「買い物体験」、なんだか怪しい

最近、小売業ではデジタルを活かして新しい価値を顧客に提供しようという動きが活発です。

スマホアプリを顧客に使ってもらってクーポンを提供したりおススメを紹介したりするのは、さほど珍しい取り組みではなくなってきました。どの企業も、実店舗での買い物とECでの買い物を結び付けた、いわゆるオムニチャネルを何とか成功させようと、あの手この手を凝らしています。

このときによく出てくるキーワードが、「買い物体験」ということばです。買い物という行為を顧客体験として捉え、顧客に斬新な体験価値を提供しようとし、そのカギとしてデジタルをフルに活かそうという考え方をしているようです。

こうした事例もいつも興味深く見つめているのですが、実のところ個人的には、斜めから見ているようなケースも少なくありません。

怪しいなと感じる理由のひとつは、「買い物」と「体験」は本来別のものであって両方を追おうとするならそれは案外難しい、ということです。

ビジネスにおける提供価値は大きく2つの分野に分けられます。ひとつは「困りごとの解決」、もうひとつは「心地よい体験の提供」です。世の中のビジネスで提供されている価値は、およそこの2つのどちらかに当てはまります。

なかには両方に当てはまるビジネスがありますが、これまでわたしが観察してきた限りでは、「困りごとの解決」を提供しようと価値を追求してきたところ、次第に「心地よい体験の提供」による差別化を図るようになってきた、というのがほとんどです。そうした企業の場合、主たる価値提供は後者に転換されています。つまり普通は、2つの提供価値のうちどちらか一方が主であったり根本であったりするものだと、わたしは考えています。

そのような考えのもとで先ほどの話に戻ると、「買い物」は困りごとの解決、「体験」は心地よい体験の提供、とそれぞれ分野が異なります。

にもかかわらず、「買い物体験」を掲げる小売業は両方とも追いかけようとしているように、わたしには見えてならないのです。「買い物」なら徹底して買い物の利便性を上げる。「体験」ならまるで温泉やアミューズメントパークに来たかのように楽しんでもらう。どちらに注力するのかを意識し、どちらかを徹底的に追及して作り込まなければ、顧客からはどちら付かずの中途半端なモノに見えてしまう可能性が高いです。

少なくとも、片方を追求した会社にはその分野で負けます。「買い物体験」を追求した企業が、心地よい体験の提供を追求するアミューズメントパーク、例えばディズニーランドに、そのうち勝てるのか、という話です。

怪しいなと感じる理由をもうひとつあげると、デジタル化を図る企業の下心がものすごくうかがえる点です。

顧客の買い物をデジタル化することで、顧客の動きを逐一データ化し、顧客の志向や考えをつまびらかにしようと狙っている企業ほど、こうした取り組みを積極推進しているように見受けられます。

そうした分析を純粋に提供価値の向上につなげようとする企業もあるでしょうから、その取り組み自体を否定はしません。ただし、どういう考えでその企業がデータを扱い、使おうとしているのかは、そのビジネス行動に現れます。顧客はそれを見て、度が過ぎると感じれは気持ち悪さを覚えます。それは言うまでもなく、その企業への信頼につながります。

顧客が買い物に店舗を訪れ、ふと天井を見上げると、おびただしい数のカメラや通信機器がこちらを捉えているのを見つける。場合によっては商品棚にまでセンサーが仕掛けられている。このような店舗で買い物していて、果たして顧客は気分がよいものなのでしょうか。

実際、例えばECサイトのレコメンドに対しても、後から追いかけてきて推薦されることにいやらしさや気味悪さを感じていると回答する人が多いことが、各種の調査からも明らかになっています。

こうしたことがどうあるべきなのかは、経営者が打ち立てるべき、企業としての倫理観の問題です。法に則っていれば何をしてもよいという考えには、およそ洗練された矜持のようなものは見受けられません。

先日も、利用者の同意なく個人データを外部に提供して行政から是正勧告を受けた企業がありました。この企業の経営者は、問題のサービスを提供することを部下から知らされたとき、問題を何も感じなかったと述べています。個人情報の取扱いについて、経営者としてそれを重視するポリシーやセンスは不在だった実態が明らかになった。わたしはそう理解しています。

特に技術者は、分析したい、取れるデータはなんでも欲しい、知ることができるなら何でも知りたい、と追究する気質であるのが(良いか悪いかはともかく)自然でしょう。リーダーがあるべき姿を何も示さなければデジタル担当者はそのまま突っ走るという、他山の石として捉えるべきではないでしょうか。

個人的には、「買い物体験」を追う試みはおそらくなかなか成功しないだろうと思いながら、観察しています。