「わからない」「難しい」は、組織が不健康である証

先日、一般企業の経営者および従業員に対する意識調査の結果を報じる記事を見ました。

それによると、20代から40代の一般社員と管理職で、DX(Digital Transformation)に対して不安を感じるという人が、60%近くに及んだといいます。その一方で、経営層やエキスパート層では、不安は比較的小さいとのことでした。

記事では、エキスパート層の不安が小さいのは妥当としても、経営層の不安が小さいというのは自信過剰か丸投げ体質の表れなのではないかと指摘していましたが(笑)、わたしが個人的に興味を引いたのは、そちらではありません。一般社員と管理職の不安の「度合い」です。

というのも、その不安の理由として挙げられたもののうち最多だったのが、「わからないことが増えて追いつけなくなる」だったためです。

これは調査結果ではなくわたし個人の見解ですが、ビジネスパーソンが「わからない」「難しい」と述べるとき、それは字面通りの意味で捉えるべきではないと考えています。

職業柄、ITに関連した新しい技術の話はもちろん、ビジネスを考察するうえで必要な概念やフレームワークを説明する機会がたくさんあります。そのような場において、「わからない」「難しい」という反応をされることは珍しくありません。

始めは、わたしの説明のしかたが悪いのだと思いました。実際にそういう時もあっただろうと思います。

しかし、ごくシンプルな問いかけをしたときでさえも、同じ反応だったことが何度もあったのです。それで、なぜなのか考えてみたことがあります。

これまでのそうした経験を振り返ってみると、じつはその反応は「人による」かもしれないことに気付きました。つまり、成長意欲が高い、普段から課題解決に当たっている、できることを増やしたい、そんなことを考えている企業や人からは、「わからない」「難しい」はほとんど出てこない。一方で、日常業務レベルでの困りごとくらいしか課題がない、今のままで別に構わない、余計な仕事を増やしたくない、そんなふうに考えている企業や人だと、新しいことの説明をするとほぼ決まって「わからない」「難しい」が出てくる。そんな傾向です。

後者の企業や人の場合、考えているように見えて、実のところ思考そのものは活動していないと思われます。

そもそも人間の脳というのは、記憶した所作や行動は、できるだけパワーをかけずに処理できるようにするために、神経のネットワークを強固にします。最終的には、そのネットワークのパスに条件反射的に通すことで、考えなくても動作できるようになります。そうして覚えていかないと多くの複雑な物事に対処できないわけであり、脳は合理的に構成されているといえます。

ただしそれは、見かたを変えれば、できるだけ考えないようにしようと働くのですから、「脳にはさぼり癖がある」ということです。それが極まって、日常の活動のほとんどのことを覚えてしまえば、実は脳のほとんどの領域はシゴトしていない、シゴトしなくても生きていける、という状態になるわけです。

会社のあるある話として、新しく入ってきた社員が業務のやり方に対して素朴な疑問を投げかけると、ベテラン社員が「前からそうしているから」「これまでに例がないからできない」「ウチではそうしない」などと回答するだけで、そのやり方である理由は答えられない、というのを聞いたことがないでしょうか。それもまた、同じ類の話です。そうしてムダをムダと思わない現場が放置されていて誰も気づかない、などということが起こります。

しかし、脳がさぼってシゴトしないかどうかは、個人の意識次第です。物事をマスターすることで脳が稼働するパワーが空くなら、その余力を使って違うことや新しいことを考えようとしている人、そういう環境に身を置いている人、ならば、脳にさぼっている暇はないわけです。

要するに、その企業の社員が、目指すものや克服しなければならない課題を持ち、何とか達成しようと日常的に頭をひねりながら働いているのか否かの差、つまりその会社の企業文化の差、が生み出す傾向なのではないか、と考えられるのです。

すなわち、「思考停止」が常態化する企業文化を形成してきてしまった、経営者の問題なのです。

わたしが読んだ冒頭の記事の記者氏は、DXに不安を感じないなど経営者の自信過剰だと指摘していましたが、わたしの考えではそんな浅い問題ではなく、会社が成長するためのリソースとしてパワー不足であることの表れなのではないか、それは経営者が適切に目標設定し組織としての成長を促してこなかった結果なのではないか、ということなのです。

もちろんこの問題、経営者の意識と行動次第で、解決することができると思います。ただ、ヒトの問題なので時間はかかりますが。

「表現力」がビジネスシステムの根源

昨年は幸いにも多くの企業様と出会い、支援させていただく機会にも恵まれました。

世間では「DX」ということばが流通し、一般の企業でも随分トピックに上がっていたように感じました。ただ、わたしが実際に支援をしていて一番感じたのは、デジタルの活用力がどうなのかではありません。「”表現力” がそもそも根本的に大事な力だな」ということでした。

表現力というと、なんともアートな世界に思えるかもしれませんが、実のところどんな企業でも、普段のシゴトの中で使わなければならない能力です。社長が経営方針を発表する、今期の売上に直結する事業企画をプレゼンする、顧客に対応を行った経緯を社内で説明する、トラブルの原因を分析してまとめる。あらゆる立場の人が、あらゆる場面で必要とするのが、表現力です。

表現力が乏しいと、周囲には理解してもらえません。根を詰めて考え抜いた思考も、他人に伝わりません。本当は的を射た良いアイデアであっても、理解できません。大事なことを定めて周囲と意思統一したくても、気持ちをひとつにできません。ほかの人にやってほしいことがあっても、うまくやってもらえません。

表現力のようなアナログな話と、ITを扱うデジタルな話は、まったく別世界のことに思えます。しかし、ことビジネスシステムにおいては、企業が何を達成したいのか定められたところに、あるべき姿のデザインが行われます。そこで、情報を基にしたビジネスロジックが設計されます。そうしたデザインを経て初めて、役に立つシステムが具体化されるものです。

そうであるとすると、そもそも根源にあるのは、「何をしたいのか」「何がなされるべきなのか」ということですが、それは誰かによって「表現」されないと、日の目を見ることはありません。日の目を見ないということは、根源が生まれないことになるわけですから、何も起こらない、ということです。

当たり前のことに聞こえるかもしれません。しかし、「何をしたいのか」「何がなされるべきなのか」がどれだけうまく表現できているか、そこで差がついているケースが非常に多いように思えたのが、わたしが昨年中の支援を通じて最も感じたことでした。

ぼんやりとしかイメージがない物事を言葉で表現する、まだ具体化できていない内容を図式で表す、課題の根源を探るためにからくりを見える化する。こうした表現力があるかないかは、企業の組織力さえ左右する極めて貴重な能力だと思います。

わたしも他山の石とすべきことですが、経営者のみなさんもまた、ご自身また社内の人たちの表現力を一度見つめなおし、また磨く機会を豊富に設ける取り組みをされてみてはいかがでしょうか。みなさんの会社の社員は、他人が抱えているモヤモヤをスイスイ図式化できますか?ご自身がつくる経営会議の資料は、気づけば文字だらけで、誰にも読んでもらえそうにないものに仕上がっていませんか?図や表は書いてみたけれど、レイアウトや言葉が稚拙で何が言いたいのかよくわからないことはありませんか?

組織の表現力がいまより倍増するだけで、決して大げさではなく、会社のビジネスシステムのあり様が大きく変化するかもしれません。

新年にあたり、わたし自身も改めて心掛けていきたいと考えています。