへの意識が乏しいゆえに、設計を怠ってまず何かを買ってしまう、使い始めてしまう、ということなのでしょう。会社の中のシステムやデータの構成を設計できる人がいないと、だいたいこうした事態になります。

例えば、近年ではロボットや自動運転技術を導入しやすくなっており、モノによっては10万円台で買えるような製品があります。それを受けて、うちにもロボットを入れようと言って購入し使い始めたのはいいけれど、導入後に保守できない、トラブルが出ても対応できない、定期的なメンテナンスに苦労する、という事態になりがちです。

始めのうちは自動で動いてくれて便利だったけれど、周辺の配置が変わったり現場環境が変わったりしたことでロボットが上手く動かなくなり、よく考えてみたらその修正ができる人がいなかった、などという事態も聞かれます。

ロボットの他にも、例えばAIカメラによる画像判定などでは、現場の光加減や陰が少し変わっただけで、判定がうまく行かなくなることも実際にあります。

ITを導入するのは、案外簡単です。知識がなくても買うことはできます。ワクワクするような便利ツールを買うのは楽しいものです。しかし問題は、買った後の運用なのです。その技術の癖や特性を踏まえて、会社の中での運用が的確に設計され、中長期的にどう維持発展させていくかのシナリオができていることが重要なのです。

そして、設計するというアクションは、単にアプリやサービスの組合せや利用する技術を選べる、決められる、というだけでは用事が済みません。会社の戦略や方針を踏まえて、業務の将来像を設計することでもあります。現有の人材と今後の人材獲得の方針を見極めて、使いこなせるものを判断することでもあります。最新であればよいわけでもなければ、流行に乗ればよいわけでもありません。設計するというアクションができる人は、かなりハイレベルで広範な知見が要求されるわけです。

たちが悪いのは、聞きかじった程度の知識や経験で「自分は知っている」と思い込んでいるけれど、実際には知見が足りないので、設計や方針の判断を誤る人です。先月のコラムで述べたような「知らないを知る」ことに取り組んでほしいと切に願いたくなるような人です。こういう人が周囲の期待を集めて裁量を与えられてしまうと、ITに疎い人でも見てわかるほどに派手にコケるまで突き進んでしまいます。そうなってから取り返すのは、なかなか難しいのです。

最終的には、経営者に問いが突き付けられます。「ビジネスのしくみが設計できる人材を育てて、確保する努力をしていますか?」と。会社としてデジタルを使いこなそうと思うのなら、持たざる組織能力を得る努力もしないで丸投げしているのでは、いつまで経っても状況は変わらないし変えられないのです。

「知らない」を知る

経営者や経営幹部の方々とITの話をするとき、時々出くわすのが、「自分はどこまでITのことを知っているべきなのか」という論点です。

というよりもむしろ、「経営者である自分は、ITのことなど詳しく知っている必要はないはずだ」という認識を下敷きにしているように感じられます。ITに限らず、財務管理会計にしても人材育成にしても法律にしても情報セキュリティにしても、同じ話です。

誰しも得意分野と不得意分野があり、不得意分野は積極的に学びに行かないでしょうし、覚えようとするだけ時間の無駄に思えてくるでしょう。または、自分があまりその分野が得意でないことを見せたくない、という自尊心も働くのかもしれません。

しかし、残念なことに中小企業ほど、企業規模が小さければ小さいほど、その経営者はあらゆる企業運営の分野において万能である必要がある、とわたしは考えています。なぜなら、企業規模が小さいほど、その経営者個人の能力で、その会社の組織としてのパフォーマンスがほとんど決まってしまうからです。つまり、その会社の経営者が不得意なことは、そのまま、その会社の不得意分野になりますし、その会社にとって脆弱な領域になるのです。

もちろん、経営者個人があらゆる業務をこなす必要があるということではありません。しかし現実は、経営者がケアしようとしない業務領域は、その会社では管理が行き届かず気にされないのが、企業規模が小さくなるほど自然な成り行きです。例えば、ITを気にしたがらない経営者の会社は、たいていは組織のITレベルは低いです。

たとえ「自分にはできないから専門人材を雇って責任者に据えた」としても、同じです。そうした専門人材のやりたい放題にして管理できない会社のIT運営レベルは、だいたい高くありません。そもそも、責任者を選定しようとする人がよくわからない分野の専門人材について、その人材が自社にとって適切だという判断が果たしてできるものでしょうか。その人材の働きが自社にとって適切になっているという評価が、果たしてできるものでしょうか。

冒頭に挙げたような論点で、もしわたしが「経営者が細かいことに詳しい必要などあるのか」と聞かれたら、次のように答えます。

物事を「知る」ということには、レベルがあります。例えば、思いつくままに言えばこんな分類です。

1.他人に指導できるほど身についている
2.知っているうえに、自分でこなせる
3.知っているけれど、自分ではできない
4.知らないということを、認識している
5.知らないということに気づいていない

経営者は、”5番目” を限りなくゼロにする必要があると思います。

車の運転に例えていうなら、4番目の状態は、道路のすぐわきに崖があることが分かっている状態で、ハンドルを握っている状態です。一方で5番目の状態は、道路のすぐわきに崖があることを知らずに、ハンドルを握っている状態です。5番目が多い経営者は、自覚なしに危ない動きや判断を行います。しかも、それが危ないということに気付きません。

以前、ある大手企業グループが子会社を作って電子決済サービスを始めましたが、サービス開始直後に不正アクセスを許し、利用者のアカウントから不正にお金を持ち出されたという事件がありました。発覚後会社は記者会見を開き、社長が謝罪と説明に当たりましたが、その社長はある記者から「二要素認証をなぜしていなかったのか」と問われて、答えられませんでした。

彼は「二要素認証」という技術のことについてまったく無知だったのが、回答できなかった理由でした。

そんなことも知らない会社に大事なお金を預けていいのかとソーシャルメディアでは炎上騒ぎになり、大手メディアでも大々的に取り上げられ、結局その会社は、決済サービスの全面停止、社長の辞任、を通り越して、会社自体をたたむという判断に至りました。

おそらくこの社長は、情報セキュリティについては上記の5番目の状態だったのだろうと推察されます。もし少なくとも4番目の状態であったら、本人の危機管理能力次第ではあるでしょうが、知識補強なり理論武装なり、事前に準備を施すことは可能だったはずです。知らないことに自ら気付いていなければ、知らないままでいても何も感じることはありません。対策や準備は一切不可能です。

このようなかたちで、知らないでいることに平気でいる状態で下す判断は、運がよい場合を除いては、不適切で浅はかなものになります。経営者がそのような判断をすれば道を誤るわけですが、本人にはその自覚がまったくないので、極めて厄介です。

ちなみに、5番目の状態を限りなくゼロにするためには、一旦はあらゆる物事を知ろうとする努力が必要になります。つまり、不得意であろうが、気が向かなかろうが、時間がなかろうが、難解であろうが、経営に携わり社員をリードする立場である以上は、あらゆる分野のことを学習し、ひととおり人並み程度には知識を体系的に獲得しておく必要がある、ということです。

「他人に委ねて自分はラクをしよう、他にもやることがたくさんあるし」などという考えは、少なくとも社員数1000人を超えるような規模の企業に育て上げるまでは、潔く捨て去ったほうがよろしいかと思います。経営は、幅広く高い能力を要する大変な仕事です。

「職務経歴」だけで、人材を判断していないか

先月のコラムでは、幹部社員をどう育成していくことができるかについて論じてみましたが、今回はその続きです。

会社のコアになるようなハイレベルの人材については、専門的なスキルを持つ人材を社外から入れたがる経営者もよくいます。

ただ、外部から人材を採用するなら、事業運営の仕組み化までができていることが前提だと思います。仕組みが未熟な状態で外部のハイスキルな人材を採用すれば、わたしの知る限りではおよそ失敗に終わります。

まずそもそもの話として、採用しようとする人材に、組織として要求する専門的スキルが十分にあるのかどうかを見抜く力が経営者や経営幹部にあるのか、という問題があります。その専門性のレベル感や価値が理解できるためには、先月のコラムのとおり、経営者や経営幹部がまずその業務を(自分の会社の範囲内でも)自分で手掛けて、考えてみたことがあるのが不可欠です。

そうでないのなら、その分野における本質的な能力を兼ね備えているのかを見抜く術は、まず持ち合わせていないでしょう。料理をしたことがない人が、料理人の腕や底力を見抜くことができないというのと、同じことです。

また、組織が要求する能力を発揮するということは、実は専門能力があれば十分なのではありません。「専門能力」というのは、その人材の能力を見る切り口のひとつでしかないという事実に気付く必要があります。その人材が職務で発揮する「能力」というのは複雑で、専門能力だけでなく、対人スキル、コミュニケーション能力、問題解決能力など、その他の様々な能力(コンピテンシーとも呼ばれます)の相互作用によって形成されるのが現実です。

ですから、個々の専門性だけを見ていても、それらは断片的なので実は評価しづらいのです。本当のところは、業務の仕組みが確立された職務環境で、実際に仕事をしてもらわなければわかりません。例えば、社交性が高いのに営業はできない人材も実際にいますし、営業成績は抜群だけどあまり協調性がない人材もまた存在します。

同様のことが、職務経歴に関しても言えます。

履歴書を見て、立派な経歴、レベルの高い資格の数々、豊富で幅の広い経験、積み重ねてきたキャリアのすばらしさに目を引かれた経験がある経営者の方も多いだろうと思いますが、仕事をさせてみたらまったくの期待外れだったケースがこれまでなかったでしょうか?何を隠そう、わたしもそれで痛い目に遭ったことが何度かあります。

よくよく考えてみれば、ビジネスパーソンが「経験」や「経歴」を獲得するのは、実はそれほど難易度が高くありません。業務が行われている現場に関与していさえすれば「経験」したことになりますし、成果はどうであったとしても「経歴」と称することはできます。実際、そのようにしている人は多いと見受けられます。

本質的な能力というのは決して簡単に見につくものではありませんが、一方で、職務経歴書の書面で本質的な能力の有無を見抜くことはまず無理です。そのため、職務経験にだけ力点を置いた人選をすれば、なぜか凡庸な人材が集まる結果になるのです。

ある時点で、外部人材を採用して「専門スキルを買う」ことが必要になるときは来るでしょう。ただしそのときは、社内の人材を育てる以上に慎重に評価することが必要ですし、採用前の面談や試験だけで判断しきらないことも意識する必要があります。採用した後でしかわからないことも、かなりあるものです。そこまで念頭に置いた採用プロセスを構築したうえで、外部人材を取り込むことを考えるのが無難です。

良くも悪くも、人材の能力を見抜くというのは、本当に難しいことです。

平凡な人材を、自社の幹部に育てる方法論

中小規模の会社で、有能な人材の不足を嘆いていないところを聞いたことがありません。それは今も昔も変わりませんし、洋の東西も問いません。名経営者として現在謳われているような方々であっても、かつて中小企業だった折には、やはり自分に匹敵するような能力を持つ幹部がいないことに悩んだといいます。

あなたの会社に、もしポテンシャルの高い人材がすでにいるとしたら、それは大変な幸運に恵まれているといえます。ぜひ、大事にしてください。そういう有能な人材ほど、いろいろな意味で「感度」が高いので、大事にしなければより高いレベルの職業機会を求めて転職していく可能性が高いです。そのような機会を社内で与えられなければ、フツウの中小企業と同様に、平凡な人材の集団になります。ほとんどの中小企業にとって、能力が高い人材を集めることはハードルが高いことです。

通常、経営者に要求されるのは、平凡な人材が集まる会社の中で、どのようにして有能な幹部社員を育てていくのか、ということでしょう。これには一定の答えがあるわけではないと思いますが、中小企業における方法論を念頭に、以下にわたしなりの考えをまとめてみます。

まず、会社の規模が小さいうちに、会社の中のあらゆる業務において、経営者が率先垂範してすべてをリードし、部下に仕事の手本を見せてほしいと思います。

企画でも、営業でも、開発でも、経理でも、人材育成でも、すべてをまずは経営者自身が先頭を切って必死に働くことです。部下には主導させない。経営者が第一線で必死に働いて顧客に価値を実際に提供している姿を見ることで、部下は「ついて行ってみよう」「真似してみよう」という気持ちになれるものだと思います。

自分には現場レベルの仕事はできないからと言って、ある業務カテゴリを丸投げして他人に任せる経営者は、かなり多いのが実情でしょう。しかし中小レベルの企業において、経営者が自分で手掛けて成果を出せないような仕事は、他人がやればそれ以下にしかなりません。部下に任せるだけでなく、信じられないかもしれませんが外部から人を採用してもそれは同様です。

そして、経営者がその仕事の成果を的確に判定できない業務カテゴリでは、やがてその領域が、会社の成長の足かせになっていきます。以前のコラムにも書きましたが、自分ではできないことが限界を形成していくわけです。中小企業の経営者は、「小さく万能」でなければなりません。

そうして自ら実践する中で、一定の方法論を形式知にし、業務を仕組み化をしていきます。これが次の段階です。

経営者が勘で仕事を続ける限り、いつまでも部下の意識の中に軸をつくることができません。成果に繋げられる仕事の仕組みが見えるようになれば、経営者と部下の間に共通の価値観が形成しやすくなります。自分が黙っていても部下が自然にその仕組みに従えるようになってきたところが、部下に任せられるようになったタイミングです。

そうして任せられる人材が出てきたところで、幹部になる心構えを説く育成プログラムを考えていきます。こうしたプログラムは、幹部候補にだけ行うようなものではありません。一般社員にも持ってほしい心構えから始めて、段階を踏んで進めていくほうがよいと思います。会社のミッションやビジョンを下敷きにしつつ、一般社員から幹部に育つにはどのような心構えの成長が必要なのかを、やはり経営者が概念化する必要があるでしょう。その成長プロセスに沿ったプログラムを段階的に整備し、部下に提供していくのです。

段階的に提供していくことで、幹部候補になった時から急に始めようとするときに生じるギャップを小さくすることができるはずです。そもそも、自分が会社でリーダー的な役割を果たせるようになりたいという思いは、仕事をして成果を挙げていく中で徐々に意識が変わって生まれてくるものです。その過程のなかで、幹部に必要となる覚悟や責任感を、徐々に持っていってもらえるように仕向けていくほうが、育成は円滑に進むはずです。

時々、研修プログラムを整備しようとしない中小企業や、研修は外部のものを買ってやらせればよいと考えている主体性のない中小企業を見かけます。研修の仕組みは、自社にとってのあり方を明確に設計して実施すべきで、設計されたうえで外部のコンテンツを取り入れるなら有益でしょう。その「あり方」を具体化するのも、始めは経営者が率先垂範すべきことです。

また、能力がある社員には研修は要らない、ということは決してありません。一方で、研修が充実していればどんな人材でも育成されることも、決してありません。会社が適切な対象者を選定し、その人たちに充実した研修を施して初めて、効果が生まれます。

併せて重要なのは、幹部候補になり得る社員たちに対して、重要な価値観や考え方を、経営者が日常的に言い続けることです。いつも同じことを言う、いつも同じことを問いかけて確認する、ということを通して、徐々に経営者のイズムが浸透していくのです。また、日常の仕事のしくみも、そうした「いつも同じことをする」の一環として機能するものです。

どのような方法を採ろうとも、会社のコアになるような人材の育成には時間がかかるのは間違いありません。簡単に育成することはできない、意図しなければ育つことはない、と思ったほうがよいです。「そんなことは経営者の仕事ではない」として丸投げするのは、だいたいの場合誤りです。長い時間をかけて経営者が率先垂範する覚悟は、持つ必要があるだろうと思います。

そのDX教育、「ずっと続ける」覚悟はあるのか

いま企業では、DX人材育成がブームなようです。「リスキリング」というバズワードも流行し、その文脈でも拍車がかかっているように見受けられます。

先日本屋で立ち読みをしていたら、それにまつわる講演イベントがあるということで店内に案内放送が流れたのですが、アナウンスの方が最初から最後まで「リスキング」と連呼していました。横文字ってみんな慣れないのに、マスコミが流行らせようとするのはなぜ横文字ばかりなのでしょうか。

それはさておき、デジタルを業務で取り扱うのが当たり前の時代になり、すべての社員にITリテラシーを高めてもらおうという取り組みは正しい方向だろうと思います。ただ、ITという分野の特性をどれほど認識してカリキュラムを考えているのか、疑わしい例も少なからずあるように思います。

言ってしまえば当たり前に聞こえるかもしれませんが、ITは常に進化を続けています。しかもその速度は、他の分野に比べて相当急速です。去年まで言っていたことが今年になったら変わってしまった、新しい方向になった、という話があっても、まったく不思議ではありません。ブームになったある技術やバズワードが、5年したらすっかり聞かなくなる、ということも珍しくありません。

ということは、一度学んだ知識がすぐに古くなり、場合によっては知っていても意味がなくなる、という状況が大いにありえるということです。そうだとすれば、一度決めた研修をひととおり済ませて合格すれば免許皆伝、というわけには行きません。

つまり、「全社員対象にDX教育をやるのだ」というのなら、全社員に対して常に知識のアップデートをかけていくという仕組みを作らないと、その効果は相当な速度で低くなっていくわけですが、そこまで考えて教育の仕組みを構築しているか、ということなのです。

これは、技術だけの話ではありません。

例えば AI(人工知能)の分野は、煎じ詰めればデータリテラシーの話に帰結します。いかにデータを取り扱うのか、どのようなデータなら問題がなくどのようにデータを扱うとリスクがあるのか、を知ることが重要になります。取り扱うデータによっては、法律が絡みます。もし外国相手の事業をしている企業なら、外国の法律まで考慮に入れる必要が出てきます。法律ですから、不意に変わったり追加されたりします。そうした動向や規制も、知識のアップデートの対象になるのです。

DXに関しては、学びのアップデートの領域、その頻度、というのは、大きくなる(増える)か、変わるか、その両方か、という方向しかありません。

そうなると、DX教育をするのであれば、結局のところ組織にとって最も重要になるのは、DX教育の「仕組み」を構築する人材の目利き力、俯瞰してトレンドを把握する能力、流行から本質を読み取り重要度を分類できる能力、ということです。

そうした能力を持つ人材がいないと、世間やマスコミが流す雰囲気にすぐに振り回されることになるだろうと思います。

DXの文脈で言えば、例えば「先端知識」ということばに惑わされるケースです。

あるITについて「先端」が謳われることが多くあります。「先端」と言われると、知らないと乗り遅れてしまいそうな重要なことに聞こえてきます。ただし、どの分野でもそうですが、「先端」と呼ばれる技術はおよそ、ピンポイントの領域に特化しています。ITの分野で言えば、データサイエンス、プログラミングの新言語、パブリッククラウドの新サービス、セキュリティ技術、ロボティクス、等々いろいろありますが、どれもピンポイントの領域の話です。そこだけを見つめて重要視してしまえば、他の領域は疎かになり、全体から見ればバランスを欠きます。

ある特定のITによって自社のDXが完全に達成できるということは、あり得ません。自社において重要なDXの全体像、自社の事業にとって必要な人材のスキルセットや人材構成のポートフォリオ、を描けていない状態で、「先端」という言葉に惑わされれれば、自社にとっては混乱しか招かないような「先端」ITに注力しようとしてしまう無駄を犯しかねないでしょう。

DX教育を通して社員のリスキリングを推進したいと思うなら、必要なのは、膨大に広がるDX分野から自社にとって必要な領域を抽出して全体像を構築できる人材をまず持つこと、そして、常にIT分野をウオッチしつづけて自社のポートフォリオをアップデートできる能力を組織に維持すること、をまず考えてほしいと思います。全社員に本格的な教育を施すなら、それからです。教育だから研修プログラムを作ろう、というのは、少なくともDXの領域では短絡的な発想です。

「そんな人材、社内にいない」のなら、全社員の教育の前に、おカネをかけてそういう人材をまず育成してください。一人や二人を特殊訓練するのであれば、相当に密度の濃いものであっても投資としては大きくならないでしょう。特殊訓練のしかたがわかりませんか?手っ取り早い方法としては、DXの分野を「俯瞰的かつ深く」理解している人を外部で見つけて、経営者がその人と仲良くなって、多角多面に助けてもらえるようにするのもいいかもしれません。

デジタル人材養成のための「資格取得のススメ」

ある訪問先の経営者に、社内の人材のITスキル育成にあたって何をさせるのがよいか問われ、わたしは「資格を取るよう奨励すること」をお勧めしました。

IT関連の資格・試験制度は様々にありますが、わたしがお勧めしたのは、IPAが実施している国家試験である「情報処理技術者試験」です。

相談を受けた会社もそうですが、中小企業レベルではITの活用は一定の技術レベルにとどまり、かつ範囲も限定的です。それは、会社の中で経験できる実務がかなり限られることも要因のひとつですが、内部の人材の知識量がそもそも乏しいことも、実情としてあると思います。

大手ユーザー企業や大手ITベンダーなどに勤務する社員であれば、かなり広範囲に、規模も大きくレベルもかなり高いシステムを取り扱いますから、その分多くの実務機会に恵まれます。運がよければ、仕事をしているだけでかなりのスキルを身に付けることも可能です。

中小企業では、残念ながらそうは行きません。加えてさらに都合が悪いのは、実務の内容や質が偏りがちであることです。

情報システムのライフサイクルには、戦略・企画・計画・調達・開発・導入・テスト・切替・運用といった流れがありますが、中小企業ではこうした流れを意識することがほとんどなく、ITが利用されている実態があります。導入はするけれどまともな企画をしたことはない、調達はしてみたけれど運用しているつもりはない、等々。本当は考えなければならないのに考えていない、考えるべきであることさえ知らない、という実態があるわけです。

当の担当者たちは、自分たちが知識不足だとはあまり思わずに、一生懸命仕事をしています。しかしながら実は、本人たちはやっているつもりでいて、本当の意味ではできていないことが往々にしてあります。例えば、運用しているつもりだけれど、実態を観察してみると、やるべき運用業務をしていない、運用に必要な情報を管理していないから状況が分からない、といった具合です。ネットワーク構成図がない中小企業など、ざらにあります。

IT専任の担当者がいる中小企業はまだ恵まれていますが、そういう担当者がいたとしても、その人の経験が偏っていることが多分にあります。自分がよくわかっていないことを、他人に教えられるはずがありません。当然、社内に流通するIT知識も偏ることになります。

そうした環境でどれだけ実務経験を積んだところで、どんな会社に行っても通用するような汎用的な学び、さらにはスキルレベルの高い学び、は期待できないのです。

情報処理技術者試験は、基本・応用・高度の大区分のもとで構成され、高度資格は専門タイプごとに試験が用意されていますが、それぞれの試験に対して知識体系が整理され、その知識体系に対する理解度を問う試験になっています。各資格を取得するための勉強を通して、その知識体系に沿ったスキルを学ぶことになるのです。

体系化された知識を勉強することで、実務をしているだけでは得難い知識領域まで漏れなく効率的に触れることができるのが、情報処理技術者の資格に向けて勉強することの利点です。これは、国家試験への合格で箔がつくことよりも重要なことだと、わたしは思います。

「そうした勉強を通して得た知識を会社のIT活用にフィードバックしてもらうようにしてください」と申し上げて、わたしはお勧めをしています。

前記のとおり、情報処理技術者試験では、高度なスキルだけでなく、どの社会人でも知っているべき基礎的なIT知識を問う試験も用意されています。多くの社員に向けて、会社として資格取得を奨励すると理想的です。受験費用の補助や、関連する研修の受講費用の補助、合格時の報奨金支給など、できる限りのサポートをしてスキル向上の取組みにしてほしいと思います。

なんであれば、まず経営者のあなたが、トライするのもよいのではないでしょうか?ものすごい知恵の底上げになるはずです。

人材を「資産」と考えるのなら、やらなければならないこと

政府は企業に対し、従業員の育成状況や多様性の確保といった人材への投資にかかわる経営情報を開示するよう求めるそうです。上場企業は今後、有価証券報告書にそうした情報の開示を義務付けられる方向だとのことで、人材をいかに無形の「資産」にできているのかが問われるようになります。

当然と言えば当然の考え方ではありますが、従来から人的な費用はおおよそ「コスト」と捉えらえてきた向きは否めないでしょう。その意識が念頭にあることで、「人材を資産と考えて投資する」という発想には至っていなかった面があるのではないでしょうか。

その結果が、人材評価の仕組みの欠如や、人材育成に対する計画性の欠如などに現れることになります。人材は、育成する努力を何らか施さなければ、自社にとっての「資産」には転換しないものです。それがいかに優秀な即戦力人材であったとしても、会社が目指すところ、業務を動かしている体制やフロー、業界の慣行やルール、過去の経緯、抱えている課題、等を体系的に教え伝えなければ、すぐに能力を発揮することはできないはずです。

また人材が客観的に評価できなければ、育成した結果として人材を資産に転換できたか、まだ不足があるなら何が足りないのか、わからないままになります。

こうした点においては、ほとんどの中小規模の企業は後手に回っているのが実情だと感じます。わたしもこれまで、リーダーシップを誰も取ろうとしない会社、仲はいいけれどチームにはなり切れていない会社、個々のスキル不足を自覚していない会社、社員に向上心がない会社、できる人にほとんど任せて出来ない人は放置している会社、いろいろ見てきました。

どれだけ優れた業務の仕組みを持っていても、また先進的な情報システムを整備しても、それらを使うのは結局「人」です。また、これから発展していくうえでどういう方向に会社をもっていくべきか、どういう仕組みに改善していくのが適切なのか、そうしたことを考えてカタチにするのもまた「人」です。

さらに言えば、これから会社を成長発展させていこうと考えた時に、会社をドライブしていくのが人だとするならば、どういう人材が自社に在籍している必要があるのか、どういうスキルを自社に保有する必要があるのか、そうした戦略が必要になるはずです。普段から人材の育成に考えが及ばない会社では、その方針は考えても浮かんでは来ないと思います。自社には現段階でどういう能力を持った人がいて、どのスキルが不足しているのかが、見えないからです。

つまり、そもそも人材を育成しようと思えば、その前提として、人材のスキル評価の仕組みの確立と、それを使った現状の見える化は、欠かせないということです。

人材育成が進められているということは、会社が成長していっているからこそでもあります。社員が成長を実感しているなら、自然と社内の雰囲気には活気が生まれます。そうしたことは会社の外にも自然に伝わり、会社の魅力になるわけです。「中小企業だから人が集まらない、採用できない」という愚痴をよく聞きますが、実はそれ以前のところに原因があるのかもしれません。

冒頭に紹介した政府の方針は上場企業の話だからウチは関係ない、と考えるのは、この件についてはやめましょう。

新卒社員が味わう「タイムスリップショック」

デジタルの素養を持つ人材不足が叫ばれるなか、学校教育でもそうした分野が拡充されてきているのは、周知のとおりです。

今年の4月から、高校では情報科目が必修化されると聞きました。情報科目自体は2003年度からあるそうですが、これまでは選択必修だったといいます。

最近の子供たちは小学校からプログラミングに触れ始め、中学高校と情報の取り扱いを継続的に学習し、大学では当然のようにコンピューターを使って課題をこなすようになりました。

2025年度からは大学入学共通テストに「情報」が追加され、入試でも学力が問われるそうです。サンプル問題が出ていましたので、実際に問題を解いてみたのですが、一見では数学の問題のように思えるものの、わたしが学生の頃にはありそうでなかった問題で、デジタル的に物事を考える「素養」を問うにはいい問題だなと感じました。

こうした環境で育った若者が、近い将来、企業に就職してくることになるわけです。こうなると、むしろ心配なのは、企業のほうだと思います。

データを見て物事をとらえ、手続きはデジタル環境でほとんどすべてをこなし、多くのやりとりをデジタル端末で済ませる生活が当たり前に思っている人材が、企業に就職した途端、タイムスリップしたかのような時代遅れの業務環境に直面する。業務上の判断をするにも、そもそも材料になるようなデータが社内に存在しない。ファクトに乏しいまま、上司や先輩は直感やら過去の経緯やら前例やらに基づいて判断を進めていく。そんなシナリオが目に浮かびます。

思い返してみれば、わたしが何十年前に就職した時にも、時代をさかのぼるようなことを体験したのを覚えています。わたしが就職した頃はインターネットが一般に広がる直前の時期でしたが、理系の大学研究室では電子メールがフツウに使われていました。電子メールでのやりとりなど、世間に名の知れた有名企業なら当然あるだろう、と思って就職したのです。ところが入社して新人研修中に先輩社員に聞いてみたところ、返ってきた答えは「いや、そんなのないですね」。就職先が通信会社だっただけに、驚愕したのを思い出します。

ちなみに、会社に電子メールが全社で導入されたのは、現場に配属された後の、その年度中のことでした。それでも、日本企業の中では早かったほうだと思います。

想像するに、わたしが当時受けたショックとは比較にならないような衝撃を、新卒の新入社員たちが就職先で受けるのではないだろうかと、いまから気をもんでいます。みなさんの会社では、そうならない自信がありますか?

「わからない」「難しい」は、組織が不健康である証

先日、一般企業の経営者および従業員に対する意識調査の結果を報じる記事を見ました。

それによると、20代から40代の一般社員と管理職で、DX(Digital Transformation)に対して不安を感じるという人が、60%近くに及んだといいます。その一方で、経営層やエキスパート層では、不安は比較的小さいとのことでした。

記事では、エキスパート層の不安が小さいのは妥当としても、経営層の不安が小さいというのは自信過剰か丸投げ体質の表れなのではないかと指摘していましたが(笑)、わたしが個人的に興味を引いたのは、そちらではありません。一般社員と管理職の不安の「度合い」です。

というのも、その不安の理由として挙げられたもののうち最多だったのが、「わからないことが増えて追いつけなくなる」だったためです。

これは調査結果ではなくわたし個人の見解ですが、ビジネスパーソンが「わからない」「難しい」と述べるとき、それは字面通りの意味で捉えるべきではないと考えています。

職業柄、ITに関連した新しい技術の話はもちろん、ビジネスを考察するうえで必要な概念やフレームワークを説明する機会がたくさんあります。そのような場において、「わからない」「難しい」という反応をされることは珍しくありません。

始めは、わたしの説明のしかたが悪いのだと思いました。実際にそういう時もあっただろうと思います。

しかし、ごくシンプルな問いかけをしたときでさえも、同じ反応だったことが何度もあったのです。それで、なぜなのか考えてみたことがあります。

これまでのそうした経験を振り返ってみると、じつはその反応は「人による」かもしれないことに気付きました。つまり、成長意欲が高い、普段から課題解決に当たっている、できることを増やしたい、そんなことを考えている企業や人からは、「わからない」「難しい」はほとんど出てこない。一方で、日常業務レベルでの困りごとくらいしか課題がない、今のままで別に構わない、余計な仕事を増やしたくない、そんなふうに考えている企業や人だと、新しいことの説明をするとほぼ決まって「わからない」「難しい」が出てくる。そんな傾向です。

後者の企業や人の場合、考えているように見えて、実のところ思考そのものは活動していないと思われます。

そもそも人間の脳というのは、記憶した所作や行動は、できるだけパワーをかけずに処理できるようにするために、神経のネットワークを強固にします。最終的には、そのネットワークのパスに条件反射的に通すことで、考えなくても動作できるようになります。そうして覚えていかないと多くの複雑な物事に対処できないわけであり、脳は合理的に構成されているといえます。

ただしそれは、見かたを変えれば、できるだけ考えないようにしようと働くのですから、「脳にはさぼり癖がある」ということです。それが極まって、日常の活動のほとんどのことを覚えてしまえば、実は脳のほとんどの領域はシゴトしていない、シゴトしなくても生きていける、という状態になるわけです。

会社のあるある話として、新しく入ってきた社員が業務のやり方に対して素朴な疑問を投げかけると、ベテラン社員が「前からそうしているから」「これまでに例がないからできない」「ウチではそうしない」などと回答するだけで、そのやり方である理由は答えられない、というのを聞いたことがないでしょうか。それもまた、同じ類の話です。そうしてムダをムダと思わない現場が放置されていて誰も気づかない、などということが起こります。

しかし、脳がさぼってシゴトしないかどうかは、個人の意識次第です。物事をマスターすることで脳が稼働するパワーが空くなら、その余力を使って違うことや新しいことを考えようとしている人、そういう環境に身を置いている人、ならば、脳にさぼっている暇はないわけです。

要するに、その企業の社員が、目指すものや克服しなければならない課題を持ち、何とか達成しようと日常的に頭をひねりながら働いているのか否かの差、つまりその会社の企業文化の差、が生み出す傾向なのではないか、と考えられるのです。

すなわち、「思考停止」が常態化する企業文化を形成してきてしまった、経営者の問題なのです。

わたしが読んだ冒頭の記事の記者氏は、DXに不安を感じないなど経営者の自信過剰だと指摘していましたが、わたしの考えではそんな浅い問題ではなく、会社が成長するためのリソースとしてパワー不足であることの表れなのではないか、それは経営者が適切に目標設定し組織としての成長を促してこなかった結果なのではないか、ということなのです。

もちろんこの問題、経営者の意識と行動次第で、解決することができると思います。ただ、ヒトの問題なので時間はかかりますが。