「提供する価値を見直す」ことの先にあるもの

当社の支援ポリシーについて説明をする時、必ず強調することがあります。それは、「顧客に対する価値の提供を軸にしてビジネスを考える」ということです。自社を使ってもらいたい顧客は誰なのか、その顧客にどのように価値を感じてもらいたいのか。そして実際そういう業務になっているのか。ビジネスのしくみは価値提供のありかたで決まるし、そこに信念がないのでは競争力のあるしくみにはならない。こういうことを申し上げています。

そういう話をすると、既存事業に課題意識をもって話を聞いてくださっている経営者の中から、「それは考える必要がある」という反応をいただくことがあります。

お察しするに、自社のビジネスが提供する価値を問い直すという試みは、場合によっては現状の否定につながるかもしれない、という想像が浮かんでくるからなのかもしれません。自信があるのなら問い直しても何の問題もないはずですが、寝た子を起こすような怖さや混乱を感じる向きもあるのでしょう。

価値を見直すことで必ずしも現状が否定されるわけではありませんが、そのようなケースも実際に経験があります。ただし、それが起こったのは必然とも思えます。

そもそも競争力とは何でしょうか。端的には、ライバル企業が存在してもなお自社が選ばれる力のことです。競争障壁については経営学的にテクニカルに語られるものもありますが、結局のところ、何らかの理由によって顧客に選ばれる会社が強いと言われる、ということです。

ただし、すべての顧客に好まれる商品やサービスを生み出すことは不可能と言ってよいと思います。そうだとすれば、買ってもらいたい顧客は提供する側が「特定」しなければなりません。特定の人たちに向けて作り込まなければ、好きになってもらいにくいからです。価値の提供スタイルがはっきりしている会社は、顧客のペルソナが実に明快です。

一方で、求められるサービスを何でも提供しようとする会社があります。表向きは、顧客に応える充実したサービスを幅広く提供したいと考えての行動なのでしょうが、実は深層心理で、顧客を特定して絞ってしまうことを怖がっているのだと思います。

企業規模に比例して、投下できるリソースは決まります。資本力のある大企業ならいざ知らず、限定された能力であれば、何でもやりますと商品やサービスを展開して、そのすべてにおいて他社より優れたものにするのは無理があります。結果として、どの商品やサービスも他社並みかそれ以下になり、顧客はそれに価値を感じないのです。価値を感じなければ、顧客は買いません。

何でも提供しようとする企業ほど、価値を見なおすことに恐怖を感じることでしょう。しかし、見直しをかけたその先にあるものを見据えて敢えて火中の栗を拾うだけの価値は、十分にあると考えます。

そうして、会社が提供すべき価値のありかたを見直すことで競争力を高め、成長軌道に乗った事例は、いくらでもあります。というより、わたしはそれしか知りません。顧客に強く支持されている企業はみな「提供する価値」にこだわっているから、分析結果としてそのようにお伝えしているわけです。

最近も、こんな中小企業の事例を知りました。自社はどうありたいのかを見直し、苦労しながらその仕組みを構築して、ブームにも乗って売上は約6倍、今では会社訪問されるような会社になったそうです。

競争力とは価値提供のありかたで決まると、わたしは考えています。小難しい戦略の話の前にまずはそこにこだわり、顧客のことを徹底的に考え抜きましょう。

先が読めない時代に、どういう会社を目指すか

最近のビジネス動向に触れていると、さまざまな分野で、時代の端境期にあるように感じられます。その要因のひとつになっているのは、ITを中心とした技術の進展ですが、それがひとつではなく多くの分野で、横断的かつ複合的に影響を及ぼしています。この先どういう時代がやってくるのか、長期的にはまったく読めないのが、いま現在ではないでしょうか。

例えば、自動車業界は興味深い分野だと思います。わたしは2012年初めにも本コラムで、「そろそろ『自動車会社』を辞めることを考えるべきときが来ているのではないか」と書きましたが、6年近くたった今となってはさらに進化した先行きが妄想できるようになってきました。

例えば、こんな想像も、ひとつのシナリオです。もし、レベル4と呼ばれる完全自動運転が実現し、一般道でもオートパイロットで運転されるようになればどうなるか。ほとんどの消費者は、車を買わなくなるかもしれません。使いたくなった時に、アプリで呼び出すだけ。呼び出せば、時間ちょうどに家の前まで自動でやってきて、用事が済むと、自動で帰っていきます。自ら所有する必要などありません。バスもタクシーも、事業にならなくなるかもしれません。個人は駐車場も不要になり、それを生業にする不動産ビジネスも方向転換を迫られるかもしれません。

いまの人たちが電車に乗るときに気にしないように、クルマに乗るにあたって「操る喜び」を気にする人も、そのうちほとんどいなくなるかもしれません。それよりも、乗る楽しさを左右するのは、車内で展開されるアプリケーションのほうになります。

クルマに乗る目的が、点から点への移動だけではなく、クーポンをくれるとか、自分の好みのイベントやおもしろい場所に勝手に連れて行ってくれる、というものに変わっていくかもしれません。楽しさを提供するアプリケーションをいかに創出するか、その楽しさを生み出すために必要なデータやログをいかに収集し分析するか。それがモノをいうのだとしたら、自動車そのものは、ソフトウェア開発会社かサービス会社の「部品」になるかもしれません。

そして、消費者にとって、内燃機関かハイブリッドかEVかなど、どうでもよいことになり、今後どこかでエンジン技術の向上はあまり求められなくなる、つまりコモディティ化するかもしれません。

これとは違う未来も、想像できるでしょう。しかし、なにが本当なのかは、誰にも読めない状況だと思います。経営する人間にとっては、興味深いけれど非常にやっかいな世の中です。

こんな状況で取れる道は、おそらく2つではないかと思います。ひとつは、あらゆる構造変化に柔軟に対応できるような、変わり身の速い事業と組織を維持すること。もうひとつは、自分がゲームチェンジャーになって未来をつくること。どちらもなかなか難しい注文です。ただし、自らの顧客を定め、その顧客に価値を提供することを目指すという点は、時代がどのようになっても揺らぐことはないと思います。

大事なのはCIOなのか、CDOなのか

最近、CDO(Chief Digital Officer)という役職が話題に上るのを見かけます。この役職を置く大手企業がいくつか出てきているそうです。

CDOは、わたしの認識が正しければ、IT 系の大手リサーチ会社である米ガートナーが提唱し始めた役職名で、簡単に言えば、企業においてビジネスのデジタル化を推進する責任をもつ経営幹部と位置づけれられています。

これに関連するところでは従来から CIO という役職があり、CIO が IT に関する領域の責任を持つとされていました。そこにまた、CDO なる役職名が登場し、何がどう異なるのか、きちんと理解しておく必要があるのか、自社に必要なのか、よくわからない経営者の方もいるのではないでしょうか。

結論から申し上げれば、他人との会話にお付き合いできる程度に知っておけば十分だと、わたしは思います。業界お得意の話題づくりに振り回されるのは、本質的ではありません。

一般的な説明においては、まず CIO は、企業が従来から管理してきたバックエンドの情報システムを中心に、その運営に責任を持つものとされています。かたや CDO は、顧客に向けたフロントエンドに注目し、デジタル化による顧客体験を提供する「(広義での)サービス」を提供するシステムを構成し、その運営に責任を持つというイメージで語られています。

ここからはわたしの個人的な見解ですが、CIO とは、Chief Information Officer の略であるのが一般的とされますが、同時に Chief Innovation Officer とも言えるとされていました。そして、CDO という言葉が出てくる以前においては、いま CDO が司るとされている領域の活動には、CIO が貢献することが期待されていました。

ところが、現実の CIO がそのようなイノベーティブな成果を実現するケースはほとんど見受けられませんでした。こと日本においては、CIO と呼ばれながら、例えば実は経営会議のメンバーではない等、情報システム部長と変わらないような職務権限であるケースも多かったように思われます。そもそも「CIO」という役職名が企業にそれほど広がらず、IT 関係の幹部を紹介する際にマスコミも苦し紛れに「実質的な CIO」などと称する例もよく見かけます。

CIO って結局は IT 部門の責任者なのね、という、本当はそんなはずではなかった認識が定着する一方で、やはりビジネスの本質的な領域への IT の浸食は止まりませんでした。新興企業を中心に、デジタル的な思考をベースとしたビジネス基盤で事業を展開するケースが後を絶ちません。おそらく今後、それが当たり前になるでしょう。

そうした中で出てきたのが、CDO です。根底には、従来型の情報システム整備の考え方と、デジタルビジネス推進の考え方は、同じにはできないという主張があります。この主張については、わたしが以前にブログで記したとおり、認識が確定しているわけではありません。

こうして考えてみると、要するに重要なことは、企業自身が、自社のデジタルの責任者にどのような活動で成果を挙げてもらうのかを明確にし、その役割と権限をその企業なりに定義することではないかと思います。それさえできていれば、CIO でも CDO でも、IT 責任者でも、それこそ CEO でも、名前など何でも構わないのではないでしょうか。

会社の基幹機能をどのようにカテゴライズし、幹部が会社のどのような基幹機能を担うのか。デジタルはそこにどう絡むのか。これを考えるほうが、より本質に近づくはずです。トレンディなことばを気にしすぎるのは、もうやめましょう。それでメディアに乗っかりたいのなら別ですが。

生産性向上するなら、パソコンは安物で

最近、働き方改革、生産性向上、テレワークなどといったキーワードが世間をにぎわせています。今回はそのようなときに課題にもなりやすい、パソコンの話です。

パソコンはコモディティ化しており、できるだけコストをかけたくないのが通常だと思います。ただしそうは言っても、あまりに粗末な端末では、仕事の効率が上がるどころか下がるリスクもあります。

わたしはパソコンに関しては、8万円程度の端末を、数年おきに買い替えながら使うのが現時点では最善と考えています。(お金がある会社であれば、もっとよい選択肢もありますが)

その理由はこうです。まずパソコンには、消耗品と考えるべき性質があります。たとえば、長く使うほど、特にハードディスクが壊れやすくなります。容易に想像できることですが、壊れるともっとも困るのが、このハードディスクです。わたしにも経験がありますが、故障は突然起こります。いきなりデータが読み出せなくなり、正しくバックアップを取っていたとしても、完全に作業環境を元通りにするのに結局は何日も費やし、その間仕事の効率は著しく下がります。

壊れるまで使うことは、パソコンに関しては美徳でも何でもありません。移行するなら壊れた時ではなく、新旧端末を一定期間並行利用できるのが理想です。

また、長く使うことで、パソコンは必ずと言っていいほど動作が重くなっていきます。反応が遅い、操作コマンドが終わらない、立ち上げが遅い、などの症状です。どれだけ高価な端末であっても同様です。これにはさまざまな技術的理由がありますが、その理由が分かったところで、動作が重くなることは避けがたいものがあります。つまり、長く使うほどに、パソコンでの作業効率は落ちるわけです。そうなると、何のために仕事にパソコンを利用しているのか、意味が薄れていきます。

それに加えて、いまだにパソコンも進化は続けています。通常の業務利用であれば使い勝手に変化はあまり感じないかもしれませんが、コストパフォーマンスは今でも向上しています。同じ価格で比較すれば、最新の端末のほうが確実に性能や快適性が上です。最新の端末を使っている企業と、長年端末を変えずにいる企業と、執務環境の良さは比べるまでもありません。些細なことに思えるかもしれませんが、少しの差が何百人、何千時間と積み重なると、相当な差になって現れるものです。我慢して使い続けるものではありません。

長く使うことを前提にして上記の問題を回避する対策は、いくつか考えられるでしょう。しかしながら、パソコンがコモディティ化している以上、パソコンの調達、利用、乗換にできるだけ面倒はかけないというのが、重要ではないでしょうか。その意味で、安く調達し、変な細工をせずそのまま使い、さっさと乗り換える、という運用をしたほうがベターではないかと思うのです。

8万円程度のパソコンでは安かろう悪かろうではないのではないか、と心配する向きがあるかもしれません。もちろん、その程度の価格では最高のスペックではなく、中程度以下です。重いソフトを動かす、多くのソフトをインストールする、等の場合は性能の問題が出る可能性があります。しかし、オフィスソフトとウイルス対策ソフトとブラウザーを導入して、よくある事務作業をする程度であれば、現在売られている新品の端末ならまったく支障はありません。さっさと乗り換えることを優先するなら多少は性能に目をつぶろう、ということです。

少しだけ財務的な話をするなら、10万円未満のパソコンなら消耗品として調達ができ、資産にする必要がありません。固定資産扱いせずに済むのは、台数が多い企業ほどプラスなのではないでしょうか。

パソコンに関しては、中には敢えて端末をすべて共用にして一人1台配布しない企業もありますし、原則としてWindowsを採用しない企業もあります。どのように使うのが環境上および業務上でベストなのかは企業によって異なり、単に他社事例をそのまま参考にするのは危険です。端末導入には調整できる選択肢が相当にあり難しいところはありますが、自社にとってベストで持続可能な業務環境を探ってほしいところです。

 

CxO人材が欲しい会社が、考えるべきこと

最近、あるスタートアップ企業が躍進しているという話を聞きました。

その企業は、当初は事業の拡大にいろいろと苦労していたそうですが、あるとき大手企業の幹部OBを紹介され、その人物に経営に参画してもらうことになりました。それをきっかけに、その人物が培った人脈をフル活用して次々と人が人を呼び、最近では大手企業との提携話が面白いように決まっていく状態になっているようです。

経営者ご自身の人徳もあろうかと思いますが、こうしたパターンは、スタートアップがいわゆる「1→10」に成長していくシナリオとして典型的かつ有力なものだと思います。

こうした事例もあるためか、多くの企業で経営者が幹部人材を探すとき、およそ重視するのが「前職での地位」や「持っている人脈」です。

それはそれで、特に営業面では重要な経歴だろうと思いますが、ことCOO、CIO、CTO、CDOのような幹部であれば、ステータスだけで善し悪しを判断するのは慎重であるべきではないかと思います。

業務構造の変革、システムの適用、それに伴う技術の採用、というのは、素晴らしい経歴があればできるというものではありません。経営者のツルの一声で始めたIT導入がおよそすごい成果にはならない例が多いことからも、これは明らかです。

このコラムでも何度も申し上げていますが、ビジネスを強くするには、慎重かつ緻密に、ビジネスのしくみをデザインすることが必要です。こうしたデザインを実行するには、社外の競争環境のみならず、社内の業務環境や企業文化を熟知していることが求められるのは、言うまでもありません。

ですから、外部から来た人材は、まず社内を知ることから始める必要があります。わたしなども、初めて関わるお客さまのところでまずすることは、社内の各部門を回って話を聞き、情報を集めて現状を知ることです。

結構地道で泥臭い作業ですが、欠かすことはできません。なぜなら、自分の目で現場の現実を見ないかぎり、真の課題は理解できないからです。誤解を恐れずに言えば、現場で働く方たちの「ことば」さえ信じないこともあります。時に、言っていることと実際にやっていることが異なる場合もあるからです。

業務やシステムを管轄する幹部に求められる力とは、こうした実地での情報収集、状況把握、現状分析、技術への知見などを総合し、その企業が目指す方針を実現できるビジネスのしくみをデザインする能力、さらにそれを実現まで持っていける能力ではないでしょうか。

この能力は、前職の地位や人脈が保証してくれるものではありません。かりに実績があるとしても、その実績を挙げるに至った経緯をよく聞いてみる必要があるだろうと思います。単に誰かの言うとおりにしただけかもしれません。

また、特に技術、ITといった分野は、デザインの意識が低い人ほど技術的な「理想」を追い求めてしまいがちであることも、よく念頭に置くべきだと思います。

最近ですと、「ビッグデータ」とか「AI」の経験を持つ専門人材が欲しい、という話を小耳にはさむことがありますが、危険な例です。ITはある意味、その道に明るい人間にとってはわりに手柄を立てやすい分野とも考えられます。そのようにして採用した外部招へいの幹部は、その分野だけで自分の存在価値を示そうと動くでしょう。しかし、技術にフォーカスするのみでビジネスのしくみを緻密にデザインしようとはしないときに、または全体俯瞰でしくみを考えている人が会社に誰もいないときに、それはその企業にとって、どこか歯車のずれた取り組みになっていくことが往々にしてあります。あるITを導入してはみたけれど、現場が使いこなせずに結局お荷物になったというような話、聞いたことがないでしょうか。

そして、その問題に最初のうちは誰も気づきません。

くどいようですが、業務改革やシステム導入では、あらゆる観点から理想と現実をうまく埋める「デザイン」が、最も大切です。CxOを探すのなら、そういうことを重視し、偏りのない知見を発揮できる人物かどうかを、ぜひ見抜いてください。

ビジネスのしくみがダメだとこうなる、格好の事例

日経ビジネスが、去る5月29日発行の特集で、ヤマト運輸のビジネスの実情について取材した記事を掲載しました。

タイトルは「ヤマトの誤算 本当に人手不足のせいなのか」。世間では、アマゾンをはじめとしたECビジネスの急速な拡大に応じてきた宅配業界の人手不足が深刻化したことで、同業界の企業の勤務環境が悪化した、という同情的な向きで報じられていました。日経ビジネスの記事は、こうした風潮が本当なのか考察しよう、という趣旨でした。

実はわたしは、再配達が問題になっているなどの話が出始めた段階から、「本当に人手不足のせいなのか」と考えていました。それだけに、これまでのマスコミの報道には違和感をもっていたので、日経ビジネスの同特集は大変興味深く拝見しました。

わたしの考えていたことは、単純なことです。大変僭越ですが、これは経営の方針選択の誤りだと考えていました。

いかなる事業でも、その目的の中心は「顧客に対する価値の提供」です。提供したい価値を具体的に据えたなら、その価値をいかにして顧客に体験してもらい、実際に価値を感じてもらうかをデザインします。それに合わせて、顧客から自然なかたちで利益を回収するしくみを織り込みます。

わたしはこれらの仕組みをそれぞれ、サービス・プレゼンテーションと利益ロジックと呼んでいますが、この2つは表裏一体で作り込むべき仕組みです。

これらがうまくデザインできている事業は、価値を評価してくれる顧客が増えれば増えるほど、利益を上げていくことになります。当然ですが、顧客が増加の一途をたどれば、それを受け入れる組織も規模を拡大させる必要があります。それもまた、デザインの一部(組織体制のデザイン)です。

ではヤマト運輸はどうでしょうか。同社の宅配便取扱個数は、ここ何十年もの間、右肩上がりで増加してきました。一方で、同社の営業利益は2005年頃から頭打ちになっています。

よく聞いてみると、アマゾンなどの大口顧客に対して割引を適用していたそうです。そもそも大口割引というのは、まとめて取り扱えば業務面で効率化できるから割引が可能という、利益ロジックのからくりがあります。例えば製造業なら、ある製品をまとめて発注してくれれば、生産ラインを切り替えずにまとめて製造できるから、作る側が楽できる、部材もまとめて購入できるからコストが下がる、だから価格を下げますよ、という話です。

では宅配便はどうか。ちょっと想像しただけでも、そのような業務ではないと思いつきます。小口業者なら、まとめて同じ配送先に出してくれれば効率化になるかもしれません。当然、ヤマトはそれに当てはまらないほどの大企業です。一定の取り扱い規模以上になると、荷物が増えただけ面倒が増えるシナリオにしかならないはずです。それなのに大口割引とは、まともなビジネスのしくみが成立するとは思えません。

わたしはこんなことを考えて、ビジネスのしくみが破たんしていることをほぼ確信していました。

業界の事情、競争環境など、わたしが知らないいろいろな内情はあるのだろうと推察します。しかし、いかなる理由があっても、ビジネスのしくみがまともでない状態では、独自の価値は提供できません。経営が追うべきは、シェアでも取扱数量でもなく、顧客への提供価値だと思います。そこから外れた途端、ビジネスのしくみが崩れ、事業が崩れるという事例になってしまったように、わたしは感じています。

顧客への提供価値を追おうとすれば、ビジネスのしかたに「譲れない一線」が生まれるものです。一方、売上・利益・シェアを追おうとすると、およそそのビジネスには偏りが生まれ、結果として疲弊する方向に進むものだと、わたしは考えています。業界トップでなく、価値を認めてくれるコアな顧客を追い求めようとするのは、経営として甘いでしょうか。

経営者が考える「ITの使いどころ」を疑う

IDC Japanが去る5月8日に発表した、経営層を対象にした調査の結果から、感じたことを述べたいと思います。

具体的な調査の内容は、ITを購入する側のユーザー企業の経営層と情報システム部門をそれぞれ対象にして、経営課題の共有やテクノロジーの活用に関する認識などを調べた、というものです。

これによれば、経営層が示した「最優先の経営課題」の上位3つは、「新規ビジネスの創出」「営業力の強化」「ビジネスモデル変革」で、特に「新規ビジネスの創出」が突出して高いという結果でした。一方で、経営層が「ITによって解決したい経営課題」はというと、「業務プロセスの改善/再構築」の突出が目立ち、以下「新規ビジネスの創出」「リアルタイム経営」とのことです。

データを見る限り、多くの経営層はITの使いどころとして「業務プロセスの改善」を発想しやすいが、それ以外の課題に対する期待度はそれほど高くはない、そしてそれは経営の優先課題と異なる、よってITに対する経営の期待は高くない、という傾向が読み取れます。

この傾向は長年にわたって指摘されてきたことですが、いまでもそれは変わらないことが示された、ということでしょうか。

しかしながら、これはよくわからない考え方です。

新規に企画するビジネス、強い営業、変革させたビジネスモデル。これらが、関心の高い経営上のお題目ということですが、これらはすべて、何によって成り立っているでしょうか?

まさしく、業務プロセスです。

新規に企画するビジネス、強い営業、変革させたビジネスモデル。これらはつまり、従来型ではない斬新な、または洗練さを増したビジネスのやり方を編み出す、ということであるはずです。それは、最終的には業務プロセスによって表現されます。

業務プロセスの改善がITでできると思うのであれば、こうした課題もすべて、ITをテコにして対応できるはずではないでしょうか。

ITを活用する、と言われると、多くの経営者のアタマには何となく「自動化」「効率化」というキーワードが浮かんでいるのではないかと推察されますが、自動化するにも効率化するにも、自動で効率的にコンピューターにやらせるためのロジックが必要です。これは人間が考えて授けてあげなければなりません。そのロジックは実際のところ業務プロセスの一部であって、それを人間からコンピューターに肩代わりさせるだけのことです。

業務プロセスの改善であっても、新規ビジネスの企画であっても、業務のやり方をデザインすることに変わりはないのです。

業務プロセスが美しくデザインできて、一方でITで何ができるのかを知る。そうして、合理的な組合せを発想できます。IT活用とは、そういうものです。

そう考えれば、業務プロセスが美しくデザインできるのなら、どんな経営課題であってもITのチカラで突破する発想はできるはずではないでしょうか。

ただし、実はこの「デザイン」が難しい。そういう認識をしている経営者であれば、おそらく上記の調査結果の傾向とは異なる回答をしたのではないか、と感じます。

足りないIT人材、差を生む行動

先日、大学で受け持っている講義で、ITを活かしてビジネスをリードできる企画人材は社会的に不足していること、そうした人材は探してもなかなかいないので、難しくても企業内で育てていくことが必要、と話したところ、ある学生(といっても社会人の学生です)が、「そもそも人材が不足している中で、そういった人材を育成出来る人が企業内にいるのでしょうか」と質問をしました。

おそらく多くの企業の経営層も彼と同じような発想をしているのではないだろうか、と思いました。

人材不足は、日本に限ったことではありません。欧米に比べて日本の企業はITが遅れているという論調は、よくマスコミの報道で見受けられます。確かにそういう側面はあると、わたしも感じます。ただし、欧米の企業は日本と同じことで悩んではいない、というわけではないようです。

例えば欧州に関しては、こんな記事が出ていました。

「最近の調査・研究では、ヨーロッパのIT分野におけるリーダーの指導者としての素養・力量はかなり低い、という結果」
「国家レベルでこの問題に適切に取り組まなければ、EUのICTの専門家は2020年には82万5000人が不足すると試算」
「欧州の多くのビジネススクールや大学が「eリーダーシップ」養成のプロジェクトを検討している」

米国に関しても、社会的に人材は足りているという話はあまり聞きません。例えば、こんなデータがあります。

「(CIOに調査した結果)39%がデータ分析スキルが自社に不足していると回答、続いて32%がプロマネ、28%がビジネスアナリシス、27%がサイバーセキュリティと回答」

つまり、人材は世界中で不足しているのです。

必要であるにもかかわらずこれだけ不足しているからこそ、自分で考えて実際に行動を起こしている企業が先を行っている、ということではないでしょうか。

経営者であれば、担当者と違ってさまざまな手を打てる力を持っているはずです。人材そのものを調達するなら、雇用、コンサル、業務提携、時限的に委託、いろいろあります。

いまスキルがなくてもやる気はある人材がいるのなら、幸運です。世の中にはシステム企画のうえで参考になるフレームワークや標準もいろいろ公開されていますから、そういった情報を知って、社内に勉強を促すこともできます。

最もまずいのは、ビジネスとITは直接絡まないという、致命的な誤解です。ITには一切頼らない、という奇特な決意をしている企業でない限り、ITと関わりが不要な企業は、現代では存在しえません。

そうであるなら、自社で使うITは「使える情報システム」にしたいはずです。ところが、自社にとって「使える情報システム」というのは、自社が実践するビジネスの仕組みからしか生まれないのです。

そして結局のところ、自社のビジネスを進化させる企画力を持つには、いまの自社のビジネスの仕組みが可視化できることがキモで、これができるのは社内の人材だけです。だから、社内の人材が自分でシステムの絵を描けなければ、将来が危ういわけです。

ビジネスを洗練させていくうえでどれだけ仕組みやシステムが重要であるか、それに対してITがどれだけのポテンシャルを持つと考えるか、という認識の差が、何らかの手を打つという行動の差を生むのだろうと思います。

冒頭の質問をした学生には、「育てるのが簡単でないことは講義でも述べている通りですが、そこで思考停止するかどうかが分岐点」だと回答しました。

あなたの会社に「欲しいデータ」は整っているか

近年盛んにIT活用が取り上げられている分野に、農業があります。農場や農機にセンサーやカメラなどを取り付け、データを取得することで、農作物の生産品質の向上や作業効率化を図る、という取り組みです。

さまざまな事例が出てくるようになっていますが、同時にさまざまな課題もあることが分かってきているようです。そうした事例を見ていると、ほかの業界でも例外ではない、ITを活用するうえでの重要な課題がいろいろと理解できます。

例えば、「欲しいデータを正しく取る」という課題です。これは、1つの課題に見えるかもしれませんが、2つの課題について述べています。

農業の事例においては、データの取得にセンサーやカメラを使っているというのは、先に述べた通りです。こう言うと、機器を設置すればあとは自動でデータを採ってくれるように感じられますが、実はそんなにシンプルなことではありません。設置するのはいいですが、「こちらが思っている通りにデータが取れる」ということが保証される必要があります。

つまり、機器を設置したところで、環境的な条件でうまく機能しないかもしれないのです。例えばカメラを農地に設置したところ、そのカメラにクモが巣を作ってしまって映像を撮るどころではなかったというエピソードがあるくらい、自然を相手にして根本的な問題に突き当たることがあるわけです。

なにもこれは、農業だけの問題とは限りません。センサーの感度、カメラの向きや解像度など、場合によってはそうした要素の微妙な違いが、自社が欲しいデータの条件に大きく影響してくることは十分考えられると思います。都市部においても、設置環境は大きな影響を与える要素になり得るでしょう。

そうした条件をクリアして、とりあえず物理的にデータは取れるようにできたとしても、今度は「そのデータは本当に欲しいデータなのか」も保証されなければなりません。

農地において気温や降水量などのセンサーデータを取得するのは、当たり前のことのように思えます。しかしそれらのデータは、例えば農作物の品質向上などの目的を果たすのには結果として役に立たないかもしれません。役に立たなければ、そのデータは取っていても無駄ということになります。

試行錯誤してさまざまなパラメーターを試した中から、ある特定のセットだけが役に立つデータであった、という結論になるわけです。それができてようやく、「欲しいデータ」にたどり着くことができたことになります。「欲しいデータ」とは、最初から何の苦労もなくわかっているとは限らないのです。

このあたり、事例の中には、初めから科学的に裏付けのある理論を背景にデータを取得し、検証するという取り組みもあります。そうした方向性なら、もしかすると結果は出しやすいかもしれません。

ただし農作物などは、収穫が年に1回などの場合は特に、成果が見えるのが年間で限定されてしまうケースが多々あります。試行錯誤するにも、相当な時間がかかるということです。しかも環境条件が一定せず、それによって結果が左右されます。

こうして見ていくと、センサーデータがいくら蓄積され分析できたとしても、それだけではまったくうれしくはない実態が理解できるのではないでしょうか。

こうした状況は、農業分野に限らないのではないかと思います。ITを活用するうえで、データの質と量はその根幹を成します。

ITの業界には、”Garbage in, garbage out”という言葉があります。ITの話ではその機能に注目が集まりやすいですが、実はデータこそ重要です。入力データがゴミならば、機能がどれだけ先進的でも、出力されるデータは間違いなくゴミなのです。それがゴミか否かを判定するのは、そのデータと、そのデータを使った活用シナリオによって生み出される、ビジネス上の成果にほかなりません。

勘のよい方はお気づきかもしれませんが、今はやりのAIもまた、同じような話が当てはまります。

経営者のみなさんには、ぜひ自社を振り返っていただきたいと思います。会社の成果につながる「欲しいデータ」とはなにか定義ができるか。欲しいデータがきちんと社内に整備され、維持されているか。そしてそのデータは、実は「ゴミ」になってはいないか。

 

データ流通のハブとして期待したい「情報銀行」

先日の報道によれば、政府は「情報銀行」の創設に向けて本格的な検討を始めたとのことです。実証実験を行い、2018年度中の法整備を目指すとしています。

「情報銀行」とは、個人のライフログ、つまり行動履歴、購買履歴、診断履歴、趣味情報、スケジュールなどを含む個人情報を、個人の預託に基づいて一元管理する制度または事業者のことです。銀行におカネを預けるように、個人情報を信頼できるかたちで預ける機関として考えられています。

現在こうした個人情報やプライバシー情報は、各事業者でバラバラに取得および保管され、またその利用のされ方も必ずしも明確にされているとはいいがたいケースがあります。個人の意向を中心に据えて一元的に情報を管理することで、正当なかたちで個人情報が流通し、事業者が個人に最適化された適切なサービス・情報を提供することにつながる、と期待されています。

このアイデアは、識者を中心に数年前から提唱されていましたが、いよいよ本格的な実現に向けて検討が始まるようです。コンセプトそのものは、大いに期待が持てると思います。

重要なのは、「個人が自らで情報提供をコントロールできる」という点だと、わたしは考えています。

一部の事業者によるライフログの利用、また個人情報の取扱いに対するスタンスは、いわゆる「気持ち悪さ」がぬぐえないものがあります。実際、昨年11月に発表されたNTTデータ経営研究所による調査では、企業がパーソナルデータを利用することへの印象について、48.9%が「知っており、不快である」、21.4%が「知らなかったので、不快である」と答え、計70.3%が不快感を示しました。

この背景には、サービス提供や情報提供、ポイント提供などを受けることで、ライフログや個人情報が利用者の無意識のうちに(一部では勝手に)収集されている側面、個人情報の活用に対する利用者側へのフィードバックに必ずしも透明感がない側面、などがあると思われます。一部の事業者では相当に事業者寄りのかたちで利用規約改正を行い、取得した履歴データを自由に使ってよい環境を整えようとしている傾向がありますが、利用者の側は規約の改正やその意味合いなどほとんど知らない、というのが現実でしょう。ポイントカードなどでは、カードを作った以降に提携企業が知らぬ間に増え、知らぬ間に自分の情報がいろんな企業に流通しているという状況も推察されます。要するに、正直さが足りない感じがするわけです。

こうした不安感を払しょくし、個人が自らのコントロールのもとで、自分がよいと思った事業者だけに喜んで情報提供する。預けるべき情報も、自分の意志でコントロールする。一切知られたくない、怪しいから提供したくない、と思えば何も預けないという選択も取れるし、どんどん企業に提供してお得な情報を得たいと思えば預ければよい。本来あるべき情報流通の姿ではないでしょうか。

セキュリティリスクをゼロにすることが事実上不可能であるという事実を踏まえて、情報銀行をどのようにセキュアに運営するのかという大きな課題はあります。こうした機関から万一情報が漏えいすれば、取り返しがつきません。米国では患者の診療情報などが積極的にデータ化されていますが、病院から漏えいしたそのようなデータが、ダークWebで売買されていたりする現実があります。

そうした課題に適切な対策を打って設立を実現できるなら、今後のデータ活用の活性化にもつながる方向性でないかと思います。期待したいところです。