経営者や経営幹部の方々とITの話をするとき、時々出くわすのが、「自分はどこまでITのことを知っているべきなのか」という論点です。
というよりもむしろ、「経営者である自分は、ITのことなど詳しく知っている必要はないはずだ」という認識を下敷きにしているように感じられます。ITに限らず、財務管理会計にしても人材育成にしても法律にしても情報セキュリティにしても、同じ話です。
誰しも得意分野と不得意分野があり、不得意分野は積極的に学びに行かないでしょうし、覚えようとするだけ時間の無駄に思えてくるでしょう。または、自分があまりその分野が得意でないことを見せたくない、という自尊心も働くのかもしれません。
しかし、残念なことに中小企業ほど、企業規模が小さければ小さいほど、その経営者はあらゆる企業運営の分野において万能である必要がある、とわたしは考えています。なぜなら、企業規模が小さいほど、その経営者個人の能力で、その会社の組織としてのパフォーマンスがほとんど決まってしまうからです。つまり、その会社の経営者が不得意なことは、そのまま、その会社の不得意分野になりますし、その会社にとって脆弱な領域になるのです。
もちろん、経営者個人があらゆる業務をこなす必要があるということではありません。しかし現実は、経営者がケアしようとしない業務領域は、その会社では管理が行き届かず気にされないのが、企業規模が小さくなるほど自然な成り行きです。例えば、ITを気にしたがらない経営者の会社は、たいていは組織のITレベルは低いです。
たとえ「自分にはできないから専門人材を雇って責任者に据えた」としても、同じです。そうした専門人材のやりたい放題にして管理できない会社のIT運営レベルは、だいたい高くありません。そもそも、責任者を選定しようとする人がよくわからない分野の専門人材について、その人材が自社にとって適切だという判断が果たしてできるものでしょうか。その人材の働きが自社にとって適切になっているという評価が、果たしてできるものでしょうか。
冒頭に挙げたような論点で、もしわたしが「経営者が細かいことに詳しい必要などあるのか」と聞かれたら、次のように答えます。
物事を「知る」ということには、レベルがあります。例えば、思いつくままに言えばこんな分類です。
1.他人に指導できるほど身についている
2.知っているうえに、自分でこなせる
3.知っているけれど、自分ではできない
4.知らないということを、認識している
5.知らないということに気づいていない
経営者は、”5番目” を限りなくゼロにする必要があると思います。
車の運転に例えていうなら、4番目の状態は、道路のすぐわきに崖があることが分かっている状態で、ハンドルを握っている状態です。一方で5番目の状態は、道路のすぐわきに崖があることを知らずに、ハンドルを握っている状態です。5番目が多い経営者は、自覚なしに危ない動きや判断を行います。しかも、それが危ないということに気付きません。
以前、ある大手企業グループが子会社を作って電子決済サービスを始めましたが、サービス開始直後に不正アクセスを許し、利用者のアカウントから不正にお金を持ち出されたという事件がありました。発覚後会社は記者会見を開き、社長が謝罪と説明に当たりましたが、その社長はある記者から「二要素認証をなぜしていなかったのか」と問われて、答えられませんでした。
彼は「二要素認証」という技術のことについてまったく無知だったのが、回答できなかった理由でした。
そんなことも知らない会社に大事なお金を預けていいのかとソーシャルメディアでは炎上騒ぎになり、大手メディアでも大々的に取り上げられ、結局その会社は、決済サービスの全面停止、社長の辞任、を通り越して、会社自体をたたむという判断に至りました。
おそらくこの社長は、情報セキュリティについては上記の5番目の状態だったのだろうと推察されます。もし少なくとも4番目の状態であったら、本人の危機管理能力次第ではあるでしょうが、知識補強なり理論武装なり、事前に準備を施すことは可能だったはずです。知らないことに自ら気付いていなければ、知らないままでいても何も感じることはありません。対策や準備は一切不可能です。
このようなかたちで、知らないでいることに平気でいる状態で下す判断は、運がよい場合を除いては、不適切で浅はかなものになります。経営者がそのような判断をすれば道を誤るわけですが、本人にはその自覚がまったくないので、極めて厄介です。
ちなみに、5番目の状態を限りなくゼロにするためには、一旦はあらゆる物事を知ろうとする努力が必要になります。つまり、不得意であろうが、気が向かなかろうが、時間がなかろうが、難解であろうが、経営に携わり社員をリードする立場である以上は、あらゆる分野のことを学習し、ひととおり人並み程度には知識を体系的に獲得しておく必要がある、ということです。
「他人に委ねて自分はラクをしよう、他にもやることがたくさんあるし」などという考えは、少なくとも社員数1000人を超えるような規模の企業に育て上げるまでは、潔く捨て去ったほうがよろしいかと思います。経営は、幅広く高い能力を要する大変な仕事です。