ITで「イノベーション」を実現する秘策

「ITで業務効率化を実現するだけでは足りない。これからは、ITで新たな価値を生み出すイノベーションの取組みが必要だ。」

最近、このようなことがよく言われるようになっています。個人的には、ITを考えるうえで業務効率化とビジネス価値向上を分けて考える必要はないと感じていますが、上記のようにおっしゃる方の趣旨には同意します。わたしは、「ITの前に、顧客に価値を生み出すビジネスの仕組みをまず考えよう」と、何年も前から訴えてきました。

冒頭のスローガンは正しいかもしれませんが、実態はというと、あまり優れた事例を最近耳にしていません。例えば、建機メーカーのコマツがKOMTRAXという優れたビジネスモデルを成功させ、一時マスコミが盛んにこれを取り上げました。すると、同業のみならず異業種の企業までもがKOMTRAXのビジネスモデルを模倣したサービスを始め、これをまたマスコミが「イノベーション事例」として取り上げたりしています。

ビジネスの世界において、マネをすることは法律や倫理に則る限り許容されることですし、モノによっては歓迎されることでもあります。ですから否定はしませんが、ただし、組み合わせの工夫もない単なるマネは「イノベーション」ではありません。

成功した実績のあるものをマネすれば成功確率は高い、と考えてマネするのだろうと思いますが、残念ながらそういう発想の組織では、いわゆる「イノベーション」の果実を得ることはできないと思います。

なぜなら、イノベーションの取組みでは試行錯誤は必要不可欠で、それを組織が許容し、果実が得られるまである程度の時間がかかっても取組みを継続する必要があるからです。

イノベーションを実現する組織が必ずやっていることがいくつかあります。そのうちで一番重要なことは「試す環境をつくる」ことでしょう。

組織の中に「試すチーム」をつくり、彼らに情報収集をさせ、アイデア発想の環境を整備し、発想したアイデアの実現性を積極的に試す。試して可能性がありそうならスモールスタートで適用し、徐々に範囲を拡大、または新たな発想を付加して改善を図る。もちろんダメと分れば途中でもやめるが、小さいうちにやめるので傷口は小さい。やめることのダメージは小さいし、ダメだったからといって誰かが責められることはなく、それよりも傷口の小さい失敗の経験は有益と捉えられる。

こうしたことが実行できるようなリソースを経営側が用意し、属人的ではなく組織として実際に繰り返し「試す」ことが、イノベーションを生むうえで最低限の必要条件です。

アイデアには「打率」のような側面があり、構想段階でどれだけすばらしいと感じていても、ヒットになるとは限りません。一方で、「こんなもの売れないよ」と社内で評価されたものが、出してみたら大ヒットということも実際に起こっています。KING JIMの「ポメラ」などは、その有名な事例のひとつです。

またアイデアには、「一度ヒットにならなければ永久にボツ、というわけでもない」という特質があります。アイデアのヒットは、TPOのすべてが条件として揃ったときに生まれるものです。つまり、たまたまそのアイデアを出す時期が誤っていただけであった場合、時期を改めるとヒットになることがあります。その意味で、アイデアは「寝かせておく」ことも有効なのです。

ポストイットで有名な3Mという会社では、社内にアイデアのデータベースを用意して、一度ボツになったアイデアにも管理番号を振って保存していますが、こうしたことが理解できているからこその取組みです。

アイデアが持つこうした特質を理解していれば、最初に思いついたアイデアでホームランを飛ばすなど、かなり確率の低いことだと容易に気付くはずです。ただし、最初のアイデアをどんどん発展させていくことで、高く支持されるものになる可能性は十分あります。企業がそれを、組織的なバックアップなしに実現するなど、到底ありえません。

「アイデアがあるヤツは上げてこい」といいながら、明確な判断スキームがなく「声の大きな人の気分」で採否を決めている組織や、「アイデアを考えろ」と言いながら仮説を検証する予算はつけない組織では、新しいアイデアの成功確率はかなり低いでしょう。

知る人ぞ知る話ですが、実はKOMTRAXはもともと、販売した建機の盗難を防止するためのシステムとしてサービスを始めたのだそうです。ところが一旦サービスを始めてみると、顧客にさまざまな価値を提供する発想が浮かんできました。建機は世界の工事現場で使われるモノであり、その利用場所は地図で示せないようなケースもあります。「修理をしたい」「実際に仕事しているのか知りたい」、GPSでわかる位置情報を使ったさまざまな顧客ニーズが浮かんできたわけです。

これを見逃すことなく、発想を新サービスとして形にし、いくつも試していったことによって、現在のKOMTRAXがあるのだと思います。話を聞くだけでは当たり前に聞こえてきますが、実際こうしたことは、ニーズが吸上げられ、アイデアが発想され、仕組みが形式化され、実施判断され、実装されるという、一連の組織的な取り組みになっていなければ、まず実現しません。

もしマネをするのであれば、表面的なサービススペックよりも、それを生み出した組織のしくみに、ぜひ目を向けてほしいと思います。

「みんなの意見」を強力な武器にするために

今月も、ビッグデータを肴に述べてみたいと思います。

データ活用の視点に関して、最近大事だなと感じているのは、「みんなの意見」の有効活用です。企業の立場であれば、顧客の意見であったり、利用者の意見であったり、オーディエンスの意見であったりします。これは、使いかたによっては強力な武器になると感じています。

ベンダーが盛んにビッグデータを喧伝していますが、そうかといって単なるマーケティングだと軽視しすぎてもいけません。宣伝だけでなく、今後の取り組みに有用な視点も含まれているものです。

そうした有用な視点のひとつに「取得できるあらゆるデータをまるごと分析対象にできるようになってきた」ことがあり、その事例の中で、「みんなの意見」を活用するものが取り上げられることがあります。

こうしたケースですぐに思いつくものといえば、Twitter のつぶやきから企業にとって有益な示唆を得る、という話です。企業がアンケートを取るなどの方法では得られない顧客の本音や、まだその企業の顧客ではない人の意見が、Twitter では聞こえてくる可能性がおおいにあります。これを利用すれば従来得られなかった示唆を見出せる、というわけです。

たしかにその通りだと思います。ただし、ネットでは意見が偏っている人が大声を出しているケースも多々あります。言葉の使いかたにしても、きちんと文脈を読み取らなければ意味を取り違えるケースもあり得ます(例えば、「ヤバい」は、肯定でも否定でも使われています)。それに、そもそも人間には「本音」が必ずしも言葉にならない傾向があります。実際に自分自身のことを考えてみても、思っていることを適切に表現するというのは結構難しいことではないでしょうか。

少し思いを巡らせるだけでも、つぶやきをデータ分析すれば欲しい答えが得られるというほど、簡単な話ではないのだと感じます。

その一方で、「みんなの意見」をうまくつかうと結構すごいなということが、いろいろ出てきています。

例えば、ウェザーニューズが配布しているスマホ向け無料アプリ「ウェザーニューズタッチ」。同社が気象サービスを提供するとともに、そのユーザー(「サポーター」と呼ばれる)が自分の居場所の天気を報告する機能を持っています。

サポーターは2013年2月時点で400万人を超え、1日あたり2万件程度、多いときは約20万件の「報告」が寄せられるのだそうですが、こうした「みんなの意見」により、先日気象庁が外した2回の大雪予報(片や「降らない予報」で大雪、片や「積もる予報」で降らず)を、2度とも見事的中させたということです(関連記事)。

別の例でも、興味深いものを見ました。ある2つのゲームアプリ開発会社で開発されている「オセロアプリ」の対決です。片方は、布石のアルゴリズムを精緻化した「頭脳派」タイプのアプリ、もう片方は、アプリを利用するユーザーのうちで強いプレーヤーたちの布石の傾向をデータ化して利用する「みんなの意見」タイプのアプリ。それぞれの会社が「最強」と銘打つその両アプリを対戦させるというものです。結果、この対戦で勝ったのは、「みんなの意見」タイプでした。

もうひとつ、ネットの翻訳サービスも実は「みんなの意見」がベースになっていることで有名です。つまり、ネットの翻訳エンジンの基になっているのは、ネット上にある膨大な量の文書データ、いわば「みんなが書いた文章」です。それをパターン分析して、文の要素ごとに翻訳パターンのテーブルをつくるという、ごく簡単に言えばそんなことをウラで行っています。

英日翻訳などを試してみると、楽しい?!翻訳がときどきなされるときもありますが、汎用的な内容で短めの文章ならかなり翻訳精度が高いことがわかります。旅行する程度のレベルなら、翻訳アプリが載ったスマホ片手で十分かもしれません。

上記の事例、どれも簡単そうに見えて、実際は相当な分析処理ノウハウが必要です。しかしそれを操れる力を組織が得たなら、「みんなの意見」をうまく利用でき、それがかなり強力な武器になることが想像できるのです。

このとき、強力な武器にするための課題としては、「一定の質を持つデータを大量に集めること」「継続して分析し知見を更新できる基盤を構築すること」「みんなにうまく、定期的に、長期にわたって入力してもらえるようにすること」など、さまざまなものがあるでしょう。

そして、それにも増して必要なことは、この武器を有効に使ってビジネスを加速させる「発想」です。

上記で紹介した3つの例はいずれも「みんなの意見」をサービスに活用しています。このように、この手の話でよくある「マーケティング利用」ではなく「サービス」を「発想」してほしいと思います。そのほうが、武器としてははるかに強力になるはずです。

わたしにもいくつか、コラボしたらおもしろいんじゃないかと思えるアイデアが浮かんでいます。

「データサイエンティスト」を採ると、企業は安泰なのか

最近、ITのみならずビジネス分野の記事でもよく見かける「ビッグデータ」というキーワード。そうした記事を読んでいくと、大方のものには最後のまとめに、「企業にはデータサイエンティストが求められる」とか「データサイエンティストが不足している」などと書かれていることが多いようです。

つまり、ビッグデータのような情報の海から有用な意味を見出すには専門的なテクニックが必要であり、それを体得している人材が「データサイエンティスト」で、そうした人材はこれまで意識して育てられてこなかったので、人材プールが不足している、というわけです。

なるほど、そうだろうなと思います。データがたくさんあっても、それを分析する人材がいないと無意味です。分析のノウハウを社内で磨いてこなかった企業も、多いことでしょう。

しかしデータ分析の実務を想像すると、素朴な疑問が浮かぶのです — 数が少ないとされるデータサイエンティストを運よく獲得できると、その企業は安泰なのでしょうか。

確かに、大規模なデータから探索的に分析を行い、隠れた意味を把握するには、統計分析の知識を中心とした専門的な分析技術を習得し、状況に応じてそれらを使いこなせる必要があります。

この「状況に応じて」というところがポイントで、既知であるさまざまなアルゴリズムの中から、分析する状況にあった手法を取捨選択し、出力された結果を読み解く技術が要求されるのです。

では、その技術を習得し使いこなせる「データ分析ができる専門人材」がつまり「データサイエンティスト」だとして、その人はどんなコンテキストでも万能に分析できるものなのでしょうか。

特に科学技術の分野では、ビジネスの分野でいまのように騒がれるずっと以前から、データはそれこそビッグでした。だから、スーパーコンピュータのようなものがないと最先端の分析研究ができないわけです。それなら例えば、ヒトゲノム(DNA)のデータ分析を手掛けているデータサイエンティストは、小売店のPOSデータの分析者にも簡単になれるものなのでしょうか。

どんな分野の分析においても、「どう分析するか」よりも「何を見たいのか」のほうが問題ではないでしょうか。そのとき、単にデータサイエンティストを連れてきただけでは「何を」が欠けてしまいます。

また、これもどんな分野の分析でも同じですが、データ分析の結果というものは、実際は試行錯誤の末の産物です。マスコミやベンダーなどが示す事例で見かける「美しい結果」より前に、実は無数の「取るに足らない結果」が出力されています。分析担当者が毎日、それこそ実験を繰り返すようにいろいろなことを考え試してはじめて、意味のある有益な出力が得られるのが、現実のデータ分析なのです。

さらに、別の問題もあります。

従来の統計分析手法は「パターンを見つける」ことを主な目的としています。よく言われる「ビールを買う男性が一緒にオムツを買っていく」という逸話も、アマゾンなどのネットショップで頼まなくても表示される「レコメンド」も、すべてパターン分析の結果です。

一方、ビジネスの文脈では、パターンも大事ですが、実はそれにもまして、顧客や見込み客がなにかの拍子に変容する「きっかけ」を見つけるのが大事なことが多いと思いませんか?興味を持っていなかった人が興味をもつ「きっかけ」、その逆に興味を持っていた人が興味を失う「きっかけ」、そういうものがビジネスにより重大な影響を与えると思いませんか?

そうした「きっかけ」は、従来型の統計分析手法ではとても見つけにくいのです。なぜなら、パターンにならないほど「頻度が小さくてランダム」だからです。みなさんにとって大事な「きっかけ」って、そう何度もありませんよね?

このように、データ分析においては確かに専門知識は重要ですが、それを持っている人が一発で答えを導出できるわけではないのです。必ず、試行錯誤を伴います。

ですから、みなさんの会社でデータサイエンティストが必要ならば、「自社のことを知らない人を探して採用する」よりも、社内にいるロジカル思考のできる人材を選定して勉強してもらい、育てること。そして彼らが活動できる業務環境やデータ管理基盤を社内に整備してあげること。これらを優先して行うべきと、わたしは考えます。

そのうえで、経営者は活動をウォッチしながら、期待半分程度で、ホンモノの成果が出るのを気長に待つことです。

user-driven のお手本は Apple にあり

2013 年最初のコラムということで、当社が創業当初からキーワードに掲げ、その実践がますます重要視されてきている“user-driven”について、この場を借りて改めて、その意義を再考察させてください。

“user-driven”ということば自体は、当社が独自に言っているものであり一般用語ではありません。その示すところは、

情報システムのユーザーである企業自身が自らのビジネスに資する情報システムをデザインし、ベンダーに丸投げすることなく主導的に開発導入して、システムを使いこなすという、ひとつの「あるべき姿」

です。ときどき聞かれる「ユーザー主体開発」と似たような意味合いではありますが、わたしは経営レベルでのビジョンやミッションを「仕組み」としてデザインする分野まで見据えて言っています。

当社は多数の事例分析と実践経験を通じて、強い企業は総じて user-driven であることを見出しています(その一端は、こちらで紹介しています)。そうしたことから、広くこの事実を知っていただき、その実践方法を伝えていきたいと考えているのです。

そんな中、過日日経ビジネスオンラインで目にした、Apple の製品開発に関する記事で興味深い記述を見つけました。

Apple といえばご存知のように、iPhone や iPad など、革新的なコンセプトの製品で世界中を席巻しました。今でも、その勢いはとどまるところを知りません。

その競争力の源泉にはさまざまなものがあると指摘されていますが、この記事ではそのうちのひとつである、製品設計の取り組みと戦略がくわしく分析されています。

Apple は自社で製造工場を持たず、台湾企業や日本の中小部品メーカーなど大小のパートナーに実際の製品製造を委託しているのは周知のとおりです。

これは最近の製造業界では、珍しいことではありません。委託元は企画設計に専念し、委託先は製造組立に専念する。そのことで委託元は製造技術力の獲得、コスト低減、スピード確保などを狙うわけです。

しかし、業界がこぞってマネできるのがまた、この戦術です。同じことをしていて、差がつくはずもありません。企業は、競争するのが宿命です。競争力の源泉は、差別化にあります。

では Apple はどうするか。記事では iPhone 5 の内部構造を細かく分析しています。その分析から得た結論として、こんな一節があります。

「表示や操作をつかさどるディスプレイや、処理性能および電池持ちに影響するプロセサのように、製品の競争力に直結する部品は細部まで自社で設計し、部品メーカーを製造請負の立場に追いやる。その一方で、複数のメーカーが同等の性能を実現できる部品はこれまで通り部品メーカーに設計・製造を任せる――。iPhone 5の詳細な分析から見えてきたのは、アップルのこうした戦略だった。」

(日経ビジネスオンライン:「CPU内部も独自設計、半導体専業メーカー並みになったアップル」より引用

従来は、Apple は製品企画に専念、部品設計と製造は部品メーカー、製品組立は EMS 企業、という分担で製品開発を進めてきました。それがここへ来て、部品設計の分野にまで足を踏み入れているというのです。

何が目的かと言えば、デザインのコントロールによる差別化です。詳細は記事をご覧いただければと思いますが、Apple は競争力の源泉となるデザインを見極め、そこに自らの意思を自ら反映しようとしているのです。

この考え方とアプローチはまさに、user-driven です。

上記は製造業の話ですが、差別化を図るに当たって業種は関係ありません。事業において差別化しようと思ったら、自らのこだわりを仕組みとしてデザインし、それを主体的にビジネスシステムとして具体化する。

特に現在の情報システムは、企業のビジネスの仕組みそのものを体現したものとなっています。その意味で、事業の差別化要素の多くは情報システムに組み込まれることになるし、それができると強力なのです。強い企業が総じて user-driven なのは、この点にひとつの理由があります。

むしろ、自然とそうなるのではないでしょうか。

見方を変えれば、情報システムがイケてなければ、その企業のビジョンや戦略がどんなに立派でも、ビジネス自体はイケてない結果になってしまう。そこにリーダーが気づいて、システムにこだわるかどうかなのです。

では、どうやって経営の意思やビジネスの差別化要素をデザインし反映するのか。それが問題です。そしてこの問題の背景が上記のとおり理解されるならば、その解決は情報システム部門に投げればよいものでないことは明白です。当社としては引き続き、ユーザー企業の経営者や経営幹部の方々がこの問題を解決することを支援したいと考えています。

企業が新しい IT を乗りこなすための 3 つの視点

ご承知の通り、IT の世界は進化が早く、次から次へと新しい技術や新しい概念が登場してきます。

最近では、コンシューマー系の技術やサービスが大きな影響を与える傾向がありますね。スマホ、タブレット、ソーシャルメディア、BYOD、無料通話アプリ、等々。

こうした進化に対して、企業とそのリーダーはどのように向き合えばよいでしょうか。私見を 3 つのポイントにして、以下にまとめてみます。

まずやりたいことは、「そのトレンドが、IT 業者のマーケティングの域を出ているか否かの判別」です。

どんな新技術・新サービスも、最初は多かれ少なかれ、IT 業者のマーケティングによって世間に出てきます。これは、別に非難されるものではなく、ビジネスとして当然のことです。

問題は、それが業者の売り込みを越えて、世の中に浸透し、確実に根付きつつあると見るかどうかという、ユーザー側の目利きだと思います。

その判断には、積極的かつ多面的な情報収集が欠かせません。中立的な専門家の見極め、ポジティブな人の意見、ネガティブな人の意見、偏りなく集めて考察すべきでしょう。そのうえで、「マーケティングの域を出た本物のトレンドだ、またはそうなりそうだ」と感じたら、次のステップに進みます。

次に考えることは、「自社に役立つか、役立たないか」です。

その新しい技術やサービスが、自社のビジネスを加速する可能性を持つものなら、積極的に取り入れればよいですし、その可能性を感じないものなら静観すればよい。こんな判断になるでしょう。

そんなこと当たり前じゃないか、と思われるかもしれません。しかし、実践できているかというと、多くの企業で意外とそうでもありません。

どういうことかというと、「役立つか、役立たないか」と考えずに、「それをどう使うか」と考えてしまっている向きも結構あるのです。

前者で考える人には、常に最初に大局的な「目的」や「ゴール」があります。目的やゴールに照らして「役立つか、役立たないか」と考えるわけです。一方、後者で考える人にある目的やゴールは、「その新しい技術やサービスをうまく使うこと」になっているのです。つまり、いわゆる「IT ありき」の発想です。

トレンドなのだから自分も使わなければならない、とは必ずしもなりません。きっと後者の発想の人は「乗り遅れたくない」と思っているのでしょうが、乗り遅れることによる差別化のリスクの大小と、導入したために出てくる労力やコストの大小については、一度考察してみる価値があるでしょう。

安易に流れに乗っかって、成熟していないものにムダな投資と労力を費やし、振り回された上に最後に成果は得られないリスクは高いということも、よく念頭に置くべきです。

たびたびこのコラムでも指摘していますが、IT ありきの発想は大きな間違いにつながります。ぜひ、改めて意識しておきたいものです。

そういえば先日、ガートナーの小西氏によるコラムを拝読しましたが、同氏は顧客からしばしば、「テクノロジーが進化するのに応じて IT 戦略を変化させたいので、中期的なテクノロジ・トレンドを教えてほしい」と聞かれるのだそうです。

ガートナーと言えば大企業の CIO へのコンサルティングで知られていますが、大企業の CIO でもまだそんなふうに考える人がいるのかと、ちょっと驚きました。

さて、本論に戻します。次が、3 つ目に考えることです。

ひとしきり考えた結果、その新しい技術やサービスが「役立つ」と判断したなら、本気で適用の仕方を考えていきます。しかしながら、新しいだけに、すぐに使えるとはなかなかならないことが多くあります。

そんな時に大事になるであろうことが、「時期尚早なものはそのように判断して熟成させる」姿勢です。

本物のトレンドである場合、その技術やサービスは、一度下火になったように見えても必ず進化を続けていきます。現時点で「なんだかしっくりこないな」と感じる部分は、のちにすっきり解消される可能性が、かなり高いです。

ですから、ピンとこないなら躊躇なく「時期尚早」と判断する。ただし、そう判断して捨ててしまうのではなく、ウォッチは続けて「熟成」させる。そのうち進化が問題を解決し、リーズナブルなコストになるのを待って、晴れて採用する。こんなスタンスなら、うまく行くのではないでしょうか。

もちろん、その分野で自社が技術を先導し、他社にノウハウで先んじようと志すのなら、時期尚早なことを承知で採用し、試行錯誤してノウハウを獲得する。その技術が使いやすいものになった暁には、自社が他社に差をつけている。そんなシナリオを目指すこともあり得ます。そのあたりは、やはり「目的」や「ゴール」の持ちかたに帰結するでしょう。

いま起こっているトレンドにも、こんな視点で対応してみてはいかがでしょうか。

「なりすまし事件」が、自分の会社で起こったら

先月、マルウェアやフィッシングを悪用した遠隔操作によって脅迫文などがなりすましで送りつけられ、複数の無関係の人が誤認逮捕される事件がありました。

その後の分析や犯行声明などから、マルウェアやフィッシングのリンクは犯人が自作したもので、誤認逮捕された人が自分の PC にダウンロードしたり、悪意のあるリンクをクリックするなどしたことにより、犯人による操作が可能になったことがわかっています。

今回の事件は不特定の個人を狙ったもののようでしたが、この手口は企業に対して行われる可能性も十分にあるケースで、大きな脅威です。企業の方々は、決して他人事と思ってはならないと思います。

どの辺が「大きな脅威」だというのでしょうか。簡単におさらいしておきましょう。

まず、自作のマルウェアというのは、ウイルス対策ソフトなどで検知するのがかなり困難です。特に今回のもののように、既存のソフトウェアの脆弱性を突いたものでない場合は、網にかけるきっかけがないために検知の難易度が格段に上がります。

また企業が狙われた場合、今回の事件のような自己顕示目的よりも、情報の盗用や金銭目的であることが多く、被害側がいつまでも気づかずに発覚しない恐れもあります。

仮に発見できたとしても、犯人を特定することはまた困難であるのが、残念ながら現状です。

今回の事件でもそうですし、話題になっている中国のハッカーやアノニマスが不正アクセスや改ざん行為を繰り返しているにもかかわらずなかなか逮捕されないのも、その証左です。なぜ難しいかといえば、犯人は自分の端末から直接ターゲットを狙うことはしないために足がつきにくいことや、犯人がアクセスの痕跡を巧みに消すことなどが原因です。

このような状況の中で、企業にとって重要になるプロアクティブな対策がいくつかあると思います。

まず、「出口を監視する」対策です。つまり、企業の内部から出ていくトラフィックを監視して、普段使っている状況ではあり得ない異常を見つけるのです。

こうした対策を行うツールやソリューションがすでに販売されてはいます。ただし重要なのは、それらを導入することよりも、「ユーザー企業が常に監視を続ける」ということです。

異常というものは、正常な状態とはどういうものかがわかっていて初めて、理解できます。普段監視をしていない企業には、正常がどういうものかわかりません。だからそういう企業に、異常は発見できないのです。

監視など素人には難しいのではないかと思うかもしれませんが、普段と違うかどうか判定することは、どちらかというと経験の問題です。スキルはそれなりに必要ではありますが、この場合はすこし勉強すればすぐ克服できる程度のレベルだと思います。

もうひとつ重要な対策は、「証拠の保全ができるようにしておく」ことです。

ただでさえ犯人は痕跡を消そうとしますから、証拠になるものはあまり残されていないのが常です。さらに不都合なことに、実は、証拠になるような情報はすぐに消えてしまいやすい傾向にあるのです。例えば、再起動したり、電源のオフをしてしまったり、ウイルスのスキャンを実行したりすると、消えてしまうような証拠情報もあるのです。

その意味で証拠保全は、あらかじめ一定の手順なり方法なりを確立しておかないと、有事にミスを犯して消してしまう可能性が高くなります。

こうした取り組み、どれも以前から言われていることで、すぐに思いつくような話なのですが、きちんと実践できている企業は本当に少ないです。

これはまさに、マネジメントの話だと感じずにはいられません。

運用作業全般に言えることなのですが、こうした取り組みには目に見える成果が普段から現れるわけではなく、何も起こらなければ目立たない特徴があります。その分、マネジメントサイドが気に留めない、評価しない傾向があるのが問題ではないでしょうか。

こうした取り組みの重要性に気づいている担当者が社内にいたとしても、マネジメントが気にしないために「正式な、やるべき仕事」として取り扱われない環境が生まれている場合もあります。わたし個人も経験がありますが、担当レベルで一生懸命頑張っていてもマネジメントレベルが聞き流すような「仕事」は、結果として良い取り組みになりません。

情報セキュリティ対策について、わたしは常々「トップマネジメントの見識の高さが出る」と考えています。こうした社会的事件を他山の石と捉えて、意識を新たにするきっかけにしていただきたいと、こんな話が発生するたびに願う次第です。

user-driven な企業は「マネジメント・イニシアティブ」

IT 活用に関連して、企業の講演を聴講する機会が多くあります。

先日、わたしが参加している研究会にて、ある企業の CIO によるケース発表が終わった後、同会の会長が「すごい企業は、マネジメント・イニシアティブですね」ということをコメントされました。

これは、登壇した CIO の方が所属する企業がなぜそこまですごいのかを紐解く中で、同社の社長のこだわり様が半端ではないということが分かったことを受けてのコメントだったのですが、ほんとうに仰るとおりだと思いました。

というのも、わたし自身、これまでいろいろな「強い IT ユーザー企業」の事例を聴き、必ずと言っていいほど、その企業のトップが IT に対して並々ならぬイニシアティブをとっていることを、まさに実感していたからです。

最近聴いた中で言えば、例えばある小売業の企業。

講演ではこの企業の社長が自ら、自社のデータ活用について語ったのですが、その内容に驚きました。いわく、過去の購買履歴だけ見ていても売れ筋など分からない。「売れているそれぞれの品目にはヘビーユーザーが例外なくついていて、彼らが来店するかどうかで売れ行きは激変する」。その来店がいつになるのかは「過去の履歴からは読めるはずもない」。顧客は「欲しいものを、欲しいタイミングで、欲しい価格で買いたい」。だから、折込チラシには「効果がない」し、「特売は粗利には直結しない」。

こうしたことを、社長自身が語るのです。まるでデータ分析の専門家であるかのような洞察でした。そしてこの企業は、こうした分析を社内で自由に実践できる情報基盤を、社内に整備しています。

他にも、例えばある金融系のネット企業。

この企業は、起業以来スクラッチでシステムを作り上げてきました。しかも内製で。なぜ内製かというと、内製だと固定費になるからだと言います。損益分岐を超えれば、あとは利益になる。特に金融系は、スケールメリットを出して収益を上げる業界。情報システムもそうしたほうがよい。

この企業、現時点のシステムの運用状況や構成情報などを、すべて「数字」で公開しています。それだけでなく、顧客のクレームや満足度など、あらゆる管理事項を「数字」にしています。それらをベースに、客観的に施策の判断をしているのだそうです。この「数字」を社外にも公開すれば、社員の意識はおのずと上がり、「数字」が改善されれば顧客の信頼につながると言います。

こうしたことを、社長自身が語るのです。この企業、社長自身もアイデアパーソンとなって、どんどんシステムを改善して新しいサービスを創出し続けています。それができるシステム基盤を、天塩をかけて育ててきているのです。

ほかにもたくさん例はあります。ただ、これが日本企業で一般的かというと、現状では残念ながらそうではありません。

わたしがこうした事例に触れる中で感じるのは、システムが生み出す成果のシナリオと結果にトップ自身がこだわるだけで、こんなにもアウトプットがすごくなる、ということです。

一方、IT リーダーや IT 担当者のモチベーションは高いけれど、経営層があまりシステムにこだわっていない企業があります。こうした企業の中にも時々、興味深い成功事例を創出するケースがあります。

しかし、アウトプットの鮮烈さを考えた時、わたしが感じる限りではやはり、前者と後者では前者のアウトプットがよりビジネスに直結しているし、ダイレクトに顧客の役に立っているのです。なにより、その会社の顧客が得している様子が見えるようで、聴いていて爽快な気さえするのです。

何とか、そんな「マネジメント・イニシアティブ」な会社をもっと増やしたい。思いを新たにする今日この頃です。

 

ユーザー企業に「ジョブズ」は要らない

ビジネスにおいて IT や情報システムの力を借りるのが当然となった昨今、企業に求められている IT プロフェッショナルの像は、もはや「情報システムを管理する人」ではないことは明白です。

依然、情報システムを管理する以上の役割を担えていない情報システム部門も、残念ながら存在しています。しかしおそらくその場合、その部門は、経営者をはじめ企業内からあまり高い評価を受けていないのではないでしょうか。

今要求されている IT プロフェッショナルの姿、それは端的にいえば「ビジネスの仕組みをデザインする人」ではないかと思います。もう少し言えば、ビジネスの価値創造をデザインする人、ということです。

一方、こうした人材(一般的には「企画人材」と表現されています)は、あらゆる企業で不足している、と評されているのが実態です。さまざまな調査で、それが示されています。そしてこの不足傾向は、何年も変わっていません。

こうした傾向を見て、企業の経営者は、「そうした素材の人物は世の中にほとんどいない」と考えてはいけないと思います。

「企画人材」と聞いて、なにか iPhone のようなイノベーティブなアイデアを生み出す人材をイメージして、それは稀有な存在だと思ってしまっていないでしょうか。稀有な存在だから、いないのは当然だと。企画人材不在の傾向が何年も続いているのは、そうした意識が背景にないかと心配してしまいます。

ユーザー企業で求められている企画人材とは、わたしが考えるに、ゼロから奇抜な発想をする人材ではありません。誤解を恐れずに言えば、「組み合わせるのがうまい人材」です。

ユーザー企業自身が先端的な技術を単独で生み出すのは、かなりの無理難題です。それは、ベンダーや専門企業に任せればいい話です。実際、IT ソリューションは世の中に無数に存在していますし、生まれています。

ただし、ユーザー企業はそれを単に採用するだけでは差別化は図れません。差別化を図りたい領域に市販パッケージなど当てはめても、他社が同じパッケージを導入すれば差別化にならないのは当然です。

しかし、組み合わせとなると、個性が出ます。そもそも選ぶ側がソリューションを知らなければ、組み合わせることはできません。知っていたとしても、組み合わせかたによるシナジーがわからなければ、採用もできません。

これが「組み合わせの妙」であり、企画能力すなわちデザインセンスなのです。そしてこうしたセンスは、鍛えることができます。

経営者や CIO がやるべきことは、先ほどのような、企画人材がどの企業でも不足しているという調査結果を見て、「これはチャンス」と捉え、社内に「技術を試す環境」を整備することです。

実はほとんどの技術者は、試行錯誤を通してベストプラクティスを見出すプロセスが大好きです。試す環境が整備されれば、嬉々として取り組むはずです。その中で、ビジネスに価値をもたらすソリューションの創出を「結果」として求めてください。その過程で、「ビジネスの仕組みをデザインする人」が育ちます。

その人たちこそが、世の中で不足している「企画人材」なのです。

IT のトレンドはものすごい速度で移り変わります。5 年したら、iPhone や iPad も時代遅れになっているかもしれません。また、移り変わるだけでなく、選択肢が激増していきます。

こうした環境において、企業内での「ビジネス・デザイナー」の役割はどんどん大きくなっていくだろうと、わたしは見ています。

人材の育成には時間がかかることは、言わずもがなです。早く取り組み始めた会社が、とてつもないアドバンテージを獲得するでしょう。

BYOD、やるならこう考える(2012年8月)

BYOD とは、Bring Your Own Device の略です。ご存知の方も多いことでしょう。

企業では最近、ケータイをはじめとしてモバイル端末の業務利用がかなり浸透しています。そうした企業の社員は多くの場合、企業が貸与した法人端末と、自らが所有する私有端末の 2 台を常時持ち歩いています。そうした「2 台持ち」は結構煩わしい、ということで、企業が私有端末を業務用途に使うことを容認する、という動きが BYOD です。iPhone や iPad がリリースされて以来、随分盛んに言われるようになった気がします。

モバイル端末を業務に使えば、一般的に、業務に関する情報が端末に格納されます。これまでは法人端末でさえ企業側でコントロールがしにくく、ましてや私有端末を業務利用するなど現実的ではありませんでした。ところがスマートフォンの登場でアプリの機能レベルが向上し、遠隔操作で端末のデータを消去できるなど、かなりきめ細かな端末のコントロールが可能になっています。こうしたことも、BYOD が現実味をもって言われ出した背景にあります。

ただし、そもそも BYOD を盛んに取り上げているのはマスコミです。「先進企業はもう始めている」とか「現場は求めている」とか「無視できない」とか「アメリカはもうやっている」とか、いろいろ囃し立てていますが、現実は賛否両論です。アメリカでもそうです。あまり惑わされないほうがよいでしょう。

要は、「自社で必要なのか」「それで生産性が上がるのかどうか」です。逆に管理が増えて工数が上がるのなら、やらなければよい話です。

しかし一方で、必要に迫られる企業があることも事実です。例えば中堅や中小企業で、モバイル端末が業務上必須だが資金的に会社では端末を配布できない、といったケースが実際にあります。

さまざまな事情がある中で、企業は BYOD にどのように向き合えばよいでしょうか。少し考察してみます。

モバイル端末の最大の懸念は、データのセキュリティです。無策で放置すれば、簡単に情報漏えいにつながります。

これに対するスマホやタブレット向けのソリューションとして、MDM (モバイル・デバイス・マネジメント)と呼ばれるツールが充実してきています。SaaS で使えるサービスもあり、選択の余地があります。

しかし BYOD となると、MDM をそのまま適用しにくい事情があります。なぜなら、私有端末に対して企業が完全なコントロールを行うのは、現実的ではないからです。

もし端末を社員が紛失したとき、リモートワイプ機能を使ってデータ消去を遠隔で行えば、業務データのみならず社員個人のデータも消去されます。また MDM では、位置情報から社員の行動履歴も取ることができますが、BYOD では個人的な行動まで記録されることになります。さらに、社員はたびたび端末を乗り換えます。それらをすべて申告させて、管理しなければなりません。社員が申告を忘れて業務に使用した場合、未然に取り締まれるでしょうか。

こうした事情を想定すると、やはり現時点での BYOD は時期尚早と感じざるを得ません。

では、いつ現実味を帯びるか。それは、モバイル端末にクライアント仮想化を実装できるようになった時点、と思われます。

クライアント仮想化ができれば、モバイル端末上で法人用のゲストOSを起動させることで、個人利用と完全に峻別することができます。データはゲストOS上での利用に限定ができますし、ゲストOSがなければ業務利用できないようにすることも可能です。

また、モバイル・シンクライアントも可能性があります。シンクライアントが使えるなら、そもそもデータは端末に一切格納させない使いかたは容易です。

ここまでできると、上記のような諸問題はかなり解決が可能です。

スマートフォンに仮想化ミドルウェアを実装する技術は、試作品レベルではすでに出てきています。初期の実用性はともかくとして、それほど時間がかからずに市場に出てくるのではないでしょうか。

ですから、ひとまず BYOD は、シンクライアントや仮想化ソリューションが現状でも使えるラップトップ PC のレベルに留め、スマホのクライアント仮想化ソリューションが市場に浸透してきたときに本格導入を考える、というのが無難だろうと思います。

こうして見ていくとわかるのは、BYOD の現状の諸問題はおよそ技術的なものだということです。そのうち解消されていく方向でしょう。

では少し話を進めて、BYOD を実現する前提となったら何を考えればよいでしょうか。

やはり、BYOD での利用範囲を限定する必要があると思います。いくらデータセキュリティが担保されるとしても、何でもかんでもスマホでできますというのではハイリスクです。

実際、マスコミがさかんに先進事例として取り上げている企業の取り組みを見ていると、利用範囲はメールだけ、インターネット接続だけ、などと限定されています。米国での事例も、例外ではありません。

そもそも、スマホやタブレットでどうしてもやるべき業務というのは、それほど多くないはずです。そのほとんどは閲覧ベースの業務であるはずで、ファイル作成や計算処理の実施などはラップトップのほうが便利なはずです。また、単純な業務に利用を限定すれば、それだけ接続環境もシンプルになり、追加投資が異常にかさむこともありません。

また、もし何でも社外で業務ができるとなれば、それは在宅勤務が可能ということと等価です。在宅勤務がその企業にとって必要かどうかは、BYOD とは別の議論が必要でしょう。

BYOD に向き合う際の視点を、いくつか挙げてみました。やはり肝は、ビジネスの仕組みに対する自社のスタンスです。モバイルをどう使いこなしてビジネスの仕組みを補完するのか、うまいシナリオを練って使いこなしてください。

「ビッグデータ」で見かける、あぶないカン違い(2012年7月)

ときどき、企業の業務改善に関する事例やストーリーを目にする方も多いことでしょう。参考になる話がたくさん盛り込まれており、わたしもよく勉強させてもらっています。

そうした業務改善に取り組むに当たって必須になるのが、業務分析と呼ばれる作業です。ところで、この業務分析には、置かれた状況に応じて 2 つのアプローチのしかたがあることをご存知でしょうか。

ひとつは、あるべき(ありたい)姿やあるべき(ありたい)シナリオがわかっている状態で使うアプローチ、もうひとつは、それがわからない状態で使うアプローチです。

言われてみれば当たり前に聞こえるかもしれません。しかし、この違いをはっきり意識して使い分けないと、間違った取組みに邁進することが実際によくあります。

先日、こんな話を耳にしました。

ある企業に、モノには自信があるのになかなか売れない商品がありました。なんとか売れるようにしたいということで、その企業は、売れない商品を売るための対策を立てることにしました。

具体的には、現状の営業の業務プロセスを見える化し、「~数」とか「~率」などの数値を割り出しながら、科学的に業務分析をしたのだそうです。その結果から、成果を上げるプロセスを設計したとのことでした。

その話では、設計したプロセスを実践してみた結果が語られなかったのですが、わたしはこれを聞いて「いまいちうまく行かなかっただろうな」と直感しました。

なぜなら、アプローチが間違っているからです。

先ほど、2 つのアプローチがあると述べました。これらをどう使い分けるかというと、端的にいえば「あるべき姿が理解・共有できているかどうか」でアプローチを変えます。

つまり、理想のフォームが明確なのであれば、科学的な手法で業務を分析し、理想との違いを浮き彫りにして成果を出しやすい個所を特定し、理想に近づける方策を実践します。

一方、理想のフォームが明確でないのなら、リファレンスがないので採るべき方針が明確にできません。その場合は、仮説検証型のアプローチを採ります。仮説検証型のアプローチでもし科学的な分析をするのなら、仮説を実践した後の検証のパートにおいてです。

先ほどのケースに戻りましょう。売れない商品を売る、という場合、みなさんには「売れる営業プロセスのあるべき姿」がわかるでしょうか。わかるのなら、そもそも売るのにあまり苦労しないのではないでしょうか。このケースの場合、採るべきは仮説検証型のアプローチです。

ところがこのケースでは、仮説を立てずにいきなり「科学的な分析」を始めています。それでも何らかの「成果を上げるプロセス」は導出され、分かった気になるのですが、いわゆる机上の空論になりやすく、やってみても思ったとおりには行かないことがほとんどなのです。

これが、わたしが「うまく行かなかっただろうな」と直感した理由です。

ここでぜひ強調したいのは、「知りたいことが何かがわかっていないのなら、分析しても意味をなさない」ということです。これは、巷で話題の「ビッグデータ」に関しても言えます。

ときどき経営者のインタビューなどで、「欲しい情報をすぐに見たい」を発言されているのを見つけることがあります。このとき、「欲しい情報」とは何か、それによって何を見出しどういう判断を下せるのか、そうしたシナリオまで語れるのなら、このセリフには説得力が出ます。しかしそうでないなら、それは「ビッグデータ失敗予備軍」の傾向です。

よく「データは語る」などのかたちで、さも万能であるかのように、マスコミも「ビッグデータ」を少々煽るようなストーリーを展開することがあるように感じています。データは語るかもしれませんが、実際は使う側から働きかけなければ何も語りませんし、使う側がデータを見抜こうとしなければ、何も見えません。ベンダーが提供する技術によってデータを出力すれば勝手に語りかけてくれると思ったら、確実に間違えます。

それは、今も昔も変わらないことのはずです。「ビッグデータ」によって新しくなったのは、技術の進化によってかつて不可能だったような大量のデータが簡単に処理できるようになった、ということ。誤解を恐れずに言ってしまえば、そのことだけなのです。