スケジュール不要論と甘い考え

スタートアップ系のイケイケな経営者の方などに会うと時々、戦略やらスケジュールやらを立てるなど無意味だと主張されることがあります。

当然ですが経営者も性格はさまざまです。一般的には、コンサルタント経験のある経営者にとっては、戦略や計画をまず考えるというのは自然なことのようです。一方で、営業やマーケティングで成功して経営者になった人の中には、上記のような意識で仕事をしている人が多いように(偏見かもしれませんが)お見受けしています。無意味だ、と主張するその心は、「決めたところで思うようには運ばず、どうせ変わるから無駄」ということのようです。

わたしは職業柄、様々な企業のビジネス計画とその取り組みの結果を見てきていますが、やはり世の中の物事に対して「これが決定版」と銘打てることは、案外少ないように思います。目的や前提などによって、取るべき方針は異なるのです。スケジュールに関して言えば、立てるべきケースと、立てるべきでないケース、どちらも存在すると考えています。従って、冒頭の意見は一面的なモノの見方であって、あまり賛成できません。

基本的にはスケジュールは立てるべきもので、それはリーダーが立案してメンバーに提示すべきものです。ただし、スケジュールはあえて立てないほうがよいケースがあります。典型的には、「試す」ことが要求されるケースです。

「試す」ケースとは、例えばアイデアを実験的に実践してみる、まずは実体験することを優先してみる、考えるよりやってみたほうが良い、などといった試行錯誤を要する類の取り組みです。このケースでは、失敗を許容することが前提になります。そのため、スケジュールを立てたところで変更がかかる可能性が高い。だから立てるべきではない、ということです。

その代わりこのケースで事前に決めるべきなのは、「撤退基準」です。どういう状況になったら問答無用で即終了とするのか、決めておきます。

撤退基準を事前に決めておくことは、大変重要です。取り組みを進めるメンバーたちは、のめり込むにつれて、その案件に日々愛着が増していきます。どれだけ失敗しようとも、成功させるまで何とか続けたいと考えるようになります。当事者であるメンバーが冷静に撤退の判断をすることは、ほぼ不可能です。撤退基準がなければ、スケジュールもないのですから、ずるずると続けていつまでも終わることはありません。

合わせて重要なのは、その取り組みのオーナー(経営者や事業責任者)は、決してその中身に “関与しない” ことです。リソースだけ与え、あとはメンバーの好きなようにさせ、結果だけ問います。オーナーが現場に関与すると、メンバーと同じ愛着がわいてしまいます。誰も撤退判断ができなくなります。

「試す」ケースでは、失敗を許容します。許容するとは、「失敗して当たり前」「挑戦することによって学べ」という考えを持つということです。失敗者を落第者として扱ってはいけません。誰も挑戦しなくなります。ただし、失敗した取り組みは組織として反省を行い、その要因を理解し、失敗の殿堂に入れて組織のノウハウに昇華させます。

いわゆる「イノベーション」は、アイデアマンに任せて放っておけば良いものでは決してなく、組織として取り組める環境と共有された考え方があってこそ、成就するものだとわたしは考えます。実際、イノベーションに成功している組織には、そうした仕組みが整っています。

このように、スケジュールを立てるべきでなく、むしろ立てることが害になるようなケースがあるのは確かです。ただし、これを盾にして計画など一切立てなくてよいと考える人が時々いるので、気をつけたいものです。

そういう人は、要するに計画を立てるのが苦手です。上手くできないことから体よく逃げる口実にしようとしている節があります。しかし、現実の取り組みにおいては、そのほとんどが「スケジュールがあるべき」案件です。立てるべきなのに立てなくてよいと考えるのは、単なる甘えでしかありません。

組織をリードする経営者や事業責任者には、自身が戦略立案に長けているとともに、上記のようなところを冷静かつドライに見極める目も要求されていると感じます。