ROI による IT 投資判断を、もうやめる方法

IT導入を企画する際に、組織の中で必ずと言っていいほど取り沙汰されるのが、「ROIを明確にせよ」という話です。

投資を伴うのですから、それに見合う効果があるのかがはっきりしないといけない。見合わないなら投資するに値しないと判断しても致し方ない。まったく理にかなった考え方です。

しかし現実を見れば、IT投資のなかには投資効果を必ずしも容易に測定できないものがあります。

例えば、システム基盤やネットワークなどのインフラに対する投資、または情報セキュリティに対する投資などは典型です。こうしたものは、投資効果が測れないからと言って投資しないわけにはいかないことが、多くあります。

また、日本企業におけるIT投資の典型ともいえる業務効率化投資も、実はよく考えると、望むような投資効果を本当に獲得できるのか怪しい点があります。

投資効果の算定で典型的なものに、「時間の削減」があります。IT導入により削減を見込める業務時間に、時間当たり人件費を掛け合わせて削減コストを算出し、それが投資額より多ければ、投資効果があると判断する、というものです。

しかし実際は、担当者の業務時間を削減したところで実は人件費が減るわけではないという、よく言われる問題に直面します。そこで、余剰人員をほかの業務にシフトするなどと言ってみるのですが、本当にそうしているケースがどれだけあるのか、本当にシフトしたとして異動させられた担当者のモチベーションには影響がないのか、シフトすることによって発生する新たなコストがないのか等々、怪しいところがあります。

そして時間削減効果のように、ROIの評価では往々にして、リアルにキャッシュを生み出す効果ではなく、実際にはキャッシュを得られるわけではないバーチャルな効果が語られることが多くはないでしょうか。

場合によっては、実際にコスト削減や売り上げの増加が算定できるケースもあるかもしれません。例えば、利用しているITサービスのコストが単純に下がるのであれば、投資判断は容易です。しかし多くのケースでは、投資した直後には効果が見えるけれど継続するわけではないという、一時的な効果であることを見ていない場合があります。または、IT導入によって別の運用コストが上がる、会社として背負うリスク要素が増加するなど、新しく発生するコストには目をつぶっているということも、よくあります。

結局、ROIによる評価は、案件を通したい担当者による、辻褄合わせの数字遊びになりやすいのです。

おそらくほとんどの経営者はこのことが直観的に分かっていると思うのですが、ROIを問うのをやめたという話は、個人的には聞いたことがありません。おそらく、他にアイデアがないからではないかと推察します。

そこで提案なのですが、ROIの代わりに「改善効果の創出を約束してもらう」というのはどうでしょうか。

ITを導入することで、ITが適用された業務には何らかの「ゆとり」が生まれるはずです。ゆとりがあるのなら、そのゆとりを使って、ビジネスにかかる改善策を発案し、会社に貢献することができるはずです。

一般論として、仕事が忙しく目の前の業務をさばくのに精いっぱいの職場で、改善のアイデアは決して生まれません。アイデアの創出に不可欠なのが「ゆとり」なのです。そこで、ITの導入によって「ゆとり」を与える代わりに、そのゆとりによって創出できる改善とその効果を明確化せよ、と要求するわけです。このとき、企画する改善アイデアとIT投資は、必ずしも直接リンクしていなくても構わないとします。

創出できる改善効果を担保にしてIT投資が行われるとしたら、それを自ら謳った責任部門にしてみれば、相応なプレッシャーがかかるはずです。約束する効果を出すべく、企画段階から導入後の活用のシーンを必死に考えるだろうと見込めます。経営側としては、提案してくる改善アイデアがIT投資に比して獲得効果が高いと見るか否か、という判断をするわけです。

実は、ROIによる投資判断の問題として、事後評価が甘くなるというものもあります。投資の時点でしか議論されずに導入後に実証の測定を行っていない、または行ったとしてもやはり数合わせを行ってお茶を濁している、ということがよくあるのです。これに対し、具体的な改善を問うならば、その取り組みと効果を自然にキャッチアップすることが可能で、事後評価が甘くなる問題を解決しやすいのです。

改善を軸にした投資判断にすると、ROIでは投資判断がしにくかった案件であっても検討対象に挙げやすくなります。その分、稟議を通しやすい分野に偏ることなく適切でタイムリーな投資が可能になると期待できます。

経営レベルでは感じていないかもしれませんが、現場からしてみれば、稟議を通しにくい分野は案件化を敬遠しがちなのです。そのことで、例えば情報セキュリティ対策が後手に回りリスクが発現して被害に遭うとしたら、それは悲劇なわけです。

それにも増して、こうした方法によって組織に「継続して改善を試みる文化」が定着すれば、組織の強さにつながるのではないでしょうか。

 

スケジュール不要論と甘い考え

スタートアップ系のイケイケな経営者の方などに会うと時々、戦略やらスケジュールやらを立てるなど無意味だと主張されることがあります。

当然ですが経営者も性格はさまざまです。一般的には、コンサルタント経験のある経営者にとっては、戦略や計画をまず考えるというのは自然なことのようです。一方で、営業やマーケティングで成功して経営者になった人の中には、上記のような意識で仕事をしている人が多いように(偏見かもしれませんが)お見受けしています。無意味だ、と主張するその心は、「決めたところで思うようには運ばず、どうせ変わるから無駄」ということのようです。

わたしは職業柄、様々な企業のビジネス計画とその取り組みの結果を見てきていますが、やはり世の中の物事に対して「これが決定版」と銘打てることは、案外少ないように思います。目的や前提などによって、取るべき方針は異なるのです。スケジュールに関して言えば、立てるべきケースと、立てるべきでないケース、どちらも存在すると考えています。従って、冒頭の意見は一面的なモノの見方であって、あまり賛成できません。

基本的にはスケジュールは立てるべきもので、それはリーダーが立案してメンバーに提示すべきものです。ただし、スケジュールはあえて立てないほうがよいケースがあります。典型的には、「試す」ことが要求されるケースです。

「試す」ケースとは、例えばアイデアを実験的に実践してみる、まずは実体験することを優先してみる、考えるよりやってみたほうが良い、などといった試行錯誤を要する類の取り組みです。このケースでは、失敗を許容することが前提になります。そのため、スケジュールを立てたところで変更がかかる可能性が高い。だから立てるべきではない、ということです。

その代わりこのケースで事前に決めるべきなのは、「撤退基準」です。どういう状況になったら問答無用で即終了とするのか、決めておきます。

撤退基準を事前に決めておくことは、大変重要です。取り組みを進めるメンバーたちは、のめり込むにつれて、その案件に日々愛着が増していきます。どれだけ失敗しようとも、成功させるまで何とか続けたいと考えるようになります。当事者であるメンバーが冷静に撤退の判断をすることは、ほぼ不可能です。撤退基準がなければ、スケジュールもないのですから、ずるずると続けていつまでも終わることはありません。

合わせて重要なのは、その取り組みのオーナー(経営者や事業責任者)は、決してその中身に “関与しない” ことです。リソースだけ与え、あとはメンバーの好きなようにさせ、結果だけ問います。オーナーが現場に関与すると、メンバーと同じ愛着がわいてしまいます。誰も撤退判断ができなくなります。

「試す」ケースでは、失敗を許容します。許容するとは、「失敗して当たり前」「挑戦することによって学べ」という考えを持つということです。失敗者を落第者として扱ってはいけません。誰も挑戦しなくなります。ただし、失敗した取り組みは組織として反省を行い、その要因を理解し、失敗の殿堂に入れて組織のノウハウに昇華させます。

いわゆる「イノベーション」は、アイデアマンに任せて放っておけば良いものでは決してなく、組織として取り組める環境と共有された考え方があってこそ、成就するものだとわたしは考えます。実際、イノベーションに成功している組織には、そうした仕組みが整っています。

このように、スケジュールを立てるべきでなく、むしろ立てることが害になるようなケースがあるのは確かです。ただし、これを盾にして計画など一切立てなくてよいと考える人が時々いるので、気をつけたいものです。

そういう人は、要するに計画を立てるのが苦手です。上手くできないことから体よく逃げる口実にしようとしている節があります。しかし、現実の取り組みにおいては、そのほとんどが「スケジュールがあるべき」案件です。立てるべきなのに立てなくてよいと考えるのは、単なる甘えでしかありません。

組織をリードする経営者や事業責任者には、自身が戦略立案に長けているとともに、上記のようなところを冷静かつドライに見極める目も要求されていると感じます。

 

サービスの要なはずの「運用」で、手を抜く

去る3月、金融庁が多くの仮想通貨取引事業者に対して、業務改善命令などの行政処分を一斉に下しました。

ビットコインの台頭によって話題性が高まってきた仮想通貨ですが、今年に入って事業者にさまざまな課題が指摘されるようになりました。今回の業務改善命令を受けて、命令の内容に対応できず廃業することとした業者も出たようです。

言うまでもなく、仮想通貨はIT技術を基盤として取引されるものです。多くの仮想通貨取引事業者はこれまで、自社の技術の先進性を前面に出してアピールを行っていました。しかしそのわりに、どうやらシステム運用のノウハウや経験値が相当に低いことが、今回の騒動を通して露呈した印象があります。

多くのビジネスパーソンが、これは仮想通貨取引事業者の話であって自分の会社には関係ないと思っているかもしれません。しかし、今回の例のように、実質的にITが会社のビジネスの根幹を支える存在になっていながら、なぜかシステム運用への意識が低くリソースへの投資も手薄な企業は、業界を問わず珍しくありません。

大抵の企業は、ITを前面に打ち出した「サービス」をつくることには熱心です。サービスに組み込まれた先進的な技術を大きくアピールし、自社が優れていることを印象付けようとします。しかし一方で、そのサービスを顧客に向けて継続して「運用」しなければならないことについて、深く考えていない傾向があります。

経営する以上、顧客にサービスを買ってもらわなければなりません。その意味で、有益で使ってみたいと思わせる魅力が、提供するサービスにあるということは大変重要です。ただしそれは、実際に顧客が体験して初めて有益になるわけで、その顧客体験実現の主体となるのが、サービスの「運用」なのです。サービスを提供する企業が「運用」のクオリティを問わず、それどころか軽視するのは、まったく道理にかなっていません。

魂は細部に宿る、と言われますが、際立つ事業者はおよそ、顧客には直接見えない業務にまで自らのこだわりを浸透させる努力をしていると感じます。みなさんにも、モノはまだ買っていないのに、店に入っただけで質の高さを感じるような経験をしたことはないでしょうか。そういう会社は少なくとも、売る前だけ派手に注力し、売った後の実際の顧客体験の部分では見えないように手を抜く、という行動はとりません。

ITに疎い経営者ほど、システム運用がどのようなコスト構造になっているのか把握していません。そのため、運用コストは削減するものという意識になりやすい傾向があります。本当にその考え方でよいのか。本当の意味で顧客と自社との接点となるのは、マーケティングやサービスメニューよりも、サービスが実際に提供される「運用」であるはずです。ビジネスのしくみを意識する企業ならば、今回の件を他山の石として自らを顧みる必要があるのかもしれません。

それ、本当に「試す」のか

先月、「試す組織」の重要性について述べましたが、実はひとつ注意すべき点があります。1か月間もったいぶっていたわけではないのですが、ここで取り上げておきたいと思います。

結論から申し上げれば、いくらラクに試せるからといって、なんでも自由に試せばよいというものではない、ということです。

もちろん、新技術というものは、その黎明期においては実用レベルの安定感がなく、信頼性の面で問題があることがしばしばあります。単なるバズワードで終わってしまう技術、有望だが流動的なため取り組むには時期尚早な技術、などもあります。そうそうすぐに飛びつけばよいものではありません。

ここで申し上げたいのはそういうことではありません。仮に、トレンドとして本物だと確信できる技術だったとしても、敢えてやらない選択がありえます。

その取捨選択の基準となるものは何か。それは、これまで自社がビジネスの基礎としてきたはずである、顧客に対する価値提供のシナリオです。

ビジネスを遂行するあらゆる取り組みは、自社が顧客に提供したい価値のもとで、すべてにおいて一貫性が保たれていることが重要です。しくみがうまく動いている企業はどこでも、一貫したスジが通っているものです。まるで人体のメカニズムのごとく精密かつ無駄がない。そういうオペレーションが実践されている会社を目指すべきだと思います。

従って、新しく取り込む概念もまた、自社の一貫した価値提供のシナリオを補強するようなものでなければいけません。補強し得ないものなのであれば、どれだけマスコミが持ち上げていようが、競合他社が取り組んで成功していようが、自らはやらない判断をすべきでしょう。スジが通っているなら、その判断は容易であるはずです。

このような判断は、組織が一貫したポリシーのもとで下す必要があります。「試す」前に、その判断のゲートを通すようにする仕組みをつくり、判断を行う権限を誰かに与え、判断が実行されるようにします。判断の権限者は社長自身かもしれませんし、会社として大事にしたい価値提供のありかたを熟知した専任者(最低限、会社幹部でしょう)に任せるのかもしれません。

やり方はともかく、これを無策で放置すれば、会社が堅持すべき価値提供の一貫性は簡単に崩れていきます。同じ会社の人間であっても、よほど経営者が価値観の社内への浸透を日々意識して励行していないかぎり、社員のほとんどはそんなシナリオなどあまり意識せずに、目の前の業務だけを見て遂行するはずです。こと技術者は、新規性のある技術には興味津々、特に話題性の高い技術にはいち早く触ってみたいと考えます。それが会社のカネでできるのなら、こんなに幸せなことはないと思うでしょう。

試すのか試さないのか、誰かが一定の基準で客観的に判断しない限り、会社がよりどころとするシナリオは、経営者の知らないところから少しずつ崩れていってしまうということです。これは社内にいるとわかりにくいですが、顧客など外部の人間にはとてもよく見えるものです。

気軽に様々なものを試せる時代だからこそ、スジに合わないものは明確に排除する。それが的確に判断されるような組織上のしくみを用意しておく。それができていれば、会社が出したい価値提供のありかたを常に考えて行動する、有効な「試す組織」となるに違いありません。

大事なのはCIOなのか、CDOなのか

最近、CDO(Chief Digital Officer)という役職が話題に上るのを見かけます。この役職を置く大手企業がいくつか出てきているそうです。

CDOは、わたしの認識が正しければ、IT 系の大手リサーチ会社である米ガートナーが提唱し始めた役職名で、簡単に言えば、企業においてビジネスのデジタル化を推進する責任をもつ経営幹部と位置づけれられています。

これに関連するところでは従来から CIO という役職があり、CIO が IT に関する領域の責任を持つとされていました。そこにまた、CDO なる役職名が登場し、何がどう異なるのか、きちんと理解しておく必要があるのか、自社に必要なのか、よくわからない経営者の方もいるのではないでしょうか。

結論から申し上げれば、他人との会話にお付き合いできる程度に知っておけば十分だと、わたしは思います。業界お得意の話題づくりに振り回されるのは、本質的ではありません。

一般的な説明においては、まず CIO は、企業が従来から管理してきたバックエンドの情報システムを中心に、その運営に責任を持つものとされています。かたや CDO は、顧客に向けたフロントエンドに注目し、デジタル化による顧客体験を提供する「(広義での)サービス」を提供するシステムを構成し、その運営に責任を持つというイメージで語られています。

ここからはわたしの個人的な見解ですが、CIO とは、Chief Information Officer の略であるのが一般的とされますが、同時に Chief Innovation Officer とも言えるとされていました。そして、CDO という言葉が出てくる以前においては、いま CDO が司るとされている領域の活動には、CIO が貢献することが期待されていました。

ところが、現実の CIO がそのようなイノベーティブな成果を実現するケースはほとんど見受けられませんでした。こと日本においては、CIO と呼ばれながら、例えば実は経営会議のメンバーではない等、情報システム部長と変わらないような職務権限であるケースも多かったように思われます。そもそも「CIO」という役職名が企業にそれほど広がらず、IT 関係の幹部を紹介する際にマスコミも苦し紛れに「実質的な CIO」などと称する例もよく見かけます。

CIO って結局は IT 部門の責任者なのね、という、本当はそんなはずではなかった認識が定着する一方で、やはりビジネスの本質的な領域への IT の浸食は止まりませんでした。新興企業を中心に、デジタル的な思考をベースとしたビジネス基盤で事業を展開するケースが後を絶ちません。おそらく今後、それが当たり前になるでしょう。

そうした中で出てきたのが、CDO です。根底には、従来型の情報システム整備の考え方と、デジタルビジネス推進の考え方は、同じにはできないという主張があります。この主張については、わたしが以前にブログで記したとおり、認識が確定しているわけではありません。

こうして考えてみると、要するに重要なことは、企業自身が、自社のデジタルの責任者にどのような活動で成果を挙げてもらうのかを明確にし、その役割と権限をその企業なりに定義することではないかと思います。それさえできていれば、CIO でも CDO でも、IT 責任者でも、それこそ CEO でも、名前など何でも構わないのではないでしょうか。

会社の基幹機能をどのようにカテゴライズし、幹部が会社のどのような基幹機能を担うのか。デジタルはそこにどう絡むのか。これを考えるほうが、より本質に近づくはずです。トレンディなことばを気にしすぎるのは、もうやめましょう。それでメディアに乗っかりたいのなら別ですが。

生産性向上するなら、パソコンは安物で

最近、働き方改革、生産性向上、テレワークなどといったキーワードが世間をにぎわせています。今回はそのようなときに課題にもなりやすい、パソコンの話です。

パソコンはコモディティ化しており、できるだけコストをかけたくないのが通常だと思います。ただしそうは言っても、あまりに粗末な端末では、仕事の効率が上がるどころか下がるリスクもあります。

わたしはパソコンに関しては、8万円程度の端末を、数年おきに買い替えながら使うのが現時点では最善と考えています。(お金がある会社であれば、もっとよい選択肢もありますが)

その理由はこうです。まずパソコンには、消耗品と考えるべき性質があります。たとえば、長く使うほど、特にハードディスクが壊れやすくなります。容易に想像できることですが、壊れるともっとも困るのが、このハードディスクです。わたしにも経験がありますが、故障は突然起こります。いきなりデータが読み出せなくなり、正しくバックアップを取っていたとしても、完全に作業環境を元通りにするのに結局は何日も費やし、その間仕事の効率は著しく下がります。

壊れるまで使うことは、パソコンに関しては美徳でも何でもありません。移行するなら壊れた時ではなく、新旧端末を一定期間並行利用できるのが理想です。

また、長く使うことで、パソコンは必ずと言っていいほど動作が重くなっていきます。反応が遅い、操作コマンドが終わらない、立ち上げが遅い、などの症状です。どれだけ高価な端末であっても同様です。これにはさまざまな技術的理由がありますが、その理由が分かったところで、動作が重くなることは避けがたいものがあります。つまり、長く使うほどに、パソコンでの作業効率は落ちるわけです。そうなると、何のために仕事にパソコンを利用しているのか、意味が薄れていきます。

それに加えて、いまだにパソコンも進化は続けています。通常の業務利用であれば使い勝手に変化はあまり感じないかもしれませんが、コストパフォーマンスは今でも向上しています。同じ価格で比較すれば、最新の端末のほうが確実に性能や快適性が上です。最新の端末を使っている企業と、長年端末を変えずにいる企業と、執務環境の良さは比べるまでもありません。些細なことに思えるかもしれませんが、少しの差が何百人、何千時間と積み重なると、相当な差になって現れるものです。我慢して使い続けるものではありません。

長く使うことを前提にして上記の問題を回避する対策は、いくつか考えられるでしょう。しかしながら、パソコンがコモディティ化している以上、パソコンの調達、利用、乗換にできるだけ面倒はかけないというのが、重要ではないでしょうか。その意味で、安く調達し、変な細工をせずそのまま使い、さっさと乗り換える、という運用をしたほうがベターではないかと思うのです。

8万円程度のパソコンでは安かろう悪かろうではないのではないか、と心配する向きがあるかもしれません。もちろん、その程度の価格では最高のスペックではなく、中程度以下です。重いソフトを動かす、多くのソフトをインストールする、等の場合は性能の問題が出る可能性があります。しかし、オフィスソフトとウイルス対策ソフトとブラウザーを導入して、よくある事務作業をする程度であれば、現在売られている新品の端末ならまったく支障はありません。さっさと乗り換えることを優先するなら多少は性能に目をつぶろう、ということです。

少しだけ財務的な話をするなら、10万円未満のパソコンなら消耗品として調達ができ、資産にする必要がありません。固定資産扱いせずに済むのは、台数が多い企業ほどプラスなのではないでしょうか。

パソコンに関しては、中には敢えて端末をすべて共用にして一人1台配布しない企業もありますし、原則としてWindowsを採用しない企業もあります。どのように使うのが環境上および業務上でベストなのかは企業によって異なり、単に他社事例をそのまま参考にするのは危険です。端末導入には調整できる選択肢が相当にあり難しいところはありますが、自社にとってベストで持続可能な業務環境を探ってほしいところです。

 

ROA、ROE、ROIという数字遊び

財務指標を経営目標として重視している企業は珍しくありません。特に、上場企業に多いような気がします。

それらを評価の「ひとつ」として参照するのであれば役に立つだろうと思いますが、それ「しか」見ないのであれば、大局的な方針判断はしにくいのではないかと思います。

財務指標は、ひとつだけを取って見るのでは、極めて一面的です。そして、本来その財務指標が意味する本質を離れ、(言いかたはよくありませんが)数字遊びをすればどうにでもよく見せられる側面があります。

例えばROA(総資産利益率)。本来この指標は、持っている資産をいかに有効活用して利益につなげたのかを見る指標です。ただし、この指標において、利益と資産以外のものは評価対象に入ってきません。この指標だけ見て評価するのなら、利益を増やす努力や工夫はしなくても資産を減らすだけでROAは改善します。

以前、ある著名企業のCIOが、自社の情報システムをすべてクラウドに移行することを発表していました。その企業は経営指標としてROAを重視しているといい、「これで当社のROAが改善する」と誇らしげに語っているのを見たとき、そんな目的で移行すると知ったらきっと株主は怒るだろうなと思ったものです。

最近では、ROE(株主資本利益率)もよくトピックに挙がる指標です。本来は、株主が投資してくれたおカネをいかに効率よく利益につなげたのかを評価する指標です。ただしこれもまた、株主資本(自己資本)を減らして借り入れを増やせば、向上します。もしこの分野の評価をするのなら、その企業が資本を活用するロジックを明確にして、その効率性を評価するようにしないと、本当のところは判断できません。

財務指標とは少々離れるかもしれませんが、ROI(投資対効果)は、よく情報システム関連の投資をする場合に出てくる指標です。いい加減でムダな投資をしないようにするため、という評価目的は真っ当だと思いますが、多くのシステム投資案件ではリターンを明確にすることが困難です。ネットワーク環境やシステム基盤刷新などのITインフラ整備、情報セキュリティ、情報分析環境整備などは、典型的な「リターンを明確にしにくい投資」でしょう。

それでも一律にROIを要求すると、意味が薄い、単なる数字遊びが始まることになります。部下が頭をひねってムリヤリ考案した、一見美しいシナリオは、これまで経営にどれほどの意味があったでしょうか。

情報システムは、ビジネスのしくみを支援するためのものです。見かたを変えて言えば、ビジネスのしくみのないところに情報システム導入は原則としてあり得ません。ビジネスのしくみが明確になっているのなら、情報システムに投資することそのものに迷うという話は基本的にあり得ず、迷うとすれば「その案で、想定しているしくみが本当に効果的に実現できるのか」という視点になるはずです。

指標は参照するのには便利ですが、その指標の裏側にあるロジックが具体的であればこそ意味を持ち、活きてくるものではないでしょうか。ロジックの裏付けなく指標だけを見て判断しようとすれば、芽を育てるべき無骨な案件は迷うことなく却下され、本当のところを隠されて文章や数字でお化粧された素敵な案件は承認されるという、本末転倒な事態を招きやすくなり、かつそれに気づかない。こうした成り行きになるではないでしょうか。

もし好ましくない評価値が出るのなら、その要因をロジックを辿ることで理解し、改善または再検討を図る。このようにして、指標は利用すべきだと思います。

一流の企業と「あいまい」

わたしは、企業が「ビジネスのしくみ」を構築し洗練化する取り組みを、当社が持つノウハウを駆使して支援しています。

こうした取り組みは、往々にして面倒な作業を伴うことが多いものです。時に、コンサルタントという存在に対して即効性のある処方箋だけを求める企業もあります。そうした対策が一時的には重要であることは否定しませんが、それしか要求しない企業と当社は、ほとんど水と油のような関係ですので、残念ながらご縁がありません。

「自分の会社の仕事は、自分たちがよくわかっている」と言う企業の関係者は、多くいらっしゃいます。しかしながら、わたしの個人的経験から申し上げれば、会社のビジネスのしくみをあぶりだそうと取り組んでいくにつれ、実はあいまいな基準のまま処理していたこと、なぜそのような処理をするのか理由をだれも知らなかったこと、ある人と別の人では実は基準が異なる判断をしていたこと等々、さまざまな「知らなかった」が浮かび上がってくるものです。

そして実は、ビジネス上の問題が発生する要因の多くは、こうした奥底に隠れた「あいまい」な部分にあることが多いものです。

見かたを変えて言えば、ビジネス上の問題が発生した場合、表面的な手続きや担当者の問題を追うだけでは、本質をつかめない可能性が高いということにもなります。問題というものは、なんらかのメカニズムに基づいて発生しています。ビジネスのしくみに切り込み、業務構造のすべてを大局的かつ詳細に把握できない限り、問題要因の構造は見えてこないものなのです。

最近、VW社による排ガス試験の不正問題が大きく報道されています。この要因について、ただ表面だけを見れば、不正なソフトウェアを導入した担当部門と、その管理責任者がクローズアップされるだけでしょう。

おそらく問題の本質は、もっと奥深く、幅広い部分にあるのかもしれません。本気で是正しようと取り組むなら、その企業のビジネスのしくみがそもそもどうだったのか、という問題に及んでいかなければなりません。本質に迫らなければ、似たような問題が別の形でまた起こってしまうでしょう。

どんな分野においても、一流と呼ばれる人や組織は、所作が洗練されています。その所作についてなぜそうなのかと質問すると、どんなことを問いかけても明確な回答が即座にかえってくるものです。考え尽くされた動きには、あいまいさがないのです。

一流が常に根拠を求めるのは、人間とは弱い存在であるということをよく認識しているからではないかと思います。根拠のないあいまいさは、甘えを生みます。その場の気分に流され、「このくらい別にいいだろう」「なんとかなるだろう」という甘えが生じるのは、常に根拠が希薄な部分です。だからこそ、一流は所作に根拠を求め、根拠を基に自らを制約するルールを課し、それを厳格に守るのだろうと思います。

どんなビジネスにおいても、顧客は二流や三流ではなく、一流のものを購入したいと思うはずです。面倒がらずにビジネスのしくみを磨くことで、どんな企業にも一流を目指していただきたいものです。

東芝の不正会計問題に見る、「まともな目標設定」

世界にも名が知れ渡り、過去に経団連会長を何名も輩出してきた名門ともいえる東芝で発覚した不正会計問題は、世間に大きな衝撃を与えました。

企業ガバナンスや証券業界などの有識者の間では、同社の経営に対して相当に手厳しい批判が出ているようです。同社の体制の立て直しには、今後相当なコミットメント、労力、時間がかかるでしょう。

専門的な意見は他に譲るとして、今回はわたしが気になった同社の「チャレンジ」について述べたいと思います。

同社では「チャレンジ」と称する目標設定制度があったと報じられています。これが、利益目標必達の職場環境形成のきっかけとなり、結果として現場での会計数値の操作につながったとの指摘があります。

この制度に関して(当時の)社長は会見で、「目標を立てること自体に問題があるとは思わない、むしろ良いことだ」という趣旨の発言をしていました。

わたしには、この発言が大変気になりました。

目標を設定する意味は、到達点を明確にし、そこを見据えて適切な行動を進めることにある、というのがわたしの考えです。つまり、ゴール設定するだけでなく、そこに至るルートもまた、デザインする必要があります。この2つのことは、目標設定という活動の中ではセットで考えるべきことです。

簡単にクリアできる目標なら、ルート設定は不要でしょう。プレイヤーの感覚か感性のようなものだけで到達できてしまうだろうと思います。しかし通常、目標はそう簡単には達成できません。クリアすることが難しい目標ほど、その途中のルートをデザインし、中間指標を設けてモニタを行い、行動しながらルートのデザインが正しかったのか検証を行い、間違っていれば修正する。こうした取り組みを繰り返すことが要求されます。

論理的な視点、時には科学的な視点までも取り入れてこのような活動をするから、困難な目標をクリアできるのです。目標に到達できない人に向かって「根性が足りない」「気合を入れろ」「もっとがんばれ」などと言ったところで、達成は覚束ないのです。

つまり、単に目標だけを設定し、それをどのような行動によって実行するかは考えないとしたら、目標設定の意味はほとんどありません。

もし同社が、まともな目標設定を行う環境を整えて「チャレンジ」と称していたのなら、目標に到達するのが困難と分かった時点で、プロセスのどこが問題なのかを謙虚に検証するはずです。言うまでもありませんが、担当者個人の責任論に終始することなどありえません。

そうした組織風土があるのなら、「目標を設定することに何の問題があるのか」といったような、制度設計に対する反省の色のない発言は出ないのではないか。わたしはそのように考えました。

たびたび申し上げることですが、「経営者のシゴトはしくみづくりである」とわたしは考えています。目標だけを下達し、その方法には一切関心を示さず、達成できなければ一方的に批判するようなリーダーは、無責任であるとさえ思います。

もし今回の件で、利益だけを目標として部下に投げかけ、そのためのプロセスをどうするかは関知せず、それは部下の仕事であるから自分で考えろとしていたのであれば、この問題は起こるべくして起こってしまったのかもしれません。

「クラウド移行で業務改革」に見るカンちがい

各種の調査を見ていると、企業のクラウド利用はそれほど大きく進んでいるようには見えません。グループウェアなどのSaaSは活発に使われるようになっている反面、開発基盤を提供するPaaSやシステムインフラを提供するIaaSはまだ下火、という結果になっていることが多いようです。

一方でここ最近よく目に留まる気がするのは、比較的規模が大きい企業が自社のシステムをクラウドへ移すというケースです。

ちなみにですが、わたしがここでお話しする「クラウド」には、いわゆるプライベートクラウドは含みませんので、あらかじめお断りしておきます。

企業のシステムをクラウドへ移すべきなのか、移すとしてそれを一部にしておくべきか全部にするのか。このトピックについてはさまざまな論点があります。

判断は各社各様でしょうし、ひとつひとつに対してとやかく申し上げるつもりはありませんが、事例を拝見していると、成功したとする企業が掲げる「クラウド移行の効果」のなかに「業務改革の達成」というものが含まれているのを、時々見かけては気になっています。

例えば、「クラウドにすべてシステムを移行することで、システム導入や開発の柔軟性がオンプレ(自社運用)とは比べものにならないほどに増す。IT部門はシステムの『お守り』から解放され、より企業の戦略や企画へ業務をシフトできる。」 これをもって「業務改革の達成」としているような話です。

それは、「IT部門の業務改革」であって「企業やビジネスの業務改革」ではありません。

IT部門が思い描いたように経営を説得してクラウドへ移行を行えたとしたら、そこから真価が問われることになります。本当にビジネスに資する戦略立案に一役買えるのか。業務部門と連携してデジタルの面からリーダーシップを取るべく企画アイデアを出せるのか。業務部門が「これを実現したい」という要望を持ったときに本当にそれを迅速に実現させられるのか。

それができて初めて「業務改革が達成された」と呼べるのではないかと思いますし、逆にできなければ「クラウド移行でトクしたのはIT部門だけではないか」という話になるかもしれません。

気になることは、ほかにもあります。

クラウドというと、とかく移行のリスクをどう考えるかが話題になります。成功したとする企業の担当者はそれに対して、クラウド事業者が数々の国際認証や国際標準に準拠していることを根拠に「自社でやるより任せるほうがよほどマシ」と結論付ける傾向があるようです。

そうかもしれませんが、重要なのは、任せるクラウド事業者がISOに準拠しているかどうかではありません。

委託することで自社は「何のコントロールができなくなるのか」または「コントロールしにくくなるのか」を見極めることであり、それについて経営層と認識を共有することです。

一例を挙げれば、自社の基幹システムをクラウドに全面移行することに決めた企業のトップならば、ひとたびクラウド側で障害が発生した場合、自社は復旧にあたって何の手も下せずにクラウド事業者にすべてを委ねるしかないこと、それでも顧客に対しては自らの責任として状況説明を行う必要があることを、十分了解しているか、というようなことです。

ほかにも、セキュリティ、責任分界、採用技術など、さまざまな論点がありますが、「移行のリスクを考える」とはつまりこういうことではないでしょうか。

まだ気になることはあります。クラウド化によって「システムの運用から解放される」というメリットを述べる向きもときどき見かけますが、これは大きな勘違いです。

クラウド化することにより、従来型の運用から解放される代わりに、「クラウド対応の運用」に変えていく必要が出てくるからです。

クラウドは「サービス」であり、これに移行するということは、自社の情報システム運用はクラウド事業者の「サービス」に合わせる形で提供されることになります。クラウド事業者のサービスが変更されたり、別のサービスの利用を自ら追加したり、事業者側がサービスを停止したりすれば、そのたびに運用は何らかのアクションが必要になるのです。そのアクションは、自社のシステムユーザーの利用動向や、自社が提供すべきサービスのポートフォリオを考えながら、調整を行わなければなりません。

また、クラウドサービスは通常は従量課金制です。使えば使うほど料金は増加します。利用開始当初から利用状況が変われば、それに気づいて利用のしかたを見直さないと想定以上にコストがかかってしまうリスクが否定できません。しかも、事業者側は頻繁に料金改定を行います。その情報をしっかりキャッチアップし、使い方を見直していかないと、いつの間にか損している状況に陥りかねません。

つまり、クラウド対応のシステム運用では、「クラウド事業者のサービス提供の都合」という、従来型の運用にはなかったパラメーターを踏まえた運用を要求されるようになるということです。解放感に浸っていては、この「パズル」を適切にコントロールすることはできないでしょう。

クラウドは、うまく使えば企業の大きなパワーになりえます。いまクラウド利用を検討している企業の経営層の方々には、上記のような点を念頭にきちんと理論武装したうえで検討をいただきたいと思いますし、社内説明でうまく説得された経営層の方々には、上記のような目で今後の成り行きをウォッチいただければよろしいのではないかと思います。