AlphaGoにみる、ITという技術の位置づけ

先月、Googleが開発した人工知能囲碁ソフト “AlphaGo” が、現在世界最強と呼び声の高いプロ棋士と対戦して4勝1敗で圧勝し、大きな話題になりました。

全対戦が動画でネット中継されましたが、勝利を収めた4戦はいずれも、付け入るスキを一切見せない完ぺきな展開をAlphaGoが披露し、人間の棋士は接戦するも、なすすべがなかったという印象を残しました。

囲碁は、チェスや将棋と比べて複雑度が高く、コンピューターにとって難関と言われ続けてきました。2013年に将棋ソフトがトッププロ棋士との五番勝負で勝利を収めた際でも、しかし囲碁はしばらく無理だろうと言われていました。それだけに今回の圧勝には、専門家でさえも、これほどまでに早く勝てるようになったことに衝撃を覚えた出来事でした。

この出来事は、さまざまなことを物語っているように思います。その中から2つほど、わたしが注目したことをここで取り上げてみたいと思います。

まずひとつは、コンピューターがもつ能力の優位性です。

ここ最近、人間のシゴトの多くがコンピューターに取って代わられるという話題も注目されましたが、こと情報処理能力が問われる分野においては、いまでなくても必ずいつか、コンピューターが人間よりも能力的に優位になるということを改めて思い知らせる出来事だっただろうと思います。

実はAlphaGoは、囲碁のルールを一切知りません。過去の棋譜を単純かつ膨大に丸覚えし、かつコンピューター同士による数千万回もの膨大な数の対戦を繰り返してまた覚えることで、勝つパターンを身につけています。これまでの常識ではありえないことをやって見せているわけです。

自動翻訳ソフトのしくみも、似たようなからくりだと言われます。中国語が一切わからない開発チームが中国語を翻訳するソフトを作った、というエピソードもあるくらいです。

このことはつまり、高尚な戦略戦術など練らずとも、膨大なデータの存在と一定のゴール(正解)設定ができるものであれば、コンピューターはデータだけを用いて目的を達してしまうということです。必要なデータが何兆何京といった数字であったとしても、それが有限でありさえすれば、そのうちコンピューターはその量を克服してしまうでしょう。

ただ逆に言えば、データにならない(またはしない)領域はコンピューターが手を出せない領域ということにも、なるかもしれません。この点は、わたし個人がいわゆる「シンギュラリティ」という話に違和感を覚えていることにも通じています。

もうひとつ注目点を取り上げるなら、今回の出来事を通じて、ITの技術開発の最先端を行くリーダーの位置にネット企業がいるということが改めて示されたと感じます。

AlphaGoを開発したのはGoogleでしたが、1997年にチェスの世界最強プロを初めて破ったコンピューターを開発したのは、IBMでした。

IBMはいまでも、技術開発力では世界トップクラスの企業です。最近ではWatsonの開発でも話題を集めました。しかしそれにも増して、今回はGoogleのような、開発した技術を直接利益に換えようとはしないが圧倒的なコンピューティングパワーを擁する企業が、技術の限界を押し上げ、業界をリードしていることを印象付けたと言えます。

それだけ、ITの要素技術そのものはコモディティ化したということでしょう。もちろん人工知能の分野はいまだ発展途上ですが、企業にとって重要なのは、ITのさまざまな要素技術の特徴をとらえて、どれを組み合わせて使って何を実現するのか。このアイデアとセンスであると言えるのではないでしょうか。