ソウムAI

「なにかイイネタないかなぁ」と思って、このコラムを執筆するアイデアを、半分くらい眠くなりながら、あれこれ思いめぐらせているうち、ボンヤリと浮かんだビジネスについて、今月はぼんやり書いてみたいと思います。

そのアイデアを端的に申し上げれば、「企業の総務部の業務を AIエージェントにほとんど担わせることができるサービス」というビジネスができないかな、というものです。ちなみに、このコラムのタイトルはいま流行りの ”サカナAI” にあやかって名付けてみましたが、事業内容は全然マネしてはいません。

ここから先の文章には「AIエージェント」という言葉がたくさん登場しますが、ここでは「得意技をそれぞれ持つ複数の生成 AI が、チームになったもの」くらいに解釈していただければ十分です。もし AIエージェントの詳細にご興味があれば、お手持ちの Copilot(生成 AI)に聞いてみてください。

総務の仕事といえば、総務の担当者でもない限り、あまり具体的に想像したことがある方は少ないかもしれません。実は、かなり多岐にわたります。それもそのはずで、総務が担う仕事とは「社内の業務部門がやらない仕事すべて」だからです。入社時のガイダンスや研修、社内の各種手続きの案内や手配、社外(主に役所関係)向けの定型的な手続き、社員向けの問合せ対応、税務社会保険など定期的な手続きの案内や取り纏め、定期健康診断の調整や取り纏め、社内行事の手配や調整、社内の規則や規程類の文書管理、オフィス内の備品管理、オフィス環境の整理整頓の管理、福利厚生への対応、等々。総務の担当者でさえ、自部門の業務をすべて分かっているわけではないこともあります。

それほどに頭も使うし気も遣う、会社の縁の下の力持ちとしての業務であるにもかかわらず、陰に隠れた存在ゆえに「総務担当者募集」と人材を募ってもなかなか人は集まらないのが実情ではないでしょうか。

そうした広範で複雑化しやすい業務を、基本的に電子化し、電子化できたタスクについて、AIエージェントが主体になって業務を担うことができるのではないか、というのがアイデアの肝です。総務の業務に特化した LLM(大規模言語モデル)を独自に開発し、依頼を受けた顧客企業に持ち込んで、個社の事情や環境に合わせて半年から 1 年程度かけながらファインチューニング等を施します。環境構築の結果、精度が十分上がり、AIエージェントが業務をほぼ代替可能になったところで、運用サポート契約に移行し、顧客企業に適宜支援を提供しながら継続利用していただきます。

ソウムAI は、社員や外部業者とのインタフェースを担うスーパーバイザーのエージェントと、個別のタスク分野を分解しそれぞれを専門的に担うスタッフエージェントを組合せ、エージェント同士が連係してタスクを処理し対応を行う仕組みです。

結果的に、顧客企業の社員は、総務に頼っていたほとんどのカウンター越しの用事を、専用の AIエージェントを通じて済ませることができるようになります。また、業務委託されている事業者も、総務部への連絡や報告など簡単なやり取りは AIエージェントに行って完了できます。

業種によっては特殊なタスクがありえるかもしれませんが、およそ総務の業務は共通性が高く、個別のタスクにかかるプロセスや情報フォーマットが業種を問わず固定的・反復的なものが多いです。LLM をベースとした生成AI の得意分野でカバー可能な業務領域と見込まれます。それでいて、総務がカバーする業務範囲は先に申しあげたとおり「社内の業務部門がやらない業務」で、かなり広範にわたります。

また総務には、法改正が発生した際の対応や、会社に関わるリスク情報の把握と対応、といった任務も重要です。そうした情報を収集し認知する仕事や、その対応策を検討する業務も、AIエージェントが支援できるでしょう。ソウムAI のサポートサービスとして、LLM や専門情報 DB(RAG と呼ばれます)を定常的にアップデートして提供すれば、その価値をもって月額料金制でサービス提供する理由が生まれます。

多くの事務処理を AIエージェントが自律的にこなすことができれば、人間の担当者は、業務環境整備に向けてよりクリエイティブな役割に専念できるでしょう。そしてそこでも、環境構築や企画立案へのアイデア創出に、AIエージェントが助言や情報を提供することができます。環境整備に関する内外の情報やトレンドを集約し助言提供することに特化したスタッフエージェントを追加提供すれば、実現できると見込まれます。

このときに、例えばオフィス家具製造企業などと提携して情報を連携し、彼らのマーケティングに貢献できる仕組みを整えれば、事業として別のビジネス領域への拡大にもつなげられるかもしれません。

どんな会社にも総務部は存在し、たとえ社員数名程度の小企業であっても総務関係の仕事は存在します。マーケットは極めて汎用性が高く、日本国内だけでも 100 万社のオーダーと見込まれ、業種は問いません。いまのところ、マーケティング、営業、商品・サービス企画、コンタクトセンター、といった業務領域については、生成AI によるサービスの活用を促すプレイヤーは数多く確認できますが、「総務」と言っているプレイヤーは、個人的には寡聞にして知りません。

先行者利益で学習の蓄積を進め、他の事業者から目を付けられる前に学習データとノウハウの蓄積に成功できれば、顧客を先行的に獲得して確保し、参入障壁も築きやすくなるかもしれません。AI をビジネスにするならば、AI モデルの精度と洗練度は最大の競争力の源泉です。いちど顧客化できれば乗換は発生しにくいサービスと思われ、その意味では先行して顧客を獲得できれば、それだけ学習データの面でも差をつけられ、より競争力が増強されると見込まれます。

書いているうちに、目が覚めてきました。このままできるかどうかはさておき、筋はそれほど悪くはないように思いますが、だれかが本当に実現してくれたら愉しいですね。

「全体」は「イケてる部分の集まり」に非ず

昨年中もさまざまな企業の現場に関わらせていただき、さまざまな場面に出合って支援を試みてきました。良いことも、良くないことも、いろいろあったように振り返ることができます。その中で感じたこととして一番に思い浮かぶのは、「グランドデザインができる人って、やはり少ないんだな」ということでした。

実は、優秀な人材が集まっていそうな大きな会社ほどグランドデザインができる人材が少ないのではないかと、いまでは確信に近い認識になっています。考えてみれば自然なことかもしれません。プロパーで入社して職責が上がる中で、会社を全体俯瞰で眺めて仕事をする機会は、会社が大きいほど、ほとんどないでしょう。グランドデザインを描く経験を深めないままに経営幹部になっていくのは、とても不幸なことだと思います。

グランドデザインが描けないなら、事業戦略は稚拙なものになります。戦略立案能力が低いリーダーが率いる組織では、方針や数値目標くらいは示されても、それに向かうシナリオがありません。耳障りのよいスローガンは唱えるが「どうやるか」がない、どこかの国の政治家と同じです。

方針だけがあってシナリオがなければ、部下やスタッフは方針だけ理解して、しかし日常業務で何にどのように取り組めばいいのか、ピンときません。そして、その後も一向に具体的なアクションについては指示がない。「どう実行するかは自分たちで考えろ」というリーダーもいますが、自身が描けないシナリオを部下が描けるはずもありません。よって、現場はこれまでどおり業務を遂行するだけで、目標は達成されないか、期末に数字合わせしてお茶を濁すか、いずれかになります。

会社での計画策定とは、「部長が鉛筆をなめながら目標数値を書き込み、本部長がそれをきれいにまとめ、担当役員はそれを承認する」ものだと信じてやまない大企業の人は、いまだに少なくないのではないでしょうか。それが当然の企業文化においては、戦略シナリオが整うことは想像できません。

シナリオがない会社では案外、「流行りもの」に手を出すのが先端的で素晴らしいと思っているふしもあります。人事制度なら、1on1、OKR、ジョブ型採用、等々。営業施策なら、MA、カスタマーサクセス、等々。流行りのベストプラクティスと聞けばすぐに採り入れようとします。そうして、社内にはいろいろな新ルールや新制度が出来上がります。

なかなか時代の先端を行っているようでいて、よく内情を観察すると、1on1ではほとんど世間話に終始し、OKRのつもりが目標を因数分解できずに意味をなさず形骸化しています。MAソリューションを営業部門で導入するも、単なるメルマガ発行マシンとしてしか機能していません。そんなことが起こっていたりします。

本来なら、どの施策も「全体」の中の重要な「部分」を成すはずです。しかし、戦略遂行のなかで果たすべき機能的な役割は何ら定義されないので、当然ながら効果も限定的にしかならないわけです。こうした会社に、「~(流行りモノの施策)やっていますか?」と尋ねると「やっています!」と威勢よく答えることでしょうが、実際にやっていることは「部分の集合体」に過ぎず、全体最適には程遠いのです。

部分をどれだけかき集めても、部分をたくさん作り込んだとしても、それは「全体」にはなりません。ガラスの破片を集めて組合せても鏡にはならないのと、同じことです。

まず「全体」、すなわちグランドデザインが設計できて始めて、どの「部分」が必要なのか、または不必要なのか、必要だとしたらどういう役割や機能を果たす必要があるのか、判断できます。逆にそうしなければ、「全体」に対して無頓着になります。古代の中東の逸話に、こんなものがあるそうです - 3人の盲人が1頭のゾウに出くわした。一人目の盲人はゾウの片耳をつかんで「これは大きくて、ザラザラしていて、絨毯のように幅広なものだ」、二人目の盲人は鼻をつかんで「これはまっすぐで、中が空洞のパイプだ」、三人目の盲人は前足をつかんで「これは大きくてしっかりとした、柱のようなものだ」と口々に叫んだ。彼らの「知る」方法では、その生き物がゾウであるという理解に決してたどり着くことはないだろう ー

また、グランドデザインのもとで成長や発展のシナリオが描けている組織やチームでは、仕組みが整っています。その仕組みに沿う形で、多くの場合、やさしさと厳しさが両立しています。最近ではパワハラに対する対応を要求されていることもあるのか、上司は部下をほめることの必要性が強調されているようですが、シナリオが描けていない組織ほど、上司は部下をほめること ”しか” していないように、個人的には感じています。優しいばかりでは、単なる「ゆるい組織」になっていきます。想像するに、上司はどこで厳しくするべきか、どの程度厳しくするべきか、さじ加減が分からないから恐ろしいのでしょう。リーダーがシナリオを持たないのですから、さじ加減の想像がつかないのも説明がつきます。

大企業では文化がない限り難しいグランドデザイン設計も、中小規模の企業ならまだ描きやすいといえますが、中小規模の組織でグランドデザインを描くとしたら、できるのは現実的には経営者しかいません。経営者の設計力にすべてが委ねられることになりますが、自分がグランドデザインしなければならないという意識を持つ経営者もまた、少ないのが現状ではないかと感じます。実際、全体俯瞰で事業シナリオが的確に描けていると思える中小企業は、わたしから見ると少ないです。できているつもりの経営者は、よく見かけますが。

もちろん、そもそも全体設計するには難易度が高い業種業態は存在します。例えば、プロセス型の製造業などはそうでしょう。ただそれ以前の問題として、限定された業務領域でのシナリオ構築さえもうまくできていないケースを、個人的には多く目の当たりにしてきました。「因数分解」の重要性がなかなか通じないケースも、いまだ少なくありません。

そうした課題に対応できる方法論を持つところに、当社としての価値の出しどころがあるということになります。本年も、グランドデザインの設計により強い課題意識を持つ企業様を中心に改めて注力して、少しでも多くの支援ができれば嬉しい限りです。

技術戦略を考えないビジネスのミライ

AI(人工知能)が適用されるビジネス領域は、拡大の一途です。ChatGPT が衝撃を与えて以降、クラウドでのサービス展開も含めて、一気に応用領域が広がった感があります。また、その適用の範囲は、現場作業の置き換えや支援から、事業のコアとしての実装まで、あらゆる領域にわたります。

企業が本格的に AI を取り込んで業務に適用しているケースは、大企業ではほとんど行きわたっていると思われますが、中小レベルでは温度差があるでしょう。それでもこれだけ世間で話題になっているのですから、個人的にであれば遊び程度でも、対話型AIを触った経験がある方も多いのではないでしょうか。

企業が AI を活用しようとするなら、その取り込みかたについては十分に戦略的であるべきだと、わたしは思います。大手企業であっても安易な採用のしかたが散見されると思って見ています。

特に経営者がきちんと考えを及ぼすべき論点は、「使おうとしている AI が事業の根幹に影響を及ぼす可能性があるのかどうか」です。ChatGPT に情報を調べてもらう、知識を教えてもらう、資料をまとめてもらう、図や絵を書いてもらう、程度のことであれば、現場の好きなようにやらせてもそれほど問題はないでしょう。ただし、ビジネスの価値提供に大きく影響を与えるような使い方をしようとするなら、安易な方向に流れていかないように、経営が環境を構築することが必要です。

例えば、AI が適用される有力な領域に、翻訳があります。OpenAI など有力なテック企業が開発する大規模言語モデル(LLM)を基にすれば、あらゆる言語への翻訳がかなりの精度で実現できることが実証されています。これを用いて、様々な出版物に適応できるように AI モデルを改良し、価値を生み出そうとするスタートアップ企業も出てきています。

マンガの翻訳などはその一例で、マンガを多言語に翻訳するエンジンを開発するスタートアップ企業が複数出てきています。現状では、マンガやアニメには独特の言い回しが多く、翻訳には物語の背景に対する理解も必要で、単に LLM を使うだけでは精度が出ないと言われています。しかし、そうした背景、言い回し、ニュアンスなどを、マンガやアニメに最適になるように学習させれば、精度が確実に上がっていきます。要は、時間と労力の問題です。それに取組もうとするテック企業に、出版社が出資をして、翻訳を委託する動きがあるようです。

ご存じのとおり、日本のアニメやマンガは、海外で人気を博しています。今後ビジネスとして大きく伸びる可能性を秘めているでしょう。それに対して、翻訳の工程における精度を格段に向上させ、また格段に処理時間を短縮させて、海外市場に素早くコンテンツを展開できる可能性を、AI は持ち合わせています。きわめて有力な競争力のリソースになり得るテクノロジーです。

では、そうした競争力の源泉のタマゴと言えるリソースを、自前で持たなかったらどうなるか、出資する出版社の経営者は考えを及ぼしているのでしょうか。「ウチはITの会社ではないし、専門技術を持った集団がもう存在しているのだから彼らに任せるのが早い」などと考えて、易きに流れていないでしょうか。

今後、日本の人口が減少すること、つまり国内のマンガやアニメのファンは減少することは、すでに分かっていることです。一方で、海外では今でも人口が増えている国や地域が少なからずあります。海外でマンガやアニメの人気が順調に拡大していった場合、売上構成は海外が主、国内が従、になる可能性は十分想定されます。そのとき、多言語翻訳はビジネスの展開において、価値提供に不可欠なピースになるはずです。自前でやらないということは、事業に不可欠な要素を社外の別の会社に依存する、ということになります。

一方、AI 翻訳企業の立場で見れば、出版社にとって自分の会社が、事業存続のためになくてはならない存在になります。そうなった時点で翻訳の機能を果たすのみならず、海外への物理的な展開や配信まで機能的役割を果たせるようにビジネスを作り上げられていれば、アニメ・マンガ業界のプラットフォーマーになれる可能性も見えてくるでしょう。

そうした将来シナリオを今の時点で想像できているのなら、出版社の社長は、自前でAI モデルを育てないと「ビジネスの肝」を他社に押さえられてしまうという危機感にとらわれないとおかしいと思うのですが、いかがでしょうか。

AI は、データを食べて成長し、力をつけます。そのデータはどこから来るのかといえば、企業が自前で持つ情報から来るのです。その情報がビジネスの根幹をなす源泉であるほど、それを食べて成長した AI モデルがビジネスの根幹をなす存在になるのは自明です。AI モデルが成長して脅威を示すようになってから、そのデータはウチのデータなのだから返してくれ、使用料払ってくれ、と主張したところで、もう消化してしまったデータを取り戻すことはできません。そして、一度成長してしまえば、その能力は岩盤のごとく強固な存在になります。長年かけて強化してきた AI モデルに対して、随分後になってから自前で追いつこうと思っても、追いつけないでしょう。

AI を事業に活用しようとするなら、どのような用途に使おうとするのか、それは手間をかけて自分で育てなくてもいいのか、経営者が主体的に戦略を設計し、会社の方針として指示を出していく必要があります。そして、事業成長に AI が有力だとなれば、長期戦と捉えて AI モデルを自分たちで地道に育てていく環境を整えていく覚悟も必要です。

戦略もシナリオも考えずに易きに流れれば、上記の出版社のように、気づいたら外部のテック企業がいないと生きられない会社に成り下がるかもしれません。テクノロジーというのは、「ウチは技術の会社でないから関係ない」では済まない、もはやそういう存在なのです。

「何でもできます」がウリのビジネスは、売れない

最近、地方銀行発のデジタルバンクとして、(少なくともIT業界や金融業界の周辺では)鳴り物入りで事業をスタートした「みんなの銀行」が、3年連続赤字で事業存続の危機と報道されたのが注目されていました。

同行は、勘定系をはじめとしたすべての業務システムをパブリッククラウド上に構築し、システム設計もクラウドネイティブが前提と、銀行のシステムとしては前例のないものを構築するということで、事業開始当初から注目を集めていました。決済や預金といった金融サービスに必要な機能を、小さく分割して実装するマイクロサービスと呼ばれる手法を採用し、必要なマイクロサービスを組み合わせて連携することでサービス提供を実現する作りになっており、サービスの提供・追加・修正・更新などが柔軟に行えるということをウリにしていました。

その柔軟性を活かして、モバイルアプリだけで完結できるバンキングサービスを展開したけれど、口座数こそ増やせたものの、預金残高が積み上がらず、ローンの貸出も伸びずに、収益が思うように上がっていない、ということなのでしょう。

危機と報じられた後の会社幹部のインタビュー記事などを見ると、「当初からBaaS(Banking as a Service)を事業の軸と考えていた」「黒字化はいまから4年後だ」などという発言で、事業撤退観測を打ち消しているようです。よく言えば「ピボット」というのかわかりませんが、僭越ながらいささか都合の良い言い回しにも感じられます。

私自身、ビジネスとは何か、売れる商品やサービスとはどういうものか、繁栄や成長を果たしている企業とそうでない企業では何が違うのか、ということにずっと悩みと課題意識を抱えてきました。いまはその悩みが消えてなくなったと言いたいところですが、残念ながらそうではありません。しかし、10年以上かけて事例研究や試行錯誤を繰り返していると、気づきも多く得られます。そうした気づきを体系化したフレームワークが、いまの当社がお客さまに提供する助言の根幹の考え方になっています。

それを踏まえて申し上げれば、「柔軟」、すなわち「何でもできます」というビジネスに接した顧客は、たいていの場合、そのサービスをおカネを出して買おうという魅力は感じません。なぜなら、「何でもできる」会社には具体的になにができるのかが、よくわからないからです。

「何でもできます」というサービスは、顧客の側においてすでに実行したいことの構想がかなり明確に描けていて、あとはその実現方法を確立するだけ、という場合には有効かもしれません。卑近なたとえをするなら、家の掃除の仕方は完璧に想定できているが、あとは掃除を実行する人が欲しい、という状態でしょうか。

しかし、たいていの場合、顧客の側でそこまで構想が描けていることはありません。簡単に言えば、顧客は自身が具体的に何をしたいのかがわかっていないことが多いのです。

そうした背景から、典型的に売れていく商品やサービスというのは、顧客の困りごとの解決や、顧客が得られる心地よい体験が、その提供シナリオが具体的にわかるかたちで明確に打ち出されているサービスなのです。

勝手な想像かもしれませんが、このデジタルバンク事業を始めに企画した段階で念頭にあったのは、どんな顧客にどのような価値を提供する「ビジネス」をつくるのか、ではなく、どの金融機関でも実現できていない画期的な「システム」をつくる、ということではなかったか、懸念されます。パブリッククラウド上でマイクロサービスによるシステム設計を行って、過去に前例のない金融システムを構築する、ということにばかりフォーカスが行ってしまっていなかったのか。当然ですが、情報システムの構築は事業の「手段」であって、事業の「目的」にはなりません。

そうではないという反論があるとしたら、では、ターゲットとしていた顧客はスマホだけで口座の操作や取引手続きが完結する金融サービスがないことにどれほど困っていたのでしょうか。BaaSの顧客は、スマホアプリを使って取引する顧客とはまったく異なる種類の「ターゲット顧客」になりますが、BaaSの顧客は何に困っていると考えていたのでしょうか。そしてなぜ、異なる2つの種類の「顧客」を、始めから同時に相手にしようとしたのでしょうか。ぜひ説明を聞いてみたいところです。世間にない(または認知度が低い)画期的なサービスを打ち出そうというときに、異なる顧客を同時に扱う、すなわち複数の異なるビジネスを同時に立ち上げる、という行為は、わたしの目には無謀に映ります。

BaaSという事業環境においても、すでにライバルのプレイヤーは群雄割拠の状況です。同行が「ピボット」してBaaSを軸に事業を進めるとしても、「柔軟」というだけでは4年後の黒字化も難しいのではないかと、わたしは見ています。まあ、わたしの予想なので、外れることを願っています。見事に外れた暁には、また勉強させてもらいます。

スタートアップや小規模企業に、ビジネスのしくみはムダなのか

ビジネスのしくみ化について、わたしは度々、その重要性を様々な場所で述べています。

一方で、識者と呼ばれる人の中には、スタートアップや小規模企業が仕組み化に拘り過ぎると、ビジネスにおける柔軟性を低下させて成長の足かせになる、ということを主張する人々がいます。

スタートアップや小規模企業は、ビジネスのしくみ化に取り組む必要性は低いのでしょうか。今回はこのことについて(改めて)論じてみたいと思います。このコラムをよく読んでいただいている方々には、わたしがどういう主張をするのかということは読む前からお分かりかもしれませんが。

「ビジネスのしくみ化をするから、ビジネスが柔軟でなくなる」というのは一面的な考え方であると、わたしは考えます。

ビジネスのしくみ化をする意味というのは、その企業が目指すミッションや提供したい価値を実現するための行動シナリオを具体化し、言っている通りの価値を顧客に実際に提供できるようにすることにあります。仕組みというのはつまり、固定的で硬直化した業務プロセスを指すものではありません。つねに管理され、最適化を目指して改善を続けられるものです。

ビジネスの価値をどう提供すべきなのかは、一度決めてしまえばあとは変更しない、変化しない、ということではないはずです。事業環境が変われば、または顧客にとっての価値が増すような提供のしかたが新たに見出されれば、それは当然に考慮され、よりよい提供方法に変えられていくべきです。

スタートアップ段階の企業ならなおさら、価値提供のノウハウが完全に定まってはいないでしょう。より価値提供のあり方を高めるべく改善の余地は多分にあるはずで、改善活動に付随して、ビジネスのしくみも進化していくのが自然です。

また、一定の成長軌道にすでに乗っている小規模企業であっても、顧客の意向や嗜好は変化することを念頭に、常に動向をウォッチし続け、顧客にフィットするように、価値提供のしかたや質をアップデートしつづける努力は欠かせないはずです。その努力をしなければ、競争社会のなかにあってすぐにその提供価値は陳腐化していきます。

逆に、ビジネスに柔軟性がなくなるからと言って、ビジネスのしくみづくりを軽視すればどうなるでしょうか。

ビジネスのコンセプトやミッションとして経営者が掲げるコトバは立派だが、現場の仕事は実のところそれを体現できず、コトバとは裏腹なサービスや購買体験が顧客に向けて展開される、ということに、容易につながるのではないでしょうか。実際、外見や評判はすごそうに見えて、内情は随分混乱しているスタートアップというのは、個人的に観察する範囲では相応な頻度で見られる印象があります。同様に、立ち上がり段階こそ良かったのに、ビジネスが進展していくにつれ、当初の提供価値からは離れていくようなサービスや商品が展開されていくような会社も見かけます。

もちろん、ビジネスのしくみは一気に完成するものではなく、段階的に整備を推進することは大いにあります。ただしそれも、ロードマップは予め描かれ、それに従って進められています。成長シナリオが明確な企業というのは、ある程度の試行錯誤は不可避とはいえ、決してその場の思い付きや偶然の成り行きで事業を進めているのではないのです。

どのレベルまで仕組みづくりが実現できれば、どの程度まで価値提供が実現できることになり、その先はどのようなステップを踏んで、価値提供のレベルを高めていけるのか。そうしたシナリオが描けていてこそ、段階的な推進と言えます。

計画は不確実性がつきものであり、もちろん軌道修正が必要になることもあるでしょう。仮に軌道修正するにしても、予め描いたロードマップがあってそうするのなら、変更すべき個所と到達点に向けた修正ポイントは明確です。計画を立てても変更されるからといって、計画すること、シナリオを構想すること、ロードマップを描くことに、無駄はありません。

こういうことを申し上げると、「仕組みなど考えている時間があるなら、先に売り上げを上げることのほうが優先だ」という趣旨の反論を受けることがあります。

ビジネスで売上を立てることは何より重要だということは、論を待たないと認めますが、仕組みもないところで「なんとなく」上がる売上というのは、往々にして長くは続きません。「一発屋」で終わりたい事業家は、そうたくさんは存在しないだろうとわたしは信じています。

実のところ、(単純に)売上を上げる(だけ)ということは、案外「為せば成る」世界でそんなに難しくはありません。爆発的に売り上げて勢いが増すビジネスの例も聞きます。しかし、一見成功したかに見えて、そのあとで提供価値のクオリティがついてこず、顧客を失望させて一気に冷める、というケースは、案外よく聞かれる衰退事例です。

ビジネスのしくみというのは、誰がオペレーションしても確かな売上さらには利益を継続する裏付けとなる「カラクリ」です。カラクリがない事業は、勘でオペレーションしているということです。それは、くじ引きで運試ししていることに近い。当たればうれしいが、当たらなかったときに原因は一切わかりません。改善しようと対策を考えるときも、同様に勘による「くじ引き」を繰り返すことになります。

仕組みを考えさせると逡巡する経営者、逃げようとする経営者も見かけますが、自ら発想するビジネスアイデアを仕組みに落とし込むこともできないのなら、能力を鍛えてできるようになるまで事業展開はやめるべきです。巻き込まれる人たちが不幸になります。そんな構想を描いていたら多大な時間がかかる、というのなら、そのアイデアは考えが浅いか、視野が狭いか、その両方か、である証拠であり、本格的な事業展開ができるポテンシャルに不足があるということです。

アイデアの創出に論理は不要ですが、論理性のない事業は、経営者の独壇場となり、他の人間が入り込む余地がありません。仮にその事業が先に進んだとしても、誰もその経営者と議論できないし、客観的に語れるブループリントがない事業の経営者は真の相談相手を得られないでしょう。外食業界で活躍する、あるスタートアップ経営者は、そうした創業社長のことを「占い師」と称していました。経営者の勘とセンスで店を開発し、ヒットへと導くが、なぜ売れたかは本人にさえも分からない、そんな会社は占い師以外は活躍できない、ということを皮肉ったものです。くじ引きと占いの違いこそあれ、まったく同感です。

平凡な人材を、自社の幹部に育てる方法論

中小規模の会社で、有能な人材の不足を嘆いていないところを聞いたことがありません。それは今も昔も変わりませんし、洋の東西も問いません。名経営者として現在謳われているような方々であっても、かつて中小企業だった折には、やはり自分に匹敵するような能力を持つ幹部がいないことに悩んだといいます。

あなたの会社に、もしポテンシャルの高い人材がすでにいるとしたら、それは大変な幸運に恵まれているといえます。ぜひ、大事にしてください。そういう有能な人材ほど、いろいろな意味で「感度」が高いので、大事にしなければより高いレベルの職業機会を求めて転職していく可能性が高いです。そのような機会を社内で与えられなければ、フツウの中小企業と同様に、平凡な人材の集団になります。ほとんどの中小企業にとって、能力が高い人材を集めることはハードルが高いことです。

通常、経営者に要求されるのは、平凡な人材が集まる会社の中で、どのようにして有能な幹部社員を育てていくのか、ということでしょう。これには一定の答えがあるわけではないと思いますが、中小企業における方法論を念頭に、以下にわたしなりの考えをまとめてみます。

まず、会社の規模が小さいうちに、会社の中のあらゆる業務において、経営者が率先垂範してすべてをリードし、部下に仕事の手本を見せてほしいと思います。

企画でも、営業でも、開発でも、経理でも、人材育成でも、すべてをまずは経営者自身が先頭を切って必死に働くことです。部下には主導させない。経営者が第一線で必死に働いて顧客に価値を実際に提供している姿を見ることで、部下は「ついて行ってみよう」「真似してみよう」という気持ちになれるものだと思います。

自分には現場レベルの仕事はできないからと言って、ある業務カテゴリを丸投げして他人に任せる経営者は、かなり多いのが実情でしょう。しかし中小レベルの企業において、経営者が自分で手掛けて成果を出せないような仕事は、他人がやればそれ以下にしかなりません。部下に任せるだけでなく、信じられないかもしれませんが外部から人を採用してもそれは同様です。

そして、経営者がその仕事の成果を的確に判定できない業務カテゴリでは、やがてその領域が、会社の成長の足かせになっていきます。以前のコラムにも書きましたが、自分ではできないことが限界を形成していくわけです。中小企業の経営者は、「小さく万能」でなければなりません。

そうして自ら実践する中で、一定の方法論を形式知にし、業務を仕組み化をしていきます。これが次の段階です。

経営者が勘で仕事を続ける限り、いつまでも部下の意識の中に軸をつくることができません。成果に繋げられる仕事の仕組みが見えるようになれば、経営者と部下の間に共通の価値観が形成しやすくなります。自分が黙っていても部下が自然にその仕組みに従えるようになってきたところが、部下に任せられるようになったタイミングです。

そうして任せられる人材が出てきたところで、幹部になる心構えを説く育成プログラムを考えていきます。こうしたプログラムは、幹部候補にだけ行うようなものではありません。一般社員にも持ってほしい心構えから始めて、段階を踏んで進めていくほうがよいと思います。会社のミッションやビジョンを下敷きにしつつ、一般社員から幹部に育つにはどのような心構えの成長が必要なのかを、やはり経営者が概念化する必要があるでしょう。その成長プロセスに沿ったプログラムを段階的に整備し、部下に提供していくのです。

段階的に提供していくことで、幹部候補になった時から急に始めようとするときに生じるギャップを小さくすることができるはずです。そもそも、自分が会社でリーダー的な役割を果たせるようになりたいという思いは、仕事をして成果を挙げていく中で徐々に意識が変わって生まれてくるものです。その過程のなかで、幹部に必要となる覚悟や責任感を、徐々に持っていってもらえるように仕向けていくほうが、育成は円滑に進むはずです。

時々、研修プログラムを整備しようとしない中小企業や、研修は外部のものを買ってやらせればよいと考えている主体性のない中小企業を見かけます。研修の仕組みは、自社にとってのあり方を明確に設計して実施すべきで、設計されたうえで外部のコンテンツを取り入れるなら有益でしょう。その「あり方」を具体化するのも、始めは経営者が率先垂範すべきことです。

また、能力がある社員には研修は要らない、ということは決してありません。一方で、研修が充実していればどんな人材でも育成されることも、決してありません。会社が適切な対象者を選定し、その人たちに充実した研修を施して初めて、効果が生まれます。

併せて重要なのは、幹部候補になり得る社員たちに対して、重要な価値観や考え方を、経営者が日常的に言い続けることです。いつも同じことを言う、いつも同じことを問いかけて確認する、ということを通して、徐々に経営者のイズムが浸透していくのです。また、日常の仕事のしくみも、そうした「いつも同じことをする」の一環として機能するものです。

どのような方法を採ろうとも、会社のコアになるような人材の育成には時間がかかるのは間違いありません。簡単に育成することはできない、意図しなければ育つことはない、と思ったほうがよいです。「そんなことは経営者の仕事ではない」として丸投げするのは、だいたいの場合誤りです。長い時間をかけて経営者が率先垂範する覚悟は、持つ必要があるだろうと思います。

自虐はやめよう、「ガラパゴス」かどうかは顧客が決める

ここ最近読んでいた記事のなかで目を引いたもののひとつに、「国家ブランド力」で日本が60か国中でトップに立った、というトピックがありました。アンホルト-イプソス国家ブランド指数(NBI)というもので、フランスの調査会社イプソスと、国家イメージ分野における世界的権威サイモン・アンホルト氏が、2008年から共同で実施している、国家ブランド力を評価するグローバル調査です。

NBIでは、「輸出」「ガバナンス」「文化」「人材」「観光」「移住と投資」の6つのカテゴリとそれぞれの詳細な属性について、世界各国の調査対象者にアンケート調査を行って評価を行っています。多様な切り口で各国の印象を評価しているようで、NBIの総合ランキングはその言葉通り、国家ブランドの総合的な評価と言えそうです。

わたしが関心を持ったのは、日本が国際的な評価指標でトップになったとはずいぶん珍しいな、ということだけではありません。その詳細な評価を見ていくと、興味深い点がいくつか見受けられるのです。

例えば、日本は上記6つのカテゴリのうち「輸出」が強いと評価されたといい、科学技術への貢献、場の創造性、製品の魅力といった属性で1位だったそうです。

いずれも、日本の国内では「陰りが見えてきた」などと批評されることが多い分野ではないでしょうか。さらには、ガラパゴスだとか、過剰な機能だとか、そうした自虐もよく聞かれるような分野である気がします。

ほかにも、国家としてのパーソナリティを評価する質問において、17種ある特性のうちで日本が唯一1位を獲得したのは、なんと「創造的」でした。ちなみにパーソナリティの特性については、ポジティブな特性とネガティブな特性が共に評価されているのですが、日本人だけにアンケートを取ったら「問題が多い」に票が集まりそうです。

そんな結果を見て感じたのは、「支持と尊敬というのは自然に集まるものなのであって、それを獲得しようと注力するものではない」ということです。

思えば「ガラパゴス」ということばは、個人的には、日本が携帯電話の通信規格をいち早くインターネット接続に対応させ、その先進的技術を世界に広めようとして失敗した、という経緯の中で広まったものだと理解しています。この事例のほかにも、「日本は技術で勝ってビジネスで負ける」などとはよく言われてきました。ただ、その指摘の根底にあるのは、要は覇権主義的な考え方であって、そうした野心や魂胆はすぐに見抜かれ警戒されるわけで、容易に行かないのは当然です。近年台頭する某国の振る舞いを見て多くの国が何を感じているか、というのと同じです。

一方で、そうした野心も魂胆も持たず、ただ地道に自らの取組みや良い側面を対外的にアピールし、それが評価されれば、支持や尊敬は自然と集まる。NBIにおけるトップというのは、それを象徴しているように思えるのです。

いまITにおいて世界のスタンダードとして不動の位置にある米国企業は、どの企業も、ビジネスを始めたその時から「世界を牛耳る」などとは考えていなかったのではないかと、わたしは考えています。彼らの視点がもともとグローバルなだけなのではないでしょうか。自国内のリーグで行うプロスポーツの王者決定戦を「ワールドシリーズ」と躊躇なく呼ぶ人たちなわけですから。

現代は、隠そうと思っても、情報はネットで瞬時に世界中に伝わってしまう時代です。軸を明確に据え、地道にそれを体現する努力を積み、周囲に向けて提供価値の訴求や啓もうを続けていくという、ただその取り組みに集中することが、大事なのではないでしょうか。あとは神のみぞ知る。反応を見て軌道修正していけばよい。経営者が考えていることのスケールが大きいかどうかは重要です。ただし、顧客の支持や評価に関することをコントロールしようとすると、余計な力が入っておかしな方向へ走るように思います。

名リーダーなら、まずできている行動

先日、米OpenAIのアルトマンCEOが電撃的に職を解任され、その4日後に復帰を果たすという出来事がありました。同氏が取締役会によって解任された際、同社の従業員の大半が団結し、CEO解任を取り仕切った現在の取締役が退陣しないなら自分たちが退職すると表明したといいます。その数は従業員の9割とも言われていました。アルトマン氏はよほど優れたリーダーとしてリスペクトされていたのだろうなと、このいきさつを知って感じました。

方や国内では、管理職に昇格するもその役割になじめず挫折するビジネスパーソンが続出しているといいます。先日の日経ビジネスの記事では、その様相を「罰ゲーム」と表現していました。

スタートアップのCEO職と、企業の中間管理職を比べるのでは、違いが大きすぎるのかもしれません。後者は、わたしに言わせれば権限も立ち位置も中途半端で、いわゆる「板挟み」になりやすい立場でしょう。やりたいことを明確に持っていても、周囲に振り回されてしまって思うようにならないこともよくあります。なかなかつらいのは間違いありません。しかし一方の前者はつらくないのかといえば、そうでもありません。CEOは全方位でその能力を評価されてしまうところがあると思います。得意な事だけ突出しているのでは、CEOの能力として足りません。高く評価されることが人間的な魅力につながり、それで人がついてくる、という構図です。魅力のないCEOの会社に、人は集まりません。人が集まらない会社は頓挫していきます。ある意味、中間管理職より厳しい立場です。

違いはありながら、両者に共通して必要なコンピテンシーはいくつかあると、わたしには思えます。そのうちの主要な特性は「リーダーシップ」でしょう。

一般社員から管理職に昇格した人を見ていると、いままで職務上要求されなかったリーダーシップを昇格と同時に要求されるようになることで、勝手がわからず苦しむケースや、少々曲がったリーダーシップを発揮してしまうことでメンバーの反感を買ってしまうケースなど、様々な問題が見受けられます。

一方で、スタートアップや小規模な企業のCEOにも、問題があるケースは見られます。こうした会社が抱える問題のほとんどは、その原因が経営者にあることが多いものです。小規模な企業では、ミッションやビジョンを(意義のあるかたちで)持たないところも珍しくありません。リーダーシップというものについて突き詰めて思索したことがない経営者が多いのではないかと、個人的には感じています。

リーダーシップという特性に、唯一絶対的な解はありません。それぞれ経営者やリーダーにそれぞれのスタイルやポリシーがあってよいと思いますし、現実、名経営者といわれる人たちを見ていても、そのリーダー像は千差万別です。

ただし、わたしが考えるに、名だたるリーダーができている行動には、共通した要素も多くあります。例えば、次のような行動です。

「旗印を掲げること」: そのリーダーなりの見識をもって現況や将来を見極め、目指すべき方向を決め、それをわかりやすく表現する。それをメンバーに示し、それによって人々を前向きに動機づける。

「構想を設計すること」: 自らや会社が持つリソースや手段を活用することで、どのようにして目指すべき方向に向かうか、どのように目標を達成するか、提供したいと考える価値をどのように実現するのか。そのシナリオや全体像を具体的に描く。それを示し、周囲の人々に実際に活動してもらう。

「環境を整えること」: 人間関係、職務環境、業務に必要な道具、外部や他社との連係や交流、情報の流通、行動に対する評価の仕組みなど、メンバーが任務を遂行する上で必要になる環境と雰囲気を整える。整備した環境によって、個々のメンバーの能力が相互の掛け算で発揮されるように促す。

このようなことを実践したうえで、日々の業務遂行において直面する課題に対して「判断と決断を行うこと」。判断は、必要な情報が手元に揃えば可能だが、そのためには必要な情報が手元に届けられる仕組みを整えなければならない。一方、決断は、胆力と時宜が問われるものであり、必要な情報がなくても的確に行わなければならない。そのためには、「ぶれない軸を持っていること」が前提になる。時々、これを強情や意固地と取り違えている例がみられるが、もちろんそれらとは異なる。

わたしが観察していて素晴らしいなと思うリーダーは、上記のことがすべて淀みなくできています。ただし、事例は少ないですが。

一方で、問題があるなと思うリーダーは、上記のどれかが欠けている、のではなく、すべてにおいてまったくダメか、どれも中途半端で欠陥が目立つか、です。もちろん、わたしの顧客でない方には、そんなことを思っても直接お伝えはしません。

経営者の方々は、自らの欠陥に自分で気づくしかありません。一方、みなさんの会社の中間管理職の方々については、適切なかたちで気づきを与えてあげて、未熟な能力を伸ばすように働きかけていただきたいと思います。日常の業務に沿ったかたちで訓練されていく工夫があれば、リーダーとしてのスキルは伸びていくでしょう。誰も教えてあげずに放置するから、「罰ゲーム」だと思われてしまうのではないでしょうか。

あんなリーダーになりたい、とリスペクトされるような人材が出てこない会社は、やはり将来危ういです。

DXを本当に実践できている組織が、持っている力

当社では、DXの推進や取り組みにご関心をお持ちの企業様に向けて、「組織としてのDX推進力」を無料で診断するサービスを、ご希望される企業様に提供しています。

ビジネスのデジタル化やデジタル技術の活用に、これから取り組もうとされている企業も、すでに何らかの取り組みに着手されている企業もあり、状況は様々です。ただやはり、スムーズに取り組みを軌道に乗せていく企業はあまり多くないように見えます。立ち上がっていかない要因はいくつか考えられますが、課題認識のヒントになるような情報が提供できればと考えて診断を行います。

わたしが複数の事例を見て思うところのうち、DX推進のポイントになる要素のいくつかを、このコラムで紹介したいと思います。

まずひとつは、「技術より環境づくり」ということです。実は、ITには自信を持っていた企業や、IT担当者がすでに社内にいる企業が、DX推進となるとさっぱりうまく行かない、というケースは珍しくありません。進められる環境が整っていないことが、主な要因です。

「環境」ということばは厄介で、いろいろな意味が含まれています。ここでは例えて言うなら、「種をまく前に、土壌を整えたのか」という話に近いかもしれません。新しい取り組みが進められるだけの体制、人材の配置、技術の整備、知識の吸収、評価の仕組み等々、「土を耕して肥沃にしておく」必要がそもそもあるのに、何も整えずに進めようとしているのではないか、ということです。

環境を整えるのは、言うまでもなく経営者と経営幹部の仕事です。よって「DXでなにかやれ」という指示をするだけの経営者は失格、ということになります。

次に、「業務の仕組みを設計する能力の優劣」です。DXが、デジタルを前提として新たなスキームを備えたビジネスを展開し新しい価値を創出すること、を意味するのだとしても、単なる既存業務の効率化に留まるものもDXだと呼んでいるとしても、いずれにしても業務の仕組みを紐解いて俯瞰し設計する能力は、必須なはずなのです。

しかしかなりのケースで、この能力は軽視されていると感じます。Transformationしようと思うのなら、業務のやり方、業務のあり方、から根本を問う取組みが必要になるはずです。ところが、DXの ”D” のほうに引きずられて、無意識のうちにITの領域の話だと思い込んでいるふしが見受けられます。

例えば、DXを推進しようと意気込んで、社外からITの専門的経験が深い人材を幹部として受け入れ、CIOやCDOに据えたというケースはよく耳にします。しかしそうした人材を選定する際に、ITのことは重視しても、業務設計の能力についてはまったく評価していないのです。ITスキルと業務設計スキルは、別の能力です。そして、両方とも高いパフォーマンスを発揮できるという人はかなり少ないのが実情です。

そうした選定を行って受け入れた「ITの専門家」は、情報システム基盤を設計することはできるかもしれませんが、社内の業務の仕組みを紐解いて図式化する能力が往々にしてありません。結果的には、流行りのITを使って現場レベルに留まる成果を挙げる程度になる可能性が高いでしょう。それで会社として満足感があるなら良いのですが、業務はそのままであればビジネスは根本的に何も進化していません(=Transformationしてはいません)。ビジネスの成長発展という観点で見れば顕著な成果にはならないでしょう。

また別の要素としては、「いろんな意味でのコミュニケーション力の高さ」も必要です。デジタル技術が何をドライブするのかと言えば、煎じ詰めれば「情報の流通」だと思います。情報の流通が高度になって何がよくなるのかと言えば、それは人と人の間のコミュニケーションです。情報を使うのは結局は人間ですから、人間がそうした情報を使いこなせること、またその情報を優れた成果に繋げること、が必要で、それは人間が意図して実行しなければ実現しません。

この「コミュニケーション」ということばも厄介で、いろんな階層のいろんな分野でのコミュニケーションが含まれます。ただ、ざっくりとした言い方ではありますが、社内・社外を総合的に見据えて大きな成果に繋げられる情報流通の仕組みを作り込んでいく、という意識が必要なのだと思います。一見するとデジタルっぽくないけれど、実行面ではデジタルでかなり活性化できる領域です。

ただしコミュニケーションは、デジタルツールで実現できるものもありますが、組織が意図して整える環境に依存するものもあります。DXがうまく進む組織というのは、経営者から現場レベルまでの伝達、部門間での連携、社外の専門家やベンダーとの協調、外部知識の取込みや収集、現場で得られた経験や知見のフィードバック、といった、様々なレベルのコミュニケーションパスが発達しており、またそれらが有機的に融合している印象があります。

それらは一朝一夕で構築されたものではなく、一定の目標のもとで、時間を使いながら積み上げられたものです。ただし、無意識のうちに積み上げられるものでは決してなく、「一定の目標」があるからこそ、一貫した思想のもとで包括的な仕組みが出来上がるのだと思います。少なくとも、デジタルツールの導入で即実現するようなものではありません。逆にツールの導入がシゴトの足かせになってしまった組織の例ならいろいろあります。

いくつか取り上げてみましたが、他にも様々な要素がありますし、細かい話をし始めるとさらに深くなります。その中からひとつ言えることは、これは流行に飛びついて取り組むものではなく、経営者がまずは「DXとは何ぞや」ということに対して深く洞察し、一定の答えをもって旗を掲げ、前に進める環境を整えていく、そうした進め方が必要なのだろうということです。「どうしてDXなのか」という問いに対して、独特の答えを持っていることが大事でしょう。

そもそも本質的には、何十年も前から言われてきたことの焼き直しがDXであるということを、改めて認識すべきだと思います。

世間の雰囲気に甘んじている企業の行く末

わたしはお店の観察が結構好きです。スーパー、コンビニ、ドラッグストアなどは、入るとくまなく見て歩いて、商品や価格をよく観察しています。商品価格の物覚えと相場感覚は、おそらく日常的に家族のものを買い物する女性の方々に負けていないと自負しています。

あまり関心のない方は気にならないかもしれませんが、店の商品棚には、その店またはその企業の個性やこだわりが色濃く表れていると思います。生鮮品を見れば店によって鮮度が違う、加工品を見れば同じメーカーの同じ商品でも店が違うと扱いが違う、総菜に並ぶ品物の中身やサイズを見ればその店が何を気にして(または気にしないで)売ろうとしているかが違う、違う曜日に行って比較すればその店の販売政策を想像できる、等々。回る店が多いほど、おもしろいなあと思って、たいして買わないのについつい長居してしまいます。

最近、毎日低価格(EDLP)をウリにしていたスーパーが、人知れずその方針をやめて行っていることを直感しています。会社に確かめたわけではないので事実かどうかはわかりません。ただ、消費者目線で見れば、小さいけれど様々な状況証拠からして、明らかに方向性が変わりました。ひとことで言えば、「もう安くはない」のです。

それを感じているのはウォッチャー気取りのわたしだけ、と言いたいところですが、実は違います。おそらくほぼ間違いなく、その店に入店している客の数も以前に比べて減っています。

一方で、その近隣にある別のスーパーのほうは、客足が明らかに増加しています。わたしの足もまた、気づけばその店のほうにより多く向くようになっていました。

その店は以前から、安売りの店ではありません。ただ、品目を絞って毎日異なる商品を割引して販売するポリシーで、以前からそれは変わっていません。割引後の価格を見ていると、近隣商圏の小売店(数は比較的多いほうです)の中でも最低価格を付けている品目も、実際に多くあります。ただそれは、「これだけ値上がりした今となっては」ということで、この店が割引に力を入れるようになったから、ではありません。

おそらく大多数の近隣住民は、いまとなっては後者の店のほうがオトクであると判断して、そちらに足が向くようになったのだろうと思います。やはり、敏感に反応しているのです。

後者の店は、「ポリシーを変えない」ということに多くの労力を割いているのだと、わたしは感じています。世間のメーカーや生産者がこれだけ値上げラッシュを繰り返す中で、そこだけは店として変えない、それが顧客への提供価値である、という一貫したこだわりを感じます。

一方で前者の店は、世間が値上げしているので自社も(実質)値上げする、という方向に「甘んじた」のだと思います。

本来値上げという行為は、値上げする分の付加価値を伴って行うものです。従来より高い価格を支払ってでも得たい付加価値が伴うなら、顧客は納得して支払います。顧客に納得感を与える付加価値の実現には、当然に企業努力が必要です。しかし、ここ最近の値上げのほとんどは単に、原価やコストが増えたから負担してください、というものでしかありません。

そういう風潮を受けて、顧客はどうしているかと言えば、社会の雰囲気から仕方がないと思って黙認しているようでいて、多くは少しでも安く売っている場所を模索して選別しようとしているのです。結果として、企業は売上は確保しているかもしれませんが、来店頻度や商品点数ベースでみると前年を下回っているところが多いはずです。

買う側の顧客は、企業がいま実行している値上げにはなんの付加価値もないことを、言葉にはしないところで感じているのです。

いまの世間の雰囲気に甘んじている企業は、近い将来、低価格高付加価値の商品を出してくる企業が現れて、雪崩を打ってなすすべなく敗退するだろうと、わたしは考えています。

見方を変えれば、いまのような時期は、価格競争力を強みにするディスラプターが将来に向けて胎動を始める時期なのかもしれません。そのうち市場に衝撃を与えるビジネスモデルを実現して台頭し、一気に市場を席巻するようになれば、思考停止していた既存企業はなすすべがないでしょう。