「ビジネスのデジタル化」も、いつか来た道

「デジタルビジネス」やら「ビジネスのデジタル化」やら、そんなフレーズが様々なかたちで耳に入ってきていることと思います。マスコミが連呼し始めるにつれ、急に焦りを感じ始める経営者の方もいるかもしれません。

ここで短絡的に「デジタル化を何かやれ」と社内で言い出す前に、デジタルビジネスとはどういうことなのか、まず考えを深めてみてください。

会社や事業にデジタルを取り込むとは、どういうことでしょうか。いま流行りのAIだとか、IoTだとか、RPAだとか、そういった技術を導入すればデジタル化は成就するのでしょうか。

デジタル化とは言いますが、新しい話なようでいて、行われることの実態は昔からある「機械化」と何も変わりません。人の作業が機械で実行できる、それによってビジネスのあり様まで変わる、というのが本質です。

機械化は、これまでも人間の働き方に大きな変化をもたらしてきました。

18世紀半ばから19世紀にかけて起こった産業革命では、産業機械や動力技術の発達により、従来の手作業ではありえない生産性を実現することになりました。大量生産と大量流通の実現により労働者の働きかたも大幅に変わることとなり、それが「仕事を奪われる」恐れを生み、労働者の暴動に発展することもありました。

もう少し最近で言えば、かつて電話が贅沢な通信手段であったころ、電話回線の接続は交換手という労働者たちの人力で行われていました。この仕事のしかたでは加入者の収容に限度がありましたが、自動交換機が発明されて以降、従来とは比較にならないほどの数の加入者を安価に収容することができるようになりました。電話が一般に普及する一方で、交換手という職業は姿を消しました。

つまり、デジタル化もまた機械化と同様に、会社のアウトプットのしかた、業務のしかたを大幅に変革する取り組みになるということです。歴史が示すとおり、デジタルにしてお手軽に完了する話ではないのです。そして、現代のコンピュータがもたらす技術的インパクトは、過去の機械のそれと比較にはなりません。そう考えれば、過去よりもより高度で複雑な成り行きを想像しなければならない状況にあるはずです。

従ってデジタル化に取り組むのであれば、会社としてそもそもどういう未来を追求するのか。そのアウトプットは世間に役立つものなのか。そのアウトプットのために自社のビジネスのどの部分に何を適用すればよいのか。どこまでデジタルを追求すれば目指すものに適うのか。それによって仕事のしかたをどう変えるのか。その変更に自社はどう適応できるか。そのような思考のもとで、自社のビジネスのしくみをまず考え直す。それが、デジタルよりも先にやることであるはずです。

その考えが浅いうちに世間のバズワードに踊らされると、その「デジタル化」は、コストはかかっても大した意味は出せない、むしろ混乱しか招かない、よくある悪しきIT導入と同様に終わることでしょう。

見かたを変えれば、普段からビジネスのしくみを意識し、シゴトのしかたをつくり上げてきている企業にとっては、デジタル化は結構ラクに対応できるトピックなのです。いま「デジタル化」で顕著な成果を挙げている企業は、およそそういう企業です。

話題の技術に踊らされる会社 踊らされない会社

AI(人工知能)が巷で話題になると、「ウチも AI を使ってなにかやれ」と部下に指示する経営者。

信じたくはありませんが、本当にいるのだそうです。

「ウチの商品・サービスにAIを適用したら、○○が●●になって、これまでにない新しい価値が出せるのではないか」というような話をするのなら、ひとまず許容範囲です。そうではなく、「なにかやれ」とだけ言うということは、どう使うとよいと思っているのかについてはノーアイデア・ノープランであるのは明らかです。

経営者がそんな技術的なことに専門家並みに詳しいなど無理だ。こんな反論がすぐに返ってきそうですが、うまく技術を取り込む会社では、そんな言い訳は聞かれません。それでいて、経営者は技術の専門家では必ずしもありませんし、目指してもいません。ただ一点、的確に方向性を伝えなければ「まずいシナリオ」に嵌ることだけは、熟知しています。

まずいシナリオとはどういうことか。冒頭のようなかたちで指示すると、技術にフォーカスが置かれ、その検討がうまく行ったとしても、結果はビジネスに対してあまりインパクトをもたらさない「小粒なもの」になりやすい、ということです。

つまり、こういうシナリオです。特定の技術を自社に適用することが目的になると、およそ発想の方向は「その技術はウチの業務のどこに使えるだろうか」となっていきます。そしてその検討の結論は、「~の業務のうちの…の部分に適用できるかもしれない」となります。そして実際に実証試験を行って、たしかにうまくハマりそうだ、となるわけですが、それは所詮「ある業務のいち部分」でしかありません。

たしかにその業務だけで見れば、自動化なり効率化なりを実現しますから、現場としてはうれしいかもしれません。それがマスコミにおいて話題になっている技術だと、先進事例だとして取材に来られて世間に知られることになり、担当者は得意な気分になるかもしれません。

しかし、経営レベルから見れば、そのインパクトは「ある業務のいち部分」でしかありません。通常、「ある業務のいち部分」がビジネス全体に及ぼす影響は、大したことがありません。従って改善のインパクトも、大したことはないことになります。おそらくその会社の経営者は内心、「新聞で言われるほどすごくはないな」「まあそんな程度のものか」というような感想を持つでしょう。

そのような感想を持ってしまうのは、このシナリオを辿るなら、厳しい言い方ですが自業自得です。なるべくして「まあそんな程度」になっています。

ただし、このシナリオにおいて注意すべき例外があります。こと IT の場合、ある技術の採用が会社の業務基盤を根底から変えてしまう影響力を持っているケースが、時としてあります。その技術を採用することで、仕事のしかたがごっそり替わる、問題発生時に解決の仕方がこれまでと変わる、業務のやり方が縛られる、などということが起こりえます。

経営者が、技術の採用によりこうしたインパクトがあることに疎い(そういう類の技術に限って、そのインパクトが素人には分かりにくいのです)と、以前と違う状況になっているとはっきり気づいたときに、小さくないショックを受けることになるでしょう。そして、そこから元に戻すことは、もうできなくなっています。

マスコミはほとんど取り上げませんが、新しい技術を使ってポジティブな成果を挙げる企業は、その技術の適用を考える前に、自社のビジネスのグランドデザインがきちんとできています。事例を「きちんと」分析すれば、その会社がきちんとグランドデザインを描き、それを下敷きにして技術適用の検討を進めてきたのかどうかは、感じ取れることが多いものです。

グランドデザインがあるということは、その会社が実現したいことが明確に決まっている、ということです。ですから、新しい技術がその役に立つ可能性について、容易に判断がつくのです。

そういう会社の経営者は、「ウチも AI を使ってなにかやれ」などとは決して言わないでしょう。そんなこと言わずとも、社内で勝手に検討が進んでいるはずです。それが、グランドデザインを考えている会社とそうでない会社の差です。

サービスの要なはずの「運用」で、手を抜く

去る3月、金融庁が多くの仮想通貨取引事業者に対して、業務改善命令などの行政処分を一斉に下しました。

ビットコインの台頭によって話題性が高まってきた仮想通貨ですが、今年に入って事業者にさまざまな課題が指摘されるようになりました。今回の業務改善命令を受けて、命令の内容に対応できず廃業することとした業者も出たようです。

言うまでもなく、仮想通貨はIT技術を基盤として取引されるものです。多くの仮想通貨取引事業者はこれまで、自社の技術の先進性を前面に出してアピールを行っていました。しかしそのわりに、どうやらシステム運用のノウハウや経験値が相当に低いことが、今回の騒動を通して露呈した印象があります。

多くのビジネスパーソンが、これは仮想通貨取引事業者の話であって自分の会社には関係ないと思っているかもしれません。しかし、今回の例のように、実質的にITが会社のビジネスの根幹を支える存在になっていながら、なぜかシステム運用への意識が低くリソースへの投資も手薄な企業は、業界を問わず珍しくありません。

大抵の企業は、ITを前面に打ち出した「サービス」をつくることには熱心です。サービスに組み込まれた先進的な技術を大きくアピールし、自社が優れていることを印象付けようとします。しかし一方で、そのサービスを顧客に向けて継続して「運用」しなければならないことについて、深く考えていない傾向があります。

経営する以上、顧客にサービスを買ってもらわなければなりません。その意味で、有益で使ってみたいと思わせる魅力が、提供するサービスにあるということは大変重要です。ただしそれは、実際に顧客が体験して初めて有益になるわけで、その顧客体験実現の主体となるのが、サービスの「運用」なのです。サービスを提供する企業が「運用」のクオリティを問わず、それどころか軽視するのは、まったく道理にかなっていません。

魂は細部に宿る、と言われますが、際立つ事業者はおよそ、顧客には直接見えない業務にまで自らのこだわりを浸透させる努力をしていると感じます。みなさんにも、モノはまだ買っていないのに、店に入っただけで質の高さを感じるような経験をしたことはないでしょうか。そういう会社は少なくとも、売る前だけ派手に注力し、売った後の実際の顧客体験の部分では見えないように手を抜く、という行動はとりません。

ITに疎い経営者ほど、システム運用がどのようなコスト構造になっているのか把握していません。そのため、運用コストは削減するものという意識になりやすい傾向があります。本当にその考え方でよいのか。本当の意味で顧客と自社との接点となるのは、マーケティングやサービスメニューよりも、サービスが実際に提供される「運用」であるはずです。ビジネスのしくみを意識する企業ならば、今回の件を他山の石として自らを顧みる必要があるのかもしれません。

今年こそ「試す組織」を

新しい年を迎え、来る新年度の取り組みについて具体的に固めていくような時期である企業が、多いかもしれません。

ここ最近、”PoC”ということばがよく聞かれるようになっています。これは ”Proof of Concept” の略で、端的に言えば、新規の技術や仕組みの実証実験のことです。新たな取り組みを進める場合、まず小さく始めるのは基本ですが、それを最近では PoC と称しています。大手企業・ベンチャー企業といった大小を問わず、また業種業態を問わず、様々な PoC が行われているようです。

その要因として、IT関連の技術について気軽に実験できる環境が充実してきたという側面があるだろうと思います。

かつては、新しい技術が出てきたとしても、それを「試しに使う」というのは現実的ではありませんでした。気軽に試すことができなければ、新技術は敷居の高いものというイメージになりやすいものです。そのうち自らとは遠いものと認識するようになってしまうのも無理はなかったかもしれません。

ところが今では、相当にハードル低く、新しい技術を試すことができるようになっています。機械学習、ブロックチェーン、IoT、BI、認識技術 … かなりの種類の技術要素が、安価な料金か、場合によっては無料で、条件はあることが多いものの利用できるようになっています。最近では、量子コンピュータまでがクラウドで一般利用可能になるとのニュースも報じられました。

わたしは8年ほど前から「試す組織」の重要性を指摘してきました。「試す組織」とは、ビジネスを遂行する業務とは別に、企業が価値提供するうえで近い将来役立つと思われる概念や技術を探知し、他社より早く業務へ実用化する目的で活動する、企画チーム体制のことです。そのために、変化する外部環境や新技術の動向などを自ら学習し、トレンドやソリューションを見極める目利き力を養いながら、様々なことを「試す」取り組みを行います。

わたしが指摘し始めた頃に、こうした取り組みを実際に推進している日本の企業の事例は、一部の大企業における小規模なものだけでした。資金力がなせる業という側面も否めなかったと思います。しかし今では、中小規模でも技術にフォーカスを置く企業ではかなり自然に行われています。すでに、もの珍しい取り組みではないのです。

このような状況においてはすでに、いかに「技術」という食材をうまく選択し料理するのかというアイデア勝負の時代にあると言えます。技術そのものではなく、選び組み合わせるアイデアの妙で競っていく時代なのです。それにもかかわらず、アイデアを出すどころか、試すこともしない企業は、提供価値の特色も出せず競争力が低下するだけでしょう。

「試す」仕組みがまだない企業の経営者の方々におかれては、ぜひ今年は「試す組織」を真剣に考える年にしていただきたいと思います。

「提供する価値を見直す」ことの先にあるもの

当社の支援ポリシーについて説明をする時、必ず強調することがあります。それは、「顧客に対する価値の提供を軸にしてビジネスを考える」ということです。自社を使ってもらいたい顧客は誰なのか、その顧客にどのように価値を感じてもらいたいのか。そして実際そういう業務になっているのか。ビジネスのしくみは価値提供のありかたで決まるし、そこに信念がないのでは競争力のあるしくみにはならない。こういうことを申し上げています。

そういう話をすると、既存事業に課題意識をもって話を聞いてくださっている経営者の中から、「それは考える必要がある」という反応をいただくことがあります。

お察しするに、自社のビジネスが提供する価値を問い直すという試みは、場合によっては現状の否定につながるかもしれない、という想像が浮かんでくるからなのかもしれません。自信があるのなら問い直しても何の問題もないはずですが、寝た子を起こすような怖さや混乱を感じる向きもあるのでしょう。

価値を見直すことで必ずしも現状が否定されるわけではありませんが、そのようなケースも実際に経験があります。ただし、それが起こったのは必然とも思えます。

そもそも競争力とは何でしょうか。端的には、ライバル企業が存在してもなお自社が選ばれる力のことです。競争障壁については経営学的にテクニカルに語られるものもありますが、結局のところ、何らかの理由によって顧客に選ばれる会社が強いと言われる、ということです。

ただし、すべての顧客に好まれる商品やサービスを生み出すことは不可能と言ってよいと思います。そうだとすれば、買ってもらいたい顧客は提供する側が「特定」しなければなりません。特定の人たちに向けて作り込まなければ、好きになってもらいにくいからです。価値の提供スタイルがはっきりしている会社は、顧客のペルソナが実に明快です。

一方で、求められるサービスを何でも提供しようとする会社があります。表向きは、顧客に応える充実したサービスを幅広く提供したいと考えての行動なのでしょうが、実は深層心理で、顧客を特定して絞ってしまうことを怖がっているのだと思います。

企業規模に比例して、投下できるリソースは決まります。資本力のある大企業ならいざ知らず、限定された能力であれば、何でもやりますと商品やサービスを展開して、そのすべてにおいて他社より優れたものにするのは無理があります。結果として、どの商品やサービスも他社並みかそれ以下になり、顧客はそれに価値を感じないのです。価値を感じなければ、顧客は買いません。

何でも提供しようとする企業ほど、価値を見なおすことに恐怖を感じることでしょう。しかし、見直しをかけたその先にあるものを見据えて敢えて火中の栗を拾うだけの価値は、十分にあると考えます。

そうして、会社が提供すべき価値のありかたを見直すことで競争力を高め、成長軌道に乗った事例は、いくらでもあります。というより、わたしはそれしか知りません。顧客に強く支持されている企業はみな「提供する価値」にこだわっているから、分析結果としてそのようにお伝えしているわけです。

最近も、こんな中小企業の事例を知りました。自社はどうありたいのかを見直し、苦労しながらその仕組みを構築して、ブームにも乗って売上は約6倍、今では会社訪問されるような会社になったそうです。

競争力とは価値提供のありかたで決まると、わたしは考えています。小難しい戦略の話の前にまずはそこにこだわり、顧客のことを徹底的に考え抜きましょう。

先が読めない時代に、どういう会社を目指すか

最近のビジネス動向に触れていると、さまざまな分野で、時代の端境期にあるように感じられます。その要因のひとつになっているのは、ITを中心とした技術の進展ですが、それがひとつではなく多くの分野で、横断的かつ複合的に影響を及ぼしています。この先どういう時代がやってくるのか、長期的にはまったく読めないのが、いま現在ではないでしょうか。

例えば、自動車業界は興味深い分野だと思います。わたしは2012年初めにも本コラムで、「そろそろ『自動車会社』を辞めることを考えるべきときが来ているのではないか」と書きましたが、6年近くたった今となってはさらに進化した先行きが妄想できるようになってきました。

例えば、こんな想像も、ひとつのシナリオです。もし、レベル4と呼ばれる完全自動運転が実現し、一般道でもオートパイロットで運転されるようになればどうなるか。ほとんどの消費者は、車を買わなくなるかもしれません。使いたくなった時に、アプリで呼び出すだけ。呼び出せば、時間ちょうどに家の前まで自動でやってきて、用事が済むと、自動で帰っていきます。自ら所有する必要などありません。バスもタクシーも、事業にならなくなるかもしれません。個人は駐車場も不要になり、それを生業にする不動産ビジネスも方向転換を迫られるかもしれません。

いまの人たちが電車に乗るときに気にしないように、クルマに乗るにあたって「操る喜び」を気にする人も、そのうちほとんどいなくなるかもしれません。それよりも、乗る楽しさを左右するのは、車内で展開されるアプリケーションのほうになります。

クルマに乗る目的が、点から点への移動だけではなく、クーポンをくれるとか、自分の好みのイベントやおもしろい場所に勝手に連れて行ってくれる、というものに変わっていくかもしれません。楽しさを提供するアプリケーションをいかに創出するか、その楽しさを生み出すために必要なデータやログをいかに収集し分析するか。それがモノをいうのだとしたら、自動車そのものは、ソフトウェア開発会社かサービス会社の「部品」になるかもしれません。

そして、消費者にとって、内燃機関かハイブリッドかEVかなど、どうでもよいことになり、今後どこかでエンジン技術の向上はあまり求められなくなる、つまりコモディティ化するかもしれません。

これとは違う未来も、想像できるでしょう。しかし、なにが本当なのかは、誰にも読めない状況だと思います。経営する人間にとっては、興味深いけれど非常にやっかいな世の中です。

こんな状況で取れる道は、おそらく2つではないかと思います。ひとつは、あらゆる構造変化に柔軟に対応できるような、変わり身の速い事業と組織を維持すること。もうひとつは、自分がゲームチェンジャーになって未来をつくること。どちらもなかなか難しい注文です。ただし、自らの顧客を定め、その顧客に価値を提供することを目指すという点は、時代がどのようになっても揺らぐことはないと思います。

大事なのはCIOなのか、CDOなのか

最近、CDO(Chief Digital Officer)という役職が話題に上るのを見かけます。この役職を置く大手企業がいくつか出てきているそうです。

CDOは、わたしの認識が正しければ、IT 系の大手リサーチ会社である米ガートナーが提唱し始めた役職名で、簡単に言えば、企業においてビジネスのデジタル化を推進する責任をもつ経営幹部と位置づけれられています。

これに関連するところでは従来から CIO という役職があり、CIO が IT に関する領域の責任を持つとされていました。そこにまた、CDO なる役職名が登場し、何がどう異なるのか、きちんと理解しておく必要があるのか、自社に必要なのか、よくわからない経営者の方もいるのではないでしょうか。

結論から申し上げれば、他人との会話にお付き合いできる程度に知っておけば十分だと、わたしは思います。業界お得意の話題づくりに振り回されるのは、本質的ではありません。

一般的な説明においては、まず CIO は、企業が従来から管理してきたバックエンドの情報システムを中心に、その運営に責任を持つものとされています。かたや CDO は、顧客に向けたフロントエンドに注目し、デジタル化による顧客体験を提供する「(広義での)サービス」を提供するシステムを構成し、その運営に責任を持つというイメージで語られています。

ここからはわたしの個人的な見解ですが、CIO とは、Chief Information Officer の略であるのが一般的とされますが、同時に Chief Innovation Officer とも言えるとされていました。そして、CDO という言葉が出てくる以前においては、いま CDO が司るとされている領域の活動には、CIO が貢献することが期待されていました。

ところが、現実の CIO がそのようなイノベーティブな成果を実現するケースはほとんど見受けられませんでした。こと日本においては、CIO と呼ばれながら、例えば実は経営会議のメンバーではない等、情報システム部長と変わらないような職務権限であるケースも多かったように思われます。そもそも「CIO」という役職名が企業にそれほど広がらず、IT 関係の幹部を紹介する際にマスコミも苦し紛れに「実質的な CIO」などと称する例もよく見かけます。

CIO って結局は IT 部門の責任者なのね、という、本当はそんなはずではなかった認識が定着する一方で、やはりビジネスの本質的な領域への IT の浸食は止まりませんでした。新興企業を中心に、デジタル的な思考をベースとしたビジネス基盤で事業を展開するケースが後を絶ちません。おそらく今後、それが当たり前になるでしょう。

そうした中で出てきたのが、CDO です。根底には、従来型の情報システム整備の考え方と、デジタルビジネス推進の考え方は、同じにはできないという主張があります。この主張については、わたしが以前にブログで記したとおり、認識が確定しているわけではありません。

こうして考えてみると、要するに重要なことは、企業自身が、自社のデジタルの責任者にどのような活動で成果を挙げてもらうのかを明確にし、その役割と権限をその企業なりに定義することではないかと思います。それさえできていれば、CIO でも CDO でも、IT 責任者でも、それこそ CEO でも、名前など何でも構わないのではないでしょうか。

会社の基幹機能をどのようにカテゴライズし、幹部が会社のどのような基幹機能を担うのか。デジタルはそこにどう絡むのか。これを考えるほうが、より本質に近づくはずです。トレンディなことばを気にしすぎるのは、もうやめましょう。それでメディアに乗っかりたいのなら別ですが。

CxO人材が欲しい会社が、考えるべきこと

最近、あるスタートアップ企業が躍進しているという話を聞きました。

その企業は、当初は事業の拡大にいろいろと苦労していたそうですが、あるとき大手企業の幹部OBを紹介され、その人物に経営に参画してもらうことになりました。それをきっかけに、その人物が培った人脈をフル活用して次々と人が人を呼び、最近では大手企業との提携話が面白いように決まっていく状態になっているようです。

経営者ご自身の人徳もあろうかと思いますが、こうしたパターンは、スタートアップがいわゆる「1→10」に成長していくシナリオとして典型的かつ有力なものだと思います。

こうした事例もあるためか、多くの企業で経営者が幹部人材を探すとき、およそ重視するのが「前職での地位」や「持っている人脈」です。

それはそれで、特に営業面では重要な経歴だろうと思いますが、ことCOO、CIO、CTO、CDOのような幹部であれば、ステータスだけで善し悪しを判断するのは慎重であるべきではないかと思います。

業務構造の変革、システムの適用、それに伴う技術の採用、というのは、素晴らしい経歴があればできるというものではありません。経営者のツルの一声で始めたIT導入がおよそすごい成果にはならない例が多いことからも、これは明らかです。

このコラムでも何度も申し上げていますが、ビジネスを強くするには、慎重かつ緻密に、ビジネスのしくみをデザインすることが必要です。こうしたデザインを実行するには、社外の競争環境のみならず、社内の業務環境や企業文化を熟知していることが求められるのは、言うまでもありません。

ですから、外部から来た人材は、まず社内を知ることから始める必要があります。わたしなども、初めて関わるお客さまのところでまずすることは、社内の各部門を回って話を聞き、情報を集めて現状を知ることです。

結構地道で泥臭い作業ですが、欠かすことはできません。なぜなら、自分の目で現場の現実を見ないかぎり、真の課題は理解できないからです。誤解を恐れずに言えば、現場で働く方たちの「ことば」さえ信じないこともあります。時に、言っていることと実際にやっていることが異なる場合もあるからです。

業務やシステムを管轄する幹部に求められる力とは、こうした実地での情報収集、状況把握、現状分析、技術への知見などを総合し、その企業が目指す方針を実現できるビジネスのしくみをデザインする能力、さらにそれを実現まで持っていける能力ではないでしょうか。

この能力は、前職の地位や人脈が保証してくれるものではありません。かりに実績があるとしても、その実績を挙げるに至った経緯をよく聞いてみる必要があるだろうと思います。単に誰かの言うとおりにしただけかもしれません。

また、特に技術、ITといった分野は、デザインの意識が低い人ほど技術的な「理想」を追い求めてしまいがちであることも、よく念頭に置くべきだと思います。

最近ですと、「ビッグデータ」とか「AI」の経験を持つ専門人材が欲しい、という話を小耳にはさむことがありますが、危険な例です。ITはある意味、その道に明るい人間にとってはわりに手柄を立てやすい分野とも考えられます。そのようにして採用した外部招へいの幹部は、その分野だけで自分の存在価値を示そうと動くでしょう。しかし、技術にフォーカスするのみでビジネスのしくみを緻密にデザインしようとはしないときに、または全体俯瞰でしくみを考えている人が会社に誰もいないときに、それはその企業にとって、どこか歯車のずれた取り組みになっていくことが往々にしてあります。あるITを導入してはみたけれど、現場が使いこなせずに結局お荷物になったというような話、聞いたことがないでしょうか。

そして、その問題に最初のうちは誰も気づきません。

くどいようですが、業務改革やシステム導入では、あらゆる観点から理想と現実をうまく埋める「デザイン」が、最も大切です。CxOを探すのなら、そういうことを重視し、偏りのない知見を発揮できる人物かどうかを、ぜひ見抜いてください。

経営者が考える「ITの使いどころ」を疑う

IDC Japanが去る5月8日に発表した、経営層を対象にした調査の結果から、感じたことを述べたいと思います。

具体的な調査の内容は、ITを購入する側のユーザー企業の経営層と情報システム部門をそれぞれ対象にして、経営課題の共有やテクノロジーの活用に関する認識などを調べた、というものです。

これによれば、経営層が示した「最優先の経営課題」の上位3つは、「新規ビジネスの創出」「営業力の強化」「ビジネスモデル変革」で、特に「新規ビジネスの創出」が突出して高いという結果でした。一方で、経営層が「ITによって解決したい経営課題」はというと、「業務プロセスの改善/再構築」の突出が目立ち、以下「新規ビジネスの創出」「リアルタイム経営」とのことです。

データを見る限り、多くの経営層はITの使いどころとして「業務プロセスの改善」を発想しやすいが、それ以外の課題に対する期待度はそれほど高くはない、そしてそれは経営の優先課題と異なる、よってITに対する経営の期待は高くない、という傾向が読み取れます。

この傾向は長年にわたって指摘されてきたことですが、いまでもそれは変わらないことが示された、ということでしょうか。

しかしながら、これはよくわからない考え方です。

新規に企画するビジネス、強い営業、変革させたビジネスモデル。これらが、関心の高い経営上のお題目ということですが、これらはすべて、何によって成り立っているでしょうか?

まさしく、業務プロセスです。

新規に企画するビジネス、強い営業、変革させたビジネスモデル。これらはつまり、従来型ではない斬新な、または洗練さを増したビジネスのやり方を編み出す、ということであるはずです。それは、最終的には業務プロセスによって表現されます。

業務プロセスの改善がITでできると思うのであれば、こうした課題もすべて、ITをテコにして対応できるはずではないでしょうか。

ITを活用する、と言われると、多くの経営者のアタマには何となく「自動化」「効率化」というキーワードが浮かんでいるのではないかと推察されますが、自動化するにも効率化するにも、自動で効率的にコンピューターにやらせるためのロジックが必要です。これは人間が考えて授けてあげなければなりません。そのロジックは実際のところ業務プロセスの一部であって、それを人間からコンピューターに肩代わりさせるだけのことです。

業務プロセスの改善であっても、新規ビジネスの企画であっても、業務のやり方をデザインすることに変わりはないのです。

業務プロセスが美しくデザインできて、一方でITで何ができるのかを知る。そうして、合理的な組合せを発想できます。IT活用とは、そういうものです。

そう考えれば、業務プロセスが美しくデザインできるのなら、どんな経営課題であってもITのチカラで突破する発想はできるはずではないでしょうか。

ただし、実はこの「デザイン」が難しい。そういう認識をしている経営者であれば、おそらく上記の調査結果の傾向とは異なる回答をしたのではないか、と感じます。

足りないIT人材、差を生む行動

先日、大学で受け持っている講義で、ITを活かしてビジネスをリードできる企画人材は社会的に不足していること、そうした人材は探してもなかなかいないので、難しくても企業内で育てていくことが必要、と話したところ、ある学生(といっても社会人の学生です)が、「そもそも人材が不足している中で、そういった人材を育成出来る人が企業内にいるのでしょうか」と質問をしました。

おそらく多くの企業の経営層も彼と同じような発想をしているのではないだろうか、と思いました。

人材不足は、日本に限ったことではありません。欧米に比べて日本の企業はITが遅れているという論調は、よくマスコミの報道で見受けられます。確かにそういう側面はあると、わたしも感じます。ただし、欧米の企業は日本と同じことで悩んではいない、というわけではないようです。

例えば欧州に関しては、こんな記事が出ていました。

「最近の調査・研究では、ヨーロッパのIT分野におけるリーダーの指導者としての素養・力量はかなり低い、という結果」
「国家レベルでこの問題に適切に取り組まなければ、EUのICTの専門家は2020年には82万5000人が不足すると試算」
「欧州の多くのビジネススクールや大学が「eリーダーシップ」養成のプロジェクトを検討している」

米国に関しても、社会的に人材は足りているという話はあまり聞きません。例えば、こんなデータがあります。

「(CIOに調査した結果)39%がデータ分析スキルが自社に不足していると回答、続いて32%がプロマネ、28%がビジネスアナリシス、27%がサイバーセキュリティと回答」

つまり、人材は世界中で不足しているのです。

必要であるにもかかわらずこれだけ不足しているからこそ、自分で考えて実際に行動を起こしている企業が先を行っている、ということではないでしょうか。

経営者であれば、担当者と違ってさまざまな手を打てる力を持っているはずです。人材そのものを調達するなら、雇用、コンサル、業務提携、時限的に委託、いろいろあります。

いまスキルがなくてもやる気はある人材がいるのなら、幸運です。世の中にはシステム企画のうえで参考になるフレームワークや標準もいろいろ公開されていますから、そういった情報を知って、社内に勉強を促すこともできます。

最もまずいのは、ビジネスとITは直接絡まないという、致命的な誤解です。ITには一切頼らない、という奇特な決意をしている企業でない限り、ITと関わりが不要な企業は、現代では存在しえません。

そうであるなら、自社で使うITは「使える情報システム」にしたいはずです。ところが、自社にとって「使える情報システム」というのは、自社が実践するビジネスの仕組みからしか生まれないのです。

そして結局のところ、自社のビジネスを進化させる企画力を持つには、いまの自社のビジネスの仕組みが可視化できることがキモで、これができるのは社内の人材だけです。だから、社内の人材が自分でシステムの絵を描けなければ、将来が危ういわけです。

ビジネスを洗練させていくうえでどれだけ仕組みやシステムが重要であるか、それに対してITがどれだけのポテンシャルを持つと考えるか、という認識の差が、何らかの手を打つという行動の差を生むのだろうと思います。

冒頭の質問をした学生には、「育てるのが簡単でないことは講義でも述べている通りですが、そこで思考停止するかどうかが分岐点」だと回答しました。