ソウムAI

「なにかイイネタないかなぁ」と思って、このコラムを執筆するアイデアを、半分くらい眠くなりながら、あれこれ思いめぐらせているうち、ボンヤリと浮かんだビジネスについて、今月はぼんやり書いてみたいと思います。

そのアイデアを端的に申し上げれば、「企業の総務部の業務を AIエージェントにほとんど担わせることができるサービス」というビジネスができないかな、というものです。ちなみに、このコラムのタイトルはいま流行りの ”サカナAI” にあやかって名付けてみましたが、事業内容は全然マネしてはいません。

ここから先の文章には「AIエージェント」という言葉がたくさん登場しますが、ここでは「得意技をそれぞれ持つ複数の生成 AI が、チームになったもの」くらいに解釈していただければ十分です。もし AIエージェントの詳細にご興味があれば、お手持ちの Copilot(生成 AI)に聞いてみてください。

総務の仕事といえば、総務の担当者でもない限り、あまり具体的に想像したことがある方は少ないかもしれません。実は、かなり多岐にわたります。それもそのはずで、総務が担う仕事とは「社内の業務部門がやらない仕事すべて」だからです。入社時のガイダンスや研修、社内の各種手続きの案内や手配、社外(主に役所関係)向けの定型的な手続き、社員向けの問合せ対応、税務社会保険など定期的な手続きの案内や取り纏め、定期健康診断の調整や取り纏め、社内行事の手配や調整、社内の規則や規程類の文書管理、オフィス内の備品管理、オフィス環境の整理整頓の管理、福利厚生への対応、等々。総務の担当者でさえ、自部門の業務をすべて分かっているわけではないこともあります。

それほどに頭も使うし気も遣う、会社の縁の下の力持ちとしての業務であるにもかかわらず、陰に隠れた存在ゆえに「総務担当者募集」と人材を募ってもなかなか人は集まらないのが実情ではないでしょうか。

そうした広範で複雑化しやすい業務を、基本的に電子化し、電子化できたタスクについて、AIエージェントが主体になって業務を担うことができるのではないか、というのがアイデアの肝です。総務の業務に特化した LLM(大規模言語モデル)を独自に開発し、依頼を受けた顧客企業に持ち込んで、個社の事情や環境に合わせて半年から 1 年程度かけながらファインチューニング等を施します。環境構築の結果、精度が十分上がり、AIエージェントが業務をほぼ代替可能になったところで、運用サポート契約に移行し、顧客企業に適宜支援を提供しながら継続利用していただきます。

ソウムAI は、社員や外部業者とのインタフェースを担うスーパーバイザーのエージェントと、個別のタスク分野を分解しそれぞれを専門的に担うスタッフエージェントを組合せ、エージェント同士が連係してタスクを処理し対応を行う仕組みです。

結果的に、顧客企業の社員は、総務に頼っていたほとんどのカウンター越しの用事を、専用の AIエージェントを通じて済ませることができるようになります。また、業務委託されている事業者も、総務部への連絡や報告など簡単なやり取りは AIエージェントに行って完了できます。

業種によっては特殊なタスクがありえるかもしれませんが、およそ総務の業務は共通性が高く、個別のタスクにかかるプロセスや情報フォーマットが業種を問わず固定的・反復的なものが多いです。LLM をベースとした生成AI の得意分野でカバー可能な業務領域と見込まれます。それでいて、総務がカバーする業務範囲は先に申しあげたとおり「社内の業務部門がやらない業務」で、かなり広範にわたります。

また総務には、法改正が発生した際の対応や、会社に関わるリスク情報の把握と対応、といった任務も重要です。そうした情報を収集し認知する仕事や、その対応策を検討する業務も、AIエージェントが支援できるでしょう。ソウムAI のサポートサービスとして、LLM や専門情報 DB(RAG と呼ばれます)を定常的にアップデートして提供すれば、その価値をもって月額料金制でサービス提供する理由が生まれます。

多くの事務処理を AIエージェントが自律的にこなすことができれば、人間の担当者は、業務環境整備に向けてよりクリエイティブな役割に専念できるでしょう。そしてそこでも、環境構築や企画立案へのアイデア創出に、AIエージェントが助言や情報を提供することができます。環境整備に関する内外の情報やトレンドを集約し助言提供することに特化したスタッフエージェントを追加提供すれば、実現できると見込まれます。

このときに、例えばオフィス家具製造企業などと提携して情報を連携し、彼らのマーケティングに貢献できる仕組みを整えれば、事業として別のビジネス領域への拡大にもつなげられるかもしれません。

どんな会社にも総務部は存在し、たとえ社員数名程度の小企業であっても総務関係の仕事は存在します。マーケットは極めて汎用性が高く、日本国内だけでも 100 万社のオーダーと見込まれ、業種は問いません。いまのところ、マーケティング、営業、商品・サービス企画、コンタクトセンター、といった業務領域については、生成AI によるサービスの活用を促すプレイヤーは数多く確認できますが、「総務」と言っているプレイヤーは、個人的には寡聞にして知りません。

先行者利益で学習の蓄積を進め、他の事業者から目を付けられる前に学習データとノウハウの蓄積に成功できれば、顧客を先行的に獲得して確保し、参入障壁も築きやすくなるかもしれません。AI をビジネスにするならば、AI モデルの精度と洗練度は最大の競争力の源泉です。いちど顧客化できれば乗換は発生しにくいサービスと思われ、その意味では先行して顧客を獲得できれば、それだけ学習データの面でも差をつけられ、より競争力が増強されると見込まれます。

書いているうちに、目が覚めてきました。このままできるかどうかはさておき、筋はそれほど悪くはないように思いますが、だれかが本当に実現してくれたら愉しいですね。

AI と家電と桜の開花予想

AI を自社のビジネスや業務プロセスに取り込む試みを進める企業は、個人的な肌感覚としては増加の一途をたどっています。AI について統計調査をすると、認知度は高くても導入済みはあまり多くないという結果が出ているようですが、想像するに、リテラシーの高低によりかなり二極化が進んでいるのではないでしょうか。

積極的に AI を使い倒そうとしているのは概ね大手企業で、相当な数の事例がすでに出てきています。世間に公表するような事例ですから、どれも秀逸な内容で、それならウチもやりたいとインスパイアされる経営者も多いかもしれません。

以前から申し上げているように、IT は「試す」のが大変重要です。新しいものが出てきたらなるべく早く情報を捕まえ、まず「試す」。そのうえで、使えそうかどうか判断し、さらに「試す」を続けて、徐々にモノにしていく。そういう組織的態度の会社は、だいたい IT をうまく使いこなせる会社になっていきます。

ただし、「IT → 家電と同じ」と(無自覚に)勘違いしている会社は、特に AI に対しては注意が必要です。確実に頓挫します。

なぜかといえば、これもまた以前から申し上げている話ですが、家電と違って IT というのは導入すれば「運用」が発生するからです。家電は買ってきて備え付ければあとは使うだけですが、IT は違います。買ってきて導入したら、それを人間が運用し保守しなければ、当初に目論んでいたような機能を果たし続けないのです。これは、IT を自分たちに適した形でカスタマイズして使いたいと思えば思うほど、そうなります。

AI は、その最たる例といっても過言ではありません。その主な要因は、AI が「データを基に動作している」ことにあります。

AI が機能するエンジンとなっているのは、最近のケースで多いのは、機械学習によって形成された推論モデルです。機械学習は、何らかの過去のデータをインプットにして行われます。裏を返せば、データがなければ機械学習はできず、モデルは形成されず、AI は活用できないのです。

このとき問題は、糧にしているのが「過去のデータ」であることです。過去は過去であり、現在や未来とは異なる可能性が大いにあります。しかし、私たちが AI に求める成果は「いまからどうなるか」、つまり推論です。過去のデータに基づいた判断によっておよそ現在や未来を見通せるなら問題ありませんが、現在や未来ではもはや状況が変わってしまうとすれば、AI による推論は役に立ちません。

例えば、春は桜の季節ですが、桜の開花予想に「600℃の法則」というものがあるそうです。これは、2月1日以降の毎日の最高気温を積算し、その合計が約600℃に達すると桜が開花するという経験則(いわば、学習されたモデル)です。しかし近年、気温の変動が過去と変わってきてしまっていることから、この法則が外れやすくなっているといいます。これもまた、過去のデータでは現在が予測しづらくなることがあるという、ひとつのケースといえるでしょう。

そんな変異が往々にして発生するので、AI をビジネスに組み込んで使いたいのなら、機械学習による推論モデルを継続的にアップデートし続けなくてはならないわけです。データは、ほんの些細なことで変容します。例えば、Webサイトのデザインを更新しただけで、利用者の使い方が変わり、利用傾向は変化します。そのログデータを使ってモデルを作っていたとしたら、サイト更新の前後で挙動が予測できなくなる可能性があります。

また、過去のデータを学習しているので、過去にはなかったことが発生すると、当然推論はできません。極端な話で説明すれば、例えばある年の3月に開店したチョコレート店が、店の購買履歴を使って AI で販売予測モデルを作ったとしたら、2月のバレンタインデー前に売れ行きが急に上昇することをおそらく予測できません。人間からすれば当たり前のことでも、この店の場合は「過去にないこと」なので AI には予測不可能です。

さらに言えば、データは大抵、人間が入力しています。人間が入力を間違えたデータを、知らないうちに AI が学習するとなれば、間違った推論をするモデルが出来上がることになります。それに気づかずに予測を信じてしまう、ということも想定できるわけです。

ですから、AI を導入したなら、その瞬間から「運用」が始まり「保守」しなければなりません。新しいデータを次々と投入してモデルを更新し、最新を保つとともに、出力は常にモニターして、おかしな挙動があればすぐに対応し、場合によっては AI の利用を停止して人間による業務に切り戻すことまで考えておく必要があるのです。そうしなければ、AI が吐き出す間違った予測を信じて間違った判断や対応をし、結果としてビジネスに損失を与えることになります。

こうして見ていけば、「IT → 家電と同じ」と考えることがいかに危険極まりないか、ご理解いただけるのではと思うのですが、いかがでしょうか。

面倒だと思いますか?そう思うのなら、AI には手を出さないのが身のためです。そのような面倒や手間を超えたところに存在する目的を持っている企業が、AI の活用に成功するのです。そうした目的もなく流行りの IT に手を出す企業は、かけた投資に見合う効果がほとんど見えずそのうち取り組む意味を見失って頓挫するか、他人がつくった AI モデルに手持ちのデータを食べつくされて気づいたときには自分には何も残っていない、などということになるでしょう。

もしかすると大手企業にも勘違い企業がいるかもしれませんが、そういう企業はこれから頓挫していくはずです。大々的にアピールされている「秀逸な事例」を妄信せずに、その後はどうなったかまでよく観察してみましょう。

AI ブームはリアルかバブルか、先を見る

1月末、株式市場で大幅に値を下げる事態が起こりました。日経平均は一時 1000 円以上値を下げ、ダウ平均も一時 500 ドル以上下がりました。いわゆる「DeepSeek ショック」と呼ばれる事態ですが、きっかけは中国の AI スタートアップ企業が公開した LLM(大規模言語モデル)です。その性能が ChatGPT を開発する OpenAI の最新モデルにも匹敵するとされながら圧倒的な低コストで開発されたと知れ渡り、膨大な投資を続ける AI 関連企業の株価が大幅に下落した、ということでした。

背景にあるのは、「スケーリング則」と呼ばれる、AI 開発の世界で信じられている経験則です。AI モデルを開発するにあたって、モデルの性能は、学習に利用する「データの量」「計算量」「モデルのパラメーター数」の3つが大きくなればなるほど向上する、という法則です。この法則に従う格好で、資金力のあるビッグテック企業を中心に数十兆円にもなる大規模な設備投資を行い、これら3要素をふんだんに扱える能力を高め、性能の高いモデルを生み出して我が物にする、という競争を続けています。かの DeepSeek はこの経験則を完全に覆すようなものを世間に出してきた、ということから、株価の大幅下落につながりました。

しかし直後から、DeepSeek のモデル開発に疑念の声が挙がり始め、その性能や品質にも各方面から問題の指摘が相次ぎ、スケーリング則の信頼が覆されたわけではないという認識が広がりました。どういう認識が正しいのかは、わたし個人はよくわかりませんが、いまのところ騒動は沈静化しているように思われます。

ただ、このような動揺がある意味で容易に広がってしまうあたり、現在起こっている AI の開発競争は一種のバブルの要素をはらんでいるというリスクを、頭の片隅には置いておいたほうがよいのかもしれません。AI に欠かせないことになっている GPU の製造の事実上一社独占、資金力にものを言わせる巨大企業による AI モデル開発の寡占、モデル開発に伴う超大規模な投資競争、等々。いびつな構造は数々思いつくわけで、バブルのニオイがしないのかと言われれば、そうなのかもしれません。

ビッグテック企業が挙って開発している AI モデルは LLM ですが、おカネをかけている開発している企業の多くは、現状ではクローズドなモデルを開発しています。つまり、技術を独占して公開しない方針ということです。それとは異なり、オープンソースで LLM を開発している企業もあり、それが米メタや、今回話題になった DeepSeek など中国系の企業です。DeepSeek も、メタが開発した LLM を利用したとされています。

もし今後、オープンソース系の LLM のほうが性能やコスト面でクローズドなモデルを凌駕し、モデルのスタンダードになるのだとしたら、AI モデルはコモディティ化し、誰でもローコストで利用できるものになるかもしれません。または、GPU 以外の選択肢が現れることでインフラコストが下がり、学習コストは議論にならなくなるかもしれません。

LLM に関しては、AI 研究の権威として著名なヤン・ルカン氏は、LLM をこのまま進化させたとしても性能は頭打ちになるだろうと予言しているようです。端的にその主張をまとめれば、次のような内容です。LLM は「言語」に基づいてモデルを生成しているが、人間世界では非言語で処理している情報も多い。現実の世界の一部しか言語は表現できないので、言語にしか基づかないモデルにはおのずと限界がある、と。他にも、言語というものは実は曖昧で厳密さに欠ける、少なくとも数学が持つような意味の厳密さはない、だから思考能力の向上には限界がある、という指摘もあります。

そうなると、いまのところ信じられているスケーリング則は、やはり将来のどこかで、再び疑念を持たれる事態が待っているのかもしれません。

仮にスケーリング則の信頼がこのまま揺らがないとしても、モデル開発への巨額な投資を前提とする AI 開発企業が、このままビジネスを続けていけるのかどうかわかりません。そうした企業で現在までに、健全な黒字経営で成長できている企業はあるのでしょうか。巨額の赤字をほぼ外部企業の出資で賄っている企業、出資金が不足して徐々に首が回らなくなり始めている企業、等々の話はたびたび聞くようになってきています。

単に AI を利用するだけの立場なら、あまり気にせず高みの見物を決め込んでおいても問題はなさそうです。もし、自前で LLM を開発して世間の先端を行こうとしているか、そういう会社に設備を提供すべくインフラ投資に勤しもうとしているか、そんな会社なら少々立ち止まって先を読んでみるのも必要かもしれません。

単なる利用者に徹するとしても、少なくとも、利用する LLM や AI モデルを簡単に入れ替えられるようにしておくことは、利便性の面だけでなくリスクヘッジの意味でも大事でしょう。案外、考えて使っていないといつの間にかベンダーロックインされているということは、よくあります。

そして当然ながら、自社のデータ、または、意識すれば自社所有のデータにできるような情報、を簡単にサービス事業者に明け渡さない、預けないことです。データがロックされるか失われて、気づいたときにはもう取り戻せない、取り消せない、という事態になるリスクは、外部サービスを利用するなら常に想定しておいた方が身のためです。なにぶん残念なことに、銀行の貸金庫に保管している大事な資産も、気づいたらなくなっているような世の中です。

自分の会社のホームページくらい、魂込めてつくれ

わたしはここ数年、甘党傾向が年々極まってきているところがあります。始めは人様に差し上げるお土産として購入していたのですが、そのうち自前にもついで買いするようになり、拍車がかかってしまいました。最近では、訪問などで外出している際、場所を移動する間にエキナカやデパ地下などを見つけるとフラフラ寄り道し、おいしそうなものを見つけては買い食いする、ということを繰り返しています。

スーパーに売っている廉価品から、一流の名店による高級品まで、かなり舌は肥えてきたような気がしているのですが、それでも見た目でだまされる(といっては申し訳ないのですが、味でがっかりさせられる)こともしばしばあります。一方で、そこまで期待はしていなかったのに、ほおばった瞬間に感動を覚えるようなものに出合うと、かなり強く印象に残ります。

そうして感動を覚えるとまず行うのは、ネットでの検索です。その商品をよく知ったうえで買っているわけでもないので、そもそもどんな店なのか調べに行きます。

ところが、菓子製造の業界ではかなり顕著な傾向に思えるのですが、自社でホームページを構えていない事業者はかなり多いのです。

あっても、文字通り「一枚ぺら」しかページがない、会社の名前と住所程度しか書いていない、というような、情報密度が低レベルのものが少なくありません。それでいて、なぜだがフェイスブックやインスタグラムだけは(形だけ)やっていたりします。

本当に、もったいないことだと思います。これで、顧客のロイヤルティの獲得をほぼ逸することになります。

ホームページは、自社の創業の理念、社会に訴求したいミッション、目指しているビジョンなどを、誰からも制約を受けることなくアピールできる場所です。自分たちは何者で、何にこだわりを持ってシゴトをしているのか、自分たちの仕事から何を感じてほしいのか。見ず知らずの人にはなかなか聞いてはもらえないような思いの丈を世間に向かって存分に訴えかけることができ、それが反社会的でもない限りは誰にも咎められることはありません。そうした主張を読むことで、興味を持った人たちがより興味を深める機会になるわけです。

製造業であれば、自社の商品へのこだわり、商品を製造する過程や苦労、従業員の存在価値や職人技、等々を掲載したら、よりリアルに商品の価値や会社の価値を感じてもらえます。会社に直接コンタクトでもしない限りは知り得ない情報を、外部の人に知ってもらえるのは、かなり有益な機会です。

にもかかわらず、面倒だからか、作り方がわからないからか、ホームページさえ存在しないという会社は、自らの価値をかなり下げていると言えるでしょう。

会社として考えていること、大事だと思っていることを、具体的に言葉で表すのは、大変重要な取り組みだと思います。それが、会社の中での一体感の源泉になります。言葉になっていないのは、経営者が言葉にしていないからにほかなりません。言うまでもない当たり前のことのようでいて、実際にやらせてみるとなかなか言葉にならない会社を、個人的にもこれまでいくつも見てきました。

こと食品業界の場合はよくあることですが、会社が自社でホームページを作らないと、グルメサイトやまとめサイトの類のところが勝手にその会社や商品の紹介ページを作って勝手に公開してしまいます。それは会社のコントロールが利かない、いわゆる勝手サイトです。そこにポジティブなコメントが展開されるだけならよいでしょうが、間違った情報やネガティブなコメントでページが埋められれば、世間の人々はそれを共通理解にすることになります。

いまやホームページの制作に、専門知識は不要です。切り貼りする程度の操作で簡単に作成できるソフトウエアが安価に数多く販売されていますし、クラウドサービスでも制作できます。ホームページ制作の技術的な領域を代行してくれる個人や会社も、探せばいくらでもあることに気付くはずです(当然ですが、「丸投げ」は厳に慎むべきです)。

メンテナンスが面倒だと思うのかもしれませんが、それも知識はほとんど不要で簡単です。メンテナンスすることも見越して制作するようにすれば、間違った方向にはいかないでしょう。

フェイスブックやインスタグラムで十分ではないか、と思っている会社もいるのかもしれませんが、わたしに言わせれば、自社のホームページがないというのは全く不十分です。芸能人やプロスポーツ選手であればインスタだけで問題ないでしょうが、企業は違います。少なくともわたしには、そのような企業は本社住所もないのに事業者を名乗っているようなことと同じに見えます。

これは食品系の会社に限りません。中小の会社ならどの業界でも、特に社歴の長い会社ほど、このような傾向があるのではないでしょうか。小難しいSEO対策などは一切不要です。写真も動画も、手持ちのスマホで簡単に撮れます。自分の会社の存在価値を訴えるホームページくらいは、入魂して自分で作りましょう。

DXを本当に実践できている組織が、持っている力

当社では、DXの推進や取り組みにご関心をお持ちの企業様に向けて、「組織としてのDX推進力」を無料で診断するサービスを、ご希望される企業様に提供しています。

ビジネスのデジタル化やデジタル技術の活用に、これから取り組もうとされている企業も、すでに何らかの取り組みに着手されている企業もあり、状況は様々です。ただやはり、スムーズに取り組みを軌道に乗せていく企業はあまり多くないように見えます。立ち上がっていかない要因はいくつか考えられますが、課題認識のヒントになるような情報が提供できればと考えて診断を行います。

わたしが複数の事例を見て思うところのうち、DX推進のポイントになる要素のいくつかを、このコラムで紹介したいと思います。

まずひとつは、「技術より環境づくり」ということです。実は、ITには自信を持っていた企業や、IT担当者がすでに社内にいる企業が、DX推進となるとさっぱりうまく行かない、というケースは珍しくありません。進められる環境が整っていないことが、主な要因です。

「環境」ということばは厄介で、いろいろな意味が含まれています。ここでは例えて言うなら、「種をまく前に、土壌を整えたのか」という話に近いかもしれません。新しい取り組みが進められるだけの体制、人材の配置、技術の整備、知識の吸収、評価の仕組み等々、「土を耕して肥沃にしておく」必要がそもそもあるのに、何も整えずに進めようとしているのではないか、ということです。

環境を整えるのは、言うまでもなく経営者と経営幹部の仕事です。よって「DXでなにかやれ」という指示をするだけの経営者は失格、ということになります。

次に、「業務の仕組みを設計する能力の優劣」です。DXが、デジタルを前提として新たなスキームを備えたビジネスを展開し新しい価値を創出すること、を意味するのだとしても、単なる既存業務の効率化に留まるものもDXだと呼んでいるとしても、いずれにしても業務の仕組みを紐解いて俯瞰し設計する能力は、必須なはずなのです。

しかしかなりのケースで、この能力は軽視されていると感じます。Transformationしようと思うのなら、業務のやり方、業務のあり方、から根本を問う取組みが必要になるはずです。ところが、DXの ”D” のほうに引きずられて、無意識のうちにITの領域の話だと思い込んでいるふしが見受けられます。

例えば、DXを推進しようと意気込んで、社外からITの専門的経験が深い人材を幹部として受け入れ、CIOやCDOに据えたというケースはよく耳にします。しかしそうした人材を選定する際に、ITのことは重視しても、業務設計の能力についてはまったく評価していないのです。ITスキルと業務設計スキルは、別の能力です。そして、両方とも高いパフォーマンスを発揮できるという人はかなり少ないのが実情です。

そうした選定を行って受け入れた「ITの専門家」は、情報システム基盤を設計することはできるかもしれませんが、社内の業務の仕組みを紐解いて図式化する能力が往々にしてありません。結果的には、流行りのITを使って現場レベルに留まる成果を挙げる程度になる可能性が高いでしょう。それで会社として満足感があるなら良いのですが、業務はそのままであればビジネスは根本的に何も進化していません(=Transformationしてはいません)。ビジネスの成長発展という観点で見れば顕著な成果にはならないでしょう。

また別の要素としては、「いろんな意味でのコミュニケーション力の高さ」も必要です。デジタル技術が何をドライブするのかと言えば、煎じ詰めれば「情報の流通」だと思います。情報の流通が高度になって何がよくなるのかと言えば、それは人と人の間のコミュニケーションです。情報を使うのは結局は人間ですから、人間がそうした情報を使いこなせること、またその情報を優れた成果に繋げること、が必要で、それは人間が意図して実行しなければ実現しません。

この「コミュニケーション」ということばも厄介で、いろんな階層のいろんな分野でのコミュニケーションが含まれます。ただ、ざっくりとした言い方ではありますが、社内・社外を総合的に見据えて大きな成果に繋げられる情報流通の仕組みを作り込んでいく、という意識が必要なのだと思います。一見するとデジタルっぽくないけれど、実行面ではデジタルでかなり活性化できる領域です。

ただしコミュニケーションは、デジタルツールで実現できるものもありますが、組織が意図して整える環境に依存するものもあります。DXがうまく進む組織というのは、経営者から現場レベルまでの伝達、部門間での連携、社外の専門家やベンダーとの協調、外部知識の取込みや収集、現場で得られた経験や知見のフィードバック、といった、様々なレベルのコミュニケーションパスが発達しており、またそれらが有機的に融合している印象があります。

それらは一朝一夕で構築されたものではなく、一定の目標のもとで、時間を使いながら積み上げられたものです。ただし、無意識のうちに積み上げられるものでは決してなく、「一定の目標」があるからこそ、一貫した思想のもとで包括的な仕組みが出来上がるのだと思います。少なくとも、デジタルツールの導入で即実現するようなものではありません。逆にツールの導入がシゴトの足かせになってしまった組織の例ならいろいろあります。

いくつか取り上げてみましたが、他にも様々な要素がありますし、細かい話をし始めるとさらに深くなります。その中からひとつ言えることは、これは流行に飛びついて取り組むものではなく、経営者がまずは「DXとは何ぞや」ということに対して深く洞察し、一定の答えをもって旗を掲げ、前に進める環境を整えていく、そうした進め方が必要なのだろうということです。「どうしてDXなのか」という問いに対して、独特の答えを持っていることが大事でしょう。

そもそも本質的には、何十年も前から言われてきたことの焼き直しがDXであるということを、改めて認識すべきだと思います。

世間の雰囲気に甘んじている企業の行く末

わたしはお店の観察が結構好きです。スーパー、コンビニ、ドラッグストアなどは、入るとくまなく見て歩いて、商品や価格をよく観察しています。商品価格の物覚えと相場感覚は、おそらく日常的に家族のものを買い物する女性の方々に負けていないと自負しています。

あまり関心のない方は気にならないかもしれませんが、店の商品棚には、その店またはその企業の個性やこだわりが色濃く表れていると思います。生鮮品を見れば店によって鮮度が違う、加工品を見れば同じメーカーの同じ商品でも店が違うと扱いが違う、総菜に並ぶ品物の中身やサイズを見ればその店が何を気にして(または気にしないで)売ろうとしているかが違う、違う曜日に行って比較すればその店の販売政策を想像できる、等々。回る店が多いほど、おもしろいなあと思って、たいして買わないのについつい長居してしまいます。

最近、毎日低価格(EDLP)をウリにしていたスーパーが、人知れずその方針をやめて行っていることを直感しています。会社に確かめたわけではないので事実かどうかはわかりません。ただ、消費者目線で見れば、小さいけれど様々な状況証拠からして、明らかに方向性が変わりました。ひとことで言えば、「もう安くはない」のです。

それを感じているのはウォッチャー気取りのわたしだけ、と言いたいところですが、実は違います。おそらくほぼ間違いなく、その店に入店している客の数も以前に比べて減っています。

一方で、その近隣にある別のスーパーのほうは、客足が明らかに増加しています。わたしの足もまた、気づけばその店のほうにより多く向くようになっていました。

その店は以前から、安売りの店ではありません。ただ、品目を絞って毎日異なる商品を割引して販売するポリシーで、以前からそれは変わっていません。割引後の価格を見ていると、近隣商圏の小売店(数は比較的多いほうです)の中でも最低価格を付けている品目も、実際に多くあります。ただそれは、「これだけ値上がりした今となっては」ということで、この店が割引に力を入れるようになったから、ではありません。

おそらく大多数の近隣住民は、いまとなっては後者の店のほうがオトクであると判断して、そちらに足が向くようになったのだろうと思います。やはり、敏感に反応しているのです。

後者の店は、「ポリシーを変えない」ということに多くの労力を割いているのだと、わたしは感じています。世間のメーカーや生産者がこれだけ値上げラッシュを繰り返す中で、そこだけは店として変えない、それが顧客への提供価値である、という一貫したこだわりを感じます。

一方で前者の店は、世間が値上げしているので自社も(実質)値上げする、という方向に「甘んじた」のだと思います。

本来値上げという行為は、値上げする分の付加価値を伴って行うものです。従来より高い価格を支払ってでも得たい付加価値が伴うなら、顧客は納得して支払います。顧客に納得感を与える付加価値の実現には、当然に企業努力が必要です。しかし、ここ最近の値上げのほとんどは単に、原価やコストが増えたから負担してください、というものでしかありません。

そういう風潮を受けて、顧客はどうしているかと言えば、社会の雰囲気から仕方がないと思って黙認しているようでいて、多くは少しでも安く売っている場所を模索して選別しようとしているのです。結果として、企業は売上は確保しているかもしれませんが、来店頻度や商品点数ベースでみると前年を下回っているところが多いはずです。

買う側の顧客は、企業がいま実行している値上げにはなんの付加価値もないことを、言葉にはしないところで感じているのです。

いまの世間の雰囲気に甘んじている企業は、近い将来、低価格高付加価値の商品を出してくる企業が現れて、雪崩を打ってなすすべなく敗退するだろうと、わたしは考えています。

見方を変えれば、いまのような時期は、価格競争力を強みにするディスラプターが将来に向けて胎動を始める時期なのかもしれません。そのうち市場に衝撃を与えるビジネスモデルを実現して台頭し、一気に市場を席巻するようになれば、思考停止していた既存企業はなすすべがないでしょう。

「企業理念」と「ミッション」と「パーパス」は、どう違うのか

わたしは、3つとも同じことを言っているのだと思っています。ですから、企業理念を持っていた会社がわざわざミッションを定義する必要はないと思いますし、ミッションを定義していた会社がわざわざパーパスを定義する必要もないと、思います。

ただし、それが会社にとってどういう意味をもつものなのか、どういう目的で定めるものなのか、その定義は明確にしておくべきでしょう。

私見ですが、そうした定義があいまいなままに「流行しているから決めておこう」とそれっぽい言葉を置くことが目的になって定められてしまったような、魂のこもっていない「企業理念」が横行したから、次々と新しい用語が登場してきたのではないでしょうか。元から的確な決定と運用がされているのなら、別の言葉は生まれてこなかったはずだと考えています。

企業理念が的確に定められているなと感じるとき、その言葉からは、その会社が顧客、ひいては社会に対して、どのような価値を提供しようとしているのかが、端的にイメージできるものです。法人の存在意義は、その法人が社会に提案する価値が人々から支持されることで、表されるのだと思います。人々から支持されていることの証しは、結果として売上と利益によって量られるわけで、その意味で企業理念は、その会社の商売の根幹をなすものです。企業理念はビジネスの成果に直結するものであり、そこに並ぶ言葉が単なる絵空事であれば、それは世間に見抜かれてしまいます。

その意味でわたしは、利益を出すこと自体に苦労している小さな企業であっても、企業理念を明確にし、社会に対して何を成したいと思っているのか表明することには、意味があると思います。

理念を何も示さない会社は、「売れれば何でもよい」「ビジネスが大きくなればそれでよい」と思っている会社、と見られても仕方ありません。もちろん、利益があがらない会社は、立派な理念があろうとも淘汰されるまでです。そんな綺麗事は売れてから考える、という事業家も実際にいますが、後から人がついてくるリーダーとしては相応しいだろうかと、個人的には思います。

また企業理念が的確に定められている会社では、社員がそれを誇りにし、その言葉に啓発されています。自分の仕事に対するモチベーションや業務上のポリシーとして深く根付いています。

採用の時点で企業理念が示され、それに共感してくれる人材が採用されるので、当然といえば当然ではあります。ただ、そもそも採用の時点で企業理念が示されることがない会社、もしくは企業理念に根付いた価値観の共有が具体的に確認されないで人材の選考が進む会社のほうが、圧倒的に多い印象があります。そうしないのは、企業理念が会社の提供価値を示すという意識がないからなのでしょう。

企業理念が浸透している会社は、日常から企業理念を意識するような取り組みが実施されています。経営者から幹部へ、幹部から現場のリーダーへ、現場のリーダーから従業員へ、または経営者から直接従業員へ、様々なパスが実際に運用されて、理念が伝わり、日常の業務遂行へと結びついています。そうした機会を通して、社員が様々な場面で、企業理念に謳われている内容について深く考える機会があります。そうした個人レベルの学びが蓄積されることで、一貫した行動が生まれます。

そして企業理念が明確な会社ほど、会社の中で実行される仕組みが、その理念に基づいています。企業理念がその会社が顧客に提供する価値を謳っているのであれば、それを具体的にどう創出するのかが、ビジネスの仕組みの設計です。結果として、企業理念を具体化したものが、ビジネスの仕組みと言えます。ビジネスの仕組みによって、企業理念が絵空事でなくなるわけです。

このようにしてすべてが企業理念を軸につながっていれば、その言葉は企業理念として魂を持つと思います。そういう企業理念が存在しているのなら、ミッションも、パーパスも、必要はありません。

同様な話として、「ビジョン」という言葉の位置づけもよく議論になります。会社によっては、ミッションとビジョンの位置取りを互い違いに解釈して定義している向きも見受けられますが、どちらでもよいと個人的には思っています。ただし、企業理念と同様に、会社がビジョンをもつ意味、ビジョンを定める目的、その定義を明確にして、言葉を選ぶべきでしょう。そして、定めたからには、ビジョンを具体的な行動によって実現していくことが経営者に求められることも、忘れないでいただきたいと思います。

そのDX教育、「ずっと続ける」覚悟はあるのか

いま企業では、DX人材育成がブームなようです。「リスキリング」というバズワードも流行し、その文脈でも拍車がかかっているように見受けられます。

先日本屋で立ち読みをしていたら、それにまつわる講演イベントがあるということで店内に案内放送が流れたのですが、アナウンスの方が最初から最後まで「リスキング」と連呼していました。横文字ってみんな慣れないのに、マスコミが流行らせようとするのはなぜ横文字ばかりなのでしょうか。

それはさておき、デジタルを業務で取り扱うのが当たり前の時代になり、すべての社員にITリテラシーを高めてもらおうという取り組みは正しい方向だろうと思います。ただ、ITという分野の特性をどれほど認識してカリキュラムを考えているのか、疑わしい例も少なからずあるように思います。

言ってしまえば当たり前に聞こえるかもしれませんが、ITは常に進化を続けています。しかもその速度は、他の分野に比べて相当急速です。去年まで言っていたことが今年になったら変わってしまった、新しい方向になった、という話があっても、まったく不思議ではありません。ブームになったある技術やバズワードが、5年したらすっかり聞かなくなる、ということも珍しくありません。

ということは、一度学んだ知識がすぐに古くなり、場合によっては知っていても意味がなくなる、という状況が大いにありえるということです。そうだとすれば、一度決めた研修をひととおり済ませて合格すれば免許皆伝、というわけには行きません。

つまり、「全社員対象にDX教育をやるのだ」というのなら、全社員に対して常に知識のアップデートをかけていくという仕組みを作らないと、その効果は相当な速度で低くなっていくわけですが、そこまで考えて教育の仕組みを構築しているか、ということなのです。

これは、技術だけの話ではありません。

例えば AI(人工知能)の分野は、煎じ詰めればデータリテラシーの話に帰結します。いかにデータを取り扱うのか、どのようなデータなら問題がなくどのようにデータを扱うとリスクがあるのか、を知ることが重要になります。取り扱うデータによっては、法律が絡みます。もし外国相手の事業をしている企業なら、外国の法律まで考慮に入れる必要が出てきます。法律ですから、不意に変わったり追加されたりします。そうした動向や規制も、知識のアップデートの対象になるのです。

DXに関しては、学びのアップデートの領域、その頻度、というのは、大きくなる(増える)か、変わるか、その両方か、という方向しかありません。

そうなると、DX教育をするのであれば、結局のところ組織にとって最も重要になるのは、DX教育の「仕組み」を構築する人材の目利き力、俯瞰してトレンドを把握する能力、流行から本質を読み取り重要度を分類できる能力、ということです。

そうした能力を持つ人材がいないと、世間やマスコミが流す雰囲気にすぐに振り回されることになるだろうと思います。

DXの文脈で言えば、例えば「先端知識」ということばに惑わされるケースです。

あるITについて「先端」が謳われることが多くあります。「先端」と言われると、知らないと乗り遅れてしまいそうな重要なことに聞こえてきます。ただし、どの分野でもそうですが、「先端」と呼ばれる技術はおよそ、ピンポイントの領域に特化しています。ITの分野で言えば、データサイエンス、プログラミングの新言語、パブリッククラウドの新サービス、セキュリティ技術、ロボティクス、等々いろいろありますが、どれもピンポイントの領域の話です。そこだけを見つめて重要視してしまえば、他の領域は疎かになり、全体から見ればバランスを欠きます。

ある特定のITによって自社のDXが完全に達成できるということは、あり得ません。自社において重要なDXの全体像、自社の事業にとって必要な人材のスキルセットや人材構成のポートフォリオ、を描けていない状態で、「先端」という言葉に惑わされれれば、自社にとっては混乱しか招かないような「先端」ITに注力しようとしてしまう無駄を犯しかねないでしょう。

DX教育を通して社員のリスキリングを推進したいと思うなら、必要なのは、膨大に広がるDX分野から自社にとって必要な領域を抽出して全体像を構築できる人材をまず持つこと、そして、常にIT分野をウオッチしつづけて自社のポートフォリオをアップデートできる能力を組織に維持すること、をまず考えてほしいと思います。全社員に本格的な教育を施すなら、それからです。教育だから研修プログラムを作ろう、というのは、少なくともDXの領域では短絡的な発想です。

「そんな人材、社内にいない」のなら、全社員の教育の前に、おカネをかけてそういう人材をまず育成してください。一人や二人を特殊訓練するのであれば、相当に密度の濃いものであっても投資としては大きくならないでしょう。特殊訓練のしかたがわかりませんか?手っ取り早い方法としては、DXの分野を「俯瞰的かつ深く」理解している人を外部で見つけて、経営者がその人と仲良くなって、多角多面に助けてもらえるようにするのもいいかもしれません。

ネットの間違いは許しながら、AI の間違いは許容しない人へ

先日街を歩いていて、前にいた学生風の若い女の子のグループを追い越していったら、彼女らが ChatGPT を話題にして盛り上がっているのが聞こえてきました。人工知能(AI)も、そんなところでネタになるほど世間に浸透したんだなと実感した次第です。

学生の人たちが AI を意識するのは、もしかすると「ChatGPT を使って宿題をやるな」という文脈なのかもしれませんが、企業においてはそうした制約は特にありません。しかし、ビジネスの領域ではむしろ、AI がもつリスクのほうがより意識されやすいような気がしています。

かの ChatGPT も、回答する内容は時に不正確、誤解を招く、偏見に満ちている、という場合があると、事前に断っています。また ChatGPT に対抗して先ごろ Google が一般公開した対話型 AI「Bard」も、同様の注記を掲げています。

それを真正面から受けて、不正確であることを AI を使わない理由にする企業やビジネスパーソンをよく見かけますが、それはいささかもったいない判断です。

AI が人間から見て不正確であることは、おそらくこの先も不変であろうと思います。AI にまつわる誤認識や誤判断のリスクは、これからもずっと付きまとうでしょう。しかしながら、100点を取れなくても70点程度正解してくれれば十分な改善になるムダが、世間にはたくさんあるはずです。AI が活かせる領域とは、そうしたところではないでしょうか。

もちろん、予測するだけ無駄なことを対象にして AI の予測モデルを作ろうと努力してしまうことは、やるべきではありません。開発のコストメリットを上回るだけの効果がないのなら、予測モデルをつくるだけ無駄です。そんなこと当たり前だと思う方は多いでしょうが、現実は、そういうつもりはもちろんないのに無駄な予測モデルを作ってしまって成果が出せないでいる例がたくさんあると聞きます。そもそもその予測の精度が向上すればどのくらい「効果」が得られるのか、本格的に取り組むより早い段階で評価することが重要です。

また、許容可能な予測をするには相当高い的中精度を要求されてしまう課題に取り組んでしまうことも、やるべきではないことです。例えば、AI が行う判定が人の人生や生命に関わるような場合、適用には慎重にならざるを得ません。

一方で、現状うまく予測ができていない、予測はしてみるけれどいい加減で根拠に欠ける、予測しようにも相当な工数や労力が取られている、という領域がいろいろあるはずであり、それらは AI に適した領域かもしれません。例えば、あるスーパーでは生鮮品の需要が上手く予測できておらず、毎日相当数の商品を値引き販売し、最終的に廃棄されるものも少なくないとしたら、そこに AI による予測を適用して、値引きや廃棄を 100% なくすことはできないにしても、7 割減でも実現できれば、メリットは大きいと思われます。

また、認識精度がある程度に留まるのは承知で、間違いは後で人間がカバーする考え方でも、大幅な省力化が見込めるケースがいろいろあるでしょう。注文書などビジネス文書の文字認識などではこの考え方を応用し、AI-OCR と人間のオペレーターのハイブリッドによる文書のデジタル化サービスを提供する業者が増えています。

つまるところ、AI は「業務のムダ取り」に新しい方向性を与える選択肢だ、と考えれば、いろいろな適用領域が浮かんでくるのではないでしょうか。

「ウチはデジタル化は別に必要がない」と主張する会社の業務の現場を見ると、時々、端から見れば無駄が多い手作業にしか見えない仕事を、その労働にあまりに慣れ過ぎ、まるで職人のライフワークであるかのように一心不乱にこなしていて、終わった時にはやり切った達成感に浸っているような場面に遭遇することがあります。少なくともそんな状況には、陥りたくないものです。

どんなやり方にも「向き不向き」がある

先日耳にした話です。某官庁でシステム基盤の統括をしているという人物が、政府の情報システムのグランドデザインやそれに伴う業務変革について語っていました。そのなかで、次のような趣旨のことを述べていたのに、いささか驚きました。

もしかするとご本人はそういう趣旨で述べたつもりはないのかもしれませんが、少なくともわたしには、次のような発言内容だったと理解されました。

いま想定している情報システムの設計方針は、マイクロサービスによる疎結合、APIドリブンで設計、開発スタイルはアジャイル。なぜならば、それが「トレンド」だから。

専門知識のない方々には上記の言葉はピンとこないでしょうが、ひとまず放置して先をお読みください。

情報システムを設計したり構想したりするにあたって、設計者が取りうる考え方はいくつか存在します。

それらのアプローチには、時節柄と言っていいのかわかりませんが、話題によく上るものが確かにあります。そうしたものを「トレンド」と呼ぶのなら、トレンドはあるのでしょう。

ただし、これまでに登場したどのような設計アプローチにも、それを採用するにあたっての前提や条件があり、結果として向き不向きが存在するのが現実です。情報システム設計における万能アプローチともいえる決定版は、個人的にいろいろ勉強してきましたが残念ながらわたしは知りません。

よって、少なくともわたしの理解では、設計アプローチは「状況に対応して適切に選択するもの」なのであって、採用する方針は「何を実現したいのか」「アプリケーションをどう動かすべきなのか」というポリシーに従って決定されるものです。トレンドで選ぶものではありません。

例えば、冒頭の引用にある「マイクロサービス」について考えてみます。簡単に言いますとこれは、他とは完全に独立した小さな機能を「サービス」という単位にしてまとめ、それらの小さな「サービス」をたくさん配置して、その「サービス」の間を通信で連携させることで一定の目的を果たそうとする、情報システム設計の考え方のことを指します。

この考え方では、ひとつの単位を占めるサービス(機能)は小さいので、入れ替えることが容易です。作り替えようとした時でも、個々のサービスは独立しているので、他への影響範囲を小さく抑制することができます。新しく追加しようとするときも、他のサービスに影響を与えずに開発して、あとから通信で連携すればいいので、柔軟にシステムを拡張したり改善したりできるのです。

ただし、難点はたくさんあります。大雑把な説明をしますと、「独立した小さな機能」というのは理想的ですが、これを実際につくるのは案外難しいのです。「独立した」とはつまり、他のサービスからは完全に切り離されていなければならないのですが、一切の相互干渉がないように完全に切り離す設計をするのが難題なのです。

それが的確にできないままにマイクロサービス化していくと、重複した機能やデータを持つ複数のサービスが知らぬ間に出来上がり、それが増殖していくことになります。次の難点は、増殖しやすい分運用管理がしにくくなりやすいこと、さらには、増殖するたびに通信のパスが増殖すること、です。無秩序に拡大してしまうことも考えられ、全体としては、品質要求が高いシステムにはあまり向いていない作りになりやすい特徴があります。

もうひとつ、冒頭の引用にある「アジャイル」についてはどうでしょうか。

これは、情報システムの開発手法の一形態です。ざっくり言えば、予め要求を決められないシステムに対して、まずは大事そうなところから小さく作ってみて、それをどんどん改善しながら大きくしていこう、というようなシステム開発のしかたのことを言います。

世の中には、どういうものが欲しいのか?と言われても、ざっくりとした要望以外に何も細かく決められないことがたくさんあります。そうした場合であっても無理やり要求を固めようとするのは、現実的ではありません。アジャイル開発は、そうした状況に対応できるシステム開発のやり方です。

ただし、ご多分に漏れず万能ではありません。要求を固めずに開発を進める以上、始めからパーフェクトな機能が揃ったシステムは、当然完成できません。アジャイルでつくるシステムは、始めはいまいちですが、だんだんと良くなっていきます。つまり、システム完成当初から一定の品質以上の動きをしてもらわないと困るようなシステムの開発には、向いていないのです。そういうシステムは、やはり設計の時点で要求を固める努力が必要になります。

2020年10月のコラムでわたしは、国のシステムは超巨大で一筋縄ではいかない旨を記しています。どの領域でどのような設計思想を採用し、どのようなアプローチで最適化していくのかは、本当に大変な作業だろうと想像します。少なくとも、そうした方針を「トレンド」で選定すれば解決するような話ではないと思います。

デジタル庁は発足当初から、ITスキルの高い外部人材を大々的に募集し、働き方も柔軟に対応できるようにしたことで、多様なスキルを持つ優秀な人材が多く集まってきていると聞きます。それは大変喜ばしいことですが、昔の某プロ野球チームのように4番バッターばかり集まってきてはいないでしょうか。みんなトップ人材、みんなリーダー格、みんなその筋ではスゴイ人、では、船頭多くして船山に上る、ということになります。まあ、わたしにとっては要らぬ心配なのですが。