納得感のある意見ほど、反論を探す

世間で急速に広まりつつあるアプローチや考え方には、反対の意見や異なる視点の意見があるものです。そしておよその場合、最適解はその間のどこかにバランスを取ったところにあると思われます。

経営者は、声の大小に左右されず、複数の角度からの意見をひととおり理解したうえで、自らが適切な筋と考えられる方向に判断を下していくべきではないでしょうか。

例えば、ITを活用したこれからの経営スタイルとして「バイモーダルIT」という概念を提唱する向きがあります。これは米国の大手調査会社であるガートナーが提唱するものです。

この概念をわたしなりに要約すると、こういうことです。

企業は従来型のITシステムを抱えながら従来型のビジネスを行っている。しかし、デジタルビジネスが台頭してきている現在、経営環境の変化はこれまでと比較にならないほどに速い。俊敏性やスピードを重視したビジネスの立ち上げ、それに伴うシステムの立ち上げ、それを実施する素早い意思決定が必要になるが、それを従来型ビジネスの手法で行うことは実質的に不可能だ。そうかといって、従来型のビジネスは収益の柱であって、一切を捨て去るわけにはいかない。だから、既存ビジネスの流儀はそのままに、それとは別で、デジタルビジネスに合った新たな流儀を実践するしくみを持つべきだ。

この概念、テクノロジーを積極的に取り入れ時代に乗り遅れないビジネスのあり方として、広く支持されています。日本国内においては、この意見以外にほぼ声が聞こえてこないこともあり、世間に出回る記事や主張などを読んでいると、この考え方で決まり、というような風潮さえ感じられます。

ところで、米国にはガートナーと双璧をなすような大手調査会社に、フォーレスターリサーチという企業があります。この企業はかつて日本においても活動していましたが、最近では国内でプレゼンスがほぼなく、日本語で声が聞こえてくることは、ここのところあまりありません。しかしそれは、日本では声が聞こえてこない、というだけで、米国では様々な発信をしています。

その中で彼らは、ガートナーとはまったく反対に、「バイモーダルITは危険だ」との意見を表明しています。

フォーレスターが提唱する概念をわたしなりに要約すると、こういうことです。

デジタル技術は、顧客に新しい価値を提供し競合との差別化を図るうえで不可欠なものであり、そもそも従来型のビジネスでは顧客の期待をもはや満たせない。顧客を中心に据え、デジタルビジネスに対応できる事業のしくみに再構成していくべきで、顧客体験を全体として円滑にするにはひとつの統合的なしくみであるべきだ。バイモーダルITは合理的な考え方に見えるが、そのことによって社内では、既存と新規の2つのグループの間に大きな分断が発生する。ビジネスとITの融合を図る必要があるなかで、システムはシンプルではなくなり、投資やリソースも二手に分かれ、目指す方向が異なることによる亀裂は組織の障害になる。既存側は総じて魅力がないグループに映り、優秀な人材は避けるようになるだろう。

いかがでしょうか。わたしはこれも、耳を傾けるに値する、理にかなった意見だと感じています。

適切な経営判断を行うにあたっては、その判断の前に論点がきちんと整理されていることが肝要です。複数のソースから多様な意見を収集し、情報源を偏らせないしくみをつくることが、カギになると思います。ある意見がどれだけもっともらしくても、それとは異なる視点の意見は探してでも知るべきではないでしょうか。

可能であれば、CIOや社内のIT担当に情報を依存せず、自らの配下に情報収集チームを置かれることをお勧めしたいところです。

「ビジネスにITは不可欠」を行動で示す

先日、トヨタ自動車とスズキが業務提携の検討を開始すると発表しました。背景には、自動運転技術をはじめとする情報通信技術の自動車への取り込みへの課題がある、と報じられています。

自動車業界ではITがビジネスのコアの領域にまで浸食しつつあり、これを持たないとすでに戦えないという状況にある、ということを如実にうかがわせるニュースではないでしょうか。

ただしこれは、業界の中でも一定のプレゼンスと実績を持つスズキだから、トヨタ自動車というこの領域で先頭を走る企業との業務提携が実現できるとみるべきだと思います。すでに自動車業界においては、相当に魅力的な能力を持たないかぎり、この段階から慌ててもよいITパートナーと巡り合うことさえ至難でしょう。

こうした出来事は、ほかの業界でも起こり得ることです。それがつまり、「すでにビジネスにITは不可欠」と言われる現実とつながっているわけです。おそらくこれに同意しないビジネスリーダーは皆無だろうと思っています。

そうであるなら、自社のビジネス領域でITがコアに昇格してしまうよりも早く、ITをよく理解し取り込みを図るように活動するのが得策ではないでしょうか。

カギになるのは、「ITの目利きになる」こと。さらに、ITを自社に本気で取り込むか否かにかかわらず、技術の目利きができる人材を自社に備えること。これらが重要ではないかと思います。

まずは、勃興している技術トレンドを知ることが重要です。そのうえで、それらの技術を活用してどのようなビジネス活用が出てきているのかを知ります。トレンドを追い、それぞれの技術の本質を理解することで、「もしかすると、こういう流れも起きうるのではないか」 「こんなこともできるようになるのではないか」という発想が生まれるようになります。

こうした発想は、特に先進的ではない、ちょっとした業務に対してでも適用できることです。

たとえば最近、人工知能(AI)の発展が盛んに取り上げられています。聞くと、学習データを与えることでコンピュータが自動的にパターンを覚え、それに従って柔軟に判断して処理を実行してくれるといいます。そういえば、ウチに郵送されてくる請求書。取引先が多くてフォーマットが多種多様、入力するのに相当な工数を取られている。これって、AIがフォーマットを学習して必要な入力項目を覚えて、勝手に会計ソフトに取り込んでくれるとか、できないのかな…

こうした機能を実現するシステムは実はすでに登場しているのですが、要するに発想のネタは身近なところにあるはずなのです。それを考えようとするかどうかの問題なのです。

そうして湧いてきた発想が自社にとって競争力につながる重要な内容だと判断できれば、今度は「試す」活動を進めます。小さな試験環境をつくって、そこで実際に動かして検証してみるのです。この時点で、そうした技術を有する専門企業をリサーチすることになります。すぐにはうまく見つからないかもしれませんが、継続しているうちにそうした企業を見る目も養われていきます。

こうした動きがすでにできている企業と、具体的な行動を起こさなかったためにできていない企業。いざ技術のメガトレンドが顕著になった時にうまく波に乗れるのはどちらなのかは、言うまでもないことでしょう。

ベンダーへの要求でわかる、CIOのマインドセット

みなさんは、「ITベンダーにはこうあってほしい」ということに関して、自社のCIOが以下のように発言していたら、どのように感じるでしょうか。頼もしい人材がもっともなことを述べていると思われるでしょうか。

  • 我々がどこで苦労するかを先回りして知り、我々より先に課題を引き出す提案をしろ
  • 我々の業務の困りごとを解決するために一緒に考えろ
  • 経営視点での価値があるかどうかは、まずベンダーが説明しろ

このような趣旨で、世の中で著名とされる複数の企業のCIOが実際に発言をされているのを、何度も聞いたことがあります。

少ないながらもわたしが支援をした企業においては、このような発言が出ることはほぼありえません。

「我々の苦労を先回りして知ってほしい」という願望は、要するに顧客を理解する努力をしろということでしょう。業者がユーザー側を理解する努力をすることは、もちろん欠かせません。ただし、だからといってユーザー側が自分たちのことを伝える努力が不要になるわけではありません。

業者側がどれだけ努力したとしても、彼らは所詮外部の人間です。顧客の実情を部分的に理解するにすぎません。苦労している点や困りごとを包括的に把握し、それを整理することは、ユーザーにしかできない事柄です。

また、業務上の困りごとの解決手法を考えてほしいときに、ITベンダーに相談しているとすれば、相手を間違えています。相談すべきは、業務プロセスの専門家や業務改善のエキスパートでしょう。

ITベンダーは本来、技術の専門知識を磨く技術エキスパートという立場であるはずです。ITベンダーも最近では、顧客が上記のように要望することから様々な上流機能を兼ね備えようとしているようですが、わたしの知る限り、そうやって手を広げた領域において本当に実力が伴っている業者はほとんどありません。

でも、それでよいと思います。ITベンダーはそもそも、よろず相談が役割なのではありません。

ITソリューションに関する顧客側の経営価値をITベンダーが説明しろなどという考えは、わたしには理解できません。経営上の損得が最も分かっているのは、その会社の人間です。ソリューションが提供する商品価値をITベンダーが説明することはあるでしょう。しかしそれを採用するにあたって、それが自社のビジネスにもたらす価値を説明したり、価値創出のシナリオを描いたりするのは、外部の人間がやることではありません。

ところが現実では、ITベンダーが持ってきた提案書をそのまま経営会議用の資料に張り付けて説明する人が少なくないのが、残念ながら実態のようです。それどころか最近では、例えばクラウドの採用に向けて経営を説得するための説明の仕方を指南するセミナー(しかも経営向け説明資料のテンプレート付き)まで開催されているのですから驚きます。

おそらく、冒頭のような発言をするCIOには、ビジネスと情報システムの間に「業務のしくみ」というレイヤがある、という認識が希薄なのではないでしょうか。業務のしくみとは、その企業が経営上のミッションを達成する手法をプロセス・情報・組織などのかたちで具体化した総合体であり、自らで考え抜いて編み出すものです。そこで問題が出たとしたら、それを解決するのはほかならぬその企業の人間です。

そういう考えのもとにおいては、自分たちがやりたいことや問題の解決策が先にあり、それができるかできないかを外部の業者に相談するマインドセットになります。「ITベンダーはウチをよく理解して、いい提案を持ってこい」という発想は、ありえません。

どちらの考え方のほうが、自社の戦略に沿い、よりパフォーマンスと満足度の高いシステムを実現できるのか。そのご判断は経営者のみなさんに委ねます。

スマホアプリのデジタルマーケ 「気が利く」か「気持ち悪い」か

スマートフォンをもつ人が世の中の主流となって以降、大手企業を中心に、スマホアプリを活用したマーケティング施策が盛んに取り組まれています。

スマホは、個人が毎日持ち歩き、朝起きてから夜寝るまで(しばしば寝ている間も)そばに置き、ことあるごとに画面を見るものです。何かを販売したい企業にとっては、顧客との接点を持つにあたってうってつけのチャネルです。そこにアプリを導入してもらうことで、相当に機動的に顧客とコンタクトをとることが可能になります。

顧客を「個客」として扱い、ひとりひとりが満足してくれるサービスや商品を提供しようという、善なる動機からこれに取り組むことには、大変意義があるでしょう。ただし、その心意気がサービスのしくみとして具体的に表れていなければ、単に個人情報を収集したいだけの押しつけがましい業者と区別が付きづらいものになるでしょう。

表面的には同じことをしているように見えても、それを提供することの意味が顧客へ提供する価値として意識的にデザインされていないものは、顧客に何となく伝わってしまうものです。

例えば、ECサイトではよく、顧客がサイトのページや商品を閲覧した履歴を分析して、その顧客の好みを割り出し、その結果を基に顧客に何らかの形でレコメンド情報を送り込む、ということを行っています。これも、そのやり方によってはありがたく役に立つと感じられますが、まったく逆に「どこまで自分のプライバシーを知られているんだろう」と気味悪く感じられることもあります。

他にも、ある商業エリアに顧客が入ったことを、アプリが顧客のスマホのGPS情報を吸上げて把握し、近辺の店のクーポンなどの情報をプッシュして送るというサービスも、よく行われています。これもまた同様です。やり方によっては、ありがたくも、気持ち悪くもなります。

こうしたコンタクトチャネルが顧客に喜ばれるかどうかは、顧客がその情報をその業者から欲しいと思っているかどうかに大きく依存すると思います。まず顧客自身がそれを要望していること。そのうえで、顧客の動線を考え抜き、顧客が欲しいと思うタイミングで欲しいと思っているモノだけを送ること。情報が送られてくるしくみや利用している個人情報を明確にして示すこと。

顧客のことを考えているようでいて、いつの間にかマーケターの都合が発想の中心になってしまうと、とたんに押しつけがましい情報提供になるはずです。

わたしがうまい取り組みだなと最近感じたのは、パルコが展開するWebマーケティングです。同社が展開するスマホアプリは、来店していない顧客に興味を持ってもらうためのシナリオを工夫しています。例えば、テナントのブログをお気に入り登録するなど、店舗が展開する情報等に対して顧客がなにかアクションをすると、それだけでポイントを付与しています。ポイントを付与すると貯まっていきますから、それを使いに店に行ってみようという意欲が徐々に高まるはずです。それで店に訪れると、ただ来店しただけでまたポイントが付与されます。購入するともちろんポイントを獲得できますが、そのあとにショッピング体験をアプリ上で評価すると、そこでまたポイントを得ることができるようになっています。

顧客のほうは、ポイントをインセンティブに感じて行動を起こし、企業側は顧客の行動に関する情報を得ることになります。ただし企業がメリットを得るのは、顧客が自ら意識してポイント獲得のアクションを起こした時だけであり、顧客がアプリを動かす裏で知らぬ間に情報を得ているわけではありません。

それでいて、うまく動線設計することで、まだ来店していない顧客が持っている興味を知り、顧客が店舗を訪れるまでの行動を可視化することができるようになっています。店舗内においても、モニターしたいスポットを設けて同様の取り組みをすれば、店舗内での動線も把握できるわけです。これもまた、アプリが顧客の気づかぬところで位置情報を端末から吸い出しているわけではありません。

顧客に価値を感じてもらうことを中心にしてサービスのシナリオを考え、顧客が欲しいと思っているときに、信頼してもらえる方法でメリットになるものを送る。その対価として信頼できるオープンな形で企業側もメリットになるものを得て、それを新しい価値提供につなげていく。こういうシナリオづくりのもとで、企業側の為ではなく顧客のために様々な体験をデザインすることが、正しい方向のデジタルマーケティングではないでしょうか。

経営者が意識すべき、情報セキュリティ体制2つの視点

この約1か月ほど、情報セキュリティ対策に関する知見の整理とアップデートを集中的に行いました。

当社はお客さまに情報セキュリティマネジメントに関する助言等を行う機能も有していますが、情報セキュリティ技術専門の企業のような、攻撃者が繰り出すサイバー攻撃を日々監視しその手口を分析するという機能までは有していません。各方面から日々公表される情報の収集と知見の更新は欠かせません。

今回の当社内での検討でも、企業においては最新動向を踏まえて遅くとも1年周期での社内体制や管理手法の見直しは欠かせない、ということを改めて実感しています。

ここ最近も、大々的に取り上げられるようなサイバー攻撃事案が再び発生しました。メディアに取り上げられるような例を見て、何百万件もの個人情報が流出するというのは大企業ならではであって中規模以下の企業が狙われる可能性は少ない、と考えるのは間違いです。取り扱っている事業内容、取引先や顧客のプロファイル等によっては、小企業であっても十分狙われます。

例えば、社内に個人情報を持たない小企業であったとしても、その企業の取引先が攻撃者のターゲットとなる大企業であるなら、攻撃者はその小企業を「踏み台」として乗っ取ることを考えます。攻撃者にとってはむしろそのほうが発覚しにくく狙いやすいうえ、本命のターゲットに対してより高い権限を容易に獲得できる可能性が高いのです。

今回のコラムで経営者の方にお伝えしておきたいことは、次の2点です。

ひとつは、事業を支えるシステム基盤を構築する時点で情報セキュリティ管理も併せてデザインし、システム基盤にセキュリティ設計も同時に組み込むことが重要であるという点です。

セキュリティ対策というと、ファイアウォールを設置する、アクセス制御を施す、ウイルス対策を行う、などが思い浮かぶと思います。それも重要ですが、単に製品やサービスを導入するだけでは「設計」とは言えません。攻撃された場合、攻撃が成功してしまった場合、どのようにその事態を検知し、どのように反応するのか。そうした対応のしくみをデザインしたうえで、それに必要な技術要素を基盤に組み込んでおく、ということです。

情報セキュリティ対策はどうしても後付けになる傾向があると思います。また社内の体制においても、現場レベルでは開発技術者とセキュリティ担当者は別になっていて、あまり連動していないケースが多いものです。そうした状況を踏まえて、組織内でうまく連動して、適切なセキュリティ対策が考慮された基盤設計および管理ができるような体制づくりが求められていると思います。

その中で特筆すべきは、ログの取得と管理です。ログは、どこか一か所で取得するだけでは満足な情報になりません。自社の管理領域内の複数の箇所で、取りたい情報を意図的に取得しておかないと、有事に情報不足が露呈するのです。それはどこにすべきか、分散しているログをどのように集約するか、有事の際にどう分析をかけるか。そうした検討が要求されます。

綿密な設計のもとに取得されたログでなければ、攻撃されたとしても、何が起こっているのか、被害があったのかなかったのか、何もわからないことになるでしょう。先の大規模漏えい事件でも、企業の関係者から「ログがないのでわからない」という主旨の発言がなされていました。

もうひとつお伝えしておきたいことは、攻撃を完全に防ぎきることはできないのが現実であるなか、社内体制の構築に対してその企業が「どこまで考え抜いたか」が問われる、ということです。

様々なところで言われていることですが、現在においては、企業がサイバー攻撃を100%防御することはほぼ不可能です。もし攻撃者にターゲットとされた場合、執拗に攻撃されるなかで、ある時点で侵入を許してしまうことは不可避と考えるべきです。

防御対策を可能な限り講じるのは、もちろん必須です。事実、当たり前ともいえる対策だけでもかなりの攻撃を防ぐことができます。現在ではもはやそれだけでは不十分で、攻撃され侵入を許した場合のインシデントレスポンス体制を組織として築いておくことも必須であると考えていただきたいと思います。

攻撃を受けた場合、例えば、疑いのあるPCをネットワークから外す、そのPCにウイルスチェックをかける、そのPCの電源をOFFにする、などの対応を思いつく向きもあるでしょう。しかし実は、行動によってはかえって問題を複雑化させ、攻撃者にさらなる攻撃の余地を与えてしまう「間違った行為」であることがあります。とっさの行動が間違った行為にならないよう、攻撃のパターンを予め学び、その対応策を予め検討し、有事でも円滑で適切な行動がとれるようにしておくことが重要です。

有事に対応を誤れば、その間違いの大きさが事業リスクの発現に直結します。逆に、組織が学びを深めておけば、攻撃に対する目がより利くようになり、攻撃の検知能力だけでなく、未然に攻撃を防げる確率は間違いなく向上します。

どの企業も、こうしたリスクと無関係にはなれない時代です。関連情報を継続して知り、いま起こっている事態を把握し、その特性を学んで、それをもとに自社をアップデートしていく。こうした活動をルーチン化して、継続していただきたいと思います。

もう「プライベートクラウド」とは呼ぶな(後)

今回のコラムは、前回の続きです。一部で、前回に記した記号(①②③)を使っていますので、前回のコラムからお読みください。

 
わたしは、オンプレにこだわるユーザー企業が、そのような方針を採用する根底にある目的には、自社がシステムの全権をコントロールできるかどうかに対するこだわりがあるだろうと考えています。

つまり、オンプレであるなら、ひとたび障害が発生すれば徹底した原因究明を実行でき、いざとなればデータセンターに乗り込んでハードの入れ替えや電源オフ・オンまで実行できるということ。データの保護を、他社に左右されずに完全な自社裁量で実施できるということ。こうした力を持ちたいから、プライベートであることが有益になるわけです。

クラウド事業者側に(システムの一部またはすべての領域を)完全に委ねるパブリックと対角の位置にあるものとして、プライベートという概念が言われるようになりました。それは上記のような「コントロール」に関するユーザー側の意向があるからだと考えています。

ところが現状では、このことを完全に無視する格好で、「プライベートクラウド」が喧伝されてきているように感じられます。

(前回コラムの)①の場合なら、まだユーザーのコントロールは効くでしょう。②になると徐々に怪しくなっていきます。ベンダーによってはユーザーの裁量を考慮しているかもしれませんが、そうでないところも多分にあるかもしれません。

③に至っては、いざというときのコントロールはほぼ効かないと思うべきです。障害の際、問い合わせれば「原因はわかりません」と返ってきますし、自ら原因究明したくてもできません。ユーザー自身の都合ではないタイミングで、サーバーが一時停止したりもします。「システムを利用する」とは、システムに対する自らのコントロールを手放すということであり、それを納得のうえで、サービスを「使う」ことで得られる価値を求めて利用するのです。

「プライベートとは、あなたの会社だけの空間、という意味ですよ」というのが、クラウドベンダーの論理だろうと推察します。だから、仕切りだけを作って「プライベート」と称しています。表向き、何の違和感もありません。しかしそれは、当初の「プライベートクラウド」からは本質的に思想がずれているのです。にもかかわらず、いまでは何の疑問もなく「プライベートクラウド」と呼ばれるようになってしまった、というのが、個人的な実感です。

しかも、こうした状態のままで、調査会社の統計も取られています。世の中で発表されている「クラウドサービス利用状況」の統計の中には、ほぼ必ずプライベートクラウドも含まれています。しかし、この言葉が登場した当初の意味でプライベートクラウドを捉えた場合、企業は「プライベートクラウド」を「所有」しているのですから、それはその統計が対象外にすべきであろう「オンプレ」なのです。もしそれを調査に含めるのなら、「クラウドサービス」ではなく「仮想化基盤技術の採用状況」の調査とでもすべきでしょう。また③の形態なら、本質的にパブリッククラウドと分類すべきという考え方もできると思います。

「仮想化」と「クラウド」では、意味するところが厳密には異なります。しかしながら、「クラウドを採用する」というトピックにおいて多くの企業関係者が気にするのは、ほかの企業はどの程度、システムを「所有する」ことから「利用する」ことに切り替えたのか。ほかの企業はどの程度、システムを自分で持たずに他人に任せることにしたのか。またその領域は主要システムなのか周辺システムなのか。そういうことではないでしょうか。

それを判断しようとする時に上記のように意味があいまいな状態で「プライベートクラウド」を含めるのでは、重要なポイントを押さえて話が聞ける専門家でないかぎり、他者の話から本質を見極めることは難しいでしょう。すべてを一緒くたにして「みんなクラウドにしているよ」 「時代はクラウドファースト」などと言っているのが、最近のマスコミや業界関係者です。

わたし個人は、誰かが「プライベートクラウド」ということばを使うときは、相当斜めから話を聞くようになってしまっています。ただし、思いはいつも複雑です。

もう「プライベートクラウド」とは呼ぶな(前)

タイトルのようにわたしごときが申し上げたところで、多くの人々が呼ぶのをやめるとは到底思えませんので、システムを利用する側であるユーザー企業におかれては、この言葉を発している人物がどのような意味で使っているのかによくよく気を付けながら、話を聞くべきだろうと思います。

当社を創業する前から十数年以上に渡り、日常的にIT関連の情報を見続け、分析し続けてきていますが、これから述べることはわたし個人の理解と認識に基づくものであり、異論反論のある関係者の方々もおられるだろうことを予め申し添えておきます。

さて、冒頭のように申し上げている理由は、すでに「プライベートクラウド」ということばには、特に提供する側にとって都合がよい意味が、多分に含まれるようになっているからです。

プライベートクラウドという言葉が登場した当初は、少なくともわたしの理解においては、パブリッククラウドの対角にある存在としての意味が込められていました。

クラウドは、仮想化技術をベースにシステム化されています。すなわち、パブリックの対角にあるプライベートクラウドとは、「仮想化技術を活用してユーザー企業が自ら構築する、パブリッククラウドが提供するものと似たようなことが可能なシステム基盤」というものです。要するにこれは、これまでも実践されてきたいわゆるオンプレミスによるシステム構築と、何の変わりもありません。

ちなみに「オンプレミス(略してオンプレとも呼ばれます)」とは、ユーザー企業自前によるシステム基盤の整備運用を意味する言葉です。英語の “on premise”(直訳すれば「敷地内で」)という語から来ています。由来を知らない人がときどき「オンプロミス」などと誤用していますから注意が必要です。

パブリックかプライベートか、という考え方は、クラウドの概念が登場した当時から存在した「パブリックに自社のシステムやデータを丸ごと預けて大丈夫なのか」という懸念から生まれてきたと思われますが、サービス提供者側はこの懸念を払しょくするために、様々な施策を打ち始めます。

まず、あるベンダーは、これまでどおりデータセンターにユーザー企業が自社システムを構築するけれど、そのハードウェア資産はベンダーが持つことにして、ユーザーは利用量に応じた支払いをベンダーに行ってシステムを利用する、という仕組みを打ち出しました。それなら、「プライベート」でありながら資産管理はなくなるので楽になるでしょう、という論理です。この後の議論の便宜上、これを①としておきます。

また別のベンダーは、パブリックとは別に、ユーザーのために物理的に独立したシステム基盤のエリアをベンダー側に用意して、そこでそのユーザー専用のシステムを運用しようという仕組みをつくりました。ただし、運用業務そのものはパブリックとほぼ共通で行われます。これを②とします。

さらに別のベンダーは、パブリッククラウドの中に論理的にプライベートの空間を分割できる仕組みを用意し、そこでユーザー専用のシステムを構築できるようにしました。物理的には同じだが、ソフトウェアの制御によって、そのプライベート空間には部外者がアクセスすることができないようになっている、というものです。もちろん、ベンダーの運用業務そのものはパブリックと完全に同じです。これを③としましょう。

オンプレで構築するもの、それに加えて①②③と、簡単に列挙してみました。さらにいろいろな形態が他にもあるでしょうが、ここではやめておきます。

現状では、これらすべてが「プライベートクラウド」と呼ばれているのです。

それの何が問題なのか、と思われる向きもあるかもしれませんが、今回のコラムは書き始めたら長くなってしまいましたので、2回に分けて公開します。

ITをビジネスに活用してイノベーションを実現する経営?

標記のタイトルのようなことが盛んに言われていますが、この言い回しに憧憬を覚える経営者はイケてないと思います。

そもそもタイトルのような言葉を発している人物は、IT業界の関係者か、IT業界を取材しているマスコミ関係者のおよそいずれかであることに気付くべきだと思います。どちらでもないとしても、IT業界を社会的に引き上げたい思惑では一致している人物でしょう。もちろん、それ自体に害があるとは思っていませんが。

実は、いわゆるITを駆使する経営を実現している経営者と、そうでもない経営をしている経営者、それぞれからお話を聞くと、ごく表面的な部分においてはそれほど違いがないことに気が付きます。

というのも、あえて話を振らないかぎりは、どちらも自分からITや情報システムの話はしないのです。

ただし、そうする理由には大きな違いがあるのです。ITの話をこちらから振ってみると、その違いが分かります。

前者の場合、興味の中心はITそのものにはなくて、実現させたいプロセス、サービス、提供価値にあります。ITが駆使できている企業というのは、ビジネスとITの整合性が見事に取れています。そのため、ITとは「あるのが自然なもの」と見なされています。すでにシゴトの一部になってしまっているので、直接的な意識はITそのものにはなく、むしろITという技術をどのように自社のビジネスのしくみに取り込むかに関心があるわけです。

ですからITの話を振ると、「いや、ITを使うのなんて当たり前だから、特別なことはしていない」という態度を根底に持ちながらお話をされます。技術的なトレンドを把握しているのは当然、さらに自社で実験や検証もしているので、新聞より詳しいという方も珍しくはありません。

そうした経営者に、大きな成果を挙げている取り組みについて、「それはどうやって実現しているのですか」と問いかけると、そのとき初めて、その取り組みで活用している技術をくわしく(しかも、嬉しそうに)説明してくださるのが特徴です。

一方、後者の場合ですと、ほとんどにおいて「ITをもっと使いたい、使ってみたい」という話になります。「~したい」という言葉が出るのが特徴です。

会社として明確な設計意図をもってITを利用していないため、ITを使うことはある種特殊なことであるという意識がどこかにあると思われます。ですから、バズワードだけは新聞で読んで知っているけれど、自らにどう適用できるのかイメージがわかないし、自ら考えてみようとも思わないので、「利用希望」に留まるのです。

「ウチはビッグデータはどうなっているのか」「最近AIの話をよく聞くが、ウチでも検討してみろ」などとおっしゃる経営者は、およそこの部類に入ると思われます。こういう企業の場合は、ITを駆使することを考える前に、もっと根本的な考えかたを改変していただかないと、真の意味で「ITをビジネスに活用する企業」にはなれないと思います。

上記のことは、少なくともわたしのなかでは、その企業がイケてるITユーザー企業なのか否かを判断するのによい基準のひとつになっています。

AlphaGoにみる、ITという技術の位置づけ

先月、Googleが開発した人工知能囲碁ソフト “AlphaGo” が、現在世界最強と呼び声の高いプロ棋士と対戦して4勝1敗で圧勝し、大きな話題になりました。

全対戦が動画でネット中継されましたが、勝利を収めた4戦はいずれも、付け入るスキを一切見せない完ぺきな展開をAlphaGoが披露し、人間の棋士は接戦するも、なすすべがなかったという印象を残しました。

囲碁は、チェスや将棋と比べて複雑度が高く、コンピューターにとって難関と言われ続けてきました。2013年に将棋ソフトがトッププロ棋士との五番勝負で勝利を収めた際でも、しかし囲碁はしばらく無理だろうと言われていました。それだけに今回の圧勝には、専門家でさえも、これほどまでに早く勝てるようになったことに衝撃を覚えた出来事でした。

この出来事は、さまざまなことを物語っているように思います。その中から2つほど、わたしが注目したことをここで取り上げてみたいと思います。

まずひとつは、コンピューターがもつ能力の優位性です。

ここ最近、人間のシゴトの多くがコンピューターに取って代わられるという話題も注目されましたが、こと情報処理能力が問われる分野においては、いまでなくても必ずいつか、コンピューターが人間よりも能力的に優位になるということを改めて思い知らせる出来事だっただろうと思います。

実はAlphaGoは、囲碁のルールを一切知りません。過去の棋譜を単純かつ膨大に丸覚えし、かつコンピューター同士による数千万回もの膨大な数の対戦を繰り返してまた覚えることで、勝つパターンを身につけています。これまでの常識ではありえないことをやって見せているわけです。

自動翻訳ソフトのしくみも、似たようなからくりだと言われます。中国語が一切わからない開発チームが中国語を翻訳するソフトを作った、というエピソードもあるくらいです。

このことはつまり、高尚な戦略戦術など練らずとも、膨大なデータの存在と一定のゴール(正解)設定ができるものであれば、コンピューターはデータだけを用いて目的を達してしまうということです。必要なデータが何兆何京といった数字であったとしても、それが有限でありさえすれば、そのうちコンピューターはその量を克服してしまうでしょう。

ただ逆に言えば、データにならない(またはしない)領域はコンピューターが手を出せない領域ということにも、なるかもしれません。この点は、わたし個人がいわゆる「シンギュラリティ」という話に違和感を覚えていることにも通じています。

もうひとつ注目点を取り上げるなら、今回の出来事を通じて、ITの技術開発の最先端を行くリーダーの位置にネット企業がいるということが改めて示されたと感じます。

AlphaGoを開発したのはGoogleでしたが、1997年にチェスの世界最強プロを初めて破ったコンピューターを開発したのは、IBMでした。

IBMはいまでも、技術開発力では世界トップクラスの企業です。最近ではWatsonの開発でも話題を集めました。しかしそれにも増して、今回はGoogleのような、開発した技術を直接利益に換えようとはしないが圧倒的なコンピューティングパワーを擁する企業が、技術の限界を押し上げ、業界をリードしていることを印象付けたと言えます。

それだけ、ITの要素技術そのものはコモディティ化したということでしょう。もちろん人工知能の分野はいまだ発展途上ですが、企業にとって重要なのは、ITのさまざまな要素技術の特徴をとらえて、どれを組み合わせて使って何を実現するのか。このアイデアとセンスであると言えるのではないでしょうか。

 

会社でやったらダメな「議論」

最近、「議論」ということばによって人が抱くイメージについて、考えることがありました。

わたしは大学で講義を担当していますが、そのなかで「議論」をしようとすると、恐れる人、そうでなくても少なくとも緊張する人が多くいることを感じています。意見を交わそうとすると非常に遠慮がちになるし、説明が不十分な点を問うとすぐに撤回するし、さらにはそれ以前に反応しようとしない人もいます。時々ですが、それとは逆にこちらと”戦おう”とする勇敢な?人もいます。

これはマスコミの影響が非常に大きいのではないかと、わたしは考えています。識者と言われる人々がエンドレスで言い合いする”朝まで○テレビ”のような「議論」、与野党が激しく対立するところだけフォーカスする国会での「議論」、ソーシャルメディアでの発言をきっかけに炎上騒ぎになる「議論」。メディアでは、およそこんな「議論」ばかり取り上げられているように思います。

それらを目にすることで、「議論」とはああいう知識の弱肉強食合戦のようなものだと考えて、恐れたり関わりたがらなかったりという反応になるのではないか。そんなことを考えています。

わたしの考えでは、論破されるか合意するかに関わらず、意見を交わした結果として最終的に何の納得も得られない「議論」は、議論とは言えません。したがって、マスコミがこぞって取り上げるような前記のものは「議論」ではありません。テレビでやってもらうのは一向にかまいませんが、会社でそのような議論をやったら絶対にダメです。

しかし、会社の中であっても、あるものが欠けていると、実にカンタンに「マスコミが好む議論」が会社でも展開されてしまいます。関係者間で意見の対立が起き、侃々諤々の主導権争いをするも折り合わず、最後は社内政治で決まる、というような、「それなら最初から議論する必要はないだろう」というような話です。

その「あるもの」とは、関係者間での共通認識です。

会社であれば、「当社はどういうビジネスを展開して発展していきたいのか」「お客さまにどういう価値を提供したいのか」「どういう行動により社会の役に立とうとするのか」といったものが共通認識になりえるものでしょう。ミッション、ビジョン、といえば聞こえがいいですが、それよりもさらに理解を具体化したものでなければ不十分だと思います。

こういうものがあることで、関係者間で「我々はどうあるべきか」「何を成し遂げるべきなのか」「どのような仕組みを実現すべきなのか」という認識が共通化されるわけです。

いわゆる「マスコミが好む議論」には、この共通認識が参加者の間にありません。場合によっては、それを互いに持とうとしません。だから、エンドレスで議論しても結論がないのです。

こうした共通認識のないまま、例えば「クラウドはどうするか」という「議論」を会社で行ったなら、クラウドはやるべきだという勢力と、クラウドは慎重に扱うべきだという勢力が、真っ向から対立する構図になり、最後は声の大きなほうが勝つでしょう。それはまったく本質的な結論ではありません。その会社のやりたいビジネスに照らし合わせた時に、クラウドはどう活かせるのか、自分たちの役に立つのか。そういう議論をすることが、意味のある結論を導く唯一の道ではないでしょうか。

当然のことですが、この共通認識を持つにあたっては、経営者もそこに参加していなければなりません。それが意識的にできているなら、たとえよくわからないITの話を持って来られても、なにも恐れることはないはずです。