成果を問わずに成果を目指す「胆力」(後)

先月のコラムから、AI(人工知能)の採用・導入について述べています。今回はその後編です。

先月は、AIには「使えるデータ」が必要である、そして、AIによるアウトプットの精度を高めるのは案外大変なことである、ということをお話ししました。つまり、AIには「モデル」と呼ばれる分析のシナリオが必要で、その構築にはおよそ試行錯誤を伴う、つまり時間がかかり、それほど簡単ではありません。

例をひとつ挙げてみます。Googleの音声AIであるGoogleアシスタントには、日英翻訳の機能が付いています。「英語の通訳して」などと命令して、日本語でAIに話しかけると英語にしてくれる、というものです(逆もできます)。

ある記者氏が、翻訳を実際に試した内容を記事にしていました。それによれば、こんな結果だったそうです。

(原文のまま引用)
日)シティーハンターの新作映画はコラボするキャッツアイの長女のを誰が演じるのかと思ったら戸田恵子が次女とのダブルキャストでびっくり
英)City Hunter’s new movie collaborates When thinking who will play the eldest daughter of Cat’s Eye Toda Keiko is surprised at double cast with the second daughter

この記者氏は「意味はおよそ通じる」などと評価していますが、とんでもありません。元の日本語はFacebookの投稿らしいのですが、日本語のむちゃくちゃさ加減を飛び越えて英語はぐちゃぐちゃです。戸田恵子さんがびっくりしたことになってしまっています。

当のGoogleアシスタントは、米国の調査会社によるAIアシスタント比較調査で、Siri、Alexa、Cortanaという有名どころの競合を押さえてトップのIQだと評価されています。それでも、複雑な口語体の文章になるとこのくらいのレベル感だということです。精度を高めることがどのくらい大変か、想像していただけるでしょうか。

この問題もまた脇において、仮に、業務で使えるほどに精度の高いモデルが構築できたとしましょう。しかしそれでも、精度100%(つまり、間違いがゼロ)というのは至難の業です。100%ではないということは、AIが想定外の挙動を示すこともあり得ることになります。そうなると、絶対に間違ってはいけない業務システムにAIを適用するのは、普通の感覚なら怖いと感じるはずです。

そこにも折り合いをつけてシステム化し、運用するとしたらどうでしょう。問題は終わりません。先に申し上げたように、AIはデータを食べて動いています。運用中に異常なデータが入り込もうものなら、一発でアウトです。異常なデータが投入されないように日常的にケアすることが必要です。

それを人力や自動でうまく仕組み化できたとしても、実はAIは、正常運用しているうちにモデルの精度が劣化していくことがあります。精度の劣化を検知してモデルを改修する、という活動も必要になるのです。

ひどい話ばかりで、やりたくなくなってしまったでしょうか?しかし、考えてみてください。

ここまで説明したことを理解したうえでAIに取り組み、時間をかけてモデルの精度を向上させ、その成果として盤石なシステムを作り上げたとしたら、どうでしょう。それは、相当レベルの高いノウハウです。出来ないからといって取り組んでいなかった他社は、もうその企業に追随不可能でしょう。覆すことができないアドバンテージになる可能性が高いと思われます。

それに気付いている会社が、成果はそこそこでも今のうちからコツコツ積み上げようとしている。それが実際の姿なのです。

AIの採用や導入には経営者の「胆力」が必要である、と申し上げているのは、これが理由です。

取り組むとしたら、マスコミによるセンセーショナルな見出しに惑わされて飛びつかず、成果を長い目で見られるか自問してください。限定された用途範囲で軽い責任しか負わないようなものから始めてみて、徐々にレベルを高めていくようなシナリオが描けるなら、取り組み方としては理想的かもしれません。

 

成果を問わずに成果を目指す「胆力」(前)

新聞に「AI(人工知能)」の話が頻繁に出ているのを見るにつけ、それとなく焦りを感じている経営者の方がいるかもしれません。

金融機関や製造業を筆頭に多くの大手企業がAIを活用した仕組みを開発し、話題になっています。それに伴って、その開発を支援するベンチャー企業もちらほら名前が目に付くような印象です。適用分野はなかなか多彩で、事務処理の分野から、建設や農業、水産業といった分野にまで広がりを見せています。

マネして追随したくなりますか?うまく行ったら「先端を行く企業」と称賛されるかもしれませんね。ただ、AIの採用や導入には経営者の「胆力」が必要であることを、ぜひ知っていただきたいと思います。

AIの開発に利用できるソフトウェアやクラウドサービスは、急速に充実してきています。技術力のある人がその気になれば、無料でも結構なレベルまで試作することも可能です。少し投資ができるなら、AIを得意にしているベンチャーやベンダーなどと組んで、何らかの実証システムを組むことも難しくはないでしょう。

ただし、AIの開発に一番必要なものは、システムではなく、データです。しかも「使えるデータ」が必要なのです。

およそいま手元にあるデータというのは、AI向けに利用したい目的とは異なる目的でデータ化されています。ありものをそのままAIに食べさせても、実は満足には使えません。

例えば、オークションサイトには品物の写真が大量に存在します。この品物がブランド物である場合に、本物か偽物かを判定したくなるとしましょう。写真がたくさんあるのだからAIに判定をやらせればラクではないか、と思うのがフツウの考え方です。しかし、いまサイト向けに持っている画像を真偽の判定に使おうとすると、画質や撮影の角度などが問題になってうまく行かない、ということが起こるのです。

AIにはデータが不可欠です。しかも、ただのデータではダメで、「使えるデータ」でなければいけません。用意するのは、他ならぬ自社自身です。「使えるデータ」を揃えられるようにするのが、まず大変なのです。

仮に使えるデータが集められたとしても、それだけでAIによるアウトプットの精度が保証されるわけではありません。それはまた別の問題になります。

少々乱暴に説明してしまえば、AIには「モデル」と呼ばれる分析のシナリオを組み込む必要があります。「モデル」がAIの実体、と言ってもいいかもしれません。

このモデル構築、少ない要素で簡単に筋書きを見出せるような分析テーマであれば、それほど苦労しないかもしれません。一方で、判断が感覚的であいまいなテーマであるほど、モデル構築の難易度が上がります。

AIにやらせたいことは説明が簡単でないことなのが通常です。従って判定したい現象をモデル化するには、試行錯誤が必要、つまり、時間がかかります。そんなに簡単にアウトプットの精度は上がりません。

…と、ここで例を挙げて説明するつもりのところなのですが、以降の文章が長くなってしまいましたので、続きは来月にします。もしよろしければお待ちください。

デカい会社よりも、ハヤい会社を

今から25年ほど前、大学の研究室で初めてMosaicなるものをコンピュータ画面で目にしたとき、それがいったい何の役に立つものなのか皆目見当がつかなかったことを、よく覚えています。

“Mosaic” とは、現在のWebブラウザーの原型となったソフトウェアです。その後どうなったかは、みなさんご承知のとおりでしょう。このように、わたしにはあまり先見の明がないのですが、年頭くらいはボヤキよりも前向きなことを書きたいと思い、少々慣れない将来予測をしてみたいと思います。

私見では、ビジネスを成功に導くために、当面は「ちょうどよい規模の驚速企業」を目指すのがよいのではないかと考えています。

ここでいう「ちょうどよい規模」とは、大きくてもダメ、小さくてもダメ、いわゆる「足るを知る」ということです。

まず、当面は大きなものを作ってはいけないと思います。大きなものは、全体制御も微調整も難しい。全体で信頼性を維持するのが困難であり、一部でも壊れればその影響が大きくなりかねない傾向があります。それに、柔軟性も通常はありません。何か課題を抱えた時、すぐに課題のある部分だけ直したくなりますが、たいていそれは理想的な解ではありません。そうわかっていながら、全体を考えようとすると複雑で面倒なので、部分的に直してしまいます。つぎはぎを継続するうちに無理が出るようになり、いつしか仕組みの効果や効率が落ちていきます。そしてそれが破たん寸前になるまで、当事者たちは問題にしません。

大きなものの末路とは、およそこうしたものです。

だからと言って、小さいものであればいいわけでもないと思います。小さいものにフォーカスすると、必ずそのうち、小さいもの同士を連携させたくなります。それが不幸の始まりです。始めのうちは繋いで幸せですが、徐々に調子に乗っていくと、構造が複雑化していきます。複雑化したものは、大きなものと同じです。しかも厄介なことに、人間は、複雑が極まってコントロールできなくなって初めて、それが複雑であることに気付く生き物なのです。

ちょうどよい規模であることがなぜ必要なのか。その理由は「驚速」にあります。これからの時代、企業は「常に速い」ことが要求されるだろうと思うからです。

その要因は、ITがもたらすスピードと処理能力です。資本がなくてもITのパワーを享受できる時代になったいま、これに対応できる人間や組織であるかどうかが問われます。ニーズに対して驚速でアウトプットを出せる企業が勝ち、遅かった企業は、場合によっては秒単位の遅れでも、淘汰されてしまうかもしれません。

ただし、速ければよいというわけでもありません。精度も問われます。速くアウトプットできたとしても、すぐにもろさが露呈する企業は、やはり淘汰されるでしょう。ITと、それを駆使する組織、安定した質を実現できる仕組み、すべてが問われます。これが、「常に速い」という意味です。

これからビジネスに要求される「驚速」を実現するための現実解が、現時点では「ちょうどよい規模」であることだろう、ということで、目指すべきは「ちょうどよい規模の驚速企業」と考えました。

ところで、「ちょうどよい規模の驚速企業」という目標のうち、「ちょうどよい規模」というのは「当面」に限られる話です。「ちょうどよい」時代の後には、「デカいのに速い」企業が主役になるだろうと思います。

そういう企業はしばらく出てこないだろうと思いますが、冒頭に申しあげたとおり、わたしには先見の明がありませんので、悪しからずご了承ください。

そのデジタル化、動機は何か

わたしがかつて勤めていた会社は稲盛和夫氏と深いかかわりがあり、社内では稲盛氏の哲学を語る言葉が多く交わされていました。もう何十年も前の話なので内容はほとんど忘れてしまっていますが、そのなかでなぜか、「動機善なりや 私心なかりしか」という言葉だけ、いまでもよく思い起こされます。

私見ですが、エンジニアというのは典型的に、技術的にやれること、技術的に可能なこと、技術的にやりたいことは、やってみたいと考えるものだと思っています。およそそのときに念頭を占めるのは「技術」、すなわち「私心」です。顧客がほしいものは何なのかという視点が抜けがちなのです。顧客はドリルが欲しいのではなく、穴が欲しい。わたしもエンジニア上がりですので、「動機善なりや 私心なかりしか」という言葉を自戒をもって心に留めようとしていたのかもしれません。

最近、決済を完全キャッシュレス化する店舗をオープンすると、某外食企業が発表しました。注文をセルフ式にし、決済で現金を取り扱わないことによって、従業員の間接業務を軽減するとしています。また取り組みが成功すれば、ほかの店舗にも広げるとしています。

人手不足が深刻など事情はあるでしょう。しかし、少額の場合は特に現金決済するケースが現在では主流である日本において、現金決済を一切断るレストランというのは果たして「動機善なりや」なのか、わたしには疑問です。

こういう取り組みではほとんどの場合、浮いた労働力を顧客満足度向上につながる作業に充てる、などと企業は主張するのですが、本当にそのシナリオまで描いて取り組んでいるのでしょうか。

わたしが先日不意に入ったある食堂は、テーブルにタブレット端末が置いてありセルフ注文する形式でした。これもまた従業員の間接業務の軽減策なのでしょうが、その従業員たちが店内で何をしていたかといえば、フロアで接客するでもなく、全員が厨房近くにただ立っているような状態でした。客に呼ばれないので、あまりやることがないのでしょう。

わたしはキャッシュレス決済に反対しているわけではありません。「動機善なる」取り組みとしては、スポーツの公式試合を行うスタジアムの例があります。先進的なスタジアムの取り組みで、チケットからグッズ販売、飲食店での購買など、あらゆる体験を電子化しようという構想が進められています。

スタジアムでの観戦は、人気の高い試合である場合は特に、売店での行列は時に集中して激しくなることがあります。この状況で現金決済していれば、行列に拍車をかける可能性が高くなります。もし電子決済できればレジでの混雑緩和に大きく貢献し、顧客は確実に喜びます。

また、スタジアムはたいてい広いので、どの店で何を売っているかをきちんと把握するのは顧客にとってなかなか面倒です。席を立てる時間に限りがある状況であるほど、座席の近くで用事を済ませるのが普通でしょう。そこでもし、利用者の属性と顧客の決済情報を結び付けて商品や売店のレコメンドなどができれば、店を探す時間の短縮につながって顧客はうれしいはずです。

同じキャッシュレス決済の話ですが、どちらのほうが期待を持てるビジネスに感じられるかは、言うまでもないと思います。

デジタル化という取り組みは、エンジニア的発想に取りつかれるほどに、つまりデジタルそのものが目的になるほどに、「私心」満載になりやすくなると感じます。これは、顧客に関連したデータ取得や分析などでも同じです。そういう「先進」事例を、マスコミがあたり構わず好事例であるかのように報道していることが少なくないように見えるのが、個人的に最近気になっているところです。

サービスは、イノベーションより「見せかた」がむずかしい

最近、製造業の企業が事業をサービスやソリューションの提供にシフトしているとして、話題に上ることが多くなっています。

例えば、トヨタ自動車は先日、「自動車を作る会社から、“モビリティカンパニー”にモデルチェンジをする」と、社長自ら宣言しました。また、今月開催される国内最大の家電・IT見本市「CEATECジャパン」では、コマツやファナックといった”機械メーカーの雄”ともいえる企業が、「製品」ではなく、自らが仕掛ける「サービス」について基調講演するということで、話題になっています。

この背景には、あらゆるものが「つながる」ようになっているという傾向、そして、つなげる部分を担うプレーヤーが業界を制する立場になりやすいという実情があると思います。モノづくりに高度な技術は相変わらず必要であるものの、モノを作っているだけでは価値提供として足りない時代になってきたということでしょう。

実は、トヨタ自動車がこのような「宣言」をしたというのは、個人的には内心ほくそ笑んでいるところがあります。わたしは2012年1月の当コラムで、同社を話題にして、『自動車会社は今後自動車を「端末」として扱い、ケータイなどの「端末」と同列化しながら、それらをつないでサービスを展開する「プラットフォーム事業者」を目指したらどうか』と書き記していました。まさに、趣旨を同じくするような「宣言」をしたわけです。

ここしばらくの間は、多くの企業で「サービス化」の動きが加速していくだろうと見込まれます。ただ同時に、おそらく相当の企業がまず壁にあたるのではないかとも思っています。

サービスを作るには、顧客にそのサービスを「どうやって見せるか」という観点が重要であると、わたしは考えます。例えば、同じ飲食店をやるにしても、店をどう見せるか次第で、顧客に映る魅力がまったく変わってしまい、差がついてしまうということです。

このように言うと、ブランドプロデュースのようなことを想像されてしまうかもしれませんが、そうではありません。「どうやって見せるか」とは、顧客にサービスをどうやって使ってもらうのかであり、どう利用してもらえれば顧客が喜ぶかということです。ブランド価値があるのかどうか以前に、それはサービスを提供する企業自身が、こだわりを持って作り込むことです。

サービス提供に失敗する企業は往々にして、この部分をうまく作り込めていないか、そもそもよく考えていない傾向があるように感じています。結果として、魅力を感じない「フツウ」のサービスに顧客には映り、積極的に選ばれないわけです。

見せかたをよく考えなくても、ブランドやブームを前面に出してマーケティングすれば、それでもビジネス的に成功はするでしょう。しかし、だいたいの場合それは一時的です。そのうち中身の本質を顧客に見抜かれるようになり、飽きられて「フツウ」になっていきます。大事なのは、華々しくマスコミに取り上げられることよりも、永く顧客に支持されることではないでしょうか。

特に技術を活用したサービスの場合、こうしたことを真剣にデザインしていないと、単なる技術のつなぎ合わせのようなサービスになります。そういうものはすぐに真似ができ、すぐにそれを超えるサービスを出されてしまいがちです。

技術競争は、価格競争に似て、リソースの消耗戦になっていきます。資金や人材が潤沢な大手企業には決して勝てません。また大手企業にとっても、そうした競争の先に「イノベーションのジレンマ」が待ち受けているということは、すでに過去の歴史が証明しています。

もしサービス提供を本格的に考えるのなら、流行に駆られて先走る前に、まずはしっかり「どうやって見せるのか」を考えることをお勧めしたいと思います。デジタルなどは、その仕組みやロジックを考えた後の話です。

「ビジネスのデジタル化」も、いつか来た道

「デジタルビジネス」やら「ビジネスのデジタル化」やら、そんなフレーズが様々なかたちで耳に入ってきていることと思います。マスコミが連呼し始めるにつれ、急に焦りを感じ始める経営者の方もいるかもしれません。

ここで短絡的に「デジタル化を何かやれ」と社内で言い出す前に、デジタルビジネスとはどういうことなのか、まず考えを深めてみてください。

会社や事業にデジタルを取り込むとは、どういうことでしょうか。いま流行りのAIだとか、IoTだとか、RPAだとか、そういった技術を導入すればデジタル化は成就するのでしょうか。

デジタル化とは言いますが、新しい話なようでいて、行われることの実態は昔からある「機械化」と何も変わりません。人の作業が機械で実行できる、それによってビジネスのあり様まで変わる、というのが本質です。

機械化は、これまでも人間の働き方に大きな変化をもたらしてきました。

18世紀半ばから19世紀にかけて起こった産業革命では、産業機械や動力技術の発達により、従来の手作業ではありえない生産性を実現することになりました。大量生産と大量流通の実現により労働者の働きかたも大幅に変わることとなり、それが「仕事を奪われる」恐れを生み、労働者の暴動に発展することもありました。

もう少し最近で言えば、かつて電話が贅沢な通信手段であったころ、電話回線の接続は交換手という労働者たちの人力で行われていました。この仕事のしかたでは加入者の収容に限度がありましたが、自動交換機が発明されて以降、従来とは比較にならないほどの数の加入者を安価に収容することができるようになりました。電話が一般に普及する一方で、交換手という職業は姿を消しました。

つまり、デジタル化もまた機械化と同様に、会社のアウトプットのしかた、業務のしかたを大幅に変革する取り組みになるということです。歴史が示すとおり、デジタルにしてお手軽に完了する話ではないのです。そして、現代のコンピュータがもたらす技術的インパクトは、過去の機械のそれと比較にはなりません。そう考えれば、過去よりもより高度で複雑な成り行きを想像しなければならない状況にあるはずです。

従ってデジタル化に取り組むのであれば、会社としてそもそもどういう未来を追求するのか。そのアウトプットは世間に役立つものなのか。そのアウトプットのために自社のビジネスのどの部分に何を適用すればよいのか。どこまでデジタルを追求すれば目指すものに適うのか。それによって仕事のしかたをどう変えるのか。その変更に自社はどう適応できるか。そのような思考のもとで、自社のビジネスのしくみをまず考え直す。それが、デジタルよりも先にやることであるはずです。

その考えが浅いうちに世間のバズワードに踊らされると、その「デジタル化」は、コストはかかっても大した意味は出せない、むしろ混乱しか招かない、よくある悪しきIT導入と同様に終わることでしょう。

見かたを変えれば、普段からビジネスのしくみを意識し、シゴトのしかたをつくり上げてきている企業にとっては、デジタル化は結構ラクに対応できるトピックなのです。いま「デジタル化」で顕著な成果を挙げている企業は、およそそういう企業です。

話題の技術に踊らされる会社 踊らされない会社

AI(人工知能)が巷で話題になると、「ウチも AI を使ってなにかやれ」と部下に指示する経営者。

信じたくはありませんが、本当にいるのだそうです。

「ウチの商品・サービスにAIを適用したら、○○が●●になって、これまでにない新しい価値が出せるのではないか」というような話をするのなら、ひとまず許容範囲です。そうではなく、「なにかやれ」とだけ言うということは、どう使うとよいと思っているのかについてはノーアイデア・ノープランであるのは明らかです。

経営者がそんな技術的なことに専門家並みに詳しいなど無理だ。こんな反論がすぐに返ってきそうですが、うまく技術を取り込む会社では、そんな言い訳は聞かれません。それでいて、経営者は技術の専門家では必ずしもありませんし、目指してもいません。ただ一点、的確に方向性を伝えなければ「まずいシナリオ」に嵌ることだけは、熟知しています。

まずいシナリオとはどういうことか。冒頭のようなかたちで指示すると、技術にフォーカスが置かれ、その検討がうまく行ったとしても、結果はビジネスに対してあまりインパクトをもたらさない「小粒なもの」になりやすい、ということです。

つまり、こういうシナリオです。特定の技術を自社に適用することが目的になると、およそ発想の方向は「その技術はウチの業務のどこに使えるだろうか」となっていきます。そしてその検討の結論は、「~の業務のうちの…の部分に適用できるかもしれない」となります。そして実際に実証試験を行って、たしかにうまくハマりそうだ、となるわけですが、それは所詮「ある業務のいち部分」でしかありません。

たしかにその業務だけで見れば、自動化なり効率化なりを実現しますから、現場としてはうれしいかもしれません。それがマスコミにおいて話題になっている技術だと、先進事例だとして取材に来られて世間に知られることになり、担当者は得意な気分になるかもしれません。

しかし、経営レベルから見れば、そのインパクトは「ある業務のいち部分」でしかありません。通常、「ある業務のいち部分」がビジネス全体に及ぼす影響は、大したことがありません。従って改善のインパクトも、大したことはないことになります。おそらくその会社の経営者は内心、「新聞で言われるほどすごくはないな」「まあそんな程度のものか」というような感想を持つでしょう。

そのような感想を持ってしまうのは、このシナリオを辿るなら、厳しい言い方ですが自業自得です。なるべくして「まあそんな程度」になっています。

ただし、このシナリオにおいて注意すべき例外があります。こと IT の場合、ある技術の採用が会社の業務基盤を根底から変えてしまう影響力を持っているケースが、時としてあります。その技術を採用することで、仕事のしかたがごっそり替わる、問題発生時に解決の仕方がこれまでと変わる、業務のやり方が縛られる、などということが起こりえます。

経営者が、技術の採用によりこうしたインパクトがあることに疎い(そういう類の技術に限って、そのインパクトが素人には分かりにくいのです)と、以前と違う状況になっているとはっきり気づいたときに、小さくないショックを受けることになるでしょう。そして、そこから元に戻すことは、もうできなくなっています。

マスコミはほとんど取り上げませんが、新しい技術を使ってポジティブな成果を挙げる企業は、その技術の適用を考える前に、自社のビジネスのグランドデザインがきちんとできています。事例を「きちんと」分析すれば、その会社がきちんとグランドデザインを描き、それを下敷きにして技術適用の検討を進めてきたのかどうかは、感じ取れることが多いものです。

グランドデザインがあるということは、その会社が実現したいことが明確に決まっている、ということです。ですから、新しい技術がその役に立つ可能性について、容易に判断がつくのです。

そういう会社の経営者は、「ウチも AI を使ってなにかやれ」などとは決して言わないでしょう。そんなこと言わずとも、社内で勝手に検討が進んでいるはずです。それが、グランドデザインを考えている会社とそうでない会社の差です。

次世代通信規格「5G」は、他力本願で寝て待て

先日の日本経済新聞では、次世代通信規格「5G」の商用化の動きについて、大きく報じられていました。

それによれば、去る2月26日に開幕した、世界最大のモバイル機器見本市「モバイル・ワールド・コングレス」において、世界各国の関連企業や事業者が、相次いで5Gの商用化計画の前倒しを明らかにしたとのことです。早いところでは2019年、日本では東京五輪に合わせた2020年の商用化が計画されています。

5Gには、理論速度で10Gbps以上(実行速度で1Gbps)、4Gに対して1000倍以上の通信大容量化、無線区間の遅延を1ミリ秒以下に抑える低遅延化、同時接続端末数が今の100倍に拡大、といった特徴があると言われています。この通信技術が実現すれば、これまで体感できなかったコンテンツの配信や通信システムの構築が可能となり、例えば4K映像配信、自動運転の隊列走行、遠隔診療や遠隔手術、複数の機器の遠隔操作、などが現実のものとなります。

このような感じで、マスコミも業界も盛り上げにかかっている感があります。ただし、5Gは4Gまでとは異なり、事業としてこれまでのようにスムーズに移行していくかどうか、多くの課題があるのも指摘されているところです。

その理由として、まずビジネスモデルの大いなるシフトが事業者に求められる可能性が高いことが挙げられます。これまでの携帯通信事業は、多くの割合をBtoCで稼いできました。しかし、5Gがどうしても必要となるような、インパクトのある一般顧客向けのサービスケースというのが、現状ではだれも思いついていないという問題があるのです。

4K動画配信とは言っていますが、多くの人々は、いまの4Gの通信でYouTubeを見る程度で満足しています。4K動画でなければ困ると思っている一般の人は、あまりいないのです。万一4Gより5Gのほうが通信料金が高いとなれば、ほとんどの人々は4Gのままでよいと考えるでしょう。ゲームコンテンツなどは通信容量が大きくなることで進化するでしょうが、そのユーザー層は大勢を占めるには至りません。

実は、5Gの技術的インパクトがより大きいのは、高速・大容量であることよりも、低遅延・同時接続数拡大のほうなのです。そしてこれらの要件は、対法人のサービスケースにおいてより有効です。現在取り上げられている5Gの応用例をよくよく眺めると、ほとんどが法人利用に絡んだものであるのは、それを端的に示しています。

つまり、事業者は5Gをビジネスとして軌道に乗せようとするなら、これまでのようにBtoCで稼ぐのではなく、BtoBで大きく稼ぐ仕組みを作り上げなければならないわけです。

それなのに、実は法人向けの目玉技術ともいえる低遅延・同時接続数拡大は、2022年以降での対応と言われています。これは主に、端末から基地局までのアクセスネットワークだけでなく、通信網のコアネットワークまで含めて設備増強する必要があるためです。

しかも、5Gは4Gよりも高い周波数帯を利用することになるということで、その場合、電波が遠くまで飛びません。したがって基地局をより多く配置する運用となり、通信網を構築する投資額は必然的に増加することになります。これを回収すべくビジネスを成立させることが要求されるわけです。

稼げない限り投資が続かない。でも稼ぐキモであるBtoBは時間がかかる。そうかといってBtoCのサービスアイデアがない。過去の延長線ではなく5Gとしてビジネスが成立していかない限り、5Gへの進化はままならないという状況なのです。

そんな事情もあって、国内の事業者は、アイデアコンテストを開いたり、ベンチャー企業と連携したりと、他人のアタマも使いながら、なんとかBtoCのサービスアイデアをひねり出そうと格闘しているという状況です。

こうした課題に対して解決策不在のままなら、速くなるだけの ”4Gダッシュ” のようなサービスに留まるか、場合によっては、都内でしか使えない高価な通信サービスになってしまう可能性さえ考えられます。

何らかのブレークスルーがない限り、一般の企業としては、実証実験などは大企業にお任せするとして、少なくとも2022年までは傍目から様子を窺っておくほうがよろしいように、個人的には感じているところです。この件において、利用が後発になって損をすることはおそらくないでしょう。

先が読めない時代に、どういう会社を目指すか

最近のビジネス動向に触れていると、さまざまな分野で、時代の端境期にあるように感じられます。その要因のひとつになっているのは、ITを中心とした技術の進展ですが、それがひとつではなく多くの分野で、横断的かつ複合的に影響を及ぼしています。この先どういう時代がやってくるのか、長期的にはまったく読めないのが、いま現在ではないでしょうか。

例えば、自動車業界は興味深い分野だと思います。わたしは2012年初めにも本コラムで、「そろそろ『自動車会社』を辞めることを考えるべきときが来ているのではないか」と書きましたが、6年近くたった今となってはさらに進化した先行きが妄想できるようになってきました。

例えば、こんな想像も、ひとつのシナリオです。もし、レベル4と呼ばれる完全自動運転が実現し、一般道でもオートパイロットで運転されるようになればどうなるか。ほとんどの消費者は、車を買わなくなるかもしれません。使いたくなった時に、アプリで呼び出すだけ。呼び出せば、時間ちょうどに家の前まで自動でやってきて、用事が済むと、自動で帰っていきます。自ら所有する必要などありません。バスもタクシーも、事業にならなくなるかもしれません。個人は駐車場も不要になり、それを生業にする不動産ビジネスも方向転換を迫られるかもしれません。

いまの人たちが電車に乗るときに気にしないように、クルマに乗るにあたって「操る喜び」を気にする人も、そのうちほとんどいなくなるかもしれません。それよりも、乗る楽しさを左右するのは、車内で展開されるアプリケーションのほうになります。

クルマに乗る目的が、点から点への移動だけではなく、クーポンをくれるとか、自分の好みのイベントやおもしろい場所に勝手に連れて行ってくれる、というものに変わっていくかもしれません。楽しさを提供するアプリケーションをいかに創出するか、その楽しさを生み出すために必要なデータやログをいかに収集し分析するか。それがモノをいうのだとしたら、自動車そのものは、ソフトウェア開発会社かサービス会社の「部品」になるかもしれません。

そして、消費者にとって、内燃機関かハイブリッドかEVかなど、どうでもよいことになり、今後どこかでエンジン技術の向上はあまり求められなくなる、つまりコモディティ化するかもしれません。

これとは違う未来も、想像できるでしょう。しかし、なにが本当なのかは、誰にも読めない状況だと思います。経営する人間にとっては、興味深いけれど非常にやっかいな世の中です。

こんな状況で取れる道は、おそらく2つではないかと思います。ひとつは、あらゆる構造変化に柔軟に対応できるような、変わり身の速い事業と組織を維持すること。もうひとつは、自分がゲームチェンジャーになって未来をつくること。どちらもなかなか難しい注文です。ただし、自らの顧客を定め、その顧客に価値を提供することを目指すという点は、時代がどのようになっても揺らぐことはないと思います。

ITに時代を変えられてしまう前に、ITを取り入れるコツ

新年を迎え、明るい可能性の話を少しできないかと考えました。

昨年中もまた、さまざまなIT関連のキーワードが飛び交いました。AI、IoT、ブロックチェーン、VR、MA、等々。一般には難解に感じられるのでここでは挙げませんが、IT業界内ではさらにいろいろなキーワードが聞かれました。

こうしたキーワードは、「バズワード」と揶揄されることも多くあります。実際、一時話題になりながら、知らぬ間に誰も取り上げなくなったものも少なくありません。それだけにビジネスの場面においては、こんな人が多いのではないでしょうか。つまり、はやり言葉に踊らされまいと少し慎重に構えてホンモノなのかどうか観察し、周囲が使い始めてうまく行った話をよく耳にするようになってから動き出す、というような。

今のところはそれでよいかもしれませんが、もうそろそろ、その方法では先行者を後からとらえるのはかなり難しくなるかもしれません。自動車業界などは典型的でしょう。ITの塊ともいえる自動運転技術や、コネクティッドカーという言葉に代表されるネットワーク通信機能など、そのノウハウがない企業はいつの間にか取り残されるような状況になり、気づけばIT企業など異業種・新種のプレイヤーが業界に当たり前に存在する事態にもなっています。

周囲に成功者が現れる頃に、その成功者たちが業界にもたらすインパクトがこれまでよりも小さくなることは、少なくともないでしょう。それほどに、ITによってできるようになることのインパクトと、その活用ノウハウの蓄積は、マインドシフトを余儀なくされるほどに大きな影響を与えるものになっていると思います。

マインドシフトが発生するタイミングにうまく乗っていく、または自らそれを起こす側に立つようにするには、技術の目利きが必要になります。これには見方のちょっとしたコツがあると思います。わたしが持つものの中から、専門家でなくても使えるものをひとつ、ここで紹介しましょう。

ITの分野においてよく見られることなのですが、ある技術がITのフィールドで目立ってくるとき、起ち上がりから文句のつけようがなくいきなり普及したものは、少なくともわたしの記憶にはこれまでありません。インターネットでさえもそうです。わたしが大学で電子メールを使えていたころ、日本の企業で仕事に電子メールを使っているところは皆無でした。「ブラウザー」もそのころすでにありましたが、ほぼ誰も知りませんでした。おおよそ勃興してきたばかりの技術には、利用において多くの欠点があるのです。

この欠点を、多くの技術者が寄ってたかって解決しようとしているか、そして実際に解決していっているか。もしこの答えにイエスと言えるような技術であれば、多くはその後使われるようになっていきます。

一方で、コンセプトは有効なのだけれど欠点がなかなか解消されて行かない、使われるうえで決定的に問題のある部分がずっと残ったままになっている、などの場合、多くはそのあと勢いもしぼんでいきます。

それぞれの技術についてこうした動向を見ていると、自社に価値や影響をもたらすかどうかはわりと見通しやすくなると思います。ぜひ新年の始めから、そうした視点で世の中のキーワードを見極め、自社に取り込むべきものを関心をもって探る方策を確立していただきたいですし、そういう役割分担に技術の分かる人を置いていただきたいと思います。