もう「プライベートクラウド」とは呼ぶな(前)

タイトルのようにわたしごときが申し上げたところで、多くの人々が呼ぶのをやめるとは到底思えませんので、システムを利用する側であるユーザー企業におかれては、この言葉を発している人物がどのような意味で使っているのかによくよく気を付けながら、話を聞くべきだろうと思います。

当社を創業する前から十数年以上に渡り、日常的にIT関連の情報を見続け、分析し続けてきていますが、これから述べることはわたし個人の理解と認識に基づくものであり、異論反論のある関係者の方々もおられるだろうことを予め申し添えておきます。

さて、冒頭のように申し上げている理由は、すでに「プライベートクラウド」ということばには、特に提供する側にとって都合がよい意味が、多分に含まれるようになっているからです。

プライベートクラウドという言葉が登場した当初は、少なくともわたしの理解においては、パブリッククラウドの対角にある存在としての意味が込められていました。

クラウドは、仮想化技術をベースにシステム化されています。すなわち、パブリックの対角にあるプライベートクラウドとは、「仮想化技術を活用してユーザー企業が自ら構築する、パブリッククラウドが提供するものと似たようなことが可能なシステム基盤」というものです。要するにこれは、これまでも実践されてきたいわゆるオンプレミスによるシステム構築と、何の変わりもありません。

ちなみに「オンプレミス(略してオンプレとも呼ばれます)」とは、ユーザー企業自前によるシステム基盤の整備運用を意味する言葉です。英語の “on premise”(直訳すれば「敷地内で」)という語から来ています。由来を知らない人がときどき「オンプロミス」などと誤用していますから注意が必要です。

パブリックかプライベートか、という考え方は、クラウドの概念が登場した当時から存在した「パブリックに自社のシステムやデータを丸ごと預けて大丈夫なのか」という懸念から生まれてきたと思われますが、サービス提供者側はこの懸念を払しょくするために、様々な施策を打ち始めます。

まず、あるベンダーは、これまでどおりデータセンターにユーザー企業が自社システムを構築するけれど、そのハードウェア資産はベンダーが持つことにして、ユーザーは利用量に応じた支払いをベンダーに行ってシステムを利用する、という仕組みを打ち出しました。それなら、「プライベート」でありながら資産管理はなくなるので楽になるでしょう、という論理です。この後の議論の便宜上、これを①としておきます。

また別のベンダーは、パブリックとは別に、ユーザーのために物理的に独立したシステム基盤のエリアをベンダー側に用意して、そこでそのユーザー専用のシステムを運用しようという仕組みをつくりました。ただし、運用業務そのものはパブリックとほぼ共通で行われます。これを②とします。

さらに別のベンダーは、パブリッククラウドの中に論理的にプライベートの空間を分割できる仕組みを用意し、そこでユーザー専用のシステムを構築できるようにしました。物理的には同じだが、ソフトウェアの制御によって、そのプライベート空間には部外者がアクセスすることができないようになっている、というものです。もちろん、ベンダーの運用業務そのものはパブリックと完全に同じです。これを③としましょう。

オンプレで構築するもの、それに加えて①②③と、簡単に列挙してみました。さらにいろいろな形態が他にもあるでしょうが、ここではやめておきます。

現状では、これらすべてが「プライベートクラウド」と呼ばれているのです。

それの何が問題なのか、と思われる向きもあるかもしれませんが、今回のコラムは書き始めたら長くなってしまいましたので、2回に分けて公開します。

ITをビジネスに活用してイノベーションを実現する経営?

標記のタイトルのようなことが盛んに言われていますが、この言い回しに憧憬を覚える経営者はイケてないと思います。

そもそもタイトルのような言葉を発している人物は、IT業界の関係者か、IT業界を取材しているマスコミ関係者のおよそいずれかであることに気付くべきだと思います。どちらでもないとしても、IT業界を社会的に引き上げたい思惑では一致している人物でしょう。もちろん、それ自体に害があるとは思っていませんが。

実は、いわゆるITを駆使する経営を実現している経営者と、そうでもない経営をしている経営者、それぞれからお話を聞くと、ごく表面的な部分においてはそれほど違いがないことに気が付きます。

というのも、あえて話を振らないかぎりは、どちらも自分からITや情報システムの話はしないのです。

ただし、そうする理由には大きな違いがあるのです。ITの話をこちらから振ってみると、その違いが分かります。

前者の場合、興味の中心はITそのものにはなくて、実現させたいプロセス、サービス、提供価値にあります。ITが駆使できている企業というのは、ビジネスとITの整合性が見事に取れています。そのため、ITとは「あるのが自然なもの」と見なされています。すでにシゴトの一部になってしまっているので、直接的な意識はITそのものにはなく、むしろITという技術をどのように自社のビジネスのしくみに取り込むかに関心があるわけです。

ですからITの話を振ると、「いや、ITを使うのなんて当たり前だから、特別なことはしていない」という態度を根底に持ちながらお話をされます。技術的なトレンドを把握しているのは当然、さらに自社で実験や検証もしているので、新聞より詳しいという方も珍しくはありません。

そうした経営者に、大きな成果を挙げている取り組みについて、「それはどうやって実現しているのですか」と問いかけると、そのとき初めて、その取り組みで活用している技術をくわしく(しかも、嬉しそうに)説明してくださるのが特徴です。

一方、後者の場合ですと、ほとんどにおいて「ITをもっと使いたい、使ってみたい」という話になります。「~したい」という言葉が出るのが特徴です。

会社として明確な設計意図をもってITを利用していないため、ITを使うことはある種特殊なことであるという意識がどこかにあると思われます。ですから、バズワードだけは新聞で読んで知っているけれど、自らにどう適用できるのかイメージがわかないし、自ら考えてみようとも思わないので、「利用希望」に留まるのです。

「ウチはビッグデータはどうなっているのか」「最近AIの話をよく聞くが、ウチでも検討してみろ」などとおっしゃる経営者は、およそこの部類に入ると思われます。こういう企業の場合は、ITを駆使することを考える前に、もっと根本的な考えかたを改変していただかないと、真の意味で「ITをビジネスに活用する企業」にはなれないと思います。

上記のことは、少なくともわたしのなかでは、その企業がイケてるITユーザー企業なのか否かを判断するのによい基準のひとつになっています。

AlphaGoにみる、ITという技術の位置づけ

先月、Googleが開発した人工知能囲碁ソフト “AlphaGo” が、現在世界最強と呼び声の高いプロ棋士と対戦して4勝1敗で圧勝し、大きな話題になりました。

全対戦が動画でネット中継されましたが、勝利を収めた4戦はいずれも、付け入るスキを一切見せない完ぺきな展開をAlphaGoが披露し、人間の棋士は接戦するも、なすすべがなかったという印象を残しました。

囲碁は、チェスや将棋と比べて複雑度が高く、コンピューターにとって難関と言われ続けてきました。2013年に将棋ソフトがトッププロ棋士との五番勝負で勝利を収めた際でも、しかし囲碁はしばらく無理だろうと言われていました。それだけに今回の圧勝には、専門家でさえも、これほどまでに早く勝てるようになったことに衝撃を覚えた出来事でした。

この出来事は、さまざまなことを物語っているように思います。その中から2つほど、わたしが注目したことをここで取り上げてみたいと思います。

まずひとつは、コンピューターがもつ能力の優位性です。

ここ最近、人間のシゴトの多くがコンピューターに取って代わられるという話題も注目されましたが、こと情報処理能力が問われる分野においては、いまでなくても必ずいつか、コンピューターが人間よりも能力的に優位になるということを改めて思い知らせる出来事だっただろうと思います。

実はAlphaGoは、囲碁のルールを一切知りません。過去の棋譜を単純かつ膨大に丸覚えし、かつコンピューター同士による数千万回もの膨大な数の対戦を繰り返してまた覚えることで、勝つパターンを身につけています。これまでの常識ではありえないことをやって見せているわけです。

自動翻訳ソフトのしくみも、似たようなからくりだと言われます。中国語が一切わからない開発チームが中国語を翻訳するソフトを作った、というエピソードもあるくらいです。

このことはつまり、高尚な戦略戦術など練らずとも、膨大なデータの存在と一定のゴール(正解)設定ができるものであれば、コンピューターはデータだけを用いて目的を達してしまうということです。必要なデータが何兆何京といった数字であったとしても、それが有限でありさえすれば、そのうちコンピューターはその量を克服してしまうでしょう。

ただ逆に言えば、データにならない(またはしない)領域はコンピューターが手を出せない領域ということにも、なるかもしれません。この点は、わたし個人がいわゆる「シンギュラリティ」という話に違和感を覚えていることにも通じています。

もうひとつ注目点を取り上げるなら、今回の出来事を通じて、ITの技術開発の最先端を行くリーダーの位置にネット企業がいるということが改めて示されたと感じます。

AlphaGoを開発したのはGoogleでしたが、1997年にチェスの世界最強プロを初めて破ったコンピューターを開発したのは、IBMでした。

IBMはいまでも、技術開発力では世界トップクラスの企業です。最近ではWatsonの開発でも話題を集めました。しかしそれにも増して、今回はGoogleのような、開発した技術を直接利益に換えようとはしないが圧倒的なコンピューティングパワーを擁する企業が、技術の限界を押し上げ、業界をリードしていることを印象付けたと言えます。

それだけ、ITの要素技術そのものはコモディティ化したということでしょう。もちろん人工知能の分野はいまだ発展途上ですが、企業にとって重要なのは、ITのさまざまな要素技術の特徴をとらえて、どれを組み合わせて使って何を実現するのか。このアイデアとセンスであると言えるのではないでしょうか。

 

会社でやったらダメな「議論」

最近、「議論」ということばによって人が抱くイメージについて、考えることがありました。

わたしは大学で講義を担当していますが、そのなかで「議論」をしようとすると、恐れる人、そうでなくても少なくとも緊張する人が多くいることを感じています。意見を交わそうとすると非常に遠慮がちになるし、説明が不十分な点を問うとすぐに撤回するし、さらにはそれ以前に反応しようとしない人もいます。時々ですが、それとは逆にこちらと”戦おう”とする勇敢な?人もいます。

これはマスコミの影響が非常に大きいのではないかと、わたしは考えています。識者と言われる人々がエンドレスで言い合いする”朝まで○テレビ”のような「議論」、与野党が激しく対立するところだけフォーカスする国会での「議論」、ソーシャルメディアでの発言をきっかけに炎上騒ぎになる「議論」。メディアでは、およそこんな「議論」ばかり取り上げられているように思います。

それらを目にすることで、「議論」とはああいう知識の弱肉強食合戦のようなものだと考えて、恐れたり関わりたがらなかったりという反応になるのではないか。そんなことを考えています。

わたしの考えでは、論破されるか合意するかに関わらず、意見を交わした結果として最終的に何の納得も得られない「議論」は、議論とは言えません。したがって、マスコミがこぞって取り上げるような前記のものは「議論」ではありません。テレビでやってもらうのは一向にかまいませんが、会社でそのような議論をやったら絶対にダメです。

しかし、会社の中であっても、あるものが欠けていると、実にカンタンに「マスコミが好む議論」が会社でも展開されてしまいます。関係者間で意見の対立が起き、侃々諤々の主導権争いをするも折り合わず、最後は社内政治で決まる、というような、「それなら最初から議論する必要はないだろう」というような話です。

その「あるもの」とは、関係者間での共通認識です。

会社であれば、「当社はどういうビジネスを展開して発展していきたいのか」「お客さまにどういう価値を提供したいのか」「どういう行動により社会の役に立とうとするのか」といったものが共通認識になりえるものでしょう。ミッション、ビジョン、といえば聞こえがいいですが、それよりもさらに理解を具体化したものでなければ不十分だと思います。

こういうものがあることで、関係者間で「我々はどうあるべきか」「何を成し遂げるべきなのか」「どのような仕組みを実現すべきなのか」という認識が共通化されるわけです。

いわゆる「マスコミが好む議論」には、この共通認識が参加者の間にありません。場合によっては、それを互いに持とうとしません。だから、エンドレスで議論しても結論がないのです。

こうした共通認識のないまま、例えば「クラウドはどうするか」という「議論」を会社で行ったなら、クラウドはやるべきだという勢力と、クラウドは慎重に扱うべきだという勢力が、真っ向から対立する構図になり、最後は声の大きなほうが勝つでしょう。それはまったく本質的な結論ではありません。その会社のやりたいビジネスに照らし合わせた時に、クラウドはどう活かせるのか、自分たちの役に立つのか。そういう議論をすることが、意味のある結論を導く唯一の道ではないでしょうか。

当然のことですが、この共通認識を持つにあたっては、経営者もそこに参加していなければなりません。それが意識的にできているなら、たとえよくわからないITの話を持って来られても、なにも恐れることはないはずです。

経営者なら断然注目すべき「Netflix靴下」

昨年末にNetflixが発表した、「Netflix靴下」というものがあります。

Netflixは、月額制で映画やテレビ番組が見放題になるストリーミングサービスを提供している米国企業です。米国におけるストリーミング回数総計では、YouTubeを抑えた圧倒的首位、2015年時点で会員数は世界で5700万人以上とされているサービスです。

そのNetflixが発表した「靴下」ということなのですが、何ができるのでしょうか。Netflixが提供する映画や番組を見ながらソファで寝てしまった人がこの靴下を履いていれば、靴下に装着されたセンサーがその人が眠ったことを検知して、視聴画面を自動で停止してくれるというのです。そうすれば、目覚めたあとで眠ってしまった場面から続きが見られる、というわけです。

一見すると半分冗談の交じったアメリカっぽい話のように思えるかもしれませんが、冗談ではありません。本当に使える代物です。ただし、Netflixがこれを自分で売っているわけではありません。実はサイトには「つくりかた」が解説されており、材料や回路図などと共に製作のステップが細かく示されています。

このエピソード、おもしろいニュースネタとしてただやり過ごすにはもったいないほどに、ITをどうにかしたいと考えている経営者には重要な示唆があると、わたしには思えます。

近年、「もはやITを業務効率化にだけ利用する時代ではなく、事業の拡大や活性化に活用すべきだ」ということが言われています。企業は、デジタルビジネスをいかに推進できるかが問われている、というわけです。

そのために何が必要でしょうか。単にITに詳しい人材が自分の会社にいればよいというものではありません。ビジネスとITを双方ともバランスよく理解し操れる人材が必要であり、かつそうした人材のアイデアを取り込んで実行できる社内環境が必要になります。

デジタルビジネスの実現に必要になる要素を端的に挙げるとすれば、「事業につながるアイデアの発想」「ITでできることに関する豊富な知恵」「事業シナリオにITの知恵を織り交ぜてしくみをデザインする能力」「しくみを実際に検証する体制」というものが大きいでしょう。

先ほどのNetflix靴下は、これらがすべてできているわかりやすい好例なのです。だから、経営者に注目していただきたいのです。

もちろん、このエピソードを「事業」と称するにはおこがましいし単純すぎることは確かですが、顧客の困りごとを解決しようとする方向性は同じです。

Netflixを利用する顧客が抱えているちょっとした困りごとに着目し、こんなものがあったら喜んでくれるだろうなというアイデアを発想する。それを実現する機能はITがもたらしてくれることを知恵として自ら引き出し、それを実際に創り出すシナリオを描き出す。「本当にできる」シナリオを組み上げて、あとは実行するのみにする。こうしたことがきちんとできているのです。

ITをビジネスに取り込み、デジタルビジネスを推進したいなら、「Netflix靴下」に端的に表れているような仕組みのデザインがトータルで実行できる人材ないしチームを自社に置くこと、そして彼らが行う提言に経営者や会社が耐えうること。こうしたことが要求されるのです。

この体制を整備するためのアプローチは、それほど多くはありません。社内でポテンシャルのある人材を見出して粘り強く育てるか、そういうことができる人材を見つけ出して雇用するか、その能力のある外部パートナーに支援してもらうか。

いずれの方法をとるにしても、デジタルビジネスを実現するのだという確固たる信念を経営者自身が持ち、経営者が積極的に動かなければなりません。すべては、経営者の本気度の高さがカギになっていると言えます。

現在、日本企業の多くは、その企業規模が小さくなればなるほど、自社としてクラウドをどう利用すべきなのかという判断さえうまくできないのが実態です。部下に丸投げしてよきに計らえでは、状況は何も変えられないどころか、下手をするとおかしな方向へ進んでしまって、しかもそれに気づくことができないかもしれません。

経営者に向けた、「参謀のトリセツ」

年の始めから頭の痛い話で恐縮ですが、経営に要求される能力は年を追うごとに幅が広がり、かつ知恵の深さも必要になってきていると感じます。わたしが専門とする情報システムの領域だけで見ても、最近では「AI」「IoT」「標的型攻撃」「○○Tech」「マイクロサービス」など、その奥行きは相当なものです。

言うまでもなく、経営者が関与すべきことは多岐にわたります。一人ですべてを知り尽くし判断ができるなら、それがベストであろうと思いますが、それはほとんどの経営者にとって無理でしょう。そうした知見を補うために、何らかの形で「参謀」を置くのは、いまや必須と思います。

自らのそばに参謀を置くときに、経営者の方々に間違ってほしくないことがあります。それは、「参謀に依存しない」ということです。

べつに禅問答ではありません。参謀に依頼するからといって、自らの頭脳まで参謀に預けてしまってはいけないということです。

参謀は、経営者が知らない知見や、キャッチアップが困難な情報を、経営者に授けてくれます。ただしそれは、参謀の「個人的所見」に過ぎません。経営者は、参謀の所見を聞き、内容を理解した後に、「議論する」ことを放棄してはならないと思います。参謀は、単なるシンクタンクではありませんし、そうあってはなりません。参謀の役割とは、知見を提供するのみならず、経営者と議論を深めることで、経営者のよりよい判断に貢献することなのです。

これを明確に意識していない経営者のとる行動は、次のうちのどちらか - 参謀の意見を丸呑みするか、参謀の意見を完全無視するか、です。

前者の場合、およそそうした経営者は、自らの知らないことに関しては表面的なことしか気にしません。「ビッグデータとは何だ」「ほかの会社はやっているのか」などと参謀に質問し、事例を答えると「ウチも検討しろ」と言います。本質の理解に乏しいその方針は自らの魂が宿ったことばにはなりませんので、社員に伝わりません。こうして判断された方針では、不思議なくらいに実行のパフォーマンスが上がらないものです。たかが方針、読めば(聞けば)わかるだろうと思いたくなりますが、リーダーの気持ちが方針に乗っているかどうかという部分は、測れないことですが重要なカギを握っていると思います。

後者の場合、およそこうした経営者は、新しい考えや新しい動きを、くだらないもの、自らとは関係ないもの、などと見なそうとします。面倒を押してでも新しい知識を自分のものにしようとはしないため、参謀の進言に耐えることができません。無視するということは、その根底には、感情的な拒否反応があろうかと思います。

ときに、経営者の認識よりも参謀の認識のほうが正しいことがあります。こうした状況では、経営者は自らの意見を曲げられなければいけないのですが、これは特にトップにとってはなかなか難しいことではないでしょうか。それを自然なかたちで可能にするのは、経営者が参謀の意見をリスペクトし、そのうえでの建設的な議論を通してではないかと思います。

そして議論をしようと思えば、そこには自らの知識と意見が必要になるわけです。

こうしたことに留意いただきつつ、参謀を自らのそばに置き、それでいて頭脳は預けず、その能力をうまく引き出すように、取り扱っていただきたいと願う次第です。

ROA、ROE、ROIという数字遊び

財務指標を経営目標として重視している企業は珍しくありません。特に、上場企業に多いような気がします。

それらを評価の「ひとつ」として参照するのであれば役に立つだろうと思いますが、それ「しか」見ないのであれば、大局的な方針判断はしにくいのではないかと思います。

財務指標は、ひとつだけを取って見るのでは、極めて一面的です。そして、本来その財務指標が意味する本質を離れ、(言いかたはよくありませんが)数字遊びをすればどうにでもよく見せられる側面があります。

例えばROA(総資産利益率)。本来この指標は、持っている資産をいかに有効活用して利益につなげたのかを見る指標です。ただし、この指標において、利益と資産以外のものは評価対象に入ってきません。この指標だけ見て評価するのなら、利益を増やす努力や工夫はしなくても資産を減らすだけでROAは改善します。

以前、ある著名企業のCIOが、自社の情報システムをすべてクラウドに移行することを発表していました。その企業は経営指標としてROAを重視しているといい、「これで当社のROAが改善する」と誇らしげに語っているのを見たとき、そんな目的で移行すると知ったらきっと株主は怒るだろうなと思ったものです。

最近では、ROE(株主資本利益率)もよくトピックに挙がる指標です。本来は、株主が投資してくれたおカネをいかに効率よく利益につなげたのかを評価する指標です。ただしこれもまた、株主資本(自己資本)を減らして借り入れを増やせば、向上します。もしこの分野の評価をするのなら、その企業が資本を活用するロジックを明確にして、その効率性を評価するようにしないと、本当のところは判断できません。

財務指標とは少々離れるかもしれませんが、ROI(投資対効果)は、よく情報システム関連の投資をする場合に出てくる指標です。いい加減でムダな投資をしないようにするため、という評価目的は真っ当だと思いますが、多くのシステム投資案件ではリターンを明確にすることが困難です。ネットワーク環境やシステム基盤刷新などのITインフラ整備、情報セキュリティ、情報分析環境整備などは、典型的な「リターンを明確にしにくい投資」でしょう。

それでも一律にROIを要求すると、意味が薄い、単なる数字遊びが始まることになります。部下が頭をひねってムリヤリ考案した、一見美しいシナリオは、これまで経営にどれほどの意味があったでしょうか。

情報システムは、ビジネスのしくみを支援するためのものです。見かたを変えて言えば、ビジネスのしくみのないところに情報システム導入は原則としてあり得ません。ビジネスのしくみが明確になっているのなら、情報システムに投資することそのものに迷うという話は基本的にあり得ず、迷うとすれば「その案で、想定しているしくみが本当に効果的に実現できるのか」という視点になるはずです。

指標は参照するのには便利ですが、その指標の裏側にあるロジックが具体的であればこそ意味を持ち、活きてくるものではないでしょうか。ロジックの裏付けなく指標だけを見て判断しようとすれば、芽を育てるべき無骨な案件は迷うことなく却下され、本当のところを隠されて文章や数字でお化粧された素敵な案件は承認されるという、本末転倒な事態を招きやすくなり、かつそれに気づかない。こうした成り行きになるではないでしょうか。

もし好ましくない評価値が出るのなら、その要因をロジックを辿ることで理解し、改善または再検討を図る。このようにして、指標は利用すべきだと思います。

ゴルフトーナメントに見た、技術イノベーションの一例

先日に目にして、大変すばらしいと感じた記事を紹介しておきたいと思います。

日経BP社の情報サイト「ITpro」に掲載された、スポーツとIT技術の融合によるイノベーションを取材した記事です(全文閲覧には会員登録が必要)。

紹介されているのは、女子ゴルフトーナメント「富士通レディース」にて実験的に提供されたネットサービスで、

  • 特定のいくつかのホールや練習場の様子をリアルタイムでネット中継
  • 試合翌日以降、指定条件にヒットするプレーシーンだけを一気見できるショット検索
  • アーカイブ映像中の選手のウエアやギアをクリックすると当該商品の詳細がすぐ見られる、インタラクションVOD

を提供したというものです。

わたしの拙いことばだけではイマイチ良さが伝わらないと思いますが、記事を参照いただくと写真付きで説明されていますのでご覧いただければと思います。ゴルフファンには大変好評だったそうなのですが、実はわたしはゴルフをしませんので、その興奮度はいまいちわかりません。それよりもわたしが感心したのは、このサービスの開発経緯です。

実は上記の3つのサービスのうち、「ショット検索」サービスの原型は、プロ野球パ・リーグで提供されている「対戦検索サービス」だとのこと。パ・リーグ6球団の各種権利をとりまとめるパシフィックリーグマーケティングが、新しいサービスのヒントを求めて富士通を訪問し、さまざまな技術を紹介してもらう中で、ある技術を見てピンときたのだそうです。

その技術とは、「河川監視システム」。

一体なんのことやらと思いますが、河川監視システムに活用されている、映像認識と関連データのタグ付け技術を見学して、野球の試合映像で誰の打席かを認識させることを思いついたのだということです。

この話を聞いて、これこそまさに、技術を活用したイノベーションのお手本だと感じました。

ビジネスリーダーは多くの場合、技術をよく知りません。そういうビジネスリーダーが、よく知らなくても技術に対する可能性に関心を持ち、自ら情報収集しに行っていることが、まず素晴らしいと思います。

こうした情報収集や調査活動は、結果としては空振りに終わることがほとんどだろうと思います。しかし、新しい芽を見つける活動とはそんなものです。そう理解したうえで、知見の蓄積は当然行うものの半ば楽しんでこうした活動を続けていると、このケースのように「ピンとくる」瞬間が訪れるのではないでしょうか。

一方、技術者も多くの場合、ビジネスで要求されている事項をよく知りません。業種が異なればなおさらです。そういう技術者が、技術を開発するだけで満足しそうなところを抑えて、ビジネスに何とか使えないかと常々模索する姿勢もまた、素晴らしいと思います。特に、上記の3つ目のサービス「インタラクションVOD」では、富士通は社内で相当に議論して、技術活用とマネタイズの両立のアイデアを練ったそうです。

こういう取り組みも、一般的には多くの場合、空振りに終わります。しかし、そういうものなのです。それを前提として、組織として継続的に追求できるかどうかが問われるのです。

技術活用に限らないでしょうが、世の中にインパクトを与えられるアイデアを獲得できる確率はそれほど高くはありません。取り組んでいるわりに成果の出ない日々が続くものです。しかし、アイデアを獲得しようと努力することがない組織にアイデアが降りてくることは決してないのも、また事実だと思います。他社のおもしろいアイデアを後から真似すれば楽ですが、それで得られる充実感はないでしょう。

このような取り組みは、基本的に好奇心にあふれた環境で行われるべきだろうと思います。この事例のように、互いに努力を重ねるビジネスサイドの関係者と技術サイドの関係者が交流の機会を持ち、それぞれのアイデアや構想を披露し合い、そのなかから興味深いアイデアが浮かぶ。こうした環境を持てると大きな強みになるだろうと感じました。

一流の企業と「あいまい」

わたしは、企業が「ビジネスのしくみ」を構築し洗練化する取り組みを、当社が持つノウハウを駆使して支援しています。

こうした取り組みは、往々にして面倒な作業を伴うことが多いものです。時に、コンサルタントという存在に対して即効性のある処方箋だけを求める企業もあります。そうした対策が一時的には重要であることは否定しませんが、それしか要求しない企業と当社は、ほとんど水と油のような関係ですので、残念ながらご縁がありません。

「自分の会社の仕事は、自分たちがよくわかっている」と言う企業の関係者は、多くいらっしゃいます。しかしながら、わたしの個人的経験から申し上げれば、会社のビジネスのしくみをあぶりだそうと取り組んでいくにつれ、実はあいまいな基準のまま処理していたこと、なぜそのような処理をするのか理由をだれも知らなかったこと、ある人と別の人では実は基準が異なる判断をしていたこと等々、さまざまな「知らなかった」が浮かび上がってくるものです。

そして実は、ビジネス上の問題が発生する要因の多くは、こうした奥底に隠れた「あいまい」な部分にあることが多いものです。

見かたを変えて言えば、ビジネス上の問題が発生した場合、表面的な手続きや担当者の問題を追うだけでは、本質をつかめない可能性が高いということにもなります。問題というものは、なんらかのメカニズムに基づいて発生しています。ビジネスのしくみに切り込み、業務構造のすべてを大局的かつ詳細に把握できない限り、問題要因の構造は見えてこないものなのです。

最近、VW社による排ガス試験の不正問題が大きく報道されています。この要因について、ただ表面だけを見れば、不正なソフトウェアを導入した担当部門と、その管理責任者がクローズアップされるだけでしょう。

おそらく問題の本質は、もっと奥深く、幅広い部分にあるのかもしれません。本気で是正しようと取り組むなら、その企業のビジネスのしくみがそもそもどうだったのか、という問題に及んでいかなければなりません。本質に迫らなければ、似たような問題が別の形でまた起こってしまうでしょう。

どんな分野においても、一流と呼ばれる人や組織は、所作が洗練されています。その所作についてなぜそうなのかと質問すると、どんなことを問いかけても明確な回答が即座にかえってくるものです。考え尽くされた動きには、あいまいさがないのです。

一流が常に根拠を求めるのは、人間とは弱い存在であるということをよく認識しているからではないかと思います。根拠のないあいまいさは、甘えを生みます。その場の気分に流され、「このくらい別にいいだろう」「なんとかなるだろう」という甘えが生じるのは、常に根拠が希薄な部分です。だからこそ、一流は所作に根拠を求め、根拠を基に自らを制約するルールを課し、それを厳格に守るのだろうと思います。

どんなビジネスにおいても、顧客は二流や三流ではなく、一流のものを購入したいと思うはずです。面倒がらずにビジネスのしくみを磨くことで、どんな企業にも一流を目指していただきたいものです。

最近気になる、CIOの二極化

大きな企業のCIOが、講演やインタビューなどさまざまなところで発言しています。これまでわたしも、たびたび参考にさせていただいてきました。

最近、そうしたCIOの発言を聞いていて、気になり始めたことがあります。CIOの根底にある志向が、どうも二極化しているように感じられるのです。

この傾向は、クラウドが流行り始めてから顕著になってきたような気がしています。

わたしが気になっている2つの極、そのうちのひとつは、ビジネスのあり方を起点に施策を決めようとする志向です。

この志向を持つCIOの話は、必ずと言っていいほど、自社のビジネス展開が基軸になっています。ビジネスはこれからどうなっていくべきなのか。どんなビジネスをしたいのか。そのために必要な業務のあり方は。いまの業務プロセスは理想とどのくらい離れているのか。こうしたことがまず念頭にあって、そこからシステムの話が出てきます。

このようなCIOに、あなたの会社のコア・ノンコアは何か?と問いかければ、自社のビジネスモデルを踏まえたコア業務・ノンコア業務を回答します。

一方、もうひとつの極。それは、IT部門や情報システムを起点に施策を決めようとする志向です。

この志向を持つCIOの話には、必ずと言っていいほど、早い段階でコストの話が出てきます。次に多いのが、システムの柔軟性の話。もちろん「柔軟性がない」という話なのですが。システムが複雑になってきた、という話も多くあります。

そこから展開されて、いま取り組んでいるなかで “ちょっと自慢できる” システムの話が出てきます。最近で言えば、「クラウドに全面移行した」「BIツールを採用して使っている」といったようなことです。

このようなCIOに、あなたの会社のコア・ノンコアは何か?と問いかければ、IT部門のなかの業務や既存システムのノード(”○○システム”と名がつくようなもの)から、コア・ノンコアを分類しようとします。ビジネスモデルの話は、この志向を持つCIOの話にはまず出てきません。

推察するに、これは「普段の関心がどこにあるのか」に左右されているところが大きいのでしょう。

CEOや、自ら以外の幹部役員とどのような会話をし、周囲からどのような期待とプレッシャーを感じ、自らの活動領域はどこで、どのようなアウトプットが重要と考えているのか。こうした意識が、取材などにおいても出てくるものと想像されます。

昨今では「ビジネスにいかにITを貢献させるか」が、CIOクラスの一大テーマになっているのは、多くの方がご承知のとおりです。この問いかけに対し、CIOがどの志向をもっているかで、取り組む方向性はまったく異なる気がしてなりません。

「ビジネスへの貢献」を要求されて、ビジネスモデルのさらなるアップグレードを目指すのか。または、さらなるコスト削減と効率化の余地を探すのか。「ビジネスへの貢献」と聞いて、顧客を思い浮かべるのか、情報システムを思い浮かべるのか。

その結果は、短期的にはどちらも好ましいものにはなるかもしれません。しかし、会社が必要とするCIOとは、本来どうあるべきなのでしょうか。経営者の方々には、どちらの志向を持つCIOがよいのか、一度思いを巡らせていただくことをお奨めしたいと思います。

その答えによっては、CIOに対する接しかたを変えなければならないかもしれません。