「ダイナミックプライシング」とは、需要に応じて売り手側が価格を柔軟に変動させる仕組みのことです。
従来は価格の表示が紙で行われていたため、価格を変更することは時間も労力もかかる作業になっていました。これが、近年はITによって価格表示をデジタル化することができるようになり、ダイナミックプライシングは一気に現実味のある取り組みになりました。現在、宿泊業、航空、娯楽施設では一般的に実用されています。
こうした取り組みを、最近真似しようとしている小売業がちらほら見受けられます。しかし、小売業がダイナミックプライシングを実施するのは、先進的どころかむしろ不利益をもたらします。やめたほうがよいと、わたしは思います。
小売業でダイナミックプライシングを採り入れようと考えている企業は、きっと顧客の立場で物事が考えられていません。
例えば、ホテルに宿泊する顧客の場合を考えてみます。その顧客がホテルに宿泊の予約をするとき、先だって予定が決まっているケースも、突然宿泊する必要が出てしまったケースも、いろいろとあるでしょう。ただいずれにしても、その顧客は、特定の日程で特定の場所に宿泊する必要があって、そのホテルに予約をしに来ています。ある意味、選択の余地はほぼありません。
他の例では、野球の試合を観戦したい顧客の場合はどうでしょう。その顧客が試合のチケットを購入するとき、通常なら、特定の日取りで行われる、ひいきの球団の試合を見たいと思って購入するはずです。自分の予定も、連れ立っていく人の予定も、それぞれあるでしょうから、どの日でもいいということにはあまりなりません。つまりその顧客は、特定の日程で特定の試合を見ようとして、チケットを買いに来ます。やはり、選択の余地はほとんどありません。
航空のチケットも、ほぼ同じ論理になります。つまり、こうした顧客は「その時その場で、特定のものを買う必要がある」のです。このようなケースでは、ダイナミックプライシングがうまく適合します。その時その場で利用したいから、その価格が少々高くても選択せざるを得ないし、価格の比較をしたところで他は選択肢になりにくいので、高額な理由が理解できるのなら抗議したくなる余地があまりないわけです。
一方、小売業はどうでしょうか。
小売店に並んでいる商品は、基本的に毎日ほぼ同じです。顧客は、明日に来てもそれを購入できますし、その時その場でどうしても買わないとまずいようなケースはそれほどありません。
さらに、関心のある商品ほど、店に来るたびに買う商品ほど、比較的高額な商品ほど、顧客はその商品の価格を「覚えて」います。
そこに、その小売店がダイナミックプライシングを導入したらどうなるでしょうか。当然、価格が上がれば顧客は買い控えます。
それどころか、「この店は来るたびに値段が変わる、しかも昨日よりも今日のほうが価格が上がっている」と気づきます。それに気づいた顧客は、その店に信頼を置かなくなり、警戒心を持ちます。
ダイナミックプライシングに魅力を感じてやまない小売業者は、消費者は価格が変動していることを知らないと思っているのかもしれませんが、まったく浅はかです。賢い消費者ほど、どの店で何がいくらで売っているのか(場合によっては「いつ」までも)、よく覚えています。同様の話で、食品メーカーはかなり以前から常套手段として、価格を据え置いて内容量を減らすこと(いわゆるステルス値上げ)を頻繁に行っていますが、それも多くの消費者(特に主婦の方々)は気づいています。
さらに言えば、ECの世界ではすでに、特定のサイトの特定の商品が時間経過でどのような価格変動をしているのか、自動的にトラッキングしてくれるサービスまで登場しています。利用者は安くなったところで通知をもらえるように設定しておき、通知が来たところで注文できるというわけです。
そのような自動トラッキングを使わないとしても、その小売業がECサイトを展開しているのなら、顧客はそのサイトに、関心のある商品を ”何度も” 見に来ます。訪問するたびに価格が変わっていれば、それで分かってしまいます。1週間のあいだに何千円や何万円も価格が上がっていることに一度でも気づけば、もう顧客はそのECサイトでは、一見で購入ボタンを押すことはなくなるでしょう。
消費者の信頼をなくしてまで、「最適な価格」で利益追求したいのでしょうか。小売店は正々堂々と、一度決めた価格で勝負すべきだと思います。もし価格をダイナミックに変えたいなら「下げる方向にだけ」にするべきです。上げる方向に変えるなら、きちんと理由を説明すべきだと思います。
実際、現在のような価格高騰のご時世の中、そうした説明は、小規模な小売店ほど危機意識をもって丁寧にやろうとしています。値段を上げたり下げたりを恣意的に行っていることに消費者が気付けば、企業規模に関係なく、小売店は簡単に信頼を失うことを、忘れてはいけません。