ビッグデータより、ビックリデータ

ときどき、ホテルやレストランなどで、ちょっと感動するサービスに遭遇することがあります。

例えば、宿泊先のホテルで。チェックインの際に、ホテル内のジムが何時から開いていてどんなサービスがあるのか、フロントの人に少しくわしく質問します。いろいろ教えてもらった後、部屋に入り、食事を済ませてからジムへ行ってみます。すると名前を告げるなり、受付からもインストラクターからも「お待ちしておりました」と言われます。こちらが使ってみようと思っていたサービスを、こちらが伝える前から紹介しはじめました。

例えば、日本料理の店で。来店の際、座敷に上がるため、靴を脱ぎます。居酒屋などでは、げた箱に入れてセルフでカギをかけたりしますが、ここではそういうものは見当たりません。大きなげた箱が玄関に置かれていたので、自分で靴をそこに入れ、店内に入ります。おいしい食事をいただき、満足しながら店を後にしようと出口に向かうと、玄関にはすでに、自分の靴が並べられて土間に置かれていました。

いかがでしょうか。似たような「おもてなし」体験をしたことがあるかたも、多いのではないかと思います。

これらの例を実現した秘密をひも解くなら、前者はフロントとジムで情報共有ができていた結果であり、後者はサービス担当が顧客の持ちものを記憶するように訓練されていたから、ということになります。

こうしたことから、よいサービスになるものの共通項は「自分のことを知っていてくれる、覚えていてくれる」ということだ、と理解できます。これをIT技術で実現しようとしているのが、最近話題の(特にマーケティング分野での)ビッグデータなわけです。

実際にこうしたデータ収集に取り組む人々がどういう思いでいるのかまでは存じませんが、顧客の情報を集めれば顧客を知ることになり覚えることになると、単純にそう思っているのだとしたら、わたしには、大事な気づきがひとつ抜けているように思えます。

それは、「自分のことを知っていてくれる、覚えていてくれる」ということばの前に、「思いがけず」が省略されている、ということです。

何かのサービスを受けて感動するとき、たいていその理由は、「そんなことをしてくれるなんて思いもしなかったから」ではないでしょうか。上記の例でいえば、もし顧客が「ホテルでは情報共有されていて当たり前、フロントに話したのだからジムの担当者は自分が来ることを当然知っている」と思っていたとしたら、どうだったでしょうか。もし顧客が「日本料理店の従業員は、客の持ちものを覚えているのは当然。店を出るときには当然靴が出されている」と思っていたとしたら、どうだったでしょうか。

つまり、サービスが感動を呼ぶには、顧客を「知っている」ことではなく、顧客が「思いがけない」「想像していなかった」ということがより重要と思えるのです。

もうひとつ挙げるなら、「その行為がリアルタイムに起こる」という点も、見逃せません。上記の例でいえば、ホテルのフロントも、日本料理店のサービス担当も、感動につながる行為を「その場で」実行しています。昔から顧客の興味や情報を知っていたわけではなく、その場で情報を入手し、その場で処理して、その場で行動しているのです。

こうして考えてみると、顧客からたくさんの個人情報を吸い上げ、それを分析し、そこから得た知見を活用するというような取り組みだけでは、たとえそれがワントゥワン・マーケティングだったとしても、感動は呼ばないだろうという考えに至ります。なぜなら、顧客はその企業にあらかじめ自分のことを教えているからです。「その情報を使って分析するんでしょ」と、もう思われてしまっているからです。

「いや、レコメンドするのは、お客様が便利になるからです」とおっしゃるのなら、そうかもしれませんね。それなら、「たったそれだけしか教えていないのに、なんでわかったの」と言われるくらい、少ない情報からレコメンドすれば、感動されると思いますよ。