子どものころ、地域のボーイスカウトの団体に所属していました。「そなえよつねに」は、ボーイスカウトのモットーとして知られる言葉です。「いつなん時、いかなる場所で、いかなることが起こった場合でも善処ができるように、常々準備を怠ることなかれ」という意味だと教えられます。子供ですと難しいことはよくわかりませんが、活動のなかで常に言われますし、歌を歌ったりもしますので、子供でもなんとなく覚えてしまうものです。
そうして、今でも思い出すわけです。特に今のような有事の際に。少しネットで検索してみたら、この標語を題材にブログを書いている人たちをたくさん見つけることができました。
大震災も豪雨災害も金融危機も複数回あったのに備えていなかった企業は、いま必死な思いで危機に対応していることだろうと思います。そうであるとしたら、その企業の経営者は、どれほど事前に備えを実行していたかを大いに反省しなければなりません。
テレワークひとつとっても、備えていた企業は円滑に移行し業務を継続できています。備えていた企業はおよそデジタル化に対する意識が高い企業であり、それなりに時間と労力をかけて「備えてきた」と言ったほうが適切かもしれません。本来そうした取り組みであるものを、危機になったので今すぐどうにかしようというのは、所詮無理がある話なのです。
資金繰りもまた同様です。備えていた企業は、いつ何時苦しむか知れないと考えて内部留保しようとし、これもまた時間と労力をかけて行います。例えば、仕事が一切入らなくなっても従業員に1年間は給与を払い続けられるだけの額を目標に内部留保しようとする中小企業がいます。「カネをくれないと休業できない」と発言する経営者を時々見かけますが、国や自治体に事態を招いた直接的な責任があるのではない限り、補助や補償を受ける側は、金融支援してもらうのが当たり前だと思ってはいけないと、わたしは考えます。
現在の医療現場の問題にも、思うところがあります。いま医療従事者の方々は、想像もつかないほどの作業負荷と高い感染リスクという状況下で業務をされていると聞きます。ただし、業務環境がそもそも労働集約的であることに関しては、随分前から誰もが知っていたことです。街のクリニックでさえ、窓口で整理券を取ってから診察になるまで1時間待たされるなど珍しくありません。
日本の医療は、街医者から大規模病院に至るまで全国一律の階層型組織です。その分、全国どの医院にかかってもほとんど同質の医療サービスが受けられるのが利点ですが、一方で組織は硬直化しやすいわけです。そうした組織ほど、トップ層の人々に改善の意識が強くなければ、課題は課題のまま根本的に解決できないのです。
この業界では以前から、草の根レベルの局地的な改善の取り組みしか話が聞かれません。最近の状況下においてオンライン診療、AIによる診断支援、PCR検査拡大の是非などの問題が取りざたされるにつけ、発言を聞いているとこの業界を主導する立場の人たちのアタマの固さがより浮き彫りになっているように感じられてなりません。そのしわ寄せは常に現場の人々と患者に行きます。
経営の話に戻しましょう。至らなかった点は反省するにしても、ではいま、当座をどうにかしのぐ方策を実行できた後、経営者の方々はこれから先について「そなえて」いるでしょうか。
新型コロナウイルスに関しては、まだわかっていないことが多くあります。ウイルスであれば抗体ができるはずのところを、新型コロナは再び陽性になる患者のケースが複数報告されています。理由は明確ではありません。特効薬がいつできるかもまだ不明です。どこかの時点でスッキリ解決はせず、どちら付かずの状態がしばらく継続するだろうと、容易に想像できます。
経済活動や人の動きも、元には戻らないかもしれません。この問題の発生前は顧客にとって価値だったものが、今後は価値ではなくなることもありえます。業務のしかた、サプライチェーン、取引先との関係、業界を取り巻く環境、世界の動き、様々なものが、元には戻らないかもしれません。人々が一斉に遊興に出かけるようにはならないかもしれませんし、海外からの旅行客もそれほど戻らないかもしれません。来年の今頃まで問題が長引けば、東京でのオリンピック・パラリンピックの開催もなくなるかもしれません。
悲観的なことばかりではなく、新たなニーズが発生することもあります。3密にならずに楽しめる方法の提供、自宅にいながら享受できるサービス、遠隔でも人とつながれる仕組み、などは必要性が高まっています。それに伴って、物を運ぶニーズや通信のニーズも高くなっています。ニーズを捉えようとしている会社は、うまく発想を転換して対応を実際に始めています。
ニューノーマル、アフターコロナ、などと呼ぶ向きもあるようですが、事後がどうなるかというよりも、これまでとはまったく異なるやり方や考え方をしなければならない可能性に注目すべきではないでしょうか。意識をシフトし必要な物事を整えるには、前記のように時間も労力もかかります。差し迫ってから考え始めるのでは遅いことを学び、「そなえ」はもう始めなければならないだろうと思います。