会社のレベルと、問題の感度

様々な会社を訪問していると、業種業態にかかわらず、ある特徴から会社の状態を推し量ることができることに気づきます。

例えば、社内の問題に対する「感度」です。成長性が高く勢いを感じる会社ほど、社内に内在する問題に対する感度が高いようです。様々な改善点に日頃から気づき、それらに対処しようと考える。こうした流れが常にあります。問題があるのはある意味フツウのこと、問題がないなんてありえない、早く発見して早く対処すべし。そういう考え方をしています。そのためか、社内の雰囲気は明るいけれど、常によい緊張感がある。そんな印象です。

逆に、勢いがない会社ほど、問題に対する感度が低いように感じられます。社内には多くの問題が存在し、それは第三者の視点ではかなり目立つものであることも多いのですが、それとなく水を向ける程度だと「特に問題とは思っていない」という回答が返ってきたりします。そのためか、社内にはどこかのんびりした空気が流れている。そんな印象です。

問題山積の会社ほど目が回るほどに忙殺されているかと思いきや、そういう会社ほどのんびりした雰囲気に包まれている、というのは、ずいぶん皮肉なものだと思います。

そうなってしまうのは、会社において「何を問題とみなすのか」という基準の厳しさに差があるからでしょう。厳しさに差がある、とはつまり、その会社が達成したいクオリティやレベルの違いです。ひいては、その会社のミッションやビジョンの位置づけの違いということになります。問題の感度が低い会社には、そもそも明確なミッションやビジョンが定義されていないことも多いものです。

言葉を変えれば、その会社にとっての「当たり前」が何なのか、それをいかに社内で固く共有しているか、この差であるとも言えるでしょう。世間で凄い会社と言われるところは大抵、現場の業務を個別に観察するとおよそ「やって当然」の仕事をこなしているように見えて、その当たり前の仕事をこなす「レベル」が普通ではないのです。

よく言われることではありますが、問題を解決するスキルは重要だけれど、もっと重要なのは、問題を設定するスキルです。間違った事柄を問題として捉えれば、どれほど正しく問題を解いたとしても、出てくる答えはやはり間違いです。データ分析の世界には、”Garbage in, garbage out.” という戒めの言葉があります。厳しい言い方ですが、「ごみを入力したら、出力はごみ」という意味です。

このようなことから、問題に気づき設定する役割にあるマネジメント層の能力というのは、非常に重要だと感じます。

コンサルが「正しい」助言をしにくいとき

先日、同業のある知人から、こんな話を聞きました。

ある中小企業の社長から、DX推進に関してどうしたらよいか支援してほしいと打診を受けて、事情をヒアリングしに行ったのだそうです。会社を訪問すると、社長からその場で経営計画からDX推進の体制案まで、いろいろな文書を見せてもらったと言います。すでにその計画は社内に展開され、社長自ら社員向けに説明も行っているということでした。

訪問先の社長はかなり勉強熱心な方だったようで、計画は自分で立案したがコンサルタントを入れたことはこれまで一度もない、と言っていたそうです。

随分と完璧に見えますが、提示された文書を知人がつぶさに見通すと、その計画は相当に未熟なものに映ったと言います。ミッション、ビジョン、行動指針といった企業理念の3点セットは高らかに謳われているのはいいけれど、それを実現するロジックがまるで考えられていない。

現場の社員たちには、社長が掲げる経営計画に従って自部門の目標をブレークダウンさせたそうですが、その内容を見ると、部門視点の発想から生まれるようなお決まりの目標しかない。それは無理もないことで、スローガンだけ掲げられて経営シナリオが提示されないから、社員から見ると全体の構図がなにもイメージできないわけです。そのため結果的に、過去の経緯と自部門の課題意識の範疇でしか発想ができない。

ヒアリングの席では、進め方に対する社員からの反発はすごいという話だったそうです。それは当然そうなるだろうと、わたしは思います。

それを受けてこの知人はどういう提案を考えたか。結局、その社長の経営計画に沿ってDXを推進する支援企画を考えたのだそうです。

本来ならば、経営計画のレベルからやり直すのが正論です。経営計画が納得感をもって現場まで降りていないそもそもの要因は、社長が立案した経営計画が未熟だからです。漠然としたビジョンを具体的なシナリオにしない限り、起こっている問題は根本的には解決しません。しかし、そうはしない。なぜかといえば、すでにその計画は社内に展開され、社長が自ら説明してしまっているからです。

もし正論を通せば、その経営計画を全否定するように聞こえる。社長自身のモチベーションも低下するし、プライドも傷つくかもしれない。社内も、突如として方針転換がなされたように見えて混乱する可能性もある。支援を推進して成功裏に完了させるには、未熟な計画なことは承知で、それとなく促して良い方向になるように仕向ける支援をし、うまく立ち回ることを選択する。こういう判断です。

この判断は、まったく妥当だと思います。しかし一方で、この社長は損をしたなと、わたしは思います。勉強熱心なのはよいことですが、社長業をしていれば専門家ほどに究めることはほぼ無理です。勉強不足により我流に陥りすぎる結果に嵌るが、自身はそれに気づかない。そのまま他人に相談せずに、計画を実行してしまいました。計画を展開する前に識者に相談していれば、おそらく適切な助言がもらえ、実効性の高い計画立案ができ、それを良い形で社内に展開して円滑に浸透させられていたのではないでしょうか。

専門家であっても外部の人間がアドバイスしにくい状態になっている場合がある。それによって、本来なら得られていた助言が得られなくなる。そういうことがありえると、経営者のみなさんには頭の片隅に置いておいていただきたいと思います。

クラウドでサービスをつくり込む企業の「責任感」

あまり目立っていないように思えてならないのですが、ここ最近、AWS、Azure、Google Cloudと、いわゆるメガクラウド事業者で相次いで大規模障害が発生しています。

それに伴って、例えば気象庁のホームページが閲覧不可となったり、仮想通貨を取り扱うコインチェックではサービスが全面停止したりなど、多方面での影響が発生しました。

その中で、いわゆる「スマートホーム」の機能を担うデバイスにも、様々な影響が出たという話もあります。例えば、家電の操作をスマート化するデバイスです。エアコンや照明の電源を外出先から操作できたりします。こうしたデバイスを扱うサービスも、パブリッククラウドサービスを基盤にして機能を実装しているケースがかなり多いと見られます。

その場合にクラウドが障害になってスマートデバイスが機能しなくなると、利用者はどうなるか。容易に想像できますが、スマートデバイスに依存した生活をしていれば、オンオフや開け閉めといった操作は一切利かなくなります。かわりに手動で対応できればよいですが、リモコンがないと操作が事実上できないという家電も、最近は少なくありません。スマホでの操作に依存しきっていてリモコンがもはや手元にない、またはそもそもスマホからの操作しか想定されていない、などの場合は、結構つらい状況になることがありえます。

例えば、スマートロックだとどうなるでしょうか。家のカギをスマホで開閉錠できるようになるデバイスです。完全にこれに依存し、物理的な鍵をもう持ち歩いていない人が、外出中にクラウド障害に見舞われてデバイスが機能しなくなったら、家には入れなくなるかもしれません。

高齢者や障がい者が、生活に欠かせないツールとしてこれらのデバイスに頼っていた場合はどうでしょうか。機器などの切替操作などが身体的に困難なために音声認識でそれを実行するようなケースです。もし突然、音声認識が動作しなくなったりしたら、死活問題に陥るリスクもあるかもしれません。

わたしが気になっているのは、こうしたデバイスを供給しているサービス事業者が、どこまでクラウド障害によるサービス影響を「自分のこと」として捉えているだろうか、ということです。

パブリッククラウドを基盤に自社のサービスを構成した以上、クラウドが障害になれば、サービス事業者側ではなすすべはほとんど何もありません。ただ、障害復旧を待つのみです。ですから、「クラウド側が障害のため、復旧までお待ちください」とアナウンスするしかない、というのは正論です。しかし利用する顧客にしてみれば、サービス事業者からサービスを買っているのであって、クラウドを使っているつもりはありません。

クラウド側で何が起ころうとも、サービス事業者側ではコントロールすることはできません。ですから、クラウドが障害で止まるとしたら仕方がない、復旧が遅くてもあれだけの技術を持つすごい企業なのだからそういうものだと捉えるしかない、と考えるのは正論です。しかし、利用する顧客が見ているのはサービス事業者のほうであり、対応がまずくて信頼を失うのもサービス事業者のほうです。クラウド事業者ではありません。

スマートデバイスは、”現時点では” 社会基盤になるほどには普及しているとはいえず、仮に利用が全面的に止まったとしても、社会に大きな影響を与えるには至らないでしょう。サービス事業者の方針や態度が他力本願であったとしても、問題にはあまりならないと思います。

ただし、もし今後生活のスマート化が当前に組み込まれる社会が到来するとしたら、そのときサービス事業者は、より厳しく社会的な責任を問われることになります。そのときになってから、他者に左右されない基盤を自ら開発運用する能力を身につけようと思っても、時すでに遅しだろうと、わたしは想像します。

クラウドファーストだと言われているのに何を後ろ向きなことを、と言う論者もいるかもしれません。しかし、世間は通常、いかなる時でも一定以上のクオリティを要求し、不備を感じれば容赦なく批判します。通勤時間帯に通勤電車が全面ストップし、車内に「クラウド障害の影響で電車が発車できません。復旧までお待ちください。復旧の見込みは不明です。」などというアナウンスが流れたら、利用客はどう思うでしょう?少なくとも翌日のマスコミの記事の見出しは、鉄道会社を擁護するものにはならないと思います。

クラウドを使うのは、イージーです。使うほうがトクです。しかし一方で、牙を抜かれていないか。自らは何を重要な能力として保持し、なにを他者に依存するか。こうしたことは、経営者が考えるべきことです。技術分野だの専門知識だのは関係ありません。エンジニアは往々にして、イージーで見た目格好よさそうなほうを取ります。

高度になるIT、問われる組織の能力

ここ最近は、クラウドにまつわるセキュリティ事故の話が目立っていたように感じました。

例えば、セールスフォース・ドットコム(以下、SFDC)が提供するクラウドサービスを使う複数の企業において、第三者が非公開情報にアクセスできてしまう状態になっていた問題。この問題では、名のとおった大企業、情報セキュリティに関しては高い管理知識を有するはずのIT企業などが、挙って同じ問題に陥ったことを公表しました。

SFDCに関連した問題のほかにも、グーグルが提供するクラウドサービスを利用する企業で内部の業務連絡のやり取りが気付かぬうちにオープンになっていた問題、某キャッシュレス決済事業者における加盟店情報約2007万件の漏えい事件、なども報道されていました。

上記で取り上げた問題に共通する要因は、「設定ミス」です。設定の不備によって、本来公開してはいけない情報が一般公開設定となり、インターネットから閲覧可能な状態となっていた、というわけです。

一般に、クラウドサービスを利用するにあたっては、さまざまな設定を利用者の責任の下で実施することになっています。従って、設定にまつわる障害や事故は利用者側の問題として扱われるのが通例です。

ただし、今回のSFDCの問題は、利用者の対応の甘さに全面的な責任があるとは必ずしも言えない面があるように、わたしは感じます。というのも、設定不備の原因となったのがSFDC側による機能のバージョンアップにあるからです。約5年前に行われた機能追加にその火種があり、その際に、新機能の導入により適切な権限設定をしなければ情報漏えいにつながる可能性が生じたといいます。その旨の情報が利用者に適切に提供されていなかったのではないか、そもそもSFDCはそのような脆弱な設定になり得ることを予測していなかったのではないか、という声が少なからずあるとのことです。

つまり、知らぬ間に外部のアクセスを許す状態になっていたという利用者が大勢いたということであり、それは利用者側の「設定ミス」として片付けられるものなのか、という認識が生まれるわけです。至って自然な考えではないかと思われます。

しかしながらこのような状況を踏まえてもなお、結局は利用者が被害や影響を受ける立場になることに変わりはないのが実情です。クラウドサービスは、提供者側の都合でアップデートや機能追加が頻繁に行われます。それが良さであるという評価も一方ではあります。クラウドを利用するということはつまり、利用者が提供者に振り回される面がある、という理解が必要なのです。

設定ミスは人為的なミスなのだから、使う側が気を付ければよいことではないか、と思うかもしれません。実際に使ってみればわかることですが、クラウドサービスは、使い込もうとするほど、または機能が豊富で高度な要求を実現できるものほど、設定は単純では無くなっていきます。利用者側にも、それなりの「ユーザーレベルの高さ」が要求されるのが実態です。それはある意味、当然のことでもあります。

先日セキュリティの専門家から話を聞きましたが、サイバー攻撃の攻撃者がどのような攻撃手法を好んで選択するのかというと、端的に言えばコストパフォーマンスが高い手法が優先されるといいます。かつては多かった、自らの技術を誇示したい攻撃者というのは近年ではほぼ皆無で、手っ取り早く価値の高い情報を搾取し、お金に変えることを目的にしているのです。そのとき、一番コスパが高い狙い目というのが、実は設定ミスや運用ミスを突くことだと指摘していました。

クラウドは利用のハードルが低く、その気になれば利用の幅をいかようにも広げられる面があります。一昔前なら何千万円と支払わなければ手に入れられなかったような技術を、月数千円程度で利用できるようになっています。技術的に出来ないことは、もはやほとんどありません。これは、ITの急速な技術進化の賜物です。

ただし、利用する側にそれを操れるだけの組織的能力があるのかどうか。利用する企業は常にこの点を、自問自答する必要があります。能力を持たざる企業に高度なITが使いこなせないのは、プリウスに乗っていたドライバーが今日からF1カーを乗りこなそうと思ってもできないのと同じです。

特に中堅中小企業は、ITにかかる組織の整備が脆弱な傾向があります。クラウドをどんどん使おうとするわりにIT担当者は兼務しかいない、でいいのか?経営者の方々には、自社で何らかのITを使おうとするなら、まずは組織能力を問い直すこと、いかに整備を進めるか考えること、をお勧めしたいと思います。そうでなければ、安易な設定ミスにより足元をすくわれるリスクを抱えることになります。

その「カルチャー」、どれほど大事ですか?

先日読んだ複数の記事によると、残念ながらというべきかやはりというべきか、日本企業のDXの取り組みはかなり雲行きが怪しいものになっているとのことです。

経済産業省が昨年末に公開した「DXレポート2(中間取りまとめ)」によれば、国内223企業が自社のDX推進状況を自己診断した結果、2020年10月時点で9割以上が未着手や一部での実施にとどまっているとのこと。また、同じ結果を情報処理推進機構(IPA)が分析した結果では、部門横断で持続的にDXに向けた取り組みを実施している企業は全体のわずか8%と報告されました。

別の角度の報告として、日経BP 総合研究所 イノベーションICTラボによる独自調査「デジタル化実態調査2020年版(DXサーベイ2020年版)」では、DXプロジェクトに関する経営トップの姿勢を分析しました。その結果、「(経営トップはDXプロジェクトの)重要性を理解しているものの、現場任せ」が37.5%を占めたといいます。「重要性を理解し、DX戦略をリードしている」は13.7%しかいなかったとのことです。

リーダーの丸投げ体質が幅を利かせ、お題目だけで何も進まない、という、従来型の日本企業の典型像が想像できるような結果だと思います。バズワードくらいでは体質まで変わらない、という、当たり前の結果とも受け取れるかもしれません。

一般論として、平時のリーダーシップと有事のリーダーシップは、あるべき姿が異なると言われます。平時においては、民主的なボトムアップを尊重し、その環境を整え維持するリーダーシップのほうが有効です。一方で、変革を伴う有事においては、強いリーダーが場合によっては強権を発動してでも、ある一定の方向へ集団を導くリーダーシップでないと、組織を窮地から救うことは困難です。

有事というのは、なにもネガティブな危機だけを指すのではありません。社会の進展、業界環境の変化、競合の台頭、顧客の志向変容なども、対象になる企業にとっては有事です。デジタル社会もまた、従来型のビジネスのやり方では立ち行かないという点で、同じ文脈に当てはまります。

有事のリーダーシップの問題という側面では、最近の政府の新型コロナ対応にもその典型がうかがえるように、わたしは感じています。

昨年終わりごろからいわゆる第3波が到来し、各方面でこれまでにない切迫した状況に陥ったところであるのは、周知のとおりです。マスコミに煽られて多くの国民が政府の対応を批判し、内閣支持率が下がっていると聞きますが、そもそも第3波に至った最大の要因は、政府の無策や怠慢ではなく、感染に対する危機意識が大きく緩んだ国民が大勢いることにあります。そうした国民には、政府を批判する資格はありません。

これは、感染拡大の元凶と目される若者層だけではなく、投資してでも出勤の大幅制限を実行しない企業の経営者も同罪だと、わたしは考えます。わたしが現在関わる企業はすべて、出社や出張は厳しく制限し、勤務はおおよそ95%程度は遠隔です。緊急事態宣言後も変わらない通勤風景の映像を見るにつけ、驚きを禁じ得ません。

一方で、こうした危機的状況を目前にしてもなお「皆様のご協力をお願いします」としか呼び掛けず、どれだけの批判と抵抗に遭おうが私権の制限に踏み込んででも絶対に止める、という気迫が見えない政府にも、有事のリーダーシップとして問題があるとの指摘は免れないと、わたしは考えます。

国民も政府もどちらも、あるべき姿を捉えて、それに向かって「自身を変える」行動をしようという意識が十分ではない。そんな状況ではないでしょうか。なんだか企業のDXに対する態度と同じに見えてきます。DXもまた、企業のビジネスそのもの、これまでの常識、従来からの前提、そうしたものを変革する行動なのです。

とかく日本の企業ではリーダーシップが弱いか緩い組織が多いと、個人的にも感じることがあります。階層が深い組織ほどそうです。あるべき姿を提言すると、それに賛同しながら、「理想はそうだね」「うちのカルチャーではなかなか難しいんだよね」などという発言が返ってくることがあります。そうした反応は、リーダーシップを強力に取れる人物がその組織にいないことの現れであると、わたしは捉えています。何事も、変えるのは楽ではありません。リーダーシップの弱い組織で変革を進めるのは、それこそ「カルチャーに合わない」のです。

そのカルチャーを守るのと、顧客や社会にさらに大きな価値を提供して業績を挙げるのと、どちらが組織にとって大事なのか。カルチャーを守ったらこの先利益が上がるのか。そういう問題であるはずです。あるべき姿が自明なのであれば、自身を変える決断と行動は、まずリーダーが、経営者が、率先してとって範を示すべきではないでしょうか。有事であるほどに、気迫をもった行動が示されなければ、メンバーはついて来ないものです。

困難な年の初めに、あるべき姿を問う

2020年は異例尽くしの1年になりました。そして、2021年もその流れは続きそうな雰囲気があります。毎年、いつもなら年頭は前向きな気持ちで始めていきたいところですが、今年はなかなかそんな気分になりにくい向きもあるような気がしています。

こんなときこそ、あるべき姿を改めて問い直す年頭にしてはいかがでしょうか。

先の見えない状況では、どうしても目の前の課題にフォーカスが向き、次々とそれらを片付けていく格好になりやすいものです。しかしながら、それに任せて誰も全体感を把握していないと、知らぬ間にあらぬ方向に舵を切りやすいものです。気づいたときには、自らの立ち位置を見失い、必要なことと必要でないことの区別も付けられなくなっていきます。

ビジネスというのは、売れてナンボであることは間違いありません。ただし、売れるためには世間に価値をもたらさなければならないことも、また事実です。なんのためにその事業を推進するのか。なんの価値を世間に提供しようとしているのか。結局はそうした社会的意義を常に持ち続けていることが、苦境の時代において唯一の道標になるものだと、わたしは考えます。

ITの分野においては、近年では多様なツールやソリューションが出回り、利用しやすい状態になっています。昨年もまた、RPA、クラウドAI、IoTソリューション、ローコード/ノーコード開発など、すぐに使えて便利なITが多く採用されていました。

しかし、そうしたツールを表面的に使い回すだけでは、本当の意味でのデジタル化にはなりません。ここ最近の企業事例を見るにつけ、わたしには、単にツールを使っているだけの企業と、ビジネスや業務の全体構造を見据えてグランドデザインし、そのうえで適所にツールを適用する企業とで、くっきりと分かれてきているような実感を持っています。

前者のような企業は、目の前の課題への解決しか見えていないでしょう。そうした取り組みは、いつか全体感を失い、ビジネスとして動きが鈍くなるフェーズがやってくるだろうと想像します。

あるべき姿を常に見据え、この先もぶれない進め方をしていくためにも、一度立ち止まってグランドデザインを考えるには、この時期はいい機会かもしれません。

また同時に、流行や雰囲気に流され過ぎないことです。DXという言葉がよく強調されていますが、これは概念としては重要です。ただし、この概念自体は、わたしが当社を創業した時から申し上げていることであり、かつ当社が創業されるよりもっと前から先人が教訓として述べていたことです。

いま「DX先進企業」と呼ばれる企業はDXなどという言葉がない頃から取り組んでいるからいま成功している、という事実を思い返してください。そしてそもそも、「DX」と称しているのは、わたしの知る限りでは世界の中でも日本人だけです。digital transformation という言葉は欧米でも使われていますが、特別な意味合いを持たせてバズワードのように使われている印象はありません。

その本質を見極めれば、それとは異なる表面的なポジショントークや売込みを見抜くことは容易になります。

苦境にある業種業態の企業も多いことと思います。しかし一方で、さまざまなアイデアや工夫を繰り出して元気に乗り切ろうとする企業もあります。元気な企業を見習って、今年良い兆しが見えるようになることを期待しましょう。

DXの前に、まずアナログからはじめよ

業務のやり方が固まっていないのなら、DXと言う前に、まずはアナログから始めるのが無難でしょう。

デジタル化を実現するツールやソフトウェアというのは、良くも悪くも「出来上がって」います。いったん使い始めると、そのツールによって仕事のやり方は事実上規定されてしまうところがあります。場合によっては、そうしたツールによって組織に合わないやり方を強制されることもあります。

ツールやソフトウェアの選定が上手くない会社に限って、「ウチには合っていないな」と気付くのは、たいていはそれを使い始めてからです。

情報システムというのはその会社の文化をも決めてしまうもの、と言っても決して大げさではありません。そうした側面があることを念頭に置いて、ツールやソフトウェアの選定は慎重に、かつロジカルに行うべきです。経営者が理解すべきITというのは、技術知識では必ずしもなく、こうした大局的な視点での理解であると考えれば間違いはありません。

アナログとは極端な、と思われるかもしれません。もちろん、アナログのままにしてデジタル化しなくてよい、という意味ではありません。仕事のしかたを固めるために、まずはアナログベースで試行錯誤する、ということを意味しています。

アナログなやり方というのは、大規模化することや複雑な処理をこなすことには向いていません。一方で、小さく取り組むぶんには、むしろアナログのほうが、人間の裁量に任せて自由に試行錯誤ができます。最悪、全部やめて最初からやり直すことも躊躇しなくてよいのです。

どうあるべきなのかをまずアナログベースで追ってみて、自社なりの業務のあり方を固めたところで、デジタルのアイデアや能力を取り入れる。こうした順番のほうが、DXを実現していくにあたっては遠回りなようで確実だろうと思います。

最適な業務のアウトプットを出す方法論というのは、中堅中小企業だけでなく、案外大企業でも部門によっては、考え抜かれていないことがよくあるものです。DXというキーワードを契機にして、今の仕事のやり方そのものを見直すことから始めてはいかがでしょうか。

デジタル化を始める前に、経営者にやめてほしいこと

いざデジタル化を本気で考えようとなった時、その会社の経営者が真っ先に考えやすいのは、ITをリードしてくれる人材を外から採用しようとすることです。

特に中堅以下の企業で、これまでITに “本気で” 取り組んでこなかった場合、社内にそれにふさわしい人材が不在であることが多くあります。育てようにもポテンシャルのある人材はいないし、いたとしても今度は育成ができる人材がいない。それであれば、いわゆるプロ人材か、大手で活躍するなど優秀な経歴を持った即戦力人材を取り込みたい。そう考えるわけです。

無理のないことです。ただし、この際に経営者がやってはいけないことがあります。それは、日本の経営者に顕著にみられる悪しき習性、「丸投げ」です。

「丸投げ」する経営者は、いわゆるプロのIT人材を雇うと、あとはその人物にITは全て任せてしまえばよいと考えます。なんとなくやりたい(が特に本気度が高いわけでもない)と思っていることだけ伝え、「何とかしてもらいたい」程度の指示しかしません。

つまり、経営者が課すITに対する要求は、ほとんどゼロ。ポリシーも指針も特になし。読んでほしいのは空気くらい、と言ったところでしょうか。

そうなると、任されたほうのプロ人材はどうするか。自分の好きなようにデジタル化を進めていきます。

「自分の好きなように」というのは、具体的には人によって異なるわけですが、ひとつ言えるのは、その企業の目指す姿を深掘りしてそれを強化しよう、支援しよう、とは ”考えない” ことです。まず、わかりやすい成果を出すこと、その次に、先進事例で取り上げられそうなネタに取り組むこと、それによってマスコミに取り上げられて有名になること。あわよくば何かの賞でももらえたら最高。およそそんなような方向で物事を進めるでしょう。

そうして出来上がるシステム基盤は、なんだか成果は出たようだけれど、そのプロ人材でしかコントロール不能で、周りにはよくわからないものになります。

このような取り組みを進めて「実績」を挙げた当のプロ人材は、自らの市場価値を高められて満足し、ほかの企業にまた転職していきます。そして残されたシステム基盤を、残った人材でメンテナンスし使いこなしていくことになります。それが難しいこと、会社がそのシステムに何となく引きずられていること、そんな負の側面は、社内で徐々に実感されていきます。

ここまでお話ししたシナリオは、外部人材を採用した場合の典型例のひとつです(ほかにもありますが、明るい話はあまりありません)。元々、経営者はプロ人材を雇ってデジタル化を進めようとしました。そんな経営者にとって、これで何が変革できたと言えるでしょうか。

実は、何も変わっていません。もしかすると、余計な資産を背負ってしまってマイナスかもしれません。しかしその要因は、丸投げした時点でつくられています。IT専門人材の問題なのではなく、経営者の問題なのです。

この「丸投げ」問題は、実はITだけでなく、営業、財務、商品企画、生産、広報など、あらゆる業務分野で起こっていることです。それもそのはずで、同様な考え方でプロ人材に丸投げすれば、他の業務でも同じシナリオになります。それにより、経営は現場のことがよくわからず、現場は自分の持ち場のことしかわからず、それぞれが個別のやり方に固執する部分最適が横行する会社となります。

そういう会社は、デジタル化を考える以前に、経営者が一念発起して社内を変え、全体を俯瞰し統率できる立場を取り戻す必要があります。それができていないなら、どんなプロ人材を入れようが、どんなシステムを導入しようが、ビジネスに永続的な進化をもたらすことはありません。

デジタル化を始めるなら、まず経営者が「丸投げしない」と心に誓うことから始めていただきたいのです。デジタル化について自ら徹底して考え抜き、自らが思うデジタル化を、自分が主導して進める。そういうポリシーを持ってから、人選していただきたいと願っています。

「行政のデジタル化」、すぐできると思っていますか?

先月、新しい内閣が発足しました。急転直下のことで個人的には驚きをもって見ていましたが、まずは良いスタートを切ったように見受けられます。

もちろん、問題は山積、これからが大変です。新内閣が掲げる政策のうち、目玉のひとつとして「行政のデジタル化推進」が掲げられました。早速デジタル担当相を任命し、陣頭指揮を執る体制です。この動きは、個人的にはまったく意外な事でしたが、頼もしいことだと思っています。

行政のデジタル化に関しては、マスコミも識者も一様に、日本は世界に遅れていると指摘しています。新型コロナの対策にまつわる一連の行政の取り組みで、それが露呈したと述べている向きが多く見られます。

その指摘は、間違ってはいないと思います。確かにお世辞にも世界トップとは言えませんし、それを競うようなレベルでもないのは事実です。ただし、日本の行政システムは遅れている、などということを気軽に指摘しても差し支えないほどの大物は、日本には存在しないのではないのかとも、わたしは考えます。

それほどに、日本の行政システムは巨大なのです。このレベルのシステム構築をやりきった経験を持つ人物は、日本にはいないのではないかと思っています。この国の「デジタル化推進」は、誰がリーダーでも簡単に達成できることではありません。

くどいかもしれませんが、このコラムで何度も取り上げている「基礎知識」を押さえておきましょう。デジタル化するとは、その組織の仕事の仕組みを変えること、そのものです。お金をかけて開発者をたくさん雇ってソフトなりシステムなりを開発すればよいことではありません。

つまり行政のデジタル化を推進するとは、この国の行政の仕組みを根本的に変えることを意味します。これは、いち企業が仕事の仕組みを変えることとはまるで比較にならない、超難問です。本当は「超」を5つくらい付けたいくらいです。

日本の行政システムは、明治以降脈々と積み上げられてきたものであり、戦時中を経て現在まで、権力のありかは変われども、その根本的な枠組み自体は変わっていません。百数十年以上にわたり、中央官庁があり、地方自治体が各地域を統括するという体制は不変です。それを前提に、様々な業務プロセスや法的な制約が、長年にわたって積み重ねられ、または部分的な修正を繰り返してきています。

そして現在、中央官庁だけで約58万人が勤務し、そのシステムには約1億2千万の人間が何らかの形で関係を持ちます。これでもスリムになったほうで、いまから20年ほど前は中央官庁に100万人以上の職員がいたとされます。

これよりも歴史と規模を兼ね備える組織体は、日本にはありません(あるなら教えてください)。圧倒的なダントツで「日本最大のシステム」なのです。

新型コロナに対応する過程で日本のITが後進的であることが露呈したと、ほとんどのマスコミや識者は指摘していますが、本質的にはITが後進的なのではなく、業務のしかたが非効率であるという指摘のほうがより妥当でしょう。

ただしその非効率の根源は、慣例やセクショナリズム等を原因とするような、正すべき要因だけではありません。法律や規制の拘束によるもの、民間団体等との間の責任分掌によるもの、過去の裁判の判決によるもの等々、様々なことに端を発している実態があります。国民の個人情報の取り扱いなどは、その最たる例のひとつでしょう。過去の最高裁判決で、国民の個人情報をどこかの機関や主体が一元化して保有することは憲法違反とみなされるという解釈がなされています。

これほどにしがらみの多いシステムが、日本に他にあるでしょうか。

デジタル化担当相が、就任が決まった際にテレビの取材に答えていたのを拝見しました。その際に印象的だったのは、インタビュアーに「デジタル化、できますか?」と問われて、「やるしかない、できると思います」と答えたところです。

自信があって道筋が見えているのなら、「簡単です、すぐやります」とでも回答したでしょう。そう言わなかった(言えなかった)のは、いかに重い任務なのか、よくお分かりだからではないでしょうか。

これほど巨大なシステムを根本から見直すというのは、明らかに短時間では無理です。先日、政府は行政のデジタル化を5年で達成すると明言していましたが、目立つところだけならともかく、完遂となれば5年では無理だろうと、わたしは推察しています。

おそらく多くの国民は「デジタル化なんてすぐやれよ」と思っているに違いないでしょう。わたしは、効果を出しやすいところから「計画的に」手を付けて国民の関心を引き付けながら、全体は長い目で取り組むような流れにすべきだろうと考えています。それが現実です。

そしてこれは、政治による強力なトップダウンでなければ、決して進めることはできません。その意味で、解散風を吹かせる議員やマスコミなど目もくれず、新総理がおっしゃるとおり「仕事をする」ことをぜひ期待したいと思います。

あなたの会社、「腹筋」ばかり鍛えていないか

身体を鍛えることが好きな経営者は多いようです。泳ぐ、走る、筋トレする。なかには、自宅の地下室に自分専用のジムを構えて、夜な夜な鍛えている方も見かけます。

筋トレに詳しい人に言わせれば、筋肉はおよそ、ペアで対になって連動しており、鍛えるなら両方鍛えなければよろしくないのだとか。例えば、二の腕は上腕二頭筋(いわゆる力こぶ)と上腕三頭筋(力こぶの裏側)がペアになっており、片方が収縮するときもう片方は伸長する。鍛えるなら両方やらないと、バランスが悪い。

身体の表側(おなか)と裏側(背中)も同様だそうです。鍛え上げられた肉体というとすぐに思い浮かぶのは、立派な大胸筋と割れた腹筋ではないでしょうか。目立つからといってそこばかり鍛えているのではまずいのだそうです。ある専門家がこんなことを言っていました。背中が曲がったままのお年寄りがいるが、なぜそうなるのか。

赤ちゃんの時はみんなハイハイをするように、人間の体は、背中の筋肉がないと四つん這いになってしまうようにできている。大人で背中の筋肉が弱ると、おなか側の筋肉によって前に曲がる力が働き続ける状態になる。そこに、老化による脊椎骨の骨粗しょうが加わると、ドーナツ形のパーツがブロックのように積み重なって形成されている脊椎骨が、少しずつつぶれてくる。やがて、脊柱そのものが曲がるように変形して定着する。そうなると、もう筋肉の力では戻せないのだそうです。

この、筋肉の裏表の関係の話を聞いて、わたしは「企業のビジネスシステムも同じだな」と考えました。

DXがバズワード化し、もはやDXを知らない経営者はいない状況の中、いまではITに強くなろうと熱心な経営者も増えてきているようです。なかには、米国や中国の展示会やカンファレンスに自ら出掛けていって見聞を深め、コネクションを得てこようとする方もいると聞きます(もちろんコロナ禍前の行動です)。

そのようにして自ら積極的に情報収集し、知見を拡げるのは重要です。ただしその時、アプリ、AI、クラウド、ロボット、ドローン、RPA、VR、AR、アジャイル、○○テック、そのような「流行りもの」ばかりが、気になってはいないでしょうか。

腹筋、ならぬ見目麗しの流行りのITにばかり目が行って、それこそがIT戦略だと考えるなら、それは違うと思います。

企業のビジネスシステムの背筋とは何か。わたしは「データ」であると考えます。

データ基盤の整備は、素人目には利益に直結するように見えず、その取り組みは地味で面白みがないうえ、とても面倒であることが多いものです。社歴が長く、その間にデータ構造に一切手を入れなかった企業ほど、データ基盤を整えようとすればいろんな意味で相当に苦労します。やりたくない、が本音でしょう。

しかし、どれほど「(見た感じ)先進的なIT」を導入しようとも、データが整っていない企業の取り組みはいつか必ずつまずいて、大きな困難に直面します。

ある企業の話を先日聞きました。その企業はベンダー出身の人物をIT責任者に採用し、その責任者の考えた通りに、モバイルアプリやアジャイル開発等々、「(見た感じ)先進的なIT」をどんどん取り入れているといいます。その結果、便利なアプリをいくつか開発し、顧客にも好評で、業務の効率も向上したそうです。ところが一方で、それらのアプリが参照する大本になっているデータは、その企業が昔から管理に使っているExcelファイルのままだといいます。

それは「ファイル」なのであって、「データベース」ではありません。いわば、背筋が弱いまま腹筋だけ鍛えているのが、この会社の実態と言えます。背筋が弱い会社はどうなるか。将来は、背中が曲がったお年寄りのような身動きに陥る会社になる、ということです。

この企業は近い将来、データで困ることになるだろうと、わたしは予想しています。実は、こんな感じの予想はかれこれ10年来のひそかな楽しみで、正答率もなかなかです。今回も当たるかどうかは、個人的な楽しみにしたいと思っています。