IT 分野の技術進化の速さは、もう何十年も前から言われていることですが、その技術レベルの急速な向上とともに顕著なのは、利用するハードルが急速に下がってきていることです。インターネットの登場、クラウドサービスの台頭、プログラム開発のローコード・ノーコード化、AI の席巻、といった経緯を経るごとに、数十年前であれば大企業でも難しかった技術を、いまでは小規模な企業でも操ることが不可能でなくなっています。
IT を操るハードルが低くなってきたことで、企業が IT を操る領域が急速に拡大することにつながり、また、事業を構成する基盤としても IT が当然の存在として位置づけられるものになりました。近年、IT を駆使したスタートアップ企業が、創業間もない段階から社会に存在感を示し、分野によっては大企業に技術で対抗しうるベンチャーが登場する状況になっているのも、ハイレベルの IT を活用するハードルが低くなっている証左であると言えるでしょう。
ただし一方で、IT を扱うのが容易になってきたことと共に、企業が IT をコントロールする難易度を同じ速度で上げてしまっている現実もあることを、忘れてはいけないと思います。
企業にはいま、IT を扱うにあたってあらゆる選択肢を取り得る状態にあります。自由度の高さは、やりたいことが叶えられる可能性を高めます。一方で、IT に関して今も昔も変わらない現実のひとつに、「デジタルは曖昧な状態を許容しない」という特性があります。物事に対して曖昧なままに IT に手出しをすれば、焦点の定まらない無駄な行動を重ねたうえに、最後には失敗を見るか、後戻りできないほどに技術にロックインされてしまうか、大きなコストをかけながら結局人力対応が減らず成果に乏しいか、企業にとってネガティブな状況に陥るということが往々にして発生します。
最近では AI が急速に企業に浸透していっていますが、それによって同じく急速に課題になってきたのが、データアクセスに対する権限です。なにも制約がなければ、AI はあらゆるデータを学習し取り込みます。社外はもちろんのこと、部門間でもアクセスする権限に制約を付けたいデータが会社にあるとしたら、その企業は無防備に AI を使わせるわけにはいきません。すでに運用中の情報システムでアクセスコントロールできればまだよいですが、AI が関わる世界では、ファイル単位より細かいデータや非構造化データ(データベースに格納できないようなデータ)までが、コントロールの対象になり得ます。いままで管理が曖昧でもよかったデータに対して、そこまで考えた権限管理にどう取り組むのでしょうか。
また、これも昔から変わらない IT の特性ですが、IT というのは導入したら終わりではなく、運用していかなければなりません。ただ便利そうなものに次々と手を出して使い回し、やめたくなったら止める、という振る舞いは、利用レベルの低い「お試し段階」でしか通用しません。依存性の高い IT を事業に適用すればするほど、それを企業としてどのように使い、どう利用を発展させ、どのように利用価値を確保し、利用をやめる場合はいかにして撤退を図るか、考え抜かれた IT 基盤の「デザイン」が必要になってきます。
こうしたアーキテクチャー設計には、現在手元で使える技術およびその技術の今後の進展を見通しながら、その企業に適した技術のポートフォリオを組み、グランドデザインを描けるだけの、視野角の広いスキルを社内に持っていなければ対応できません。簡単に使えるようになった IT を使いこなせる程度で獲得できるスキルでは、残念ながらありません。自社ではできないからといって外部に丸投げできる仕事でもありません。そうかといって、勝手気ままに使うだけで「設計なし」では、前述したとおり、企業にとってネガティブな状況に陥るリスクは相当に高くなるのです。
こうした自覚がある企業や経営者は、まだ少ないのではないかと思われます。それどころか、ローコード開発でうまく行った程度で他社にコンサルティングを始めるようなユーザー企業がいるほどです。
自覚するきっかけになるのは、興味の視点の違いだと思います。真似したくなるような会社が、どのようにして、他社がマネしたくなるようなビジネスを生み出すことができたのか。その本質に興味を持つのか、単に表面的なノウハウにしか興味を持たないのか、という違いです。後者であれば、ビジネスのしくみのメカニズムや、それを支える基盤のデザインに、興味を持つことはないでしょう。
いま、多くの企業は喜々として、巷にあふれる IT サービスに飛びついているようにも見えます。そして、それを横目に焦りを募らせる企業も多くいるように感じられます。わたしとしましては、こういう時代において、IT という道具を「使いこなすのがうまい」ことより「グランドデザインが上手い」企業を目指すべきであることを、重ねて強調したいという思いです。