企業の方々と話をしていると、事例を求められることがよくあります。
なにか新しいことに取り組むにあたって、それを採用する前に関連する事例を知れば、実際に採用するとどんな効果があるのかが具体的に想像できるだろう、と考えて要望するのでしょう。
事例を知ることそのものは、悪いことではもちろんありません。ただし、これまで3400ほど企業のシステム事例を収集し分析してきた身からすれば、事例を知ることの目的を誤ってほしくないと考えているところです。
とかく日本の企業は、事例を知ることで第三者保証を得ようとしているように、わたしは感じています。採用に踏み切るにあたって、本当に効果があるのか確信が持てないし、社内を説得もできない。業者の説明だけでは、真に受けていいのか不安がある。そこに事例があれば、第三者が成功していることが裏付けられて、安心して採用ができる。こういう具合です。
わたしが考えるに、このような目的で事例を使うべきではありません。いつまでも他人や他社の後追いしかできない組織になるだろうと思います。
この説明のため、個人的には欧米と日本を比較して「日本は遅れている」とする世間の記事やコメントを嫌っているのですが、ここでは敢えてその比較をしてみましょう。
多くの面で、日本は欧米に対して大抵は後追いになっています。最近では中国の後まで追おうとしています。なぜそうなるのか。私見ですが、文化的にそれにつながる思考パターンが定着しているからではないかと感じています。
わたしの知る限りですが、米国などでは、人間関係において、自分から発言しない人や行動しない人は「いない人」と同じに扱われる傾向があります。無視されるわけではありません。「存在しない」として扱われます。しかし一方で、何らか発言や行動をし、良いパフォーマンスをすることを見せると、途端に仲間として認知してもらえます。それは時に、オーバーなくらいに大手を拡げて行われるような気がします。
日本ではどうか。人間関係において、自分から発言しない人や行動しない人は「従順な人」として扱われます。そこで何らか発言や行動をすると、期待される行動や雰囲気からそれが外れているほど、「お前などたいしたことない」と言わんばかりに上から乗っかって来られます。いわゆる「出る杭は打たれる」というものです。
ところが、関係者ではない他人、リスペクトに値する人物、マスコミなどによって、それにポジティブな評価が与えられると、この対応が一気に変わります。途端に評価され、意見が尊重されるようになります。
この違い、わたし個人は、オープンでフェアな判断軸があるのかないのかの違いではないか、と考えています。
米国の企業やビジネスパーソンを見ていると、どれだけ無名であろうが、よいものはよい、試してみよう、という判断をしているように感じます。逆に悪いとわかると、かなりドライに切り離し固執しません。時にそれは非情とも思えることがあります。いずれにせよ、よい・悪いを判断する軸が(よくも悪くも)はっきりしており、それに基づいて物事を見ているようです。
欧州などでも同様の傾向があると感じています。こと欧州は、ものごとのルールや基準を標準化することが得意です。日本にも欧州由来の多くの社会ルールが入ってきていることからもそれは窺えるでしょう。最近で言えば、個人情報保護にまつわるGDPR、国際会計標準のIFRSなどが思い浮かびます。
日本の企業を見ていると、善し悪しの判断は結局他人の意見(すなわち事例)で行っているように感じます。特に「みんなそうしている」「外国でやっている」には本当に弱い。同じ無名の人物でも、日本人だと信用しないのに、欧米人だと信用するという不思議なところがあります。そして、採用した後にダメだとわかっても、失敗と認めたくないのか愛着があるのかわかりませんが、一度行った判断に執着して継続する傾向があるように思います。
要するに、どのようであればよくて、どうだったら悪いのか、客観的な判断軸を持っていないのです。
判断軸が明確にあるのなら、事例は単なる「良き参考」でしかなく、採用の可否は、あくまで自らの判断軸に適っているかどうかに依るはずです。みんながやっていようが軸に合わなければ採用しないし、みんなやっていなくても軸に合っていれば採用する。シンプルです。
ことITの分野に関して言えば、不安であれば実際に試してみればよいでしょう。現在はクラウドが安価に利用できるなど、試してみたければいくらでも試せる環境が容易に手に入ります。止めたければすぐにやめられます。成功事例がなければ不安だと思う必要などないはずです。
他人、他国、他社の後追いで構わないし、そのほうが安全だ、リスクは負いたくない、というなら、止めはしません。しかし、顧客や有望な人材が積極的に選択する企業は、後追い専門の2番手以降の企業なのか。あの会社すごいねと評価される企業は、ポリシーがあいまいな企業なのか。一度考えてみてほしいと願っています。