DXというよりも、JX??

デジタルトランスフォーメーション(DX)という、新たなバズワードが最近世間を賑わせています。DXに取り組まない企業はアフターコロナを生き残れない、とまで言っている人もいるようです。

冷めた目でこれを見ている人たちは、昔から言われていることの焼き直しだろう、というくらいにしか捉えていないことと思います。そのとおりだと、わたしも思います。ただし、この言葉の本質はきちんと認識しておき、今後の行動につなげる必要があろうかと思います。重要なのは、「デジタル」のほうではなく、「トランスフォーメーション」のほうです。

そもそもトランスフォーメーションとはどういう意味でしょうか。もちろん英語の ”transformation” から来ているのですが、英英辞典でこの語の基になっている “transform” を引くと、次のように定義されています。

to change in form, appearance, or structure

出典:Dictionary.com

形・姿・構造を変えること。つまり、表面に留まらずに中身をまったく違うものに変えてしまうこと、を意味します。

定義だけ見ても、何も感じないかもしれません。ただし、注意して見なければならないのは「まったく違うもの」という部分です。いままでとまったく違うものに、自らの手で意図的に転換することが、簡単にできるという人は、なかなかいません。

過去を振り返ってみれば、これが容易でないということ「だけ」は、簡単に理解することができます。

例えば、江戸時代に伊勢参りが大流行したという話は有名です。江戸時代には関所が設けられており、移動は現代の我々が想像する以上に難しいものであったと思われます。それでも流行したということは、余程大きいムーブメントだったのでしょう。

江戸時代ですので、当然ながら伊勢神宮までは歩いて向かうことになります。Wikipediaによれば、江戸からは片道15日、岩手からは100日もかかったそうです。九州からも参拝者がいたといいますから、そういう人は1年がかりだったかもしれません。

では、みなさんがその江戸時代の参拝客であることを、タイムスリップして想像してみてください。歩いて移動するのが常識だったその時代の人たちが、伊勢神宮まで「電車」や「飛行機」を使って移動することが、果たして容易に想像できたでしょうか。

江戸時代の日本において最も高速で移動できる手段は、馬であったと思われます。できるだけ高速で移動することを考えようとした時、常識の域から逃れられない人は、馬を高速にすること、例えばサラブレッドに育て上げるようなことを考えるでしょう。

それは「トランスフォーメーション」ではありません。「トランスフォーメーション」とは、江戸時代に電車や飛行機を考えることを意味します。徒歩という移動手段を「まったく違うもの」に変えるとは、そういうことです。

DXで言及されているトランスフォーメーションとはどういうことなのか。その本質は「自らの常識を転換する」ということに他ならない、とわたしは考えます。人間は、常識やバイアスにまみれています。それを完全に取り払って、常識外のまったく違うことを発想し、それを具体化するというのは、容易ではありません。しかしながら、常識を覆すことが時代を変えることでもあるというのは、歴史が示しています。問わなければならないのは、デジタルの巧拙ではなく、自分の常識を変えられるか、ということではないでしょうか。

ですから、「デジタルトランスフォーメーション」というのは本質を突いた言い方ではなく、むしろ「常識トランスフォーメーション」(JX??)とでも称するようなものだと、わたしは考えます。

デジタルを活用することで、従来の常識を一変させるのが比較的容易になることは、間違いないと思います。大いに活用しましょう。ただし、本質はデジタルを使うことにはありません。デジタルは、常識を変えるシナリオを実現する「手段」にすぎません。ですから、テレワークにしたくらいで、紙をデジタルに変えたくらいで、RPAで仕事を自動化したくらいで、みなさんの常識が変わっていないのなら、それはDXとは言わないのです。

ちなみに、ネーミングのセンスは、放っておいてください。