自虐はやめよう、「ガラパゴス」かどうかは顧客が決める

ここ最近読んでいた記事のなかで目を引いたもののひとつに、「国家ブランド力」で日本が60か国中でトップに立った、というトピックがありました。アンホルト-イプソス国家ブランド指数(NBI)というもので、フランスの調査会社イプソスと、国家イメージ分野における世界的権威サイモン・アンホルト氏が、2008年から共同で実施している、国家ブランド力を評価するグローバル調査です。

NBIでは、「輸出」「ガバナンス」「文化」「人材」「観光」「移住と投資」の6つのカテゴリとそれぞれの詳細な属性について、世界各国の調査対象者にアンケート調査を行って評価を行っています。多様な切り口で各国の印象を評価しているようで、NBIの総合ランキングはその言葉通り、国家ブランドの総合的な評価と言えそうです。

わたしが関心を持ったのは、日本が国際的な評価指標でトップになったとはずいぶん珍しいな、ということだけではありません。その詳細な評価を見ていくと、興味深い点がいくつか見受けられるのです。

例えば、日本は上記6つのカテゴリのうち「輸出」が強いと評価されたといい、科学技術への貢献、場の創造性、製品の魅力といった属性で1位だったそうです。

いずれも、日本の国内では「陰りが見えてきた」などと批評されることが多い分野ではないでしょうか。さらには、ガラパゴスだとか、過剰な機能だとか、そうした自虐もよく聞かれるような分野である気がします。

ほかにも、国家としてのパーソナリティを評価する質問において、17種ある特性のうちで日本が唯一1位を獲得したのは、なんと「創造的」でした。ちなみにパーソナリティの特性については、ポジティブな特性とネガティブな特性が共に評価されているのですが、日本人だけにアンケートを取ったら「問題が多い」に票が集まりそうです。

そんな結果を見て感じたのは、「支持と尊敬というのは自然に集まるものなのであって、それを獲得しようと注力するものではない」ということです。

思えば「ガラパゴス」ということばは、個人的には、日本が携帯電話の通信規格をいち早くインターネット接続に対応させ、その先進的技術を世界に広めようとして失敗した、という経緯の中で広まったものだと理解しています。この事例のほかにも、「日本は技術で勝ってビジネスで負ける」などとはよく言われてきました。ただ、その指摘の根底にあるのは、要は覇権主義的な考え方であって、そうした野心や魂胆はすぐに見抜かれ警戒されるわけで、容易に行かないのは当然です。近年台頭する某国の振る舞いを見て多くの国が何を感じているか、というのと同じです。

一方で、そうした野心も魂胆も持たず、ただ地道に自らの取組みや良い側面を対外的にアピールし、それが評価されれば、支持や尊敬は自然と集まる。NBIにおけるトップというのは、それを象徴しているように思えるのです。

いまITにおいて世界のスタンダードとして不動の位置にある米国企業は、どの企業も、ビジネスを始めたその時から「世界を牛耳る」などとは考えていなかったのではないかと、わたしは考えています。彼らの視点がもともとグローバルなだけなのではないでしょうか。自国内のリーグで行うプロスポーツの王者決定戦を「ワールドシリーズ」と躊躇なく呼ぶ人たちなわけですから。

現代は、隠そうと思っても、情報はネットで瞬時に世界中に伝わってしまう時代です。軸を明確に据え、地道にそれを体現する努力を積み、周囲に向けて提供価値の訴求や啓もうを続けていくという、ただその取り組みに集中することが、大事なのではないでしょうか。あとは神のみぞ知る。反応を見て軌道修正していけばよい。経営者が考えていることのスケールが大きいかどうかは重要です。ただし、顧客の支持や評価に関することをコントロールしようとすると、余計な力が入っておかしな方向へ走るように思います。

「自分自身でできること」が、限界を決める

昨年中の仕事の活動を振り返ると、結局のところ「自分でできることが自分の限界を決めてしまう」のだという(当たり前の)ことを多く実感させられたように思います。

昨年は、製造業の企業に触れる機会が複数ありました。これまで脈々と広まってきた「現場のカイゼン」に基づくシゴトの仕組みは、どの工場にも一定程度カタチがあるのは確かなようです。ただし現場に至る前の、事業戦略から生産計画を立ててそれを現場に作業展開するまでの「生産管理」については、企業によって相当にレベル差があることを実感しました。その理由は、生産管理をロジカルに仕組み化して実践することは、難易度が高いからです。その会社にとって「できないこと」は放置されがちだということです。

また、営業組織の支援を様々に行ってきて感じたのは、課題があることも、変えなければこの先成長しないことも、頭では理解しているはずなのに、強制力が働かない限り、いつまでも同じ所を堂々巡りしているチームが圧倒的に多いことでした。慣習を変えられない理由は、変えるための具体的な行動を自分たちの力では組み立てられず、目指すべき姿が彼らにとって「できないこと」になるからです。何の実にもならないようなつまらない進捗報告でも、毎回毎日だと、みんな慣れてしまってそれがフツウになっていきます。まるで生活習慣病のようで恐ろしいことです。でも実はその「できないこと」は、ちょっと背伸びすればできてしまうことに、無理やり取り組んでみてようやく気づきます。

従来からの取り組みがうまく行かなくなり方針転換を図ろうとする時、その前に、組織としてのそれまでの取り組みを総括するべきです。しかし、当事者たちの力だけではまともな言語化というのはできないものです。考えてみれば当然なのかもしれませんが、うまくできなかった人たちが、自分の出来なかったことを自分の力だけで分析評価するというのは、無理難題と思われます。解けなかった数学の問題について、解答を見ずに自分で解答をつくろうとしていることと同等です。そうかといって、彼らが第三者による指摘を素直に受け入れるかどうか、受け入れたとしてもその内容を咀嚼し応用できる能力があるか、というのは、また別の「できないこと」かもしれません。こうした課題には、最終的には自ら気づいて自ら腹落ちしないと、本当の意味での課題にはならないのです。

ある時、某社のCIOの話を聞く機会がありました。顧客ではないので書きますが、この方はデジタルマーケティング畑で長く勤めて経験が長く、一方でシステムを作ったことがありません。話の筋はおよそ、デジタルを「使う」観点からくるもので占められ、デジタルで「つくる」発想がないがために、CIOとしては世界観が限定されているように感じられました。残念ながら、CIOという役職は、マーケティングを知っているだけでは務まりません。そのことに、ご本人は気づきがないのかもしれません。要職を務める人たちからよく聞く悩みのひとつは、率直に言ってくれる人が周囲にいなくなること、です。もったいないなという感想を、内心では持ったことが思い出されます。

自戒を込めて言えば、結局のところ、自らが「できること」をできるだけ増やし拡げていく努力を不断につづけなければ、自分の出来ないことに気付くこともできずになおざりにし、最終的には、できないことに飲まれて衰退していくのだろうと思います。

もちろん、ひとりで何でもできるようになることは、当然ながらできません。できる他人に何かを任せることが必要になります。ただし、自分では全くできないことを他人に任せるのは、簡単そうですが実際は容易なことではありません。実際にやってみるとわかることですが、そもそもどのように仕事を頼めばいいのかさえ、わからないはずです。さらに、ある程度はわかっているうえで他人に委ねるのでなければ、他人のアウトプットの良し悪しを判定できません。結果として、相手にコントロール権を奪われることになります。

渡してはならないコントロールを相手に渡してしまうのが最悪の筋書きになりますが、自分にできないことについては、それがクリティカルなのかどうかさえも往々にして判別がつきません。

例えば、英語の読み書きのスキルは、生成AIの登場によって、もう必要ないかもしれません。英語が不得意だった人たちにとっては福音と言えます。ただし、ChatGPTが生成した電子メールの本文を本当にそのまま相手先に送っても問題が起こらないか、ChatGPTが作ったスピーチの原稿をそのまま顧客や社員に向けて流してしまっても本心が伝わるのか。その判断は、自分がある程度は英語ができないと、判別がつかないはずです。日常会話レベルの事務的なやり取りであればどうでもよいかもしれませんが、適用したい場面がクリティカルであるほど、気持ちを漏れなく的確に伝えたいと思う場面ほど、生成AIの言うとおりでよいか否かの判断は重要になります。こうしたこともまた、英語という言語が、日本語と比べるとハイコンテクストな言語的特徴があり、ひとつの言葉の意味の守備範囲が日本語のそれよりも一般的に狭いということを知っていなければ、他人から重要だと言われてもまったくピンとこないかもしれません。

企業におけるデジタルの選択肢は、この先もますます増えていきます。技術の向上に比例して、デジタルがビジネスに発揮できる影響力や破壊力は、さらに増していくでしょう。無数に出てくるデジタルソリューションやツールの中から、自社に相応しいものを探し出して選び取る能力が、利用する企業にますます重要になっていくことになります。

さらに言えば、そうしたソリューションやツールを適材適所で活用するには、会社の仕事のしくみをデザインする能力がますます重要になっていきます。自分でデザインできる会社ほど、デジタルをテコにした独自のしくみを発展させて成果に繋げるでしょう。自分でデザインできる能力を持たない会社ほど、デザインすることの必要性さえ理解ができず、自身で自身を変えることができずに衰退していくでしょう。

自分で考えることが「できない」企業ほど、ITは、丸投げ対象のコスト要因にしか見えないはずです。自分で考えることが「できる」企業ほど、ITは、ビジネスで利益を出して必ず手に入れたい魅力的な道具に見えることでしょう。業界で一流を目指すなら、どちらになりたいですか?

わたしがこれまで見てきた「元気のいい会社」は、総じて健全な危機意識を常に高く持っていて、それでいてメンバーの多くがビジネスへのチャレンジを楽しんでいるように見える組織でした。新しい年の初めに際して、わたしは「自分でできることをさらに増やす」ことを肝に銘じて、新しい提供価値を増やせるように、また仕事を始めていきたいと考える今日この頃です。