その「カルチャー」、どれほど大事ですか?

先日読んだ複数の記事によると、残念ながらというべきかやはりというべきか、日本企業のDXの取り組みはかなり雲行きが怪しいものになっているとのことです。

経済産業省が昨年末に公開した「DXレポート2(中間取りまとめ)」によれば、国内223企業が自社のDX推進状況を自己診断した結果、2020年10月時点で9割以上が未着手や一部での実施にとどまっているとのこと。また、同じ結果を情報処理推進機構(IPA)が分析した結果では、部門横断で持続的にDXに向けた取り組みを実施している企業は全体のわずか8%と報告されました。

別の角度の報告として、日経BP 総合研究所 イノベーションICTラボによる独自調査「デジタル化実態調査2020年版(DXサーベイ2020年版)」では、DXプロジェクトに関する経営トップの姿勢を分析しました。その結果、「(経営トップはDXプロジェクトの)重要性を理解しているものの、現場任せ」が37.5%を占めたといいます。「重要性を理解し、DX戦略をリードしている」は13.7%しかいなかったとのことです。

リーダーの丸投げ体質が幅を利かせ、お題目だけで何も進まない、という、従来型の日本企業の典型像が想像できるような結果だと思います。バズワードくらいでは体質まで変わらない、という、当たり前の結果とも受け取れるかもしれません。

一般論として、平時のリーダーシップと有事のリーダーシップは、あるべき姿が異なると言われます。平時においては、民主的なボトムアップを尊重し、その環境を整え維持するリーダーシップのほうが有効です。一方で、変革を伴う有事においては、強いリーダーが場合によっては強権を発動してでも、ある一定の方向へ集団を導くリーダーシップでないと、組織を窮地から救うことは困難です。

有事というのは、なにもネガティブな危機だけを指すのではありません。社会の進展、業界環境の変化、競合の台頭、顧客の志向変容なども、対象になる企業にとっては有事です。デジタル社会もまた、従来型のビジネスのやり方では立ち行かないという点で、同じ文脈に当てはまります。

有事のリーダーシップの問題という側面では、最近の政府の新型コロナ対応にもその典型がうかがえるように、わたしは感じています。

昨年終わりごろからいわゆる第3波が到来し、各方面でこれまでにない切迫した状況に陥ったところであるのは、周知のとおりです。マスコミに煽られて多くの国民が政府の対応を批判し、内閣支持率が下がっていると聞きますが、そもそも第3波に至った最大の要因は、政府の無策や怠慢ではなく、感染に対する危機意識が大きく緩んだ国民が大勢いることにあります。そうした国民には、政府を批判する資格はありません。

これは、感染拡大の元凶と目される若者層だけではなく、投資してでも出勤の大幅制限を実行しない企業の経営者も同罪だと、わたしは考えます。わたしが現在関わる企業はすべて、出社や出張は厳しく制限し、勤務はおおよそ95%程度は遠隔です。緊急事態宣言後も変わらない通勤風景の映像を見るにつけ、驚きを禁じ得ません。

一方で、こうした危機的状況を目前にしてもなお「皆様のご協力をお願いします」としか呼び掛けず、どれだけの批判と抵抗に遭おうが私権の制限に踏み込んででも絶対に止める、という気迫が見えない政府にも、有事のリーダーシップとして問題があるとの指摘は免れないと、わたしは考えます。

国民も政府もどちらも、あるべき姿を捉えて、それに向かって「自身を変える」行動をしようという意識が十分ではない。そんな状況ではないでしょうか。なんだか企業のDXに対する態度と同じに見えてきます。DXもまた、企業のビジネスそのもの、これまでの常識、従来からの前提、そうしたものを変革する行動なのです。

とかく日本の企業ではリーダーシップが弱いか緩い組織が多いと、個人的にも感じることがあります。階層が深い組織ほどそうです。あるべき姿を提言すると、それに賛同しながら、「理想はそうだね」「うちのカルチャーではなかなか難しいんだよね」などという発言が返ってくることがあります。そうした反応は、リーダーシップを強力に取れる人物がその組織にいないことの現れであると、わたしは捉えています。何事も、変えるのは楽ではありません。リーダーシップの弱い組織で変革を進めるのは、それこそ「カルチャーに合わない」のです。

そのカルチャーを守るのと、顧客や社会にさらに大きな価値を提供して業績を挙げるのと、どちらが組織にとって大事なのか。カルチャーを守ったらこの先利益が上がるのか。そういう問題であるはずです。あるべき姿が自明なのであれば、自身を変える決断と行動は、まずリーダーが、経営者が、率先してとって範を示すべきではないでしょうか。有事であるほどに、気迫をもった行動が示されなければ、メンバーはついて来ないものです。

困難な年の初めに、あるべき姿を問う

2020年は異例尽くしの1年になりました。そして、2021年もその流れは続きそうな雰囲気があります。毎年、いつもなら年頭は前向きな気持ちで始めていきたいところですが、今年はなかなかそんな気分になりにくい向きもあるような気がしています。

こんなときこそ、あるべき姿を改めて問い直す年頭にしてはいかがでしょうか。

先の見えない状況では、どうしても目の前の課題にフォーカスが向き、次々とそれらを片付けていく格好になりやすいものです。しかしながら、それに任せて誰も全体感を把握していないと、知らぬ間にあらぬ方向に舵を切りやすいものです。気づいたときには、自らの立ち位置を見失い、必要なことと必要でないことの区別も付けられなくなっていきます。

ビジネスというのは、売れてナンボであることは間違いありません。ただし、売れるためには世間に価値をもたらさなければならないことも、また事実です。なんのためにその事業を推進するのか。なんの価値を世間に提供しようとしているのか。結局はそうした社会的意義を常に持ち続けていることが、苦境の時代において唯一の道標になるものだと、わたしは考えます。

ITの分野においては、近年では多様なツールやソリューションが出回り、利用しやすい状態になっています。昨年もまた、RPA、クラウドAI、IoTソリューション、ローコード/ノーコード開発など、すぐに使えて便利なITが多く採用されていました。

しかし、そうしたツールを表面的に使い回すだけでは、本当の意味でのデジタル化にはなりません。ここ最近の企業事例を見るにつけ、わたしには、単にツールを使っているだけの企業と、ビジネスや業務の全体構造を見据えてグランドデザインし、そのうえで適所にツールを適用する企業とで、くっきりと分かれてきているような実感を持っています。

前者のような企業は、目の前の課題への解決しか見えていないでしょう。そうした取り組みは、いつか全体感を失い、ビジネスとして動きが鈍くなるフェーズがやってくるだろうと想像します。

あるべき姿を常に見据え、この先もぶれない進め方をしていくためにも、一度立ち止まってグランドデザインを考えるには、この時期はいい機会かもしれません。

また同時に、流行や雰囲気に流され過ぎないことです。DXという言葉がよく強調されていますが、これは概念としては重要です。ただし、この概念自体は、わたしが当社を創業した時から申し上げていることであり、かつ当社が創業されるよりもっと前から先人が教訓として述べていたことです。

いま「DX先進企業」と呼ばれる企業はDXなどという言葉がない頃から取り組んでいるからいま成功している、という事実を思い返してください。そしてそもそも、「DX」と称しているのは、わたしの知る限りでは世界の中でも日本人だけです。digital transformation という言葉は欧米でも使われていますが、特別な意味合いを持たせてバズワードのように使われている印象はありません。

その本質を見極めれば、それとは異なる表面的なポジショントークや売込みを見抜くことは容易になります。

苦境にある業種業態の企業も多いことと思います。しかし一方で、さまざまなアイデアや工夫を繰り出して元気に乗り切ろうとする企業もあります。元気な企業を見習って、今年良い兆しが見えるようになることを期待しましょう。